2-2 鴉を得た夜のこと
仙果の成人を祝う宴がお開きになると、オオトリと呼ばれる少女と子昊につかみかかった少年は仙果の命で洗い清められることとなった。
湯殿から連れられた少女を見て、宮女や宿直の武官たちは思わず息をのんだ。
黒漆の髪はたおやかに背を流れ、その中にぼんやりとした光をはらんだかのようなほの白い肌、そうして長いまつ毛に縁どられた黄金の瞳。
彼らは、まさしく異界の住人のような容姿に驚いたばかりではない。
誰一人として、懸命にも口には出さなかった。
その少女の容貌は仙果と瓜二つだったのだ。もしも仙果が皇女であったならば――そんなことを思わず人々に想起させるほど、少女は仙果の顔を写し取ったかのように似ていた。
この存在自体が不遜とも思われる少女の登場に、子昊を始め、人々は神妙な面持ちで仙果の反応をうかがった。
……が、そんなことは仙果にしてみれば些末事だった。
『セイを殺めないでくださって、ありがとうございました』
少女は額を床に擦り付けて礼を言う。その瞬間、仙果は少女の髪をつかんで勢いよく顔を仰向かせた。
オオトリ、と少年が少女の名を叫んで飛び出そうとするのを、少女が視線で制止した。
「いけません、お手が汚れます」
主の突飛な行動に面食らった子昊は半拍、反応が遅れた。
「……お前、もう一度話してみろ」
だが、当の仙果は子昊の顔色など目の端にも入っていないらしい。食い入るように少女を見つめていた。
仙果と顔を突き合わせる少女は、痛みに顔をゆがめながらも、静かに仙果を見つめ返した。
『――あなた様には本当に感謝しております』
口を動かすことなく、少女は確かにそう言った。
やはりそうか、と仙果は瞳を輝かせて口角をあげた。
「お前、どうやって話している?どんな呪いを使っているんだ?」
声を弾ませて少女を揺さぶる仙果の様子は、まさに新しい玩具を見つけた幼子のそれだ。
「やめろ、オオトリを傷つけるな」
「誰に命令しているんだ」
すかさず声を上げた少年に、仙果は声の温度を急降下させて冷酷に言い放った。
ひりついた空気が場を支配する。にらみ合う少年と仙果に、武官たちも思わず獲物に手をかけた。
その張り詰めた空気を和らげたのは、少女の声だった。
『……おやめください。我が国に伝わる秘術にございます』
少女は震える指先で仙果の手をつかんだ。その指を仙果が握り返す。
仙果の少年への興味はすっかり消え失せていた。
思った通りだと仙果は喜色を隠さずに畳みかけるように問いかけた。
「うわさに聞く鴉の秘術……というやつだな。我が国の法術とはずいぶん違うようだ。では、宴席でのあの男の動きも秘術か。それは鴉以外でも使えるのか」
仙果は顎で少年を指した。宴席での、文字通りの目にもとまらぬ動き。仙果の心を高ぶらせたそれの秘密を、仙果はどうしても知らずにはいられなかった。
『ええ、セイの体術も……私のものとは少し勝手が違いますが、秘術を用いたものです。慣れれば我々一族でなくても使うことができるかと……』
少女の言う秘術は仙果の好奇心を充分に満たしうる言葉だった。
仙果は卑賎に構うことなく、思い切り少女を抱きしめた。
「気に入った。お前たちは私のそばに置く。名は何という?オオトリか?」
『いえ、オオトリというのは役職の名です』
少女は鳳、と文字通り空中に文字を書いた。指の通った道に、光が集まり形をとる。
ほう、と仙果は見とれて文字に手を伸ばすと、光は淡く崩れていく。
「では、名は?」
『モモと申します』
少女は新たに桃、と書いた。
仙果は思うことがあったのか、顔を綻ばせた。
なんて宿縁だ、と呟く。仙果と桃。前世からの宿縁を感じずにはいられない。
「お前は何のために来た?」
『私は、あなた様にお会いするために、ここまで旅をしてきたのです』
桃の黄金の瞳はまっすぐに仙果を射抜いた。
さすがの仙果もその言葉の意味は図りかねたが、ずいぶん耳障りのいい言葉だった。
満足げに頷いて、仙果は子昊を見やった。
「子昊、すぐに衣装を用意しろ。この男にもだ」
「ですが……!」
「逆らうな」
ぴしゃりと言い返した仙果に渋々と従って子昊が出ていく。それを視線で見送って、少年が口を開いた。
「お前たちにとって鴉は贄なんだろう。殺さないのか」
問う少年に、仙果は鼻で笑った。
「くだらん。逸話だか呪いだか知らんが私の禍福を決めるのはお前らなんかじゃない」
私の人生は私が切り開く。
仙果はそう言い切った。占いも呪いも、その業が自分自身の道を決めるなど、馬鹿げている。
男に劣らぬ剣術の腕も、学問も、周りが評価する結果のすべては、すべて仙果の実力からなるものだと自信を持ってそう言えた。
「私は何も縛られん。欲しいものは自分で手に入れるし、自分に必要かどうかは自分で決める。――私は皇帝になる。そのためにお前たちの秘術が欲しい」
強く信念の宿ったその瞳に、少年はわずかに目を瞠った。
この国では蛮族と呼ばれ、忌み嫌われている鴉の術を欲しいという。
(野蛮で粗暴、悪辣な皇子だと思っていたが――)
「鳳がお前を探し人だというのなら、俺は鳳に従うまでだ」
深く深く息を吐くと、金の眼が伏せられ、黒髪の少年は膝をついた。
「俺の名は瑆。貴女を導く鳳の剣。鳳の意により、貴女にこの身を捧げよう」
こうしてその夜、偽りの皇子は二羽の鴉を得たのである。
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