第7話 闇の領域
皇妃の馬車を出て、ボクはユミルさんに連れられ、別の馬車に乗っていた。
出る前に服を着替えさせられたこともあって寒くはない。
「ユミルさんはヌメリウスという人のこと知っているんですか?」
馬車に揺られるという初めての経験をしながら、ユミルさんに話しかけた。
彼は馬車に乗ってからずっと黙ったままだ。
下を向いたまま、厳しい表情をしていた。
皇妃のいた豪華な広い馬車と違って、この馬車は電車のボックス席のような広さだ。
独り言が言えるならコメントともやりとりできるんだけど、それが許される雰囲気でもない。
そんな状況で長い時間が経つ。
馬車が止まり、ユミルさんが「待っていてください」と言って出て行った。
≫出発して30分くらいか≫
ユミルさんが出て行ってから、そんなコメントが目に付く。
ライブ配信を見ている人に協力して貰えれば、ストップウォッチのようなことも可能かもしれない。
≫外の様子が気になるな≫
「そうですね」
ボクも外は気になっていたので、馬車の後方の布をめくって外を見た。
その瞬間、全てがふっとぶ。
≫歓楽街じゃねーか!≫
≫やばいぞ≫
≫売られる前に逃げてー≫
コメントの通り、酔った男たちに扇情的な恰好で誘いを掛けてる女性たちが何人もいた。
明らかに普通の道じゃない。
出かける前に派手な服に着替えさせてると思ったらそういうことか。
「もしかして娼婦の面接? まずい?」
≫間違いない≫
≫とにかく逃げて≫
ボクはすぐに外に出ようと飛び出す。
「どこに行くつもりだ?」
明らかに素人ではない2人が馬車に近付いてくる。
声を掛けてきた男は頭良さそうだけど、良い人には見えない。
もう1人は戦うこと専門といった雰囲気だった。
逃げるのは無理だと悟る。
空間把握してから外に出ればよかったんだけど、完全に忘れていた。
「こっちへ来い」
ボクは2人に促されて、建物に入り階段を上がって廊下を歩かされる。
そして、部屋に連れてこられた。
真っ暗で分かりにくいけど、この建物の作りは団地のマンションっぽい。
建物もコンクリートみたいだし、外から見た感じも4階くらいの高さのようだった。
部屋に入ると、あまり品がいいとはいえない絵画や高級そうな絨毯の敷き詰められた所だった。
明かりは机の上のランプだけでかなり暗い。
「ここで待ってろ」
そう言われて待つことになる。
部屋にはボク1人だけど、空間把握で探ると外に例の2人がいる。
仕方なく待っていると、ヌメリウスらしき人物がユミルさんと一緒にやってきた。
「これはこれはお美しい。私はこの領域で商売をしているヌメリウスと申します」
背は高く太っていて、威圧感がある。
目は小さく鼻もつぶれており、醜い男としか言いようがなかった。
ヌメリウスの後ろにいるユミルさんは何も話さない。
「貴女は、自分が何の目的でここに来ているかお分かりですか?」
「なんとなく」
「ぐふ」
この男、ヌメリウスのボクを値踏みをするような視線にゾッとする。
「傷や痣はいかがですかな?」
「ないようです」
そこでユミルさんが声を出した。
「ぐふ。個性的な顔立ちでかなりの上玉、私にお任せくださるのであれば上限いっぱいお支払いさせていただきますよ」
≫マジかマジかマジか≫
≫どこまで本当なんだよ≫
「承知しました。お任せいたします」
「支払いの前に確認させてもらいますよ。ぐふ」
確認? 何を!?
