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「何か面白いものでも見えますか?」
放課後、屋上に立ってぼんやりと校庭を見下ろしている美空の背に向けて突き刺すような声がかけられた。
「当たり前の田舎町だね」
美空は振り返らずにそれに答える。その独特なハスキーボイスが誰のものかは顔を見るまでもなくわかっている。
それはクラスメイトの花守芽夢だった。芽夢もまた私立桔梗学園の生徒で、美空と同じように指示を受けて一緒に転校してきた。背も高く、手も足も長く、スタイルも良い割に、化粧っ気はまるで無い。もっとハッキリ言えばまったく女っ気が感じられない。
私立桔梗学園には陰陽師を育てる専門課程だけではなく、事務方を育てるための普通科が存在している。芽夢はその普通科の生徒だった。普通科は一駅離れた場所に校舎があるため、専門課程の生徒が普通科の生徒と会うことはない。
そんなわけで初めて芽夢と顔を合わせたのはこの街に引っ越してきた日のことだ。
芽夢は同い年とは思えないほど大人びており、その制服姿はどこかコスプレ感を受けるものがある。芽夢もそれを意識してか、一昔前の女子高生のように制服のスカートも少し長めにしているようだ。
美空にとって、芽夢はどちらかというと苦手な部類だ。
理詰め、厳格で粗野で神経質。ひと目見て、美空は芽夢という人間の性格を感じ取ることが出来た気がした。
芽夢の口調は少し変わっていた。ぶっきらぼうな一方、敬語を使い、まるであえて人と距離を取ろうとしているように感じる。
しかし、意外にも、美空は芽夢に対して嫌な印象は受けなかった。むしろ、彼女とならばうまくやっていけるかもしれないと思った。彼女の人間性の芯の奥に人として一番大切なものが潜んでいるような感じがしたからだ。
――とはいえ、芽夢と話をするのはいつも緊張する。
「この学校での生活は快適ですか?」
芽夢は美空に近づきながら声をかけた。
「まあまあだね。でも、毎日が平凡で退屈かな」
横に立つ芽夢の気配を感じながら美空は答えた。
「平凡に見える世界にこそ異質なものがあるものです」
「こうやってると、普通の高校生の日常みたい」
グラウンドではサッカー部や陸上部の生徒たちがそれぞれに声を出し合って活動している。それはあまりに青春そのものといえる光景だった。
「そりゃあ皆、普通の高校生ですからね」
「でも、この街は普通の街じゃないんでしょ?」
「私も事務局からそう聞いています。しかし、そういう意味では桔梗学園だって同じようなものでしょう。一見は普通の高校生。しかし、実態は陰陽師を育てるための学校なんですから」
「べつに私たちは普通の高校生だと思うけど」
「生徒が行方不明になっているのに警察に通報しようともしない。学生寮に暮らしていることを良いことに親にも連絡をしない。これのどこが普通の学校ですか」
「それは……そうかも」
「ついでに言えば退学者の数も多い」
「そうなの?」
「多くは1年で辞めていきます。授業についていけずに自分から退学する場合もあるようですが、中には成績は良いのに辞めた生徒もいます。中でも藤巻太陽、虹村時雨、木之本美園、釘宮志保、佐倉日向。彼らがなぜ退学したのかはわかっていません。しかも、今、どこで何をしているのかもわかりません。この人たちのことは知ってますか?」
「名前くらいは聞いたことがある……かも」
「曖昧ですね」
「同じ学校っていっても一学年150人くらいいるんだよ。知らない人のほうが多いよ。どうしてそんなこと知ってるの?」
「行方不明者と関係がある生徒がいないかと思いまして、ついでに調べました」
「ついで……って」
「この街も桔梗学園も同じようなものです。普通なのは上辺だけです」
「『妖かしの地』……か。ここで百花の人たちは消えたんだよね」
「そのようですね。彼らがこの街に向かったらしいという情報があるのは確かです。しかし、その消息も2月の初めにプッツリと途絶えました。だからこそこうして私たちが捜しに来ているのです。この街は『妖かしの地』と呼ばれていますが、この街に住んでいる人の多くは普通の人間ですよ」
隣に立った芽夢はそう言って背の低い美空を見下ろした。
「なんか拍子抜けしちゃうな」
「まさか妖かし共がウジャウジャ暮らしていると思っていたのですか? 妖かし共とすぐに遭遇するとでも思っていたんですか?」
「まあ……ちょっとだけ」
「そう単純にはいきませんよ。しかし、油断はいけません。そういえば噂を聞きましたか?」
「噂?」
「ここ数日、深夜、猫が街を走り回っているそうです」
「猫? それがどうして噂になるの?」
「ただの猫じゃないのですよ。光をまとって空を駆け回っているそうです」
「すごい猫だね」
「犬に見えたという話もあります。狐や狸と言う人もいましたね」
「結局、何なの?」
「さあ。目撃証言なんてそんなものです。いずれにしてもモノノ怪のたぐいかもしれません」
