第87話 私
前回までのライブ配信。
特別試合中、アイリスの体当たりによってマクシミリアスの兜が外れる。彼の素顔はルキヴィスに似ていたが、雰囲気の違いから彼とルキヴィスは兄弟だと推測する。
アイリスは多彩な攻撃を行うが、マクシミリアスには通じない。彼女は戦いの中で自身が僅かに力んでいることと、コメントが全く見えてなかったことに気付く。
アイリスはコメントで力みの一時的な解消の仕方と女性であれば力みにくいことを教わる。彼女は自分が女であることを受け入れマクシミリアスに迫るが、最後の攻撃も届かずに意識を失うのだった。
気持ちの良い夢を見ていた。
夢はすぐに終わり大音量の歓声で目覚める。
嫌な苦みに加えてジャリと音がした。
なんだこれ、泥?
うつ伏せに倒れてることに気づき、負けたのだと気付く。
それになんだか騒がしい。
歓声というより変にざわついている感じだ。
試合後の雰囲気とは思えない。
「立てるか?」
係の人だろう。
身体を起こして見上げる。
マクシミリアスさんもまだ居た。
≫あ、気が付いたのか≫
≫大丈夫か?≫
≫何が起きた?≫
「はい、大丈夫です。あの、意識を失ってる間に何かありましたか?」
立ち上がりながら係の人に聞く。
身体中が泥まみれになっていた。
「ちょっとした騒ぎになっていた」
彼はため息をつきながら肩を落とす。
「騒ぎ、ですか?」
「次席が戦わせろと騒動になっていた」
≫次席w≫
≫あのマッチョかw≫
≫『闘神』だっけ?≫
ゼルディウスさんか。
あの人、自由そうだし怖いものなさそうだもんなあ。
「なんとなく起きていた状況は分かりました。ありがとうございます。あと、すみません。身体の汚れを落としていいですか?」
「ああ」
「少し離れてください」
「離れる?」
疑問を口にしながら彼はちゃんと離れてくれた。
「ありがとうございます」
ボクは創水の魔術で頭上に水を集めて、それで簡単に身体を洗った。
密かに口の中も洗う。
脇腹が痛み、血が滲んでいたので血小板を集めて止血しておいた。
≫うぉ、なんだ?≫
≫身体洗ったんだろw≫
他は……大丈夫だな。
係の人は少し驚いてるけど。
「マクシミリアスさん。本日はありがとうございました。良い勉強になりました」
「――ああ」
ルキヴィス先生と似てるのに寡黙なんだな。
彼に頭を下げたあとボクは出口に向かった。
去り際に盛大な拍手をされたのが嬉しかった。
ただ、拍手の合間に戦女神と何度も呼ばれる。
そのたびに脱力してしまっていた。
光栄だしありがたくはあるんだけど。
円形闘技場の地下に入り、別の係の人に案内されて診療室に向かう。
カトー議員の護衛の人と待ち合わせしているためだ。
「お疲れさまです」
診療室に入っていくとジロジロ見られた。
「……なんで女が」
「『不殺』と戦うって話があっただろ」
「いい身体してんな」
「すげぇ美人だぜ。誰だよ」
「ドラゴン倒した女剣闘士がいただろ。あれだよ」
「――嘘だろ」
「俺とやらせろ。押し倒してやるからよ」
≫セクハラやべえw≫
≫全く。セクハラしていいのは俺たちだけだ!≫
いいえ、貴方たちも良くないです。
視線でも品定めされてて居心地が悪い。
養成所が同じ知ってる人たちは軽く手を挙げてくれたりしてくれるんだけど。
「よぉ、アイリス。『不殺』に一発くらいは入れられたかい?」
気安く声を掛けてきてくれた人を見ると、ロックスさんだった。
「こんにちは、ロックスさん」
「おっ、初めて名前呼んでくれたな?」
「すみません。名前くらい聞けばよかったですね」
「全くだ。まあ、そのおっぱいに免じて許して……いてて」
近づいて来て胸を覗きこもうとしたところで、彼は自身の腕を押さえた。
「大丈夫ですか。ゲオルギウスさんにやられたんですよね?」
「てて、知り合いかよ」
「練習仲間ですよ。フィリップスさんに聞いてませんか?」
「あー、あ? そういやそんなこと言ってたな」
彼の腕に巻かれている包帯が血で滲む。
「治療はまだですか?」
「ああ。午前最後の闘技だったからな。洗って止血の粉振りかけられて包帯巻いて順番待ちだ」
「傷が深そうですね。すみませーん、シュメオンさん。彼の処置をしてもいいですか」
「構わんよ。弟弟子、いや妹弟子だからな」
「ありがとうございます」
彼、シュメオンさんは養成所の医師でもある。
ボクの腕が動かないときに診てくれた人だ。
ボクが包帯兵になるために通った診療所の人の弟子でもある。
