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仙果記  作者: 藤 細雨
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1-1偽りの皇子

 どおん、と皇子の帰城を知らせる銅鑼が鳴り響く。後宮――皇子の居宮に仕える宮女たちは歓喜した。

 いち早く皇子を迎えようと回廊に押し寄せ、頭を垂れて皇子一行が通り過ぎていくのを胸を高鳴らせながら待つ。

「おかえりなさいませ、仙果皇子さま」

口々にそう伝える宮女たちの間を機嫌良さそうに歩くのは、まだ十を過ぎた頃だろうか、煌びやかな外衣に身を包んだ若く綺麗な皇子と、それに付き従うように歩く同じ歳のころの少年、そして彼らにそぐわぬ屈強な武官たち。

 皇子、と呼ばれた少年は気まぐれに、傅く宮女たちの髪を撫で頬に触れる。宮女たちは喜びに震え、頬を紅潮させた。

「私、頬に優しく触れていただけたわ」

「まあ、なんて贅沢なの――」

「子昊様も皇子さまほどでは無いにしろ、相変わらず整ったお顔立ちで……」

皇子が通り過ぎた後の廊下は、そんな宮女たちの会話が波のように広がっていく。

「ああ、なんてお美しいのかしら」

「あのお方が皇太子さまなんて……。見染められれば后妃になれることも約束されているのでしょう」

「ああ、あのお美しい瞳に私を映して下さらないかしら」

宮女たちは、ほう、と色めいた溜息をついて、遠く皇子の後ろ姿を見つめる。宮女たちが心乱されるのも無理はない。齢十三となるこの国――黎国の皇太子、黎仙果は非常に整った顔立ちをしていた。涼やかな目元、薄く色づいた唇。よく手入れされた髪は濡羽色で、束ねられた毛先は艶やかになびく。仙果が微笑みかければ、華も恥ずかしがって忽ちに萎んでしまう――そんな噂が信じられるほどの容貌である。

 仙果は私室の前まで来ると、一番近くに立っていた少年――子昊と呼ばれていた――を残して人払いをすると、大きな音を立てて室に入った。

「おい。見たか、あの女たちの顔」

 心底おかしそうに笑いながら、仙果は乱暴に椅子に腰を下ろした。子昊は眉をひそめて扉をそっと閉じた。

「私が通っただけであの騒ぎだ。愉快でたまらん」

「皇子、趣味が悪いですよ」

 子昊に嗜められて、仙果は盛大にため息をついた。興が冷めた、と仙果はぼやく。

「明後日には元服の儀を控えているのです。それなのに急に狩に繰り出すなど……。それに先ほどのような軽率な行動は今後の威厳に関わります。少しは控えていただかないと」

「また出た。子昊の説教は長い」

 鷹狩で汚れた頬を子昊がそっと拭う。きつく縛ってある髪をほどき、緩く結い直していく。仙果は子昊の説教には耳半分で、その優しい手つきに身を任せていた。

「湯殿の準備をさせましょう」

 できましたよ、と子昊に声を掛けられ仙果は静かに頷いた。子昊がそのまま出ていくと、仙果はそっと結われた髪を撫でた。

 あんな風に騒がれても私があの宮女たちから誰か一人を選び取ることなどない。否、選び取ることなどできない。


 しばらくすると、子昊から呼ばれて湯殿に向かう。

「人払いはできています」

 湯殿のそばには宮女も誰一人いない。私が見張りをしていますから。子昊はいつものようにそう告げ、扉を閉めた。

 扉がぴったりと閉まったのを確認して、仙果はゆったりと上衣を脱いだ。鏡の前に立ち、するりと帯を解く。一枚、一枚と布を剥いでいくと、まだ大人になりはじめたばかりの体躯があらわになる。

 元来、位が高い貴族や皇族ともなれば一人で湯殿に入るようなことはない。侍女や宮女が付き、体を清めるのが倣いだ。仙果がそうしないのは、背中に幼いころに不幸な事故で負った醜い火傷痕を見せないためである――というのは、表向きの理由である。

 背中には火傷の痕などなく、白く滑らかな肌が広がり、丸みを帯びた四肢がすらりと伸びていた。さらしを取ると、膨らみ始めた胸が姿を見せる。仙果は自分の体を見て顔をしかめた。皇子である自分には、ふさわしくないものがそこにあった。

そう、本当の理由は、女であることを隠すこと。十三年前、仙果の父である玄皇帝は子に恵まれない自身や国の安寧を憂い、異国の占師に占を請うた。占師の言葉を信じた皇帝は、生まれた「少女」を皇太子として世に知らしめた。いまや、その真実を知るものは、仙果本人と皇帝、その側近のみである。仙果の母である后妃は、仙果が物心ついてすぐ、事情を知る宮女もろとも粛清されてしまった。

(思い通りにならんのは、この身体だけ――か)

 身体を清めてそっと湯船に浸かる。仙果は真実を知られないように細心の注意を払っていた。幼いころからの側付きであり、長い付き合いである子昊ですらこの秘密は知らない。

 しかし、最近はこれまで以上に隠すのが難しくなってしまった。男と女、隠し切れない身体の違いが徐々に現れ始めていた。

 湯船の中で自分の身体をなぞる。煩わしい。どうして男に生まれなかったのか、仙果は自分の性を心底悔やんだ。同じ鍛錬量では追いつけないほどに身体はゆっくりと「女性のもの」らしく変わっていく。

 元服の儀は、もうすぐそこまで近づいていた。

(何か、打つ手を考えなくては)

 ざぶりと音を立てて立ち上がると、仙果は湯気の煙るなか湯殿を出ていった。



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