第96話 ジェミニ
前回までのライブ配信。
カトーの家で美しい姿となったアイリスは、議会へと向かう。街を歩き注目され美しい女性としての自覚と態度が芽生え始める。
議会でアイリスは討伐軍の英雄と認められ、奴隷から解放奴隷となる。続けて剣闘士のトーナメント戦の開催が決まり、アイリスも参加することになる。
養成所に帰ったアイリスは、マリカと無事を喜びあう。その途中、マリカが『蜂』に両親を殺されたと話し始めるのだった。
マリカの両親が『蜂』に殺されたかも知れないという話は衝撃だった。
胸が締め付けられる。
もちろん、17歳で剣奴をやってるくらいだから何かあるとは思っていた。
「――どうして犯人が『蜂』だと思ったの?」
「お父様が殺されたあと、奴らが火を使って家を燃やしてた。そのとき、サンソを使ってたから」
「酸素の魔術で火の勢いを強くしたってこと?」
「たぶん。私は隠れてたから詳しくは分からない」
「そっか。もうちょっと聞いていい? はっきりさせたいから」
彼女の辛い記憶に踏み込むのは躊躇われたけど、聞くなら今しかないとも思う。
「――うん。私もはっきりさせたい」
「ありがと」
彼女の話によると、襲われたのは2年前。
聞こえてきた声は複数だったという。
そのとき知らない女性の声がしたらしい。
彼女はマリカのお母さんを裏切り者扱いし、何か罵っていたとの話だった。
マリカは、『酸素の魔術を使ったこと』とお母さんを『裏切り者扱いした』ことで、自分の家を襲った人たちを『蜂』と考えたらしい。
他に気になることもある。
「視聴者さんたちに聞きたいことがあります。昨日の『蜂』は彼らの女王がいないと言っていました。それなら、2年前にマリカの家を襲ったときにお母さんを連れ帰っても良かったように思います。どうしてそうしなかったと思いますか?」
呼びかけると、いくつかコメントが帰ってくる。
まず、2年前と今では状況が異なるかも知れないというのが1つ。
他は裏切り者は粛正する決まりがあるとか、マリカのお母さんが女王の条件を満たしていないなどのコメントがあった。
私が知ってる女王の条件は『酸素の魔術を使える』ということだ。
実際に昨日の『蜂』たちはそれで判断していた。
となると、考えられるのは昔と今では状況が違うということだろうか。
どちらにしても、裏切り者としてマリカのお母さんを殺めたあと、『蜂』はマリカの存在を知らなかったのかな。
「なんか話せてスッキリした」
マリカの顔は決して笑顔ではなかったけど、さっきまでの深刻そうな顔じゃなかったのでほっとする。
「ここからはマリカに決めて貰いたいんだけどいいかな? 話によっては親衛隊の協力をすることになるかも知れないんだけど」
「し、親衛隊?」
「うん。『蜂』への対抗として酸素が見える人に心当たりがないか聞かれたから待って貰ってる。協力することになってもいいなら、マリカのこと話そうかと」
「断ったら?」
「親衛隊の方には諦めて貰うつもり」
実際は私が協力することになるかもだけど。
「協力する内容って?」
「『蜂』を捕らえるときに、あの連絡手段の酸素を見極めることになるかな」
「『蜂』を捕らえる……」
マリカが手元の掛け布団をギュっと握る。
「私は断って欲しいかな。『蜂』がマリカを狙ってくることになったら親衛隊への協力も考えてもいいと思うけど」
彼女はじっと一点を見つめていた。
でも何かを決意したような強い感情が伝わってくる。
「結論は急がずにもうちょっと考えてみて。返事は急かされてないし」
私はマリカの決断を聞くのが怖くてそんなことを口にしていた。
「――分かった」
そう言ってくれて安心する。
『蜂』は彼女の仇である可能性が高い。
親衛隊に協力して仕返しをすると言い出してもおかしくないと思う。
ただ、昨日『蜂』を多く捕らえたといっても全貌も何も分かってない。
今の親衛隊の戦力よりも『蜂』の方がまだ強い可能性もある。
それにあの長身の男だ。
彼は私より強い。
魔術を駆使すれば分からないけど……。
彼より強い『蜂』もいるかも知れない。
「笑ってるけどどうしたの?」
マリカに指摘された。
いけない。
「『蜂』と戦うこと想像してたらつい」
「そ、それで笑ってたの? アイリスってそんなタイプだったっけ?」
「じゃなかったけど、なっちゃった」
「そ、そうなんだ。なっちゃったもんは仕方ないね! うん!」
私は強く頷くマリカを眺めた。
ちょっとは元気になったかな?
