第71話 一騎当千
北門と東門側の大軍を確認したあと、ボクは一旦野営地に戻った。
戻った時間は30分くらい。
明るくはなってきてるけどまだ青一色の世界だ。
大軍もまだ動いた様子はない。
そのあとすぐに東門側に引き返してきた。
ボクが引き返したのが北門じゃない理由は、東門の集団は農奴が中心だと思われるからだった。
持っている武器から東門側が農奴、北門側が鉱山奴隷と判断している。
この東門で農奴を戦いに参戦させないようにする、というのがボクの最初の役割だ。
農奴たちは背水の陣で来ている可能性が高い。
だから、逃げ道もあるから引き返してねと説得することになる。
そしてボクは今、女神っぽい格好をしていた。
ローマの石像っぽいひらひらの服の上に煌びやかな防具を身につけている。
ギリシア神話のアテナ、ローマ神話で言うミネルウァをイメージしたらしい。
ボクを女神と誤解させ、説得の確率を上げるという作戦のためにこの格好になっている。
短い時間でコーディネートしたのはレンさんだ。
ミカエルの傍にいるからか彼自身がイケメンだからかセンスがいい。
彼は何か手紙みたいなものを陣営監督官に見せてボクの従者ということになった。
そして、鏡を見ながら視聴者の意見も取り入れつつ今の姿になる。
鏡は騎士であるメテルス副官の長男の人が何故か持っていた。
何故戦場に鏡を持ってきてるんだろう?
ともかく、鏡で着せかえ配信を行いながら今に至る。
視聴者には女性もいるみたいで、ワンポイント色を入れた方がいいみたいなアドバイスを貰った。
もちろん、自分の部屋でだけどブラも着けた。
剣術が上手くなろうが、ブラのないときのあの痛みはもう嫌だ。
「準備はいいか?」
メテルス副官が声を掛けてくる。
ボクは左斜め後ろにいる彼に頷いた。
「何かあっても慌てず目を閉じて『ひとつ』と数えながら息をたくさん吐きなさい。私にも返事をしなくて良い」
彼はボクの教育係として立候補してくれた。
すでに立ち姿や歩き方なんかも簡単に教わっている。
ありがたいけどなんか怖い。
今、この場にいるのは4人だ。
ボクとメテルス副官、レンさん、あと魔術兵隊から1人連れてきている。
レンさんだけは馬で、ボクを含む他の3人は楯で飛んで来た。
今回の戦いでの軍の編成は次となる。
東門と北門の説得が、ボクたち4人。
東門と北門の守りは、支援軍と騎兵隊の半分。
南門は、正規軍と残りの騎兵隊。
最大の激戦区は南門になる。
反乱軍本体とローマの正規軍の総力戦になるはずだ。
東門と北門はボクの働きに掛かっている。
とにかく、今は時間が勝負だ。
まだ少し暗かったけど、ボクたちが歩いていくと農奴と思われる集団の一部の人たちが気づいた。
それからざわめきが広がり、視線がボクに集まってくるのが分かる。
先頭の人たちはクワのようなものを構えていた。
ボクは心臓の鼓動を感じながらもゆっくりと歩いていく。
「なんだお前らは! ローマ軍か!」
鎧を着た人が剣を抜いた。
農奴ではなさそうだ。
ボクは長い剣をゆっくりと横に振るい、それに合わせて突風の魔術をその人に当てた。
彼は派手に吹っ飛んでいく。
魔術無効が使われてないことも確認できた。
その突風の魔術で先頭に居た集団は硬直していた。
今がチャンスだ。
ボクは持っていた剣を地面に突き刺した。
拡声の魔術の合図だ。
魔術兵隊の1人は拡声の魔術のために付いてきて貰っている。
すぐに拡声の魔術が見え始める。
ボクの目の前に巨大なメガホンのような半球の魔術が現れた。
その半球の中に強い風が流れ込んでくる。
更に、ボクの口元から集団に向けて風が流れはじめた。
こういう仕組みで拡声するのか。
風上からメガホンを使うみたいな感じかな。
そんなことを考えながら、ボクは声を出すために息を大きく吸い込んだ。
「貴方たちは農奴でしょう! 何をしにきたのですか!」
ボクなりに威厳を持って声を張り上げる。
これってどこまで声が届いているんだろうか?
集団は横に長いので両端と後ろの方には聞こえてないとは思う。
ざわめきが納まるのを待ってまた声を張り上げた。
「もしも、貴方たちがローマを攻撃したのなら『天罰』が下ります」
天罰を強調した。
ちゃんと意味を分かってくれるかなと思いながら威厳を保つ。
反応はいろいろだったけど全体的には戸惑ってる感じだ。
「見なさい。これが『天罰』です」
ボクは剣を右斜め上に振り掲げた。
すぐに右側に対して旋風の魔術を発動する。
一旦、強い風がぶわっと周りに広がってから、空気の流れが反転して吸い込まれていく。
しばらくすると巨大な渦巻きが見えてきた。
その頃には農奴たちの目はその旋風に釘付けになっていた。
相変わらずこの旋風の魔術はものすごい。
発動したボク自身が見てて怖いし。
ボクは彼らが死を感じる位置まで、旋風を動かした。
剣を少し動かして旋風の操作をしている演出も加える。
更に右の旋風を消さないまま、左側にも同じことを繰り返した。
旋風を同時に2つ使っても問題なさそうだ。
その後、魔術を止めて2つの旋風が消えるのを待った。
消えるまで時間掛かったのでビクビクしていた。
目を閉じて「ひとつ」と数えながら息を吐いたおかげで慌てずに済む。
ボクはもう一度、剣を地面に刺した。
すぐに拡声の魔術が発動する。
「ローマを攻撃すれば、今の『竜巻』が貴方たちを吹き飛ばします」
再び声を張った。
彼らの様子から予想以上の恐れが伝わってきた。
農奴なら自然の恐ろしさも知ってるだろうから効果があるのかも知れない。
「今、引き返せば助けてあげましょう。さあ、生きるか死ぬか選びなさい! テンカウントだけ待ちます。10! 9! 8! 7!」
カウントを始めると、前列の方からパニックになるように引き返し始めた。
あれ? 背水の陣は?
