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仙果記  作者: 藤 細雨
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2-4 鴉の秘術

 宮城の一角。

 仙果の拳は思い切り空を切った。

 仙果の攻撃をやすやすと躱し続ける葉瑆の眼は黒い布で覆われていた。そうして、はくはくと音のないままに口を動かしていた。

 樹の幹を蹴った反動で攻撃を仕掛ける葉瑆を何とか避ける。

「――」

 両腕を地につけた葉瑆は何かを呟きながら、そのままの勢いでしなやかに足を振り上げた。まるで牡鹿の後ろ蹴りのように強烈な一撃だ。

 まともに背中に蹴りを食らった仙果は思い切り前につんのめった。

「――取った」

 葉瑆は仙果の首を後ろから掴み、地面にねじ伏せた。

「くそっ……」

 抵抗を試みる仙果。それを押さえつける葉瑆は呆れてため息をついた。

「潔く諦めてくださいよ。野の生き物なら首を取られたら終わりだ」

 往生際の悪い。そういう葉瑆を睨みつけて、抵抗をやめる。

 しばらく地面に押し付けたあと、野生の動物が獲物の急所を突いたことを確かめるように、葉瑆はまじまじと仙果を眺め、そうして解放した。

「――相変わらず腹の立つ!」

 奥歯をかみしめる仙果に、葉瑆は健闘を称えるように手を差し伸べた。

 仙果は怒りを込めてその掌を力強く握ると、立ち上がった。体についた土ぼこりを払いながら、苛立たしげに大きくため息をつく。

「あんたのそういうところは嫌いです。手負いの獣のような殺気で居心地が悪い」

「お前、誰に向かって口をきいているか分かっているのか」

 仙果は低くそう唸った。

 ぴりぴりとした空気が流れる。

 仙果にとって、こういう風に真正面から自分を非難する人間は葉瑆が初めてだった。

 大抵の人間は仙果の機嫌を伺ってばかりだし、影で非難するような人間は取るに足らない存在だと感じていた。

 どうにも、仙果の手に余る。殺したいほどではない。それでも、苛立たせる存在であることに違いはない。葉瑆だけは思い通りにならないまま、粛清することもかなわず、手元に置いて数年が経ってしまっていた。

「あんたは周りを見る気がないでしょう。だから鴉軍の将だというのに何年経っても術が使えるようにならないんだ」

 術――というのは、ほかならぬ鴉の秘術のことである。

 仙果が率いる『鴉軍』は、仙果自らが選んだ精鋭兵からなる軍であった。

 鴉の秘術を教え込み、常人の数倍もの身体能力を有し、驚異の強さを誇っている。

 ……が、葉瑆の言葉通り、将たる仙果は依然として秘術を体得できずにいた。

「何が足りないというんだ……」

 かすれた声を絞り出した仙果の頭を、葉瑆は乱暴に撫でまわした。

 辞めろ、と葉瑆の腕をつかめば、がっしりとした太さに自分との差異を突きつけられたようだった。

「いいですか、鴉の秘術は野の動物の自然を体得する術です。体得したいのなら、すべてを自分の師として、すべてをよく観察し、すべてからよく学ぶことだ」

 腕を開放された葉瑆は、木の枝を拾うとへたくそな絵を地面に描いた。

 鳥と、この角が生えたのは鹿だろうか。

「さっきの戦いは蝙蝠の感知能力と、牡鹿の四肢を得た。俺たちは自然とともにある。動物たちの自然をよく見て理解する。深く理解すればするほど強くなる。そして、それを言葉を介して術として身体に体現させる」

 何度も聞いた鴉の秘術の仕組みだった。

 本当は他の国の人間に話してはいけないのだと、いつだったか葉瑆はぼやいていた。これを教えるのは鳳の――桃花の望みだからだとも言っていた。

「まあ……術は使えないにしろ、あんたは女の細腕でよくやってるよ」

 頭上で囁かれたその言葉に、仙果は振り仰いで葉瑆をき、と睨みつけた。

 葉瑆だけには、本当に、思い通りにいかない。

 手元に置いてすぐの頃だった。鴉の観察眼ゆえに仙果の秘密を暴いてしまったこの男を、仙果はどう扱えばいいのか分からずにいた。

 秘密を白日に晒すわけでもなく、かといって知らないふりをするわけでもなく、こうして思い出したように仙果に真実を突きつけるのだ。

「私は『皇子』だ。そのことを忘れるな」

「馬鹿いうな。あんたは黎仙果以外の何者でもない」

 あんたは自分のこともよく知らないんだな。

 憐れむように、もう一度大きな手のひらが仙果の頭を撫でた。

 悔しくて、みっともなくて、頭の先がじんとしびれて――とにかく居心地が悪い。

 沸き上がる得体のしれない感情に、鴉の髪色のように深い闇の底を覗いているような、そんな心地になった。

「やめろ」

 言い返す気力もなく気味の悪い掌を振り払うと、仙果はその場を足早に去っていった。


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