つまり、形の上ではボクの兄弟子ということだ。
診療所でばったりと顔を合わせて兄妹弟子ということを知った。
さて、処置の許可も貰ったしやるか。
まずロックスさんの腕の付け根を握り、神経の働きを邪魔した。
「痛みはとれましたか?」
「おっ、痛くない」
赤血球の動きをみる。
動きが鈍いな。
応急措置のミョウバンで最低限の止血は行われているみたいだ。
ボクは包帯の上に手を当てて血小板を集めた。
血小板は傷口に近づくと触手が延びて網を作る。
網の目は赤血球よりも細かいので止血できる。
「メス、借ります」
ボクは近くに置いてあった救急箱からメスを取ると電子を集めた。
バチッと放電する。
「皆さんすみません。ちょっと肉を焼いた匂いがしますが我慢をお願いします」
ロックスさんの腕の包帯を一旦解いてから、傷口を電気で軽く焼いていった。
「これで傷口が開くようなことをしなければ大丈夫と思います。あと化膿止めにアルカンナを塗って貰ってください。ってどうして胸を覗きこんでるんですか!」
「すまんすまん。その露出でこの距離は2度とないと思ってな。俺は一期一会を大事にするタイプなんだ」
「――はぁ」
思わず溜め息をついてしまう。
「とにかく助かったぜ。見事なもんだ。ところで『不殺』との試合はどうなったんだ? さっきも聞いたが一発くらい食らわせてやったか?」
「相手にもなりませんでした。なんとかボクの攻撃が2回当たっただけですね」
「ほー、マジか。俺も剣闘士になって長いが、『不殺』に攻撃が当たったなんて話は聞いたことないぜ? いや、アイリスならあり得るか」
診療室内が少しざわつき始めた。
ガタッ。
誰かが足を引きずり近づいてくる。
「冗談だろ。こんな細っせー腕した女が『不殺』に2撃も当てた? あり得ねぇ」
「お、おい」
足に包帯を巻いている。
知り合いらしき人が彼を止めようと間に入った。
「あ゛ぁ? 喧嘩売ってんのか?」
「……なんでロックスさんがキレてるんですか」
険悪な雰囲気になる。
そのときだった。
「――失礼する」
1人の大きな男が診療室に入ってきた。
カトー議員の護衛の人だ。
彼とは野営地で会った。
ボクが戦ったらどうかなと思ったときに睨んで来た人だと思う。
彼は一目で分かるくらいの良い服を着ていた。
ひょっとして貴族だったりするのかな?
名前はドミトゥスさんと言うらしいけど、身分まで聞いておけばよかった。
ドミトゥスさんが室内で足を止めると険悪な雰囲気が消えた。
貴族っぽいし強そうだもんな。
カエソーさんみたいなタイプならともかく、普通の人は絶対に喧嘩売りたくないと思う。
「こんにちは。ドミトゥスさんですよね?」
「アイリスと言ったか。あのとき以来だな。剣闘士筆頭との戦い見させてもらったぞ。素晴らしいものだった」
「あ、ありがとうございます」
突然、柔らかい表情で言われて焦った。
前は厳しい感じだったから予想外すぎる。
「さて。診察は済んだのか?」
「まだです」
「では、ここで待たせて貰うことにしようか」
彼は壁に背をもたれかけ腕を組む。
診療室が不自然な静けさを保ち続けた。
たまに治療しているシュメオンさんの声と痛そうなうめき声だけが聞こえてくる。
「シュメオンさん。問題なければお手伝いしましょうか? ボクの方は大きな怪我もしてないので」
「おぉ、そうだな。お願いできるか?」
「はい」
それからボクはシュメオンさんに確認を取りながら手伝った。
痛みが酷い人はシビレエイを抱えていた。
シビレエイの電気を痛み止めの代わりに使ってるんだろうけど不思議な光景だ。
「貴方も診せてください」
ボクに絡んで来た人に声を掛ける。
彼は顔を背けた。
顔も見たくないというところだろうか。
ボクは彼の赤血球の動きを見ることにした。
「太股を深く抉られてますね。痛いのに顔に出さないのは立派だと思います。ロックスさんと同じ処置をしたいのですが、よろしいですか?」
ボクは彼を見つめた。
ここまで来たら逃がすつもりはない。
手に持ったメスをバチッと鳴らしながら返事を待つ。
「――勝手にしろ」
「ありがとうございます」
ボクは待ってましたとばかりに処置をした。
痛みを止めた時点で彼が驚いていたのが面白かった。
神経があるのが太いフトモモの中なので、ボクの腕を回すことになったけど。
赤血球を見ながら処置をしてると、ある一部に血流が集まっているのが分かった。
――え?