「――ルキヴィスが来たぞ。準備がいいなら出てこい」
部屋の外からカクギスさんの声がした。
「分かりました。ちょっと待っててください」
私は大きな声で言ってから立ち上がる。
ふとマリカを見るとあたふたと慌てていた。
「どうしたの?」
「ちょ、ちょっと、え。来るなら来ると」
髪を整えてる。
「アイリスは先行ってて」
「うん……?」
コメントがたくさん流れている。
目を移してみた。
≫ははーんw≫
≫なんだよ≫
≫真の意味のフラグが立ったってことだろ≫
≫好きな男の前で髪を触るのは女の子の特権!≫
≫ちょっと違うけどなw≫
≫男?≫
≫慌てる前に誰が来たと思う?≫
――な。
コメントの意味は理解した。
え? でも、いや。
マリカがルキヴィス先生を好きってどういう?
まさかと思って彼女を盗み見る。
慌てて自分の姿をチェックしていた。
いやいやいや。
とはいえ、おかしな話でもないのか。
昨日も危ないところを先生に助けて貰ったし。
――まあいいか。
よくないけど。
本人からちゃんと聞くまでは保留しておこう。
経験のない話だからよく分からないし。
「じゃ、先に行ってるから」
私は明るく声を出して外に出た。
ドアは外から見えないように、僅かに隙間を開けてからしっかり閉める。
「こんにちは。お疲れさまです」
ルキヴィス先生が居たので挨拶する。
「おう。マリカはどうしたんだ?」
「少し時間が掛かるみたいです」
「そうか」
「昨日はありがとうございました。助かりました」
「それはよかった。珍しく張り切った甲斐があったってもんだ。身体に異常はないか?」
「はい。お陰さまで。筋肉痛くらいです」
「昨日はマクシミリアスに倒されたからな。ダメージ抜けるまでは激しい練習は止めておいた方がいいだろう」
マクシミリアスさんの話が出たので、兄弟かどうか聞こうと思った。
でも、マリカが来てからでいいかと思い、先にセーラさんの様子を聞く。
話によると、彼女は心身共に問題ないみたいだった。
愛想良く話しているらしい。
以前とはまるで別人とのことだ。
彼女の傍には今もクルストゥス先生が付き添っているが、話題は私のことが中心らしい。
セーラさんの話が終わる頃には、マリカが出てきた。
堂々と歩いてるけど視線が正面に固定されてるせいか違和感がある。
「おう。マリカ。昨日は災難だったな」
「おはよう。あれから結局、朝までいたの?」
「ああ。普段の幸運を噛みしめながらも朝まで寝て過ごした」
「寝てたって、人様の家で外でしょ?」
「徹夜するのも辛くなってきたからな」
「そういう問題?」
≫会話は普通にしてるな?≫
≫話し始めたら調子が戻ってきたのかも?≫
コメントは完全に野次馬だな……。
私としては先生の左手の方が気になっていたりする。
今日はちゃんと左手首から先が存在してない。
昨日の義手はなんだったんだろう?
聞きたい。
でも、あの義手って魔術の光が強いし特別なものだと思う。
マリカやカクギスさんの前で聞いていいのか分からない。
「アイリス。どうした? 俺の左手が気になるか?」
なんとなく左手を見てたからか、その先生から突っ込まれる。
「聞いてもいいんですか?」
私は先生を真っ直ぐ見つめた。
神と同じ光を発する義手なんて、どう考えても秘密にした方がいい話だ。
「――場所を移してもいいか?」
「2人に聞かれたくない話なんですか?」
「そういう訳じゃあない。が、お前たち3人以外には聞かれたくない」
「人に話せぬ話か? だったら俺が近づいてくる輩を監視しても良いが」
「そうか。ならそれで頼む」
「承知した」
今日は闘技大会の翌日なので練習はない。
なので、周りに人もいない。
遠くで自主的に練習している人が居るだけだ。
「私も聞いていいの?」
「ああ。お前たちが無闇に人に話すとは思えない。秘密にして変に勘ぐられるよりいい」
「そっか」
≫マリカちゃん嬉しそうw≫
≫ギギギ、悔しい!≫
「で、アイリス。具体的には何が聞きたいんだ?」
「あの義手が神に関係しているか、ですね」
