午睡の後のミルクプリン
「……殿下」
「………。」
「………殿下、そろそろ時間ですよ」
「………。」
午後2時40分。
穏やかな昼下がり。
太陽が高い位置にある時間帯だと、日の入りにくい宝物庫の中にも、天窓から柔らかな光が降りてくる。
その光の下、木彫りのカウチソファの上で、丸まって眠る男がいた。
少し癖のある金髪に、陶磁器のような白い肌の、天使のような美しい男性。
この城の領主アルバス公爵の、第二子。
私はさっきからその肩を叩いているが、いまいち反応が悪い。
多少お行儀悪くとも蹴りを入れてやろうかと考えて、推定200年前の王女様ご愛用カウチソファに間違って傷がついてしまったらマズイので、別の方法をとることにする。
「………殿下、今日はミルクプリンを作ってきたんです」
「………」
透明な絹糸で作られたかのような美しい眉毛が、ヒクリと動く。
私はそれを見逃さなかった。
「……ロルフ殿下、寝たフリはいい加減にして、さっさとお茶淹れてください」
「……………はぁぁ。」
カウチソファの上で、わざとらしいため息をついてから、殿下はむくりと起き上がった。
子どもみたいに、癖のついた金髪を両手でかきむしって、ソファの肘置きにアゴを乗せる。
眉間に深い皺を寄せて、すこぶる機嫌の悪そうなエメラルドグリーンの瞳が私をじっと見つめていた。
「午後の会議に出席なさるのでは?」
「……出る」
「では、急がないと、ミルクプリンを食べ逃しますよ」
私はニッコリと笑顔をふりまいた。
これからこの男に美味しいお茶を淹れてもらえるのだ。アラサーの笑顔くらい、いくらでも出せる。
「……相変わらず、遠慮がないな。王子にお茶汲みをさせる女官が、どこの世界にいる」
「んー、いないでしょうねぇ」
「オマエの場合、迷い子以前の問題だな」
「いや、でも、雇われ学芸員やってた時は、これでも上司の命令をきちんと聞いてる方でしたよ」
「……信用ならないな。そのガクゲーインとかいうのも」
ロルフ殿下はカウチソファから立ち上がって、少し伸びをすると、お茶の乗ったワゴンのもとまですたすたと歩き出した。
マッチで蝋燭に火を点し、水の入ったポットを温め始める。
「この世界、きちんと博物館や美術館を作るべきなんです。こんなに素晴らしいお宝ちゃんたちが、カビとホコリにまみれて、忘れられていくなんて、宝の持ち腐れすぎる」
「確かに、宝物の管理に関しては、杜撰だな。国王も宝物に対する所有欲はあるが、それをどうにかしようという気がないから、放置してきたわけだし」
「文化や文明っていうのは、どの世界でも、お金持ちが手厚く保護していくのが、当たり前というか、責務なわけです。ただ手に入れてお終いじゃ、ダメなんですよ。お手入れしなくちゃ、お宝ちゃんたちが泣いちゃいます」
「なるほど」
殿下は、温めたポットに茶葉をニ匙ほど入れて蓋をした。
それを見て、私もミルクプリンのセットを二つ、テーブルに並べる。
テーブルといっても、私が宝物修理に使っている樫の作業台だ。表面には細かい傷や汚れがたくさんついている。
「オマエをこの世界に呼んだものは、宝物なのかもしれないな」
「………殿下。私は契約社員の、雇われ学芸員だったんですってば。宝物管理には、私よりも適任者はいっぱいいますって」
「だが、オマエはここで発見されたんだ。誰も入れないはずの宝物庫の真ん中で」
「……。」
「そこに、何も意味はないと思うのか、ミオン?」
鋭くカッティングされた宝石のようなエメラルドの瞳が、私を見ている。
答えを求めているのか、私の心の中を覗こうとしているのか、どちらとも言えない、真っ直ぐな視線。
ロルフ殿下は、仕事をサボって遊んでばかりいる次男坊だと噂されているが、この瞳に見つめられると、城内の噂や人物評は、間違っているんじゃないかと思う。
この人の前で、嘘は許されない。そんな気分になる。
「…迷い子に、意味があるかどうかは、わかりません。私にとっては、ただ、理不尽なだけ」
「………悪かった」
ロルフ殿下は、そっと視線を外し、私の目の前にティーカップを置く。
甘い香りのする、グリーンのフレッシュハーブティーだ。
「殿下は悪くありません」
席につき、ちょっとだけふーふーしてから、熱々の紅茶を一口含む。
「3時に美味しいお茶が飲めるようになったのは、むしろラッキーでしたよ」
「俺はオマエに脅されてお茶汲みをしているだけだ」
ティーカップ越しに、殿下の顔を窺い見ると、少し困ったような表情をしていた。