彼を盗み見る。
どこか一点を見つめていた。
ボクに欲情してるという訳ではないと思う。
たぶん肌がくっついてるので意識してしまって不測の事態が起こってしまったんじゃないだろうか?
そういうことがあるのはよく分かる。
仕方ないよね。
分かる、分かるよ。
「処置は終わりました。あとは化膿止めにアルカンナを塗って貰ってください」
言いながら立ち上がる。
彼は何も反応しなかった。
「フトモモはどうですか?」
「あ、ああ。――なんだ。痛みが?」
「まだ痛みが強いですか?」
「いや、逆だ。かなりマシになった」
「それはよかったです。ではお大事にしてください」
「待て」
ボクが去ろうとすると呼び止められる。
「さっきは絡んですまなかったな。負けたのと痛みで苛立っていた。怪我も助かった」
「いいえ、どういたしまして」
怪我の処置を手伝ったことで、すぐにボクの診察をして貰えることになった。
ボクは魔術の使いすぎで特別な処置が必要という診断を貰う。
カトー議員が仕込んだ仮病だろう。
診断を貰ってすぐに診察室をあとにした。
一礼して診療室を出ると何かすごくざわついていた。
ボクの名前も聞こえてくる。
変なこと言われてなきゃいいんだけど。
「これからどこに向かうんでしょうか?」
前を歩くドミトゥスさんに話しかけた。
「更衣室だ。その格好で外を出歩く訳にもいくまい」
「そうですね」
更衣室までは距離がある。
向かう途中、マリカやセーラさんが闘技場でどう戦ったか聞いてみた。
マリカは少し前に聞いたとおり、相手をすぐに倒したらしい。
攻撃を誘って隙ができたところに横薙ぎに斬り、足を掛けながら盾をぶつけて倒して首元に剣を突きつけて相手は降参したとの話だった。
低酸素の魔術で相手を弱らせるとかしてなさそうだ。
魔術を使わずに圧倒したということだろう。
セーラさんは2匹のライオンと1匹の熊を相手にしたらしい。
最初のライオンには少し苦戦したみたいだけど、残りは楽々と倒していたとのことだ。
「その後、魔術無効を使えるものが彼女を連れていったが、クルストゥスという名のようだな。お前の知り合いなのだろう?」
「彼はボ――私がお世話になってる魔術の訓練士です」
セーラさんに付き添ってくれたのはクルストゥス先生だったか。
よかった。
「そうか。ところで、あの焼き殺す魔術を考えたのはアイリス、お前か?」
「いえ、違います」
考えたのはコメントしてくれた人だ。
ボクじゃない。
「ふっ、珍しくカトー様の予想が外れたな」
「カトー議員ですか?」
「ああ。あの方は随分とお前を高く評価なさっている」
「――それは光栄ですね」
評価されてるというよりは、良いように利用されてるだけな気もするけど。
「評価ということなら、野営地で私の他にもう1人居ただろう。奴もお前のことを評価している。私は本日の試合がなければお前を侮っていたままだっただろうな」
≫なにこれツンデレ?≫
≫ツンデレというかお眼鏡に適った?≫
≫男のツンデレはめんどくさいんだよなあ≫
≫ツンデレ2号かw≫
≫1号は誰だよ≫
≫首席ツンデレのフィリップスくん!≫
思わず吹きそうになる。
会話中にそういうコメントは止めて欲しい。
「今日の試合ですか。ボ――私は何もできませんでしたけどね」
「私は都合があえば闘技大会を見るようにしているが、あれほど筆頭に迫った剣闘士を見たのは初めてだ」
「そうなんですか?」
「私の知る限りだがな」
そういえばマクシミリアスさんは闘技大会で魔術無効を1度も使ってないんだっけ。
「ご評価ありがとうございます」
「全く嬉しくなさそうだな」
「そうですね。やっぱり手も足も出なかったのが悔しいんですよ。驚かせてやるくらいの意気込みだったんですけどね」
「あの筆頭相手に良い心構えだ。私たちに殺気を飛ばしてきただけのことはある」
野営地で初めてカトー議員に会ったときのことだろう。
「あの時はすみません。強そうだったのでつい気持ちが漏れてしまいました」
「つい、か。あの状況で狂ってるな。だが嫌いではない。私も同じように狂ってるからな」
笑ってはいたが、何か殺気のようなものを飛ばしてくる。
殺気というかいつでもボクに攻撃を加えられるように、支点を作って準備してきた。
ボクは彼に反応できるように意識する。
思わず笑みが漏れた。
口角が上がるのを止められない。
それに応えるかのように彼もニッと笑った。