「ああ、関係してるな」
あっさり認めて驚く。
≫何の話だ?≫
≫分からん≫
昨日のルキヴィス先生の戦いは視聴者は知らない。
そもそも真っ暗で見えなかったし話してもいない。
「――ごめん。何の話? ついていけてないんだけど私だけ?」
「昨夜、ルキヴィスに左手があったのは気付いておったか?」
マリカの声にカクギスさんが応える。
「えっ……、気付かなかった……」
「お主は昨夜、散々な目にあっておったからな。仕方あるまい」
「それはそうだけど」
「ともかく、昨夜、ルキヴィスの左手は存在した。それが義手だったという話だ。更に義手を作ったのが神、もしくは材料が神という線も考えられるか」
ざ、材料が神ってこともあり得るのか。
想像したくないし使いたくないな。
「さすがに作った方だな。このことは秘密にしておいてくれ。盗まれでもしたら叱られるからな。しかし、バレるとは思わなかったぜ。魔術でも漏れてたか?」
「はい。大きさこそ違いますが、ハルピュイアのケライノさん並の強さの魔術の光が出ていました」
「そんなにか。――アイリス以外に見える奴が居るとやっかいだな」
「魔術の光って私にもあるやつだよね?」
「うん。今のところ魔術の光を確認してるのは、ハルピュイアのケライノさん、マリカ、『蜂』のほとんど、ゼルディウスさん。それにマクシミリアスさんと先生の義手かな」
「ほう。『闘神』と『不殺』もか。次席と筆頭が共にとなると強さにも大きく関係しているのだろうな」
「うっ」
マリカがダメージを受けたような声を出した。
彼女自身の実績がゼルディウスさんやマクシミリアスさんと比べると見劣りするからだろうか。
「カッカ。お主も第三席になればよかろう」
「第六席すら譲る気ないくせに」
「カッカッカ」
「それで先生にもう1つ質問があるんですけど、いいですか? マクシミリアスさんとの関係のことですけど」
「ああ。兜外れて顔が見えてたからな。その質問は来ると思ってた」
「顔?」
「顔が似てるってことだ。俺とあいつとは双子の兄弟だからな。ちなみにこの左手を切り飛ばした相手も弟だ」
――な!
双子?
しかも先生の左手を切ったのがマクシミリアスさんとか。
「双子ってあの双子? ルキヴィスと筆頭のマクシミリアスが?」
「さすがに驚かされる。双子とはな」
「似てるのは外見だけで中身は似てないぞ」
「でも2人ともものすごく強いじゃないですか」
「至る経緯が違う。俺は昔から器用だったがあいつは不器用だ。それに努力の方向性もそうだ。俺はポイントを考えて試してみるくらいでほとんど練習しなかったが、あいつは普段の努力だけでも頭おかしいレベルだった」
「――真面目さが主に違いそうですね」
「まあな」
「そんなんじゃ、ルキヴィスってその師匠たちには嫌われてたんじゃないの?」
「いや、むしろ俺の方が可愛がられたな」
「うわ……、筆頭が可哀想になってきた」
「ふむ。して、どちらが強かったのだ?」
「左手を切られたときは俺が勝った。が、それも14、5年前の話だ。勝ったと言ってもあいつが動揺してたところに付け込んだ形だから微妙だしな」
14、5年前ってことは十代半ばくらい?
その歳でお兄さんの左手を切ってしまったら動揺するだろうなあ。
「左手なくなった状況で、よくつけ込めましたね」
「すぐに頭を切り替えたからな。細かいことは後で考えればいいかと思ったのは覚えてる」
「ぜんっぜん細かくないから! 左手大事だから!」
「しかし、あの『不殺』が負けておったとはな」
「一人前になる前の話だ。今と比べるとまだまだ弱かったしな」
「以後はどうだ?」
「なんやかんやあって仲違いして話してもいない。ローマに来た頃に少し話したかも知れないがな」
淡々と話すルキヴィス先生の表情は読めない。
ただ、先生の性格からいって、よほどのことがない弟を避けたりするとは思えない。
マクシミリアスさんが先生から距離を置いているのかな?
「お主は弟のように剣闘士になろうとは考えなかったのか?」
「全く。剣とか苦手だしな」
え、あれで?