頭の中でその姿を想像してみる。それはどこか神秘的でその姿を見てみたいような気がする。
「会ってみたいな」
思わず美空は呟いた。
「ほう。さすが陰陽師のタマゴですね。倒す自信があるのですね」
「そんなこと出来るわけないよ」
美空は冗談っぽく笑ってみせた。私立桔梗学園である程度の陰陽師としての勉強はしているものの、あくまでも机上の理論だけで未だに妖かしというものを実際に目にしたことはない。
「ところで先日渡した資料、読みましたか?」
「あ……ちょっとだけ」
思わず美空は目をそらした。
芽夢が言っているのは行方不明になった学生たちについての資料だ。だが、実はほとんど読んでいなかった。子供の頃から読書は嫌いではないが、芽夢から渡された分厚い資料は読みたいという気が起こらない。
「ちゃんと読んでおいてほしいと言ったはずですが」
芽夢が厳しい視線を美空に向ける。
「うん……今夜にでも読んどく」
追求を逃れるために美空は答えた。
「お願いします。私は行方不明になった学生のことを直接知りません。同じ専門課程であるあなたが頼りなんです」
「わかってる」
それは美空もわかっている。行方不明者の中には一年の時のクラスメイトも含まれている。
「それで? 今後、どうするつもりですか? こちらに引っ越してきてからもう10日が経ちますよ。このまま有意義な学生生活を送るつもりですか?」
「そんなつもりはないけど」
「では何を待っているのですか?」
何かを待っているわけではない。ただ、こんな仕事、今までしたことがない。何をどうすれば良いかがわからないだけだ。
「さっき、ここが『妖かしの地』って呼ばれているって言っていたでしょ?」
「まさか本気で彼らからのコンタクトを待っているつもりですか? そもそも妖かし共と会ってどうするつもりですか?」
「協力してもらえるかもしれないよ?」
芽夢はそれを聞いて一瞬、押し黙った。それから大きくため息をついてから口を開く。
「あなた、本気でそんなことを考えているのですか?」
「どうして?」
芽夢は呆れたようにもう一度ため息をついて視線をそらす。
「あなた、友達少なかったでしょ?」
「それは……」
言い返すことが出来ない。「どうしてそんな話になるのかな?」
「現実がわかっていないからです」
芽夢が一歩美空に近づき、その力強い眼差しで美空のことを見下ろす。
「ど、どこが?」
「では、あなた、野生の熊と会ったことはありますか?」
「ないけど」
「イノシシは?」
「ない」
「ライオンは? 虎は?」
「そんなのあるわけないでしょ」
「では、突然、そういう動物たちと鉢合わせして、仲良くなれると思いますか?」
言っていることはハチャメチャな気がするが、芽夢の表情はいたって真剣そのものだ。もちろん美空も妖かしとすぐに仲良くなれるなどと本気で考えているわけではない。だが、妖かしという存在にどこか親しみを感じてしまう自分がいる。
「妖かしと人間がそういう関係だっていうの?」
「例えですよ」
「でも、時間をかければーー」
「私たちにそんな無駄な時間はありません。それで? 消えた生徒たちをどう探すのですか? こんな普通の学校生活を送っていても何も解決などしないのではありませんか?」
「それは私もわかってるよ」
「では、どうしますか?」
そう言って芽夢は美空の顔をジッと見つめた。下手なことを言えば、また叱られることになりかねない。
美空は少し考えてからーー
「この街に詳しい人に聞いてみるのはどうかな?」
「この街に詳しい人? それは誰ですか?」
「一条家……かな」
芽夢の反応を気にしながら美空は言った。芽夢は表情一つ変えなかった。
「一条ですか?」
「知らない?」
「知らないわけがないでしょう。こちらの事情は調査済です。宮家から指示を受けてこの地をおさめる役目を負った家でしょう? そもそも一条家については先日あなたに渡した資料にも書いてあったはずです」
確かにあの資料の最初のページにその文字があった気がする。
「あー、そっか。ダメかな?」
「いえ、良いのではないですか?」
芽夢から否定されなかったことに、美空はホッとした。
「今の当主は一条春影って人で、守護家とも繋がりが深いらしいね」
「しかし、果たして頼れるような相手でしょうか?」
「反対なの?」
「反対などしていませんよ。私たちがここの学校に転校する手続きをしてくれたのは一条家です。挨拶には行く必要があるでしょう。それに一条家はこの地域では有名な資産家だと聞いています。一度、会ってみたいと思っていました」
芽夢はそう言ってニヤリと笑った。
「花守さんって何を考えているの?」
「そんな複雑なことではありませんよ。一条家と関わるのは決して損にはならないと考えているだけです
「損にならない?」
「一条家は資産家ですからね。縁を持つのは将来にプラスになるということですよ」
芽夢はそう言いながら不敵な笑みを浮かべていた。