「ふっ、仕返しだ。もっとも、お前を喜ばせてしまっただけのようだがな」
言いながら彼はボクとの間を外した。
「着いたぞ。私のことは気にせずラデュケに思う存分飾りたてて貰ってこい」
更衣室だ。
彼は壁に背をもられさせかけた。
着替えが終わるまで待ってくれるつもりだろう。
「気遣いありがとうございます。いってきます」
ボクはドアを開けて更衣室に入っていった。
「お疲れさまでーす!」
入るなり、ラデュケさんは元気に挨拶してきた。
「お疲れさま」
他の2人はボクに頭を下げるだけだ。
「どうなりました? 勝てました?」
「特別試合だから勝敗はないよ。でも、さすがに相手にならなかったな」
「そうなんですね。残念。それはそうと――」
急に近づいてきて小声になった。
「あのドミトゥス様とずいぶん親しいみたいですね? 通路での会話がここまで聞こえてきましたよ。どうやったんですか? その美貌ですか? それとも胸?」
「あのねえ。人聞きの悪い」
「あはは。冗談です。でも、普段はほとんど話さない方なんですよ。珍しい」
「そうなんだ。あえて言うならお互い戦闘狂ってことで気が合った、かな?」
「なんですかそれ。気持ち悪い」
「直球すぎ。否定はしないけどね」
「そこは否定してくださいよ。まあいいです。アイリスさんが戦闘狂なんていうのに絶対見えないように綺麗にしてみせます」
「綺麗にってラデュレさんが?」
「ラデュレでいいです。こう見えて、奥様のお召し物やメイクを任せていただいてます。男受けしつつ同性に舐められないように仕立てあげますよ。アイリスさんの場合はそのままでも十分なんですけどね」
何かまくし立てられて、ボクは身を任せることになった。
1時間近く身を任せていただろうか。
服は白をベースにして、頭から爪、つま先まで磨かれた。
ラデュレが中心になって他の2人が手伝うという感じだ。
「我ながら会心の出来ですね」
彼女はボクを見ながら何度も頷いていた。
≫見せろ≫
≫ずっと待ってたご褒美に見せて見せて≫
≫鏡の前に立つんだ! 早く!≫
≫はよ! 間に合わなくなっても知らんぞ!≫
コメントの見せろコールが激しい。
「――見てみたいから鏡いい?」
「どうぞどうぞ」
鏡の前に立つ。
――あ。
一目で洗練されてる感じになったと思った。
印象が全然違う。
化粧してるからかしっかりしてそうに見えた。
「気に入って貰えましたか?」
「う、うん。ラデュレってすごいね」
「もっと誉めてもいいんですよ?」
「誉めたいんだけど、何を誉めたらいいのか分からない」
「素材がいいですからね。そこは存分に生かしてます」
「でも、これ身体のライン出過ぎじゃないかな?」
膝くらいまであるカーディガン? のようなものを羽織ってるからそこまで下品じゃないんだけど。
「胸が大きいですからね。トーガみたいなのだと太って見えちゃうんですよ。でもせっかく形も良いので胸を強調してます。同性の目線は腰の細さや髪にいくようにしてます」
腰は皮のベルトを重ねるように目立たせてる。
髪の方もストレートをベースにして上品に編み込んでる。
手間が掛かってるのがよく分かる。
「お化粧は眉を少し長く真っ直ぐに、目尻に鋭角に色を入れてキツ目に、チークも頬を逆三角形気味に見せてます。口紅は落ち着いた色をキチンと塗ってるだけですね。美人さを際だたせてナメられないことを目的にしてます」
「そ、そうなんだ」
「あと、この格好で『ボク』は止めておいた方がいいですね。違和感がすごいことになると思います」
「ぜ、善処します」
「善処じゃなくて必ず『私』でお願いしますね」
「――はい」
「鏡をよく見てください。さっきご自身のことを戦闘狂とか言ってましたが、これも戦闘服の1つですよ。自信を持って自分より綺麗な人などいないくらいの気持ちで居てください。実際そうですしね」
コメントは大騒ぎになっていたけど、あまり見たくなかった。
恥ずかしいというかなんと言うか。
一方で綺麗にして貰ったことへのウキウキした気持ちもあって、それを認めると終わるというか。
ただ、覚悟を決める頃合いなのかも知れない。
マクシミリアスさんとの戦いで女であることを受け入れた訳だし。
ボク――いや、私はラデュレと他の2人にお礼を言って更衣室の出口に向かった。
――私、か。
何か大事なものを置いていった気がしたけど、それを振り払って私はドアを開けた。




