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病院を出てすぐに芽夢とは別れた。
芽夢は用事があるらしい。何の用事かは言わないが、きっと百花についての調査に違いない。おそらくは自分が戦力にならないと思われているのだろう。
本当は悔しがらなければいけないのかもしれないが、美空はむしろホッとしていた。この数日、立て続けに思いもよらないことが起こった。一人になって冷静に頭のなかを整理したかった。
「……ノ本さん」
突然、名前を呼ばれ、驚いて振り返った。そこにいたのは薄いベージュのジャケットを着た三十代くらいの男だった。見覚えのない男からの呼びかけに美空は戸惑った。相手の顔に見覚えはないが、名前が呼ばれたということは相手が自分を知っているということだ。
「私を呼びましたか?」
「確か君は……」
「日ノ本です。あの……何か?」
「ああ、そうだ。日ノ本美空さんだよね?」
男は少し笑顔を見せると、もう一度、確認するかのように訊いた。いたって真面目そうな顔をした男で、怪しい雰囲気はない。
「……そうですけど。あなたは?」
美空がそう訊くと、男の表情が曇ったように見えた。しかし、それは一瞬のことですぐにニッコリと笑う。
「田代進次郎と言います。お礼を言わなきゃいけないと思ってね」
「お礼?」
「浜本房子さんから聞いたんだよ。僕は彼女が通っている塾の講師をしているんだ。以前から房子さんから相談されていてね。君たちなんだろう? 君たちが妹さんの病気の原因を取り除いたんだね」
「どうしてそんなふうに?」
「房子ちゃんが言っていたよ。君たちのおかげだってね」
「私たちはべつに……」
「房子ちゃんにもそう言ったそうだね。まあ普通の人には本当のことは言えないか」
「本当のこと?」
当然だが、房子には自分たちのことについて詳しく話してはいない。『妖かし化』のことも、それによって睦美が病気になったことも言えるはずがない。
それなのになぜこの田代という男は知っているのだろう。
「簡単な推理だよ。君たちは私立桔梗学園から転校してきたんだろ? あそこは知る人ぞ知る宮家陰陽寮の高等部じゃないか。つまり君たちは陰陽師のタマゴだ。違うかい?」
「そ、そんな話、信じるんですか?」
美空はなんとか誤魔化そうとした。
「もちろん信じるよ。僕は昔からオカルト好きでね」
「オカルトって……陰陽師はオカルトですか?」
「一般人から見たらね」
「私はただの普通の高校生ですよ」
嘘をついているわけではない。桔梗学園に通っているのは事実だが、何の力もない普通の高校生に過ぎないのだ。
「ま、そういうことにしておこうか。しかし、どうして君たちは転校してきたんだい? 何か目的があってのことかな?」
「ただの研修です」
「キミは嘘が下手だね。すぐに顔に出る」
田代はそう言って笑顔を見せた。それはどこか懐かしさを感じさせるものだった。
「あの……前に会ったことが?」
「どうしてそう思うの?」
「なんか先生の顔、憶えがあるような気がして」
「いいや」
田代はすぐに首を振った。「残念だけど違うよ。どこにでもある顔だからね」
「そうですか」
「そんなことより、何があったのか詳しく教えてもらえないかな?」
「話すようなことは何も」
「まあ、部外者に話すのは難しいかもしれないね。でも、これだけは憶えておいてくれないか。睦美さんを救ったのは間違いなくキミだ。そして、救われたのは睦美さんだけじゃない。彼女の家族も救われたんだ。自信を持って良いんだ」
「はあ……ありがとうございます」
「ああ、ごめんごめん。こんなこと突然声をかけてきた謎のオジサンに言われても戸惑うだけかもしれないね」
「いえ、そんなことは」
「でも、キミはもっと自信を持っていいんだ。それこそがキミを導く鍵となるはずだ」
田代がなぜそんなことを言うのかわからなかった。ただ、田代が自分のことを本気で心配していることが感じられる。
いったいこの男は何者なのだろう。ザワザワと心の中で何かが騒ぐ感じがした。
「それじゃ、私はーー」
美空は一礼してから田代に背を向けて歩き出した。そんな美空に田代は背後からさらに声をかけた。
「また何かあったら教えてもらえないかな」
振り返ると、田代が手を振って微笑んでいる姿が見えた。




