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美空たちはそのまま川北集人の両親の帰りを待つことにした。
その間、芽夢は何も話そうとはしなかった。美空も黙ったままその時を待った。芽夢と知り合った直後は、気を使ってそれなりに会話をしようと試みてみたが、それはまったく意味のないことだということを美空はすぐに悟った。彼女は必要な時に必要なことしか話そうとはしない。無駄な雑談をしようとはしないが、決して美空を嫌っているというわけではないらしい。それが花守芽夢という人間のようだ。
川北隼人の両親たちが帰ってきたのは予想以上に遅くなってからだった。
母親の奈津子が帰ってきたのが夜8時。父親が帰ってきたのが夜10時。待っている間、近所の住人から不審者に見られないかと心配していたが、幸いにも警察に通報されるようなことにはならなかった。
だが、その苦労はすべて徒労に終わることになった。
二人共が声をかけようとする美空たちをまったく無視して通り過ぎてしまったのだ。その態度は少し異様なものに見えた。まるで二人には美空たちの姿が見えていないかのようだった。
結局、美空たちはその夜は諦めて帰ることにした。そして、翌日、美空と芽夢は学校を休んでそれぞれ別れて調べることにした。
美空は川北集人の母親に、芽夢は父親のほうに話を聞きに行くことになっていた。
夕方になってマンション前の小さな公園に行くと、既にベンチに座っている芽夢の姿があった。芽夢とは同じマンションの隣同士なのだが、芽夢は他人を部屋に呼ぶことも、自分が他人の部屋に行くことも好まない。そのため、いつも二人で話をするときは、外で話すようになっていた。
現れた芽夢は制服姿だった。その上に黒いコートを着込んでいる。春とはいえ夜はまだ冷え込むことが多い。だが、コートを着込むほど寒さを感じるだろうか。
「早かったね」
「約束の時間です。2分遅れたのはあなたですよ」
芽夢は腕時計で時間を確認した。
「え? あ、ごめんなさい。それにしてもどうして制服を?」
「制服だからですよ」
「答えになっていないんだけど」
「制服というのは、それを着る者に適切に作られているものです。だから制服を着ています」
やっぱりわからない。だが、この問答を繰り返していても意味がない。
「そ、それで? どうだったの?」
「問題ありませんでした」
「それじゃ、話が出来たの?」
「ええ、ただ東京まで行くことになりましたが」
「大変だったんだね?」
「いえ、話を聞くことはそう難しくはありませんでした。ただ、出社の時間が迫っていたため、一緒に新幹線に乗らなければいけなくなりました。しかし、無駄足にならずに済みましたよ」
「……そう」
「あまり意外ではないようですね。予想していましたか?」
「あ、うん、まあ」
「つまり、あなたのほうもちゃんと話が出来たということですね」
芽夢の言うとおりだった。
「でも、どうしてだろ? どうして、昨夜は話してくれなかったのに、今日はちゃんと話してくれたんだろう?」
「ここから離れたからでしょう」
「どういうこと?」
「父親は離婚後、東京で暮らしていたそうです。ところがある日、突然、仕事が終わったときに異変が起きた。意識が飛び、気づいたときには新幹線に乗っていたそうです。慌てて引き返そうとしてもそれは出来なかった。身体が言うことを聞いてくれなかったそうです。それが毎日のように続くようになりました。ハッキリと意識が戻るのは朝、東京に着いてから。帰る時にはまた意識が無くなってしまう。毎日、自分がどこに泊まっているのか、どこで暮らしているのか、実はよくわからないそうです」
「……やっぱり」
「とりあえず、そちらの話を聞きましょうか」
* * *
昼間、美空は川北隼人の母親である奈津子が勤めている介護施設に会いにいった。
仕事中に話を聞いてもらえるかどうか不安だったが、意外にも奈津子は快く時間を作ってくれた。
「何の用? 前に会ったことある?」
休憩ルームの一画で、奈津子は美空にお茶を差し出しながら訊いた。その様子からは、昨夜、美空に会ったことは記憶していないようだ。
「隼人君のことを教えてほしいんです」
「隼人? あなた、学校のお友達?」
奈津子は意外そうな顔をした。
「え? ええ……」
嘘をつくのは抵抗があるが、本当のことを話せるはずもない。
「隼人? あの子、どうかしたの?」
「いえ、そういうわけじゃないんです。ただ、ちょっと気になることがあって……それで、普段の様子とか聞けたらと思って」
