第90話 連絡手段と距離
前回までのライブ配信。
アーネス皇子の邸宅に招かれたアイリス。そこに皇妃側の人間であるユミルがやってくる。アイリスはユミルを混乱させるために別人のフィリッパとして挨拶することを選択する。
その後、アイリスは皇子に皇妃が暗躍している可能性を話す。話を聞いた皇子は皇妃が襲撃に関わっていた場合、責任追及に動くと宣言する。
アイリスは皇宮内の他所でドゥミトスと合流し、次の行動を話し合う。彼女は一旦外出後に親衛隊の兵士として紛れ込み、襲撃を迎え撃つことを決めるのだった。
馬車でフィリップス家に到着した。
既に外も馬車の中も真っ暗闇だ。
揺れと音が気になりすぎて移動した時間の感覚は分からない。
速度は徒歩と同じくらいだったけど、揺れで気持ち悪い。
馬車の中では音もうるさくて視聴者との会話も出来なかった。
止まっているはずなのにまだ揺れてる気がする。
呼ばれるまで調子を取り戻そうと深呼吸を繰り返した。
しばらくすると中年の紳士に促され、フィリップス家の邸宅に入り応接間まで案内される。
家の造りはアーネス皇子の邸宅と似ていた。
「よく来た――、な」
応接間には既にフィリップスさんが居る。
座ったまま声を掛けてきた。
睨むようにしてボクを見たあと視線を逸らして「ふんっ」と息を吐く。
「少しの間お世話になります。それにしてもその態度、あんまりじゃないですか?」
「別に構わないだろう。それで、これからアイリスはどうするつもりだ?」
≫綺麗になったアイリスにこの態度!w≫
≫さすが首席ツンデレw≫
≫すぐに褒めてくる他の男どもとは違うな!≫
「さすがに構わなくもないんですけど……。はぁ、今はいいです。ボ――、私は親衛隊の装備を着て皇宮に戻る予定です」
危ない。
フィリップスさんの前だからか、つい一人称がボクになりそうになってた。
「どうした? 『ボク』は止めたのか?」
「はい。キッパリ止めました」
「不思議だな。常識をようやく覚えてくれて好ましいはずだが、何故か寂しい気持ちもある」
「そうですか」
「まあいい。しかし、わざわざ危険な所に戻るとは相変わらずだな。特別試合とはいえあれほどの戦いをしておいて身体は大丈夫なのか?」
「今のところは」
「今度は私も向かえないからな。限界は見極めるようにな。言っても無駄かも知れないが」
向かうというのは、討伐軍の最後の戦いで気を失ったときに彼が駆けつけてきてくれたことだろう。
「はい。ご心配ありがとうございます」
「では、情報交換だ。円形闘技場からここに来る間に何か変わったことはあったか?」
「ロックスさんに会いましたよ。負けた割に元気そうで安心しました」
「おい。いったい何の情報交換だ」
「気にされているかと思いまして」
「――後にしてくれ」
「はい、後にします。まず皇宮に着くとアーネス皇子に出迎えられました」
私は簡単に皇宮を出るところまで話す。
「皇宮からここに来るまでに5人程度『蜂』と思われる人がいました」
「偵察か?」
「分かりませんが、皇宮付近に居たので偵察の可能性はあります。私の乗ってきた馬車には着いてきていないですね」
「それはもう誰かに伝えて――。いや、その時間はなかったな。分かった。私が使いを出してカトー議員に連絡しておこう」
「お願いします。今の話以外はドゥミトス様に伝えてありますので、カトー議員にも伝わっているはずです」
「分かっている。しかし、こうして戦いに関することを話し合っていると討伐軍に参加していたことを思い出すな」
「そうですね」
私が頷くと無言の時間が流れた。
討伐軍では生き残るために必死だったけど、今になって思えば充実した時間だったと思えてくる。
そんなことを30秒くらい考えていただろうか。
「戻る前に着替えるんだったな。私は出て行くのでこの部屋を使え。手伝いも何人か用意しよう。お手洗いも彼女らに聞いてくれ」
「助かります。首席副官」
「ふんっ。ではな」
彼はただ笑って出て行った。
それからお手伝いの女性が3人やってくる。
いったん着ている服を脱いで、裾が膝くらいまである服に着替えてからトイレに向かった。
これは親衛隊が鎧の下に着る服だ。
右の袖口を見る。
ラデュケの服じゃない。
左の袖口を見る。
ラデュケの服じゃない。
ラデュケに綺麗にして貰った姿でなくなったのがほんの僅かにショックだった。
いや、僅かってことはないか。
少しショックかも知れない。
――あれ?
