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昨日と同じ場所、同じ時間に川北集人を待ち構える。
きっと集人にとって、今の生活は理想なものに違いない。そして、彼にとって自分たちは邪魔者に違いない。それでも、このまま放っておくわけにはいかない。
美空は覚悟を決めてその時を待った。
やがて、川北隼人が姿を現した。
川北集人は美空たちを見るなり露骨に嫌な顔をした。
「また、お前たちか」
「ええ、私たちです」と芽夢が行く手を遮るように目の前に立つ。「話をしましょう」
「話なんてない」
「こちらにはあるのです」
「邪魔するな」
集人は美空たちを無視して通り過ぎようとした。
「どこへ行くつもりですか?」
「うるさい」
「家に帰っても無駄ですよ」
その言葉に集人は足を止めた。
「無駄?」
「集人君、あなたは今の状況をわかっているのですか?」
「状況? 何をした?」
振り返ったその顔は怯えと怒りが入り混じっているように見えた。
「何をってほどのことはありません。あなたと一緒に暮らしていた二人にちょっと力のあるお守りを渡しただけですよ」
「……お守り?」
「そうですよ。私にはよくわかりませんが、浄化作用のあるありがたいお守りだそうです。そう強力なものではないようですが、魂を操る力から拒絶するくらいの力はあるそうですよ。あなたも桔梗学園の生徒なんですから、どういうものかくらい想像出来るでしょう?」
それは嘘だ。それでも、芽夢の言葉を聞いて集人は明らかに動揺を見せた。
それを見て、芽夢がさらに追い詰める。
「つまり、あなたがあの家に帰ったところで、あそこには誰も帰ってこない」
それも嘘だ。おそらくあと数時間もすればいつものように両親はここに帰ってくることだろう。
「お前たち……どうしてそんなことを」
「当然のことですよ。モノノ怪は消し去らなければいけません」
「モノノ怪?」
「そう、あなたのことですよ。あなたというモノノ怪から、あなたのご両親を守らなければいけません」
「僕はモノノ怪なんかじゃない」
声がわずかに震えている。
「いいえ、今のあなたはモノノ怪のようなものです」
「僕に関わるな」
低い声。それはさっきまでの集人のものとはまるで違っていた。いや、声だけではない。その全体の雰囲気までも変わっている。
美空は思わず2~3歩後ずさった。
集人の身体が真っ黒な影へと変貌していく。
冷たい空気が肌に突き刺さる。
集人から強い妖気が感じられる。
それでも芽夢はあくまでも冷静だった。
「なるほど、やはりこういうことですか。立派なモノノ怪ではありませんk」
「どうしよう」
初めての経験に美空は足が震えるのを感じた。
「なにを言っているんですか。とにかく霊符を用意してください」
「あ……そうか」
美空はすぐにポケットに手をさぐった。
「ここからはあなたの仕事です」
「え? 私?」
「当然でしょう。モノノ怪が相手なのですよ。私にその霊符は扱えません」
「え? そうなの?」
「霊符は霊力を持つ陰陽師だけが使える。私はそう聞いています。陰陽師のタマゴであるあなたがやらずにどうするんですか。幸いにも今は周囲に人もいない。誰かが来る前に終わらせてしまいましょう」
「……はい」
芽夢の言葉に従い、美空は霊符を握りしめて一歩、集人に向かって踏み出した。
だが、すぐに美空は足を止めた。
「どうしました?」
「待って」
「どうしたんです? モノノ怪を封じるにはアレしかないでしょう」
「わかってる。でも、待って」
「何を待つというんですか? 何をすべきかはわかっているんでしょう?」
「うるさい! いいから、ちょっと黙って!」
思わず声が大きくなる。芽夢は驚いたような顔をしたが、それでもそれ以上何も言おうとはしなかった。
自分でも何をしようとしているのかわからなかった。ただ、このまま霊符を使うことには抵抗があった。
霊符で無理に抑え込むのは、その人間的な感情を破壊することになる。
ゆっくりと集人に向かって近づいていく。
ピリピリとした自分たちへの強い怒りの感情が向けられているのは感じられる。だが、それ以上に感じられるのはーー
(怯え?)
集人の心が震えている。自分の家族との生活が奪われることを怖がっている。
今、自分がやらなければいけないのは、集人の気持ちを力で押さえつけることではないはずだ。
それは無意識の行動だった。
自分が何をしようとしているのかもわからなかった。
それでも、美空はそっと集人の影に向けて右手を伸ばした。
その影に触れた指先から意識が飛び込んでくる。
自分でも不思議だった。これまで陰陽術など使ったことはなかった。そもそも陰陽術が何なのかもよくわかっていない。それでも、自分が何をしなければいけないかはわかっている気がした。当たり前のように、自然に力が流れ込んでくる。
その力と共に隼人の感情も伝わってくる。
強い隼人の両親を思う気持ち。その家族が離れ離れになってしまった悲しみ。隼人にとって、今の生活こそがかけがえのないものなのだろう。
それでもこれで集人が元に戻るのは間違いないはずだ。
なぜだかそれがハッキリとわかる。
そして、それが終わった時――
目の前で集人は倒れていた。
(これは?)
呆然と見つめる美空の肩をグイと背後から掴まれた。
巌しい表情をして芽夢が睨んでいる。
「今、何をした?」
それはこれまでとは違う芽夢の緊張に満ちた声だった。敬語ではない芽夢のセリフを聞いたのは初めてかもしれない。
だが、そんなことよりも、今、目の前で起きていることが美空にはわからなかった。
「何が……起きたの?」
その瞬間、芽夢の表情がわずかに緩む。そして、いつものような冷静な顔つきに変わった。
「元に戻ったようですね」
芽夢が集人を見下ろしながら言った。そして、美空の肩からそっと手を離す。
「元に?」
「あなたがやったんですよ。憶えていないのですか?」
憶えていないわけではない。だが、それに現実感がついてこない。さっきのあの感覚は何なのだろう。
「私……何をしたの?」
「わかっていないのですか? 霊符は? 使ったのですか?」
そう言われ、ポケットに入れていた手を出した。その手には霊符が握られている。霊符は使った後、消えて無くなると聞いている。
「たぶん使ってない。どうしてだろ?」
「それは私が聞きたいんですけどね。まあ、霊符を使わず、あなたの力で彼の力を封じ込めたということでしょう」
「私の力?」
「覚えていないようですね」
そう言いながら、芽夢はポケットから携帯電話を取り出した。
「どうするの?」
「このまま放っておくわけにもいきませんからね」
そう言って芽夢は携帯電話を耳に当てた。
その時、美空は思わずハッとして振り返った。誰かの気配を感じたような気がしたからだ。
キョロキョロと周囲を見回す。しかし、誰の姿も見当たらない。
「どうかしましたか?」
電話をかけ終えたらしく、携帯をポケットに入れながら芽夢が声をかけた。
「ううん……今、誰かに見られていたような気がして……気のせいだと思うけど」
美空は暗闇に視線を向けながら答えた。
「そうですか。もう一度確認します。あなたは自分が何をしたか憶えていないのですね?」
「うん……ごめん」
「謝る必要はありません。では、もう一つだけ聞きます。私に対して『うるさい』と言ったことは憶えていますか?」
芽夢からヒシヒシと強い圧を感じる。
「え? あ……それは……忘れちゃった……かな?」
「嘘ですね。良かった。それは覚えているようですね。ゆっくり話しましょうか」
芽夢の顔をまともに見ることが出来ない。