奈津子は不思議そうな表情をして美空を見た。
「ふうん、わざわざこんなところまで? 遠かったでしょ? 今日、学校はお休み?」
「遠い?」
「京都から来たんじゃないの?」
「いえ、私は上杉高校に通ってます」
「それじゃ中学の時の友達? あの子、今、京都の学校に行ってるのよ。寮生活だから、私も最近は会えてないの」
「会えてない? 一緒に暮らしているんじゃないんですか?」
「それは無理よ」
奈津子はそう言って笑った。「私にはこっちで仕事があるし。あの子だって京都までは通えないわ」
「失礼ですけど、どうして一緒に暮らさないんですか?」
「私はこっちが出身なの。母が体を悪くして介護が必要になって、それで帰ってきたの。母は今、私が働く介護施設で暮らしている」
「あの……それじゃ、お父さんは?」
差し出がましいようだが、ちゃんと聞いておくべきだろう。
「聞いてない? 私たち、離婚したのよ」
少しためらいがちに奈津子は言った。
「それじゃ、一緒に暮らしてはいないんですか?」
「今、私、一人で暮らしてるの。父親は東京にいるはずだから、家族バラバラ」
「隼人君は辛かったでしょうね」
「そうかもね。でも、一緒に暮らしていても喧嘩ばっかりしている姿を見るよりは良かったんじゃないかな」
「隼人君がそう言ったんですか?」
「隼人はそれについては何も言わなかったな。隼人には悪いことしちゃったかなって気にしていたんだけど、拍子抜けするくらいに他人事みたいな顔してたよ。少しホッとしたけどね」
「最後に会ったのはいつですか?」
「去年の春、隼人が入学する時。それからはもうずっと会ってないな。夏休みもお正月も、あの子遊びに来ないのよ」
寂しそうに奈津子は言った。
「会いたい……ですか?」
「当然でしょ。子供に会いたくない親なんていないわよ。親の気持ちって子供はわからないものなのよ」
冗談めかして奈津子は言った。
その様子はとても嘘をついているようには見えない。
きっと自分たちがどのように生活しているのか自覚がないのだ。もし毎日のように家族3人があの家で暮らしていると知ったらどう思うだろう。
美空はそれ以上、奈津子から話を聞くことが出来ず、そのまま話を誤魔化して帰ってくることになった。
* * *
「なるほど、父親も母親も家族で暮らしているという意識がないということですね」
美空の話が終わると、芽夢は冷静に言った。芽夢も決して驚いてはいなかった。やはりある程度予想していたのだろう。
「どうしてかな?」
「なぜ私に聞くんです? あなたもわかっているのではないのですか。答えは一つです。二人共、川北集人の力の影響を受けていると考えていいでしょう」
「……うん」
芽夢の言うとおりだろう。しかし、スッキリしない。何かが頭の隅にひっかかっている。
「何か?」
「ううん、なんかちょっと気になってて」
「何を気にしているんです?」
「それがよくわからない」
「会話になりませんね。ところで、今まであなたは何をしていたのですか? あなたの話ではそう時間がかかったようには思えません。今までどこかへ行っていたのですか?」
「川北君の学校に」
「陸奥中里高校ですか? 入ったんですか?」
「外から眺めただけ」
「それで何か収穫がありましたか?」
「……ううん、何も」
それは嘘ではなかった。しかし、川北集人について、何の情報も得られなかった。だが、その帰りに美空は不思議な体験をした。
帰り道、ぼんやりと歩いていると、ふと頭上で声がしたような気がして立ち止まった。
見上げると、大きな鳥が頭上を旋回している。
(鷲?)
大きな翼を風にのせ、ゆっくりと優雅に舞っている。
その姿に憧れのような感情が湧いてくる。
キラリと光るものがあった。
それがゆっくりと落ちてくる。
思わず手を差し伸べると、そこに一枚の大きな羽がふわりと乗った。
(羽?)
あの鷲のものだろうか。もう一度、頭上を仰ぎ見る。だが、すでに鷲の姿は見えなくなっていた。手の中に落ちたはずの羽も無くなっていた。
なぜかはわからない。だが、あの羽に触れた時、美空は強い衝撃を受けた気がした。
あれは何だったのだろう。
「美空さん、聞こえてますか?」
その声にハッとして我に返ると眼の前に芽夢の顔があった。
「え? 何?」
「私との会話中に、何をボーッとしているんですか? これからどうしますか……と聞いているんです」
「ごめんなさい」
「それで? どうしますか?」
そう聞きながらも、芽夢が何を言わせようとしているのかはハッキリしている。
「もう一度、川北君に会いに行く」
美空は覚悟を決めた。