でも、もしかして二度と着られないのでは?
連絡手段とかないし。
そのことに思い至ると想像以上のショック受け、更にその自分にショックを受けた。
トイレに入る。
≫ありがとうございますありがとうございます≫
≫助かる≫
≫これを待ってた≫
なんだかコメントが騒がしい。
≫音、聞こえてたぞw≫
≫いや、ほとんど聞こえてなかったからw≫
≫ほとんど=少し聞こえてた≫
トイレでは視聴者に音が聞こえないように、いつもは耳を塞いでいるのに忘れていた!
更にショックを受ける。
呆然としたままトイレから帰ってくると鎧を付けられる。
胸がかなり圧迫された。
息苦しいというよりは潰されて広がってる感覚が嫌だった。
うぅ。
なんだかひどく気分が沈んでいる。
それでも彼女たちとフィリップスさんにお礼を言って馬車に向かった。
護衛の親衛隊に紛れる。
一応、立ち振る舞いは男っぽくを意識した。
と言っても、つま先を外に向けるとか大股になるとかだけど。
私の素性は隊長のみが知っていて、他の隊員は私を仮の隊員として見ているらしい。
仮の隊員が私だけだと目立つので、他にも新人から何人かが参加しているそうだ。
素人を隠すには素人の中か。
さすがに考えられてるな。
そうして、皇宮に戻ってくる。
皇宮の周りには魔術の反応を持った50人以上の『蜂』らしき人たちが居た。
否応なく気が引き締まる。
気分を切り替えないと。
本気で攻めてくる気だ。
門の手前に明かりの元で顔を晒したエレディアスさんが居た。
護衛の隊長に一声掛けて、指示を受けた振りをして馬車の隊列から離れる。
「お疲れさまです。エレディアス隊長」
悪ノリして低い声で言ってみた。
「――どこの隊のものだ」
警戒してる。
「決まってません」
声の高さを普段のトーンに戻す。
「――キミか」
一転、ほっとした様子になった。
「はい。ドゥミトス様の指示で声を掛けました」
「そうか。来てくれ」
エレディアスさんはそう言うと別の兵士を呼びつけ代わりにその場を任せる。
私たちは勝手口のようなドアを抜け、皇宮の敷地内に入った。
さて、周りには誰もいないな。
「エレディアスさん。お伝えしたいことがあります。外に少なくとも50人以上の『蜂』が居ます」
緊張した様子が伝わってくる。
「配置は?」
「バラバラです」
「バラバラか。皇居を襲撃する気があるということだけでも貴重な情報だ。感謝する」
「いえ、相手の目的は私なので当然です」
エレディアスさんは頷いた。
ランタンを持っているので表情が辛うじて見える。
「これから正門の前に行く。もし、敵らしき人物が居たら知らせてくれ」
「はい。私が所属している養成所の方はどうなっていますか?」
「親衛隊が向かったようだ。その後の情報は聞いていない」
「ありがとうございます」
彼が早歩きになったので、私も速度を上げた。
空間把握で見ていくと敷地内には多くの兵士が居る。
320人だっけ?
