20
放課後、日直の仕事が終わって、美空はやっと教室を後にした。
すでに芽夢は帰っている。理由はわからないが、彼女は学校ではあまり美空と接点をもたないようにしているようだ。
隣のクラスの前を通ろうとした時、開いたドアの隙間から一人の生徒の姿が見えて、美空は思わず足を止めた。
そこに見えたのは月下薫流だった。
窓際の席に座り、何かノートに書き続けている。
教室には月下薫流の姿しか見えない。今なら話が聞けるかもしれない。一歩、教室に踏み込んでから、美空はすぐにその動きを止めた。
いったい何を話せばいいだろう。
躊躇していると、ふいに薫流は顔を上げた。
「何か用?」
まるで美空がそこにいることを最初からわかっていたかのように声をかける。
「……あ、いえ」
どう切り出せばいいかわからず言葉を探す。
「日ノ本美空さんだったね?」
「私のことを知っているの?」
「知っているよ。同じ転校生仲間じゃないか」
「あなたは誰なの?」
「誰? 変なこと聞くんだね。僕は月下薫流」
「バカにしてるの?」
「どうして? 質問に答えただけなのに」
そう言って爽やかに笑う。どこかでその笑い方を見たことがあるような気がする。
「花守さんとはどういう関係?」
「それも変な質問だね。僕と彼女が何か特別ん関係があるような言い方だ」
「だって……前に会ってたよね」
「会っていたよ」
薫流は決して驚いている様子はない。もしかすると美空に目撃されていたことにも気づいていたのかもしれない。
「何を話していたの?」
「彼女からはどう聞いている?」
「何も」
「じゃあ、僕も何も答えられない」
「どうして?」
「そんなことを僕が言ってしまったら花守さんに悪いじゃないか。僕のことは彼女から聞いたほうがいい。人それぞれ事情がある。僕には僕の、花守さんには花守さんの事情がある。その事情があるからこそ、僕たちはここにいるんじゃないか」
「事情?」
「そうだよ。キミにだって事情はあるだろ?」
ギクリとした。
薫流は何を知っているのだろう。自分と父の関係のことを言っているのだろうか。だが、それよりも芽夢の事情とは何のことだろう。
「あなた、何を知っているの? 何を企んでいるの?」
「やっぱり漠然とした質問だなぁ。キミは本当に何を知りたいの? 実は自分が何を知りたいかわかっていないんじゃないの?」
薫流の目が美空をまっすぐに見る。
「私は……」
「自分が何を知りたいか、本当に知っている人なんて少ないものさ。そもそも自分が何者かってことだってわからない。ボクだってキミと実は同じだったりする」
「さっきから何を言っているの?」
「何って、キミのことを話しているんだよ」
どこか薫流は寂しそうな目をしている。いや、哀れみだろうか。
「私は、私のことなんて話していないわ」
「じゃあ、誰の話?」
「あなたの……いえ、花守さんのこと。花守さんの事情って何?」
「だから、僕がそれを言うわけにはいかないよ」
「逃げるつもり?」
「僕が? 逃げているとすればキミのほうじゃないの?」
「私?」
「ねえ、キミは花守さんを信じているの?」
「え?」
「さっきから聞いていると、キミはボクを危険視しているようだね」
「別に……そんなことは」
「そうじゃなければ、いきなり顔を合わせて『あなたは誰?』なんて聞くはずがないよね」
「それは……」
言い返すことが出来ない。なぜ、こんなにも薫流のことが気になるのだろう。
「ならキミは花守さんに会って、そんなことを訊いた?」
「そんなこと聞くわけないじゃない」
「なぜだろう?」
「なぜって……そんなの当たり前でしょ」
「仲間だから? でも、キミは花守さんのことをよくわかっていないだろ?」
「何がわかっていないっていうの?」
「彼女が何者であるのか、彼女が何をしようとしているのか。そして、キミは実は花守さんのことを信じているわけじゃない」
「そ、そんなことーー」
「いや、ごめんごめん。少しイジメすぎたかな。あまり気にしないでくれよ。大丈夫、花守さんはキミの味方だよ。僕も一応、味方のつもりなんだよ。いや、もっと言えば、キミに敵なんていないんじゃないかな。皆、キミの味方かもしれない」
そう言って月下薫流はすっくと立ち上がった。
「あなた、本当に何を知っているの?」
「キミが知っている程度のことだよ」
そう言ってニッコリ笑うと月下薫流は立ち上がった。そして、軽く手を振って教室から出ていった。