我に返る。
逃げるしかないんだけど、逃げようがない。
怪物との戦いで何度も死を意識して。
ミカエルの手から逃れ。
皇妃に捕まってここに送り込まれた。
いっそダメ元でユミルさんに。
ユミルさんに——。
涙がこぼれた。
あれ? と思うが止まらない。
≫おい≫
≫画面にじんでるぞ≫
≫やだー≫
「——確認をお願いします」
ボクを売るユミルさんの言葉。
助けて。
そう声を出したつもりが声にならない。
周りの景色がぐるぐるしてボクはふらついた。
ゴガッ、バキッ。
遠くで何かを殴る音が聞こえる。
「なんだ、おま——」
ガス。
あれがここで起きてればよかったのに。
ボクは自分が立っているか座っているか分からなくなっていた。
「ケンカですかな?」
ヌメリウスが外を覗きに行った。
女性の悲鳴も聞こえてくる。
男の怒声や悲鳴はあちこちで聞こえ、明らかに異常な事態になっていた。
「倒れてるのはうちの護衛じゃないか。何やってるんだ!」
窓に顔をくっつけたヌメリウスが急に怒り始めている。
≫今しかない!≫
≫よく分からんが逃げろ≫
≫マジ逃げてー≫
≫頑張れ≫
≫今度も逃げられる≫
≫いけー!≫
たくさんの本当にたくさんのコメントが流れた。
それがボクの力となる。
ボクに出来ること。
それは空間把握だ。
ボクは机の上にあった水を、同じく机にあったランプにかけた。
ジュゥ。
部屋が暗くなる。
「な、なんだ!?」
持っていた金属製のコップで窓際のヌメリウスを殴る。
「ぐごっ、痛ひぃぃ!」
「もう一度殴ろうかな?」
「ひぃぃいいい!」
≫何が起きてる?≫
≫暗いぞ?≫
≫ラキピがランプ消した≫
≫これヌメヌメの悲鳴か?≫
怯えているヌメリウスは醜かった。
暗闇でどこから殴られるか分からないのはさすがに怖いか。
結局、ボクは『確認』されなかった訳だし、これ以上は止めておこう。
そうしてる内にユミルさんが入口に素早く移動したのが分かった。
「——動かないでください。私の領域に入ってきたら斬ります」
剣を抜く音が聞こえる。
ユミルさんは剣を両手で持ち、音に集中しているようだった。
この真っ暗闇の状況で全く隙がない。
剣術のことは知らないけど相当な腕なんだろう。
でも、暗闇はボクの領域だ。
厨二っぽいことを考え萎えそうになる気力を奮い立たせる。
音だけに集中しているなら、その音で混乱させよう。
そして、机を楯代わりにあの剣を掻い潜る。
まずは持っている金属製のコップを思いっきり壁に叩きつけた。
ぶつかった金属が何度も音を立てる。
更に、水がたっぷり入ったランプをヌメリウスに向けて放り投げる。
暗闇の中、得体のしれない物を投げられたヌメリウスは悲鳴を上げた。
その音の中、ボクは机ごとユミルさんに向かう。
そんな中でさえユミルさんは正確にボクに向けて剣を振るってきた。
どうやって位置特定してるんだ?
しかし、剣は机に当たって弾かれる。
ボクはそのまま、机をユミルさんに思いっきりぶつけてドアを開けた。
ドアの外には例の2人がいて、すでに剣を抜いているのが空間把握で分かってる。
ボクはドアを開けると、2人に認識される前に逃げた。
1秒以上してからボクを追いかけ始める。
≫今、どうなってる?≫
≫逃げてるんだろ≫
≫マジがんばれ≫
あとは、悲鳴や怒号の発生源に向かえばその混乱に紛れて逃げるというのがボクの目論見だ。
胸の揺れの痛みを我慢して、とにかく走った。
ブラ着けられてなかったらやばかったなこれ。
後ろの2人とは5メートルくらい差がある。
怒号の元の1階部分に行くと、1人の男がガラの悪そうな男たちに囲まれていた。
目視してみても、顔は暗くてよく見えずシルエットだけ分かる。
「……ら、ここに売られて来てないか知りたいだけなんだが」
「ただで済むと思うなよっ!?」
声が聞こえてきたが、話がかみ合ってないように思える。
それよりも、1人の男の方の左手がやけに光り輝いているように感じる方が気になった。
あれは怪物の光の束と同じものだと直感する。
「ちょっと通りますねー」
ボクは男とガラの悪そうな男たちの間をこそこそと通り抜けていった。
場が凍る。
「そいつを、捕まえろ!」
最初から追ってきてる2人がそう叫んだ。
すると、左手が輝いている男がその2人を一瞬で殴り飛ばしたのが把握できた。
——右手で。
え?
そっち?
強そうな左手で殴るんじゃなくて?
でも、よく考えたら剣を持ったあの荒事のプロと思われる2人を素手で対処するって相当強い。
それも、不意打ちとはいえ、一瞬で。
対峙していた男たちも、左手の男に剣を振るい始めたことが把握できた。
それもすぐに倒していた。
でも、そんなこと気にしてる場合じゃない。
今、ボクにとって優先順位が高いのはこの場から離れることだ。
ボクはとにかく暗い方暗い方に向けて逃げた。
ローマの夜は一歩道を入ると本当に暗い。
でも、だからこそ逃げられるはずだ。
暗闇はボクの領域なんだから。
次話は、本日2時間後くらいに投稿する予定です。
改変履歴
2018-03-15 サブタイトルが第6話になっていたので第7話に修正