15
浜本睦美は小柄な可愛らしい少女だった。
彼女は中学3年生で、市内にあるダンスクラブに所属していた。そんな彼女を異変が襲ったのはこの2月下旬のことだ。ある朝、突然、目覚めた彼女は目が見えなくなり、耳も聞こえなくなっていた。いくつかの病院を回ってみたが、身体的には異常は無くまるで原因は掴めなかった。
それが芽夢の聞いてきた浜本睦美に関する情報だった。
彼女が入院している303号室は個室だった。部屋の横に『浜本睦美』という名前が一つだけ書かれている。
病状が特殊だからなのか、それとも両親が裕福だからなのかはわからない。いずれにしても彼女が個室にいるというのは美空たちにとっても都合が良いことだった。
周囲の目が自分たちに向いていないことを確認してから素早く病室に入っていくと、窓際のベッドに薄いピンクのパジャマを着た一人の少女が横たわっているのが見えた。美空たちの存在にもまったく気づいていないようだ。眠っているのだろうか。
芽夢がそれを見てため息をつく。
「困りましたね。とりあえず会ってみなければいけないという気持ちで来てみましたが、やはり話が出来なければ、情報を得ることも出来ません」
「どうするの?」
「私に聞かないでください。リーダーはあなたですよ」
「そんなこと言わないでよ」
「あなたは何か感じませんか? 川北集人のときのように何か声を聞こえるなんてことはありませんか?」
美空は改めて浜本睦美を見つめた。だが、芽夢が言うように声が聞こえるなどということは何も感じられない。そもそも川北隼人の時も平常時に声が聞こえたなどということはない。
「……よくわからない」
「わからない?」
「うん、わからない」
「そうですか。これ以上、ここにいても仕方ないかもしれませんね」
仕方なく美空たちは病室を出ることにした。ドアを開けた瞬間、目の前に一人の女性が立っているのを見て美空たちは足を止めた。
少し痩せた中年の女性だ。
「あなたたちは?」
少し驚いた顔をして女性が訊く。美空はどうしていいかわからず息を飲んだ。
「睦美さんのお母さんですか?」すかさず芽夢が口を開く。
「そうですけど?」
警戒心を持った眼差しで女性が答える。「どなた?」
「以前、ダンス教室で一緒でした。私たちは関西のほうへ引っ越したのですが、最近になってこちらに戻ってきたんです」
瞬間的に平然と嘘をつける芽夢の才能に驚かされる。しかし、そんな嘘がこの母親に通じるだろうか。
心配する美空が見つめる中、見事に母親の表情が変わった。
「ダンス教室で? ああ、そうだったの。あなたたちが……」
意外にも母親の警戒心がすぐに消えていくのがわかる。美空たちは母親に促されるままに、浜本睦美に近づいていった。
「久しぶりに睦美さんに会いたいと思ったのですが入院されていると聞いて取り急ぎ来てみたんです。いったい何があったのですか?」
「それは……よく……わからないの」
芽夢の言葉を信じたらしく、母親はゆっくりと喋りだした。「いろいろ検査も受けたの。でも、異常はないって」
「異常がない?」
「もちろん目も見えないし耳も聞こえないの。でも、光にも音にも身体的には反応しているっていうの」
「まさか睦美さんが嘘を?」
「最初はそんなことも思ったけどね。でも、そういうことじゃないみたい。耳には届いているけれど、それが聞こえていないって」
「それはどういうことです?」
「精神的なものじゃないかって」
「精神的? 原因になるようなことは?」
「それが……あの子、あまり学校のこととか話さなくて。先生に聞いてみたんだけど、何も変わったことはなかったって」
「ダンス教室のほうは?」
「すごく楽しんでいたわ。前はお姉ちゃんと同じことをするのがただ楽しかったんだと思うけど、だんだんダンスそのものが楽しくなっていったみたい」
「睦美さんがダンス教室に入ったのは、確か……」
芽夢はそう言いながら、誘導するように母親の顔を見る。
「小学4年の時。お姉ちゃんがその前から習っていて。睦美はお姉ちゃんのことが大好きだったから」
「お姉さんは何か言っていませんでしたか?」
母親は弱々しく首を振る。
「ううん、教室のほうは何も変わったことはなかったって」
「なにか予兆のようなものはなかったのですか?」
「何も。あの日、朝起きたらこんな状態だったの。口と耳でしょ。会話すらまともに出来なくて」
母親の目に涙が浮かぶ。
「睦美さんも驚いたでしょうね」
「ええ、でも、意外に落ち着いていたみたい。むしろ私たちのほうが慌てちゃって」
そう言いながら涙をハンカチで拭う。
「意志の疎通はどうやって?」
「ノートに文字を書いてもらうの。綺麗に書くことは出来ないけど、最小限のことは伝えてくれる。こっちから何か伝える時は手のひらに一文字ずつ伝えるの」
「大変ですね」
「睦美のことがかわいそうで」
「原因もハッキリしないで突然起きた症状は、突然治ることもあるかもしれません」
「……そうね」
「きっと良くなりますよ」
「ありがとう。ありがとうね。あなたたちが来てくれて本当に良かった」
そう言って母親はわずかに笑顔を見せた。それは心からホッとしているようにも見えた。
それから美空たちは丁寧に礼を言ってから病室を出た。母親は美空たちが見舞いにいったことを心から喜んでいるようだった。
嘘をついていることに美空は少し罪の意識を感じていた。
「あの子、百花と関係あるのかな?」
階段を降りながら、美空は隣を歩く芽夢に話しかけた。
「可能性はあると思います」
「どうして?」
「さっき、あなたは何を感じましたか?」
「え……?」
「病室に入った時ですよ」
「だから、わからないって言った」
「そう、『よくわからない』とあなたは言いました。それはつまり何かの気配を感じ取ったということじゃありませんか」
「え?」
「あなたは霊力を持った陰陽師です。相手に何も感じなければ、ハッキリとそう言っていたでしょう」
「……それはそうかもしれないけど。でも、私に特別な力なんてないよ。そう言ったよね」
「しかし、川北集人を元に戻した」
「それは……そうだけど」
「あなたにはあなた自身も気づいていない力がある。私はあなたの本能を信じたのです」
美空は少し驚いていた。芽夢が自分を評価してくれたことは素直に嬉しい気がした。だが、その反面、信用されればされるほどに美空は不安な気持ちになってくる。
芽夢が言うような力が、本当に自分にあるのだろうか。あの母親が期待するように、浜本睦美を治すことが出来るのだろうか。