数だけなら親衛隊の方が多い。
これだけの厳戒態勢の中、『蜂』は本当に攻めてくる気なんだろうか。
門の前まで来ると、エレディアスさんは「配置のまま聞け」と大声を出した。
「外に賊が居るとの情報が入った。気を引き締めろ」
「応!」
大きな声がいろんな場所から聞こえ反響する。
士気が高いな。
「私はどこに行けばいいですか?」
「相手の存在を知る力の範囲はどのくらいなんだ?」
「今の相手なら私を中心に半径50mくらいですね」
魔術の量や魔術の力やその範囲が大きければ、もっと遠くでも分かる。
戦闘時のハルピュイアのケライノさんとかなら空から地表まで魔術の反応があったので数キロ離れてても分かりそうだ。
「メートゥ? もしかしてキミの国の距離の単位?」
「あ、すみません。その通りです」
≫今、ローマの単位で計算します≫
丁寧語さんかな。
ありがたい。
「ちょっと待ってください」
≫50mは34パッスース弱ですね≫
≫1パッススは1.48mです≫
≫パッスース? パッスス? どっちだよw≫
≫パッスースはパッススの複数形ですね≫
1.48mは覚えにくい。
1パッスス=1.5mとして考えよう。
直感的に使うにはメートルを3分の2すればいいのかな。
50mなら17の2倍で34パッスース。
こっちでは厳密な1mの長さも分からないし、この辺りはおおよそでいいと思う。
「大体30パッスースです」
数字が具体的だとちょうどその距離だと思われてしまうので数字を丸めた。
「それほど広範囲じゃないね。どうするかな」
エレディアスさんが独り言のように言うので黙って待つ。
「私の扱いについて、何か指示はなかったんですか?」
「ああ、中隊長からも部隊長からも指示はないよ。でも、キミの『枠組みの中でベストを尽くす』に影響を受けてね」
――あ。
「私なんかの話を実践してくださってるんですね」
嬉しくて少し声が弾んでしまった。
「どこまで出来るか分からないけどね。それで次は外周を一回りしてどの辺りに敵が居るかを確認したい」
「分かりました」
「じゃ、副隊長に伝えてから行くことにしようか」
「はい」
それから、エレディアスさんは副隊長に敷地の外周を探索すると伝える。
私もその副隊長を簡単に紹介して貰った。
皇宮はさすがに広くて外周を歩くだけで30分は掛かる。
円形闘技場の外周の数倍はあると思う。
距離にすると2kmくらいだろうか。
ローマの距離単位で言うと1300パッスース?
パッススの次の距離の単位ってないのかな?
肝心の『蜂』と思われる魔力の反応はいくつかあったけど、正門周辺にある反応が圧倒的に多い。
「正門から攻めるつもりでしょうか?」
情報を伝えた上でエレディアスさんに聞く。
ただ、彼は黙ったままだった。
≫正門からでしょう≫
≫なんらかの手段で門を開ける線ですね≫
≫普通に考えると皇妃が門を開ける作戦ですが≫
≫また皇妃か≫
≫皇帝はちゃんと手綱を握っとけw≫
そういえば皇帝の話を聞かないな。
こっちに来たときに円形闘技場で演説してたのを見たので居ることは居るんだろうけど。
「隊長!」
「――どうした?」
親衛隊の兵士がエレディアスさんに何か報告があるようだった。
かなり探し回ったのか息を切らしている。
「我が隊へ『正門前に召集せよ』との命令が来ております! 必ず全員揃えよとのことです」
「分かった。すぐに行く」
「はっ! 失礼いたします」
彼はまた走って戻っていった。
「――まずいな」
「どうしたんですか?」
「正門ということは外出時の護衛だ。ウチの隊が呼ばれたということは恐らくアーネス皇子の護衛となる」
外出か。
当然、外出のためには正門を開ける必要がある。
――皇妃にとっては良い作戦かも知れない。
戦場となる皇宮から皇子を逃がせる。
親衛隊の戦力を減らせる。
もちろん、正門も開くことができる。
こちらにとって見ると、たった一手で全てが後手に回ってしまった。
「外出時の護衛はどのくらいの数になるでしょうか?」
「80人になる。キミを入れると81人だが」
「それは今現在の皇宮の戦力と比べて、どの程度の戦力ダウンになりますか?」
「ウチは精鋭だからね。半分とはいかないまでもそれに近い戦力ダウンになる」
「ありがとうございます」
「さ、正門に行くよ」
「はい」
カトー議員はこれを想定出来ていたのかな?
