第8話 ワールズ・トーク
娼館から暗闇へ暗闇へと逃げていくと、大きな通りに出た。
「ここは?」
住宅街のような場所だ。
大きな通りとはいえ、暗くて手元が見えない。
でも、遠くから楽しそうに騒ぐ声が聞こえてくるので、怖さはない。
「これからどうするかな」
行くところがない。
正確に言うと、どこに行ってもロクなことにならない。
≫日本に戻る方法はないのかね?≫
「見当もつきません。死ねば元に戻れるかもしれませんけど、さすがにその勇気はないので」
≫そもそもここどこ?≫
≫ローマだろ≫
「はい。ローマみたいですね」
≫火を吐く怪物とかいたけどなw≫
「その辺はさっぱり分かりません。あのユーピテルも謎だし」
≫愛人にしたいとか言ってたんだっけw≫
≫本物のユーピテルならやっぱローマか≫
≫ユーピテルだゴーw≫
≫GO太くんが混じってんぞw≫
「そういえば、困ったら自分の神殿に来いみたいなこと言ってたような」
≫行くの?≫
「あれの愛人になるくらいなら死を選びます」
≫おっとこまえw≫
≫そこまで嫌か≫
≫あれ呼ばわりw≫
「嫌というか無理です」
≫ローマに来た原因はあのエレベーター?≫
「そうとしか思えません」
≫もう一度乗ってみるのは?≫
「なるほど、その手がありましたね! ありがとうございます」
確かにあの円形闘技場のエレベーターが、現実とここを繋ぐ唯一のポイントな気がする。
いや、唯一じゃないか。
ボクの目と耳も繋がっているのかもしれない。
あと、一息ついたからかトイレに行きたくなってしまったんだが、どうすればいいんだろう?
公衆便所とかはあるのだろうか?
外でするとか考えたくもないし、そもそも女性のおしっこの仕方なんて知らないんだけど。
まだ余裕はありそうので、あとで考えることにした。
「さて、闘技場行きたいんですけど」
周りは高い建物や木々が生い茂っている。
あの大きな円形闘技場や、皇宮は全く見えない。
≫どこかに登れるところは?≫
≫公園みたいな広い場所を探してみるとか?≫
≫遠くまでよく見えるはず≫
「広い場所ですか。探してみます」
目を閉じて空間把握してみる。
目視できる全ての範囲とまではいかないが、かなり広い範囲を探れるようだ。
ただ、ボクから離れれば離れるほど探りにくくなる。
「いくつかありますね。一番近い広場に行ってみます」
ボクは、4階建ての建物が立ち並ぶ道を抜けて広場に向かった。
裏道でなければ人通りはそれなりにある。
人通りといっても歩いているわけじゃなくて、騒いでいるだけみたいだけど。
そういう所を邪魔しないように小走りで抜けていった。
しばらくすると、暗闇の中に見上げるほど大きな建造物が浮かんだ。
月明かりで照らされていて幻想的だ。
この中に広場があるはずなんだけど。
建造物はいかにもローマ風の太く大きな柱が立ち並んでいる。
皇宮も驚いたけど、この豪華さというか日本とは全く違う文化に驚かされた。
「これじゃ中にある広場に入っても、壁が高くて闘技場は見えそうにないですね」
≫さっきから真っ黒で何も見えん≫
≫目を閉じてるかと思った≫
「そうなんですか。ボクも薄ぼんやりと壁と柱が見えるだけなので、配信だと見えないのかも」
それに、もし周りを見渡せる広場が見つかったとしても、暗すぎて闘技場が見えるとも思えない。
「お姉さん、1人?」
実況でこの建造物が何かを特定に協力してもらって、方角は——星が使えるか。
その上であの闘技場の場所を特定するのが良いかな。
「おい。無視するな」
「え?」
声を掛けられたのが自分らしいことに気が付いて振り向く。
そして、自分が逃げていたことを忘れていたことにしまったと思った。
「おっ!」
見ると2人の若い男だった。
服装はシャツに短パンと現代っぽい。
片方は痩せていて、もう1人は大男だった。
「かなりの上玉じゃねえ?」
「ツいてるな」
「おい、1人か?」
そう言いながら痩せた方が近づいてくる。
まずいと思って周りを見渡す。
離れた所に人はいて騒いでるけど、助けを求めても気づいてくれるかは分からない。
≫逃げて!≫
≫やばいやばい≫
≫また?≫
≫こういうの多いな≫
≫この展開飽きたからやめてあげて!≫
「逃げ道ふさいどけよ」
「ああ」
ボクが周りに視線を向けたからか、逃げようとしていることに気付かれたらしい。
ボクはじりじり下がるが、後ろに建造物の壁があるので逃げにくくなっていることに気づく。
「へへ、1人みたいだな」
一気に詰め寄られて左手の前腕を掴まれた。
抵抗したけど、力の差がありすぎてどうにもならない。
ミカエルもそうだったけど、こんなに痩せてる相手でも力で勝てないのかと血の気が引く。
「連れてこい」
連れてこい? どこへ?
