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4日が過ぎた。
朝、部屋を出るとそこに芽夢の姿があった。
普段、一緒に登校するようなことはしない芽夢には珍しい行動だ。てっきり月下薫流のことかと思ったが、どうやらその話ではないらしい。
芽夢が歩きながら話始めたのは浜本睦美のことだった。
「彼女、なかなかに秘密主義だったようです」
「秘密主義?」
「――というよりも、本当の彼女について話せる人が少ないのです。クラスメイト、ダンス教室の友達、その多くが口をつぐんで彼女について話そうとはしませんでした」
「お姉さんにはなんでも話していたんじゃないの?」
「バカですか。全てを家族に話せるはずがないでしょう。そして、私が知りたかったのはそれ以外のことです」
「どういうこと?」
「簡単に言えば、彼女には友達がいなかったということです。それどころか、彼女は虐められていたようです」
「イジメ?」
その言葉に胸がギュッと締め付けられる。
「イジメられていることを家族にそのまま話すというのは非常に難しいことですからね。家族が知らないのも無理ありません」
「どうしてイジメに?」
「話は去年の秋に遡ります。いや、実際にはもう少し前からかもしれません。それでもハッキリとイジメられるようなキッカケとなったのが去年の秋です」
「何があったの?」
「昨年の秋、ダンスクラブの定期公演がありました。そこで主演に選ばれたのが浜本睦美でした。しかし、彼女の場合、周囲からはそこまでの評価は受けていなかったようです。ただ、真面目な性格で練習を休むことなどなく、そんな彼女の努力が認められたというところでしょう。姉の房子とは真逆のタイプです。房子は何でも器用にこなすタイプ。ダンスクラブでもリーダー格だったようですが、最近はずいぶん練習はサボりがちだったようです。姉妹というのは面白いものです」
「花守さんって兄弟はいるの?」
思わず美空は訊いた。
「は? 急になんですか?」
「なんとなく……今、誰かのことを頭に浮かべながら話していたように見えたから」
「そんなつもりはありません」
そう言いながらもわずかに視線が泳いだ気がする。
「それで? 兄弟はいるの?」
「しつこいですね。それ、どうしても知りたいことなのですか?」
「そうじゃないけど。言いたくないの?」
「……いますよ。弟が一人」
「どんな弟さん?」
「そこ、食いつくところですか?」
「なんか気になって。花守さんと似てるの?」
「似てませんよ。弟はただの犬バカです」
「犬バカ?」
「犬が大好きで子供の頃からいつも犬と一緒だったそうです」
「変な言い方だね」
「何がですか?」
「人から聞いたような話し方だなって思って」
芽夢はいかにも面倒くさそうに眉をひそめた。
「私の話はもういいでしょう。浜本睦美の話に戻りますよ」
「何だっけ?」
言った瞬間、芽夢の手が伸びて美空の頭を小突く。「痛い……暴力だ」
美空の訴えを芽夢は無視して話す。
「浜本睦美がダンスクラブの公演の主演に選ばれたという話です」
「ああ、そうだ。だからってどうしてイジメにあうの?」
「周囲からの評価の低い人間が一部の上の人にだけ認められた。そういう場合、何が起こるかわかるでしょう?」
「妬まれたってこと?」
「そういうことです。しかも、ダンスクラブの仲間の中には彼女のクラスメイトもいました。結果、彼女は学校でもイジメの対象とされるようになりました。イジメの内容としては、精神的なもので、暴力的なものや金銭的なものではなかったようです。しかし、女独特のイジメというのは中学生の彼女にとっては厳しいものだったでしょう」
「でも、彼女がイジメられていたことと百花とはどう関係するの?」
「姉の房子が言っていたじゃありませんか。新堀智と知り合ったんです。きっと公園でイジメられているところに新堀智が居合わせたのでしょう」
「それで新堀くんに助けられたってこと?」
「そうです。新堀智にとっては、とても他人事とは思えなかったのではないでしょうか」
「他人事じゃない?」
「新堀智もイジメの被害者だったようです。彼の場合、小学校のときの体験でした。かなり酷いイジメで、その結果、彼は不登校になり転校することでやっと学校に通えるようになったそうです」
ここ数日のうちによくそこまで調べたものだと改めて美空は感心した。
「でも、それでどうして睦美さんがあんな病気に?」
「あなたはイジメを受けた時、どうするのが正しい対応だと思いますか?」
「イジメ……先生に言っても無駄だよね。無視するとか?」
困惑しながらも美空は答えた。
「そうですね。教師に相談したところで学校というのはそういうものは積極的に関わりたくないと考えることも少なくありません。かといって警察や弁護士に相談して事を大きくするのは嫌だと考える人のほうが多いものです。無視して嫌なことが通り過ぎてほしいと考えるのが自然です。しかし、人間というのはそう器用なものではありません。無視したくても、そう簡単ではないのです。聞こえるように悪口を言われたり、教科書や机に落書きをされたり。それを毎日のように繰り返された場合、あなたは無視し続けることが出来るでしょうか」
「難しい……かな」
「私も無理ですね。私の場合は少し意味合いが変わってきますけどね。しかし、声をあげることも抵抗することも出来ない人の場合、やはり無視するしかないのかもしれません。物理的に何も見えず何も聞こえなければ、完全に無視することが可能です」
「そのせいで睦美さんが病気に?」
「彼女の症状は病気などではありませんよ。あれはモノノ怪、妖かしの類の力です」
芽夢はハッキリと言い切った。
「妖かし? それじゃ……『妖かし化』した力」
「妖かし化?」
「あ、栢野綾女さんがそう呼んでいたから」
「あの女と会ったのですか」
「うん……この前、ちょっと偶然に。黙っててごめん」
「謝る必要はありません。そんなことをイチイチ私に報告する義務はあなたにありません。『妖かし化』、なるほど、わかりやすい言い方ですね。私たちも今後はそう呼びましょう。あの女、他に何を言っていましたか?」
美空は綾女が言っていた『妖かし化』について芽夢に簡単に話して聞かせた。芽夢はそれを聞き、納得したように頷いた。
「確かに川谷隼人の時のように新堀智が『妖かし化』している可能性があります。そして、そうなった新堀智の力が原因だとすえば、それを封じれば彼女は元に戻るはずです」
「どうやって?」
そう言った美空を芽夢が睨む。
「何度も言わせないでください。モノノ怪相手なのですよ。霊符を使えばいいでしょう」
「誰が?」
「あなたがやるに決まっているじゃありませんか」
「私?」
「驚いた顔をしないでください。私にはそんなことは出来ません」
「でも、あれは私じゃなくてもーー」
「いいえ、ここまでが私の仕事。ここからがあなたの仕事です」
当たり前のように芽夢は言った。