「やはりか。ルキヴィス。お主の得意なのは拳闘であろう?」
「よく分かったな」
「素手で剣の手練れ相手にあれほど戦えればな。となれば、お主たちの師はジェミニではないのか?」
「ジェミニ?」
≫カストルとポルクスという双子の神ですね≫
≫双子座のやつか≫
≫剣とボクシングが得意な神です≫
≫居たのか丁寧語w≫
「あー。それは言えない」
先生はニヤリと笑った。
この反応はジェミニの2人の神様が師匠というのは正解なのか。
――本当に神様が師匠だったんだ。
「ふむ。そういうことなら不問にしておこうか」
「助かる」
「ところでお主は師よりも強いのか?」
「若い頃は兄弟2人掛かりで手も足も出なかったぞ」
「現下ではどうだ?」
「さあな」
先生は酷く落ち着いていた。
剣とボクシングが得意な神様って、人では超えられないイメージがあるんだけど。
それを「さあな」か。
先生はどれほど強いのだろうと鳥肌が立つ。
「ルキヴィスってその拳闘っていう競技で戦うんだよね?」
マリカが聞くと、しばらくはボクシングの話になる。
ローマではボクシングは人気がないらしく、マリカやカクギスさんは良く知らないみたいだった。
「拳闘といえば、私の昨日の試合で最後の最後にパンチが当たったと思ったんですけど実際は当たってなかったんです。なんだか分かりますか?」
「あー、あれか。分かるぞ。少し説明するか」
話によると、パンチの気配を感じたときに一瞬だけ顔を横に振って戻す技術らしい。
条件反射で出来るようになるまで繰り返すことで、実戦レベルで使えるようになるとのことだった。
先生は実際にマリカにパンチを打たせてそれが可能であることを見せる。
マリカはかなり打ちづらそうにしてたけど。
「なるほど。アイリスは思ってた以上に『不殺』を追いつめていたということか」
「だろうな。あいつ、根は不器用だから想定外のことには弱い。何してくるか分からないアイリスは相性が悪かっただろうぜ」
「お主ならどうしておった」
「あの場合ならカウンターのカモだ。足から拳に順繰りにせり上がってるパンチとか目を閉じててもカウンターしちまうぜ」
「うわ……」
声を出したのは私じゃなくてマリカだった。
「しかしそうなると一番『不殺』に近いのはアイリスやも知れんな」
「私がですか?」
「第八席になれば筆頭に挑戦できる。既に第七席より下には勝てるであろう?」
「分かりませんけど、カクギスさんより弱いなら勝てるかも知れません」
「12月にはトーナメント戦があるはずだ。それに出場して上位者に勝てば、そのランクに飛び級できる」
「え? トーナメント戦って2週間後って聞きましたよ?」
「ほう?」
「反乱とか襲撃から市民の目を逸らすためにやるって言ってました。私とゼルディウスさんが出場することが決定してます」
「お主と『闘神』か。なるほど、それは盛り上がるな。元老院はお主で稼ぐことに味をしめたと見える」
稼ぐ?
そのとき、養成所の入り口付近に強烈な魔術の光を感じた。
『蜂』かと思ったが、強すぎる上に1人だけだ。
その後、職員を引きずりながらゼルディウスさんが現れる。
「噂をすれば『闘神』のお出ましか」
カクギスさんが呟く。
ゼルディウスさん――彼の笑みは相変わらずの強烈だ。
遠くからでも目が爛々(らんらん)と輝いているのが分かる。
私に気付くと、彼はそのまま真っ直ぐこちらに向かってきた。
「驚いたよ。まさか君がアイリスとはなあ。言ってくれよ」
ゼルディウスさんは数日前に来たとき、マリカのことを私『アイリス』と勘違いしていたからな。
そういえば今日はあの糸目の人がいない。
代わりの付き人が2人居た。
付き人2人の身体も大きく筋肉が発達しているのが分かる。
ゼルディウスさんはそのまま止まらずに私にかなり近づいてきた。
「言うことが出来ず、すみませんでした」
私は距離を取りながらそう言った。
「やはり君は美人だな。惚れ惚れする」
「ありがとうございます」
魔術の光と合わせて身体からオーラのような圧を感じる。
強者の風格だ。
強者というよりも王者の風格と言った方がいいかも知れない。
「今日はどのようなご用事ですか?」
私は彼を少し見上げて言った。
後ろでは養成所の係員さんたちと付き人が揉めている。
「んん? おお。君に見とれて忘れていたよ。トーナメント戦の話なのだが、私が勝ったら君が私のモノになるというのはどうかね」
――は?
意味が分からない。
頭が冷えスイッチが入ったことを自覚する。
「申し訳ありません。お断りします」
笑顔で言った。
「アイリス。拳闘に興味はないか?」
唐突にルキヴィス先生が話掛けてきた。
先生の目を見て何か意図があるのだと気付く。
「興味ありますね」
私は応えた。
「じゃあ、試してみるか。せっかく養成所に来たんだしいいよな? 『闘神』」
先生は正面からゼルディウスさんを見る。
瞬間、風のようなものを感じた。
風はピキッとした割れそうな空気に変わる。
「私とかね? これでも総合格闘技で負けたことがないのだが」
「俺は過去を聞いて浸れるほどロマンチストでもないんでね。素手で戦えるならそれでいいのさ。俺は拳闘で戦うがルールはそっちのでいい。どうする?」
先生が言うとゼルディウスさんの顔が満面の笑顔になった。
「いいとも」
とてつもなく怖い笑顔だ。
こうして、人類最強レベルのボクシング対パンクラチオンの異種格闘技戦が始まることになった。
私は邪魔にならない場所まで離れる。
離れながらも、これから始まる戦いにワクワクして仕方がなかった。