≫掴まれてる方、肘を固めて曲げないで≫
「はい」
ボクは返事をしながら自分の肘を見た。
≫相手に横並びするみたいに進んで≫
≫自分の肘を相手の肘にくっつける≫
その通りにすると、男が握っていた手が外れかける。
≫腕を身体に畳んで逃げろー!≫
ボクは一目散に逃げた。
「な、何しやがる!?」
とにかく、全力で走りながら人の多いところを探った。
背後の気配も振り向く必要なく分かる。
空間把握が出来てるみたいだった。
大きな男の方は足が遅く、ボクに追いついて来られない。
ボクの腕を掴んでいた男が追いついてくる。
速い。
ボクに追いつくと、タックルを仕掛けてきた。
「んっ」
全て把握できていたので、タックルしてきた瞬間に避ける。
するとゴツッという痛そうな音と、ゴロゴロと転がるような音が聞こえてきた。
「はっ、はっ、あ、アニキ」
そんな声も聞こえてきたが、ボクは立ち止まらずにそのまま少しでも遠くへと駆けた。
しばらくもう安心というところまで駆けたあと、足の痛みに気づいて止まった。
皇宮で履かされた靴はサンダルのようなもので、足の甲を革紐で編み目のような覆っただけのものだ。
その靴で靴擦れしたみたいだった。
≫人気のあるとこ行かないの?≫
「なんか怖くて」
≫ああー≫
≫そうなるか≫
≫人間不信?≫
「人間不信までいってるかは自分でも分かりません。あ、手の解き方を指示してくれた人、さっきはありがとうございました。コメントだけが頼りです」
今はとにかく、人の気配がないところに移動している。
もう襲われるのは嫌だった。
あと、今の2人に追いかけられているときに気づいたんだけど、目を閉じなくても空間把握できるようになっている。
この能力も謎だな。
やっぱり元居た世界とは違うんだろうか?
こうしていつでも空間把握ができると、アパートのような建物の人の気配も見える。
どうも、1階、2階にいる人は少なく、3階以上になると急に人が増えるみたいだ。
あと、建物は4階だと思っていたが見えないだけでその上にも階があるみたいだった。
もちろんその階にも人がいる。
電気はないみたいだけど、どういう時代背景なんだろう?
「とにかく分からないことが多すぎですね。ここがローマなこと、闘技場で怪物と戦わされること、ユーピテルと称する神がいること、皇帝がいること、電気は使われていないこと、建物がやけに高いことくらいですか分かってることって」
≫その話だけだと古代ローマじゃ?≫
≫古代ローマに怪物いたのか?w≫
≫ラキピが変な能力使えるのはどう説明する?≫
≫あの怪物も火みたいなの吐いてたよな≫
≫甲冑と剣もあったな≫
いろいろコメントが出てくる。
「そういえば、そっちは何時ですか?」
こっちの時刻は体感的には午後10時だろうか。
≫今、5時42分≫
≫5時42分≫
実況は丑三つ時の午前2時に始めたから、それから大体3時間半経つのか。
「ローマと日本の時差って分かります?」
≫サマータイムあって、今の時差は7時間≫
「となると、こっちの時間は午後10時42分ですね。ボクの体感時間とも合います、実際にローマなのかも」
≫電気もないのにその時間でも騒がしいのかw≫
「そうですね」
広い道だとこの時間になっても馬車が通ってる。
細めの道は住人が騒いでいる。
これがこの辺りだけのことなのか、街全体なのかは分からないけど、寝たい住人はたまらないだろうな。
「明るくなったら闘技場に向かおうと考えていますが、日の出まで7時間あります。それまでどうするのが良いですか?」
≫今のまま警戒≫
≫時代と場所の検証≫
≫ラキピの能力を調べる≫
「どれも大事そうですね。例えば時代とか場所の検証とかはどうやってすればいいですか?」
≫星座とか≫
≫かに星雲使えないか?≫
≫かに星雲って星の爆発の残骸なんだっけ?≫
≫爆発は1054年だな≫
≫ウィキペ情報だと今、8等星らしいw≫
≫目視できないじゃんw≫
≫他にはないの?≫
≫ローマが栄えたのっていつなんだっけ?≫
≫ネロ皇帝が西暦54年らしいな≫
変な方向に話が逸れていってるけど、情報としては興味深い。
過去の世界ってこともあり得るのかな?
