2-5 望まぬもの
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その日、宮城の一角は物々しい空気に包まれていた。
国中の名うての呪術師や占師が集まり、夜通しの祈祷をしており、宮城中に魔除けの香が充満していた。
宮女が汗をかきながらせわしなく動き回るなか、別の理由で汗を流している男がいた。
太子である仙果の側付き、柢子昊である。
不機嫌極まりない主をどうにかしてくれと方々で泣き付かれて、朝廷での仕事もそこそこに主のもとに駆け付けたのである。
官吏たちは仙果が皇帝の寵愛を新しく生まれる弟妹に奪われることを危惧しているのだろう、とささやいた。当然それは子昊の耳にも届いていたが、そんなことで心を乱す主には思えなかった。
傲岸不遜の矜持ばかり高い主だが、これからどうなるか分からぬ赤子に嫉妬するほどに狭量ではない。仙果ならば――そう、「赤子の一人や二人なんだというんだ。私の前に立ちふさがるほどの能があるとおもうか」などと高らかに笑うに違いない。
それに、第一、皇帝から特別な寵愛を受けているようにも思われなかった。皇帝の唯一の実子であるため、比較対象はないのだが……皇帝が仙果に過干渉になることはなかったし、一貫して興味が薄いというのが長年側に仕えていた子昊の感想である。
「皇子、そのようにむやみに殺気だってはかないません。世継ぎを示す耳環はすでに皇子の耳にあるのですから……」
心落ち着けて、と言おうとした矢先、子昊のすぐそばにあった花瓶がけたたましい音を立てて割れた。
「……うるさい。死にたくなければ黙っていろ」
どうやら、短剣を投げたらしい。
獣のように怒気をはらんだ声に、子昊は深くため息をついた。この癇癪ばかりはどうにも直らない。
頬が鋭く痛んで、子昊は眉間に皺を寄せて顔にかかった飛沫をぬぐった。袖に血が付いたところを見ると、どうやら頬を切ったらしい。
仙果の側にいた桃花は静かに子昊の側に駆け寄ると頬に手を当てた。
『治れ』
桃花のかざした手のひらがほんのりと温まる。
「ありがとう、桃花」
子昊は優しく桃花の手を離すと、仙果の側に歩み寄った。
そうして、思い切り頬をつねった。
「……殺されたいのか」
「はいはい。その癇癪はいつになったら直るんですかねえ」
子昊はぐにぐにと頬をつまんで、顔をぐっと近づけた。
ほとんど鼻先が触れそうな距離で、子昊は囁いた。
「落ち着いて、あなたは大丈夫」
子昊のささやきに乗って、花の香りが漂ってきた。思考を持っていかれる。ぐらぐらと揺れる。
(しまった――子昊の術、か)
鴉を側付きに迎えて数年。はじめは鴉を毛嫌いしていた子昊も、いつの間にか鴉の秘術を身に付けていた。
ぐらりと仙果の身体が大きく傾く。
子昊が抱きとめる前に、忽然と現れた葉瑆が支えた。
「お前もいたなら皇子を止めろ」
「俺はお前と違ってお守りが仕事じゃない」
葉瑆の言葉に子昊は嘆息を漏らした。
どれほど眠っていただろうか――しばらくして、体をゆすられて目が覚めた。
「皇子、お喜びください。弟皇子が生まれましたよ」
覚醒しない頭に、子昊の言葉が響いた。
腹の底からせりあがる何かを必死に飲み込む。
(どうして――)
仙果はきつく唇をかみ占めた。
自分が生まれた時に与えられたという占の結果を思い出す。
(構うことはない、私が太子であることに変わりはないのだから)
ざわつく心を胸の内に押し込めた。
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