21
深夜になり、美空と芽夢の姿は病院の裏にある駐車場にあった。
玄関脇にある街灯がわずかに周囲を照らしているだけだ。
周囲に人気はまるで無い。
「本当に大丈夫?」
そっと美空は芽夢に声をかけた。
「何を心配しているのかはわかりませんが、やる必要があるからこうしているんです」
いつものように平然とした態度で芽夢が答える。
「どうしてこんな夜中に?」
「日中に堂々と押しかけろと言うのですか? こんな話を誰が信じると思います? 医者も家族も信じるはずがありません」
「でも、私、どうすればいいか……」
「川北集人の時と同じですよ」
「あの時はただ夢中でーー」
「なら今日も夢中になってください。いざとなれば霊符を使えば良いのです」
「でも、あれはーー」
あれは人の魂を消し去るかもしれないものだ。だからこそ美空は霊符を持ってきてはいない。当然、そのことは芽夢に話してはいなかった。
「何ですか?」
「あれは……『妖かし化』した相手に使うものでしょ?」
「しかし、浜本睦美にそれを使うことで新堀智の『妖かし化』が解かれるかもしれません」
冷静な口調で芽夢が言う。その芽夢の顔を見て、月下薫流に言われた言葉をふと思い出していた。
――花守さんには花守さんの事情がある。
なぜ、月下薫流はあんなことを言ったのだろう。芽夢の持っている事情というのは何なのだろう?
「何ですか?」
「ううん……なんでもない。ねえ、花守さんのその格好は?」
美空は改めて芽夢の姿を見た。
「ウチの制服ですよ」
当たり前のように芽夢が答える。今日も芽夢は黒いコートを着込んでいる。
「寒い?」
「いえ、私は暑さ寒さにはわりと強いほうです」
「じゃあ、どうしてコートを?」
「楽なんですよ」
「コートが楽?」
「あなたが気にする必要はありません。さあ、行きましょう」
「どうやって病室まで行くつもり?」
「もちろん普通に入っていくだけですよ」
「でも、裏口は鍵がーー」
そう言った途端、芽夢はポケットのなかから一つの鍵を取り出してみせた。
「ありますよ」
「どうして鍵を?」
唖然とする美空に対し、芽夢は平然とした顔をして片手で鍵を弄ぶ。
「知りたいですか? いや、知らないほうがいいかもしれませんね。あなたはそういう話を聞くのは好きではなさそうですから」
いったい芽夢はどうやって鍵を手にいれたのだろう。その方法を聞きたい気持ちは強かったが、それを聞くのも怖かった。
それでも念の為に訊いてみる。
「……それってなんか悪いことしたわけじゃないよね?」
「では行きましょうか」
美空の質問に答えることなく、芽夢がドアに近づいていく。
(ますます不安になる)
そう思いながらも芽夢の後に続く。
鍵を開けようとした時――
空間が歪んだ。
* * *
それが異質な状況であることは間違いがなかった。
いや、見えているものはさっきと変わりがない。しかし、それは見た目だけだ。周囲50メートルほどの空間がさっきとは違うものに変えられている。
(これは……結界?)
もちろんそれを経験したことはない。だが、聞いたことがある。
聞いたものとは少し違っているが、これは間違いなく陰陽術の一つだ。それはすぐに芽夢にも理解出来たようだ。
「これは何ですか? 何が起きているか、あなたにはわかりますか?」
隣に立つ芽夢が美空に問いかける。結界によって周囲の音が遮断されているためか芽夢の声がやけにクリアに聞こえる。
「たぶん結界だと思う。私たちの周囲に結界がはられて、別の空間に飛ばされた……と思う」
「結界? これが?」
芽夢にとって、こんなことは初めてのことだろうが、意外なほどに冷静だ。
「落ち着いてるんだね」
「いえ、これでも結構驚いています。でも、ここにはあなたがいます。どう対処しますか?」
そう訊かれた瞬間、一つの考えが頭を過る。
「これってひょっとしたらチャンスなんじゃないかな」
「チャンス? なぜ?」
「これが結界だとすれば、相手はーー」
「新堀智ですね」
「私達を結界に閉じ込めたってことは、彼からは私達の姿が見えているってことでしょ。なら、私達の声も届くかもしれない」
「声? まさかーー」
芽夢が眉をひそめる。美空はそれを気にしないふりをして振り返った。そして、暗闇に向かって声をかける。
「新堀君! 聞こえてる? 私たち、あなたのことを捜しに来たの。あなたと話がしたいの。何があったの?」
反応はない。それでもさらに美空は続ける。
「あなたが睦美さんのことを思ってやったことかもしれない。でも、こんなやり方は間違っているわ。睦美さんがこのまま何も見えず、何も聞こえないなんて良いわけがないでしょ」