でも、単なる過去だと怪物の存在と空間把握できる理由の説明がつかない。
≫魔法が使えるパラレルワールドとか?≫
≫というかこれマジの話なの?≫
「マジかどうかは分かりませんが、ボクが作ったCGとかではないです」
ボクの記憶としてはあのマンションのエレベーターと円形闘技場のエレベーターは連続している。
いつの間にか場所だけすり替わっていた。
本当に訳が分からない。
「そういえば、あのエレベーターって異世界にいけるという噂だったんですよね。それが本当だったとしたら」
≫ついに当たりを引いた?≫
≫俺らもそっちに行ける?≫
「来ても散々ですけどね。ボクは夢を見てる可能性も疑ってるんですけど」
≫頬つねってみたら?w≫
言われた通りつねってみる。
「普通に痛かったです。あ、広い通りに10人くらいの人が整列して歩いてきましたね」
≫整列?≫
「はい。後方に何か荷台のようなものを引いています。剣のようなものも腰にあるので皇宮にいた警備とか」
≫そこまで分かるのか?≫
「空間把握の範囲を狭めて注目していくと分かります」
≫そいつらラキピを探してるのか?≫
「どうなんでしょう。ボク1人を探すなら集団行動より手分けする方がいいと思いますけど」
≫配信だと何も見えないが、やっぱ真っ暗?≫
「真っ暗です。ボクのいる月明かりも届かないようなところは空間把握の能力がないと歩くのも怖いくらいです」
≫そいつらは単なる夜の警備な気がするな≫
「ボクもそんな気がします。そういえば、あの娼館で品定めされているとき助けてくれたのって誰だと思います?」
≫王子のどちらかだろ≫
≫ミカエル様の方じゃね?≫
≫もう一人の地味な方は名前忘れたw≫
≫なんか皇妃に頭上がらなそうだったしな≫
「ミカエルの方なら、嫌な人に借りを作ったような気がします」
思わずため息がでる。
≫ミカエル様も皇妃にばれたら不味いだろ≫
「皇妃関係は逃げたボクを捕まえにくると思いますか?」
≫捕まえにくる可能性は高いだろうな≫
≫ラキピって売ると相場の上限なんだっけ?w≫
「それは言わないでください。いくらの値が付こうと、あのとき売られたらと考えるとゾッとします」
≫皇妃が捕まえに来てる場合に話戻すぞ≫
≫その場合、今は要所だけ押さえてるだろうな≫
「要所だけ?」
≫夜は要所要所で包囲網だけ作っておく≫
≫明るくなってから包囲網内を徹底的に捜索≫
「明るくなる前に包囲網抜けた方がいいって話ですか?」
≫だな≫
「なるほど。説得力があるだけ嫌ですね」
≫あくまで可能性だからw≫
「ちょっと待ってください」
≫なんだ?≫
≫?≫
「誰か1人、走ったり止まったりしてる人がいます」
≫なんだそれ?≫
≫どういうことだ?≫
≫変な動きだな≫
≫1人だけ?≫
「はい。まだ遠いですが、十字路? で1秒くらい止まっては進んでを繰り返しています」
≫なんか怖いな?≫
≫追っ手とか?w≫
≫Gっぽいw≫
≫一応、離れた方がいいんじゃない?≫
「そうします」
その人から離れるように路地を出る。
「あっ」
≫どうした?≫
「娼館で暴れてくれた人だと思います。左手がやけに目立ってるので」
≫左手?≫
「よく分からないんですが、その人の左手だけ強い力を感じるんです。こっち来て最初の怪物みたいな感覚です。あっ、その人がこっちに近づいてきました。まずいかも」
ボクの存在に気付いているのか、左手の男がボクに向かって最短距離をくるのが分かった。
その動きになってからは止まったりせず真っ直ぐ向かってくる。
ボクはその左手の男から遠ざかるように駆けた。
次話は、明日の夕方(午後4時~午後6時)のどこかで投稿する予定です。