私が親衛隊の格好をさせられてるところを見ると、想定に入っていそうな気がする。
私が皇子と一緒に外出してしまえば『蜂』の目標がなくなるからだ。
更に言うと、これが想定できてるのなら罠に掛けることも出来そうだ。
正門から『蜂』が入ってきたのちに、親衛隊の別働隊で挟み込んでしまえば一網打尽にできる。
――となると皇宮内の親衛隊に必要な戦い方は。
「親衛隊って密集して盾で敵に圧力を掛けるみたいな戦い方は得意ですか? ローマ軍みたいな感じです」
エレディアスさんの早歩きに着いて行きながら聞いた。
「ローマ軍の重歩兵的なこと?」
「はい」
「あまり得意ではないかな。訓練ではやるから出来なくはないけど。どちらかというと個人で戦ったり数人での連携が得意だね」
親衛隊はローマ市内で戦うのを想定している。
それなら少人数で戦うことの方がメインになるか。
「親衛隊ってローマ市全体でどのくらいの人数がいます?」
「――ここに居る兵力の数倍かな」
「千人超ってところですか」
≫昔の話ですが千人は居たと言われてますね≫
≫昔っていつだよw≫
≫2千年ほど前ですが……≫
≫おいw≫
≫なんでアイリスはそんなこと聞くんだ?≫
≫重歩兵のことと併せると推測できます≫
≫挟撃の可能性を考えてるのではないかと≫
さすが丁寧語さん。
左目にOKのハンドサインを見せる。
≫当たりかよ≫
≫すげえなw≫
≫つか挟撃って? いや意味は分かるんだが≫
丁寧語さんが想定される作戦をコメントで説明している。
親衛隊は本当に挟撃を行うつもりがあるのか、エレディアスさんに確認した方がいいか。
その方が安心できるし。
私は周りに人がいないことを確認して兜を脱いだ。
まとわりついていた髪を首を振って払う。
「なにを?」
エレディアスさんが歩みを止める。
私は顔を近づけて彼の目を見た。
「仮に親衛隊の別働隊が正門の外に居るとします。彼らと『蜂』を挟撃する命令を受けていませんか?」
私の言葉に彼の目が見開く。
「――いや」
そして、視線を逸らしてから否定した。
≫恐らく嘘ですね≫
丁寧語さんによると、『今の内容をいきなり言われて一瞬で理解した上で否定のみ返す』ことが怪しいそうだ。
「どういう意味だ?」と聞き返すのが普通の反応だという。
丁寧語さんみたいに具体的に考えている訳じゃないけど、私も嘘だと思う。
嘘というか立場的に作戦を漏らしてはいけないだけどだと思うけど。
「応えてくださりありがとうございます。皇宮のことは安心できました。では、行きましょう」
私は兜を被った。
こうして私たちは集合場所に向かうのだった。
正門前に到着すると、馬車が用意されていてその周りに親衛隊が整列していた。
すぐにエレディアスさんが呼ばれ、少しの間話していたかと思うと戻ってくる。
「目的地が分かったよ」
アーネス皇子を皇妃の実家まで護衛するそうだ。
実家に行く理由はエレディアスさんも知らないと思うので聞いてない。
皇子がやってきて馬車に乗り込んだ。
私の位置はエレディアスさんの隣で最前列だ。
門が開き、馬車が動き始めた。
外に出ると、周囲に100人以上『蜂』らしき人たちの反応が集まってきているのが分かった。
かなり数が増えてる。
その内の2人が馬車に近づいてきた。
『蜂』らしき2人組は一定の距離を保って着いてきている。
一方、馬車が皇宮から遠ざかっても門の閉まる様子はない。
「『蜂』が2人着いてきてます」
他の人も居るので、なるべく低い声でエレディアスさんに報告した。
男っぽい声を出してるつもりだ。
「分かった」
彼から緊張感が漂ってくる。
≫馬車が離れるまでの確認かも知れないですね≫
≫相手も戻ってきて挟撃されたくはないので≫
馬車は次第に皇宮から離れていく。
暗闇と月、街の喧噪と馬車の音。
皇宮を出て、おそらく10分以上経過した。
まだ『蜂』の2人は着いてきている。
鎧を着てる割に速いペースなので皇宮から1km弱、仮に900mとすると600パッスースくらいの距離だろうか。
――え?
突然、建物の上、空高くに巨大な魔力の反応が生まれていた。
探ってみると、着いてきている『蜂』の1人が何かの魔術を使っている。
思わず身構えたけど攻撃という雰囲気じゃない。
とにかく大きな球状の魔術を展開している。
空気を集めるようにしているのは分かるけど、圧縮している訳でもない。
マリカが酸素だけを集める感じに似ている?
目的はなんなんだろう。
不気味すぎる。
自然と鳥肌が立った。
様子を伺っていても、魔術の展開を止める様子は見られない。
しかし、すぐに皇宮の方からも同じような魔術の反応があった。
遠いけれど微かに反応が分かる。
なんだ?
少し考えて閃いた。
――もしかして何かの連絡手段なのか?
連絡?
何の?
もちろん皇宮を襲撃する合図だ。
続けて皇宮から比較的近い場所からも、魔術の反応が見えた。
ここから遠いので反応が微かに分かる程度だ。
位置関係は分からないけど、皇宮からの距離から養成所から反応が上がってる可能性がある。
いったいどうなってるんだ?
私は焦る気持ちを押さえつつ、そのことをエレディアスさんに伝えるのだった。