やはり反応はない。
それを背後から見ていた芽夢が口を開く。
「無駄です」
「まだわからないよ」
諦めたくなかった。新堀智に声が届けば、話をすることが出来れば、彼を無事に助け出すことが出来る。
「あなた、わかっていますか? どうも様子がおかしいですよ」
芽夢が周囲に気を配りながら言う。
それは美空も感じている。この結界の中には攻撃的な気配が満ち溢れてきている。その気が自分たちに向かっていることは間違いない。
だが、諦めたくはない。
「新堀くん!」
美空はさらに声を大きくした。しかし、それを芽夢が遮る。
「もう止めなさい。こいつは先日のとは違っています。早く霊符を準備しなさい!」
叱るような芽夢の声は時間切れを意味していた。
「……ごめん」
美空は振り返ると芽夢に向かって頭を下げた。
「どうしたのですか?」
「出来ない」
「出来ない? まさか、霊符を持っていないのですか?」
美空は小さく頷いた。
「使わなくて済むならそれが一番だと思って」
「まったく。油断するなと言ったはずでしょう」
ため息を吐きながら芽夢が言う。
「ごめんなさい」
美空は自分の甘さを痛感した。「私が……私がなんとかする……だから、花守さんは逃げて」
「なんとか? それは何をするのです?」
「新堀君の居場所さえ見つけられれば……」
その姿を目にすることが出来れば、先日と同じように新堀智を元に戻すことが出来るはずだ。美空は再び前を向き、どこかにいるはずの新堀智の姿を探す。
「どうやって見つけるんです?」
「それは……なんとか……」
「やれやれ、ノープランですか。まったく。仕方ありませんね」
そう言うと芽夢は美空の前に進み出た。
「花守さん、何をするの? 危ないよ」
「いいから黙っていなさい。少し手荒な方法になりますが諦めてください」
そう言って周囲を睨む。
妖気が芽夢たちを取り囲むように近づいてくる。このプレッシャーは霊力がない芽夢でも感じているはずだ。
しかし、芽夢はまったく怯まなかった。
「侮るなよ、妖かし」
低くそう言った途端、コートのポケットに入っていた芽夢の右手が振り上げられた。そこから耳に響く轟音と同時に火花が散る。
その手の中に黒い鉄の塊が握られているのが見えた。
(拳銃?)
さらに左手には拳大の塊が見える。
それが宙を舞い、それを狙って、再び拳銃を向ける。
次の瞬間、爆発音と共に閃光が周囲を包む。
(爆弾?)
その衝撃に美空は思わず頭を押さえてしゃがみこんだ。
――キミは花守さんのことをよくわかっていないだろ?
月下薫流に言われた言葉が頭の中に蘇る。
その言葉さえも吹き飛ばすように、立て続けに周囲で爆音が響く。空気が震え、ビリビリと振動となって伝わってくる。
それはほんの短い時間だった。だが、その衝撃音は美空に永遠に続くのではないかと感じさせるものだった。
やがて、静けさが辺りを包み、美空が顔を上げた時、さっきまでの敵意に満ちた気が消え去っていた。
結界もすっかり消え去っている。
ここは現実世界だ。
芽夢が美空の脇に何事もなかったかのように立っている。
「花守さん、今のは? 何したの? 何の……術?」
自分の声が少し上ずっているのがわかる。
「術のはずないでしょう。私にはあなたたち陰陽師のような特別な力はありません。ただの高校生ですから」
「で、でも、今のは?」
「驚くようなものではありませんよ。ただの閃光弾です。まあ、ちょっとだけ特別なものですけどね」
「どうして拳銃なんかを?」
「妖かしやモノノ怪などというものの多くは獣から生まれたものでしょう。獣は炎を嫌うものですからね」
当たり前のように芽夢が言う。だが、美空が聞きたかったのはそんなことではない。ただの高校生がなぜ拳銃を持っているのだろう。いや、ただの高校生が持っていていいはずのものではない。
「そんな理由? でも、どうして拳銃を?」
「そういうことを気にする必要はありません。そして、それなりに効果があったようです」
芽夢の視線が一点を見つめている。その視線の先に一人の痩せた小柄な少年が倒れているのが見える。
それが新堀智であることが、美空にはすぐにわかった。
考えるよりも先に体が動いた。
一瞬、背後から芽夢の声が聞こえた気がしたが、そんなことは気にもならなかった。
足早に倒れている新堀智に近づき、その傍らに膝をついた。そして、その体にそっと手を伸ばした。
浜本睦美を、そして、新堀智を助けたい。
その一心だった。