ただ、農奴をここまで率いてきた反乱軍側の人間がなんとかそれを止めようとしているみたいだ。
「6! 5!」
一度パニックになってしまうとそれくらいで止まるはずもない。
パニックは伝染していく。
さすがに何万人かが同時に走り始めると地響きのようなものまで聞こえてきた。
その中で、反乱軍側の剣を持った人たちが後ろから逃げる農奴たちの背中に剣を振るい始めた。
――は? 何を。
瞬間的に怒りが沸く。
「楯を借ります」
普通に飛んだんじゃ遅い。
ボクは楯を45度に傾けて水平に飛んだ。
普段なら地面スレスレで風の勢いだけで飛ぶようなことは怖くて出来ない。
でも、今は苛立ちが勝る。
そのまま、剣を振るっていた何人かに突風の魔術をぶつけて吹き飛ばしまくる。
その後、怪我をした人たちを止血していった。
背中からの傷だったからか、太い血管や内臓への傷はなく止血でなんとかなる。
赤血球の流れを感知し、その場所の電子を逃がしロックオンしたままバチバチと剣の電子を同時に飛ばしていく。
「――ん」
目に太陽の光が飛び込んできた。
東から朝日が差し始めたみたいだ。
まずい。
まだ東門だけだ。
時間を掛けすぎたか?
事前に丁寧語さんから戦いの合図は日の出かも知れないと教えてもらっている。
通信手段も携帯できる正確な時計もないこの世界では、連携をとる手段が限られる。
その手段の1つが日の出を合図にする方法だ。
日差しは東から西にさーっと広がっていき、野営地を照らしその向こう側まで照らしていった。
ギイイイイイイイイイ!
なんだこの耳障りな音は?
一帯に黒板を定規で引きずったような嫌な音が響きわたる。
どこから聞こえてきたのかも分からない。
うぉぉぉぉおお!
今度は北側から声がしてきた。
声は止むことなく続いている。
北門側に居た鉱山奴隷の集団が攻め始めた?
もう北門側の彼らを説得している暇はない。
「さあ、元居た場所に帰りなさい。貴方たちの主人には罰を与えないように言っておきます」
ボクは最後に止血した人に少しだけ振り向いて言葉を掛けた。
そして、すぐに楯を45度傾けて飛ぶ。
目指すのは北門へ攻めてくる鉱山奴隷たちだ。
地響きを立てながら北門に向かっている。
こっちも何万人いるか分からない。
ボクは集団の前を滑るように飛んでいきながら突風の魔術を彼らに当てた。
彼らの先頭から3分の1くらいが吹き転がり彼らの進軍は止まる。
よし、これを繰り返せばさすがに戦う気もなくなるだろう。
強引だけど実力行使で退いて貰おう。
もう一度彼らに風を当てようと引き返す瞬間、楯に当てていた風が消えた。
――な!
ボクはそのまま楯ごと地面に着地してかなりの距離を滑り転がった。
何が起きた?
≫何だ?≫
≫音からして地面を転がったような≫
≫おいおい、大丈夫かよ?≫
≫魔術無効かも知れませんね≫
「大丈夫です」
少し肩が痛むくらいだ。
あと、肌の出ていた腕は擦りむいている。
地面に草が生えていてよかった。
鎧のお陰もあると思う。
≫無事でよかったです≫
≫思ったより早いですが予想通りですか……≫
「はい」
そこに馬で近づいてくる影が2つ。
その内の1人は第六席だろう。
ボクが旋風の魔術を使ってからすぐに彼が現れることは予測済みだ。
反乱軍にとって驚異なのはボクの魔術。
でも、魔術を使うボクはどこに現れるか分からない。
魔術兵隊だと移動に時間が掛かってしまう。
だから、フットワークの軽い第六席がボクの居場所が分かったらすぐにやってくる。
ボクは背中の剣を確認した。
鞘は背中に固定してあったため剣は無事だ。
ボクはその第六席から借りた剣を鞘から抜く。
鞘は間に合わせで作ったらしく抜くときに抵抗があった。
ボクが吹き飛ばした鉱山奴隷たちはすぐに動き始めるだろう。
正面からはボクより強い第六席が近づいてきている。
この状況でボクは魔術が使えない。
――あれ?
「もしかしなくても、ボク詰んでますよね?」
≫今、どういう状況だ?≫
≫逃げてー≫
魔術なしで馬相手に逃げるのは不可能だ。
じゃ、第六席と戦うか?
第六席だけなら何十秒かは持つかもしれないが、もう1人いる。
もう1人もたぶん強い。
戦術的に考えれば、ボクとレンさんを第六席とその1人で相手にするためだと予想できるからだ。
その2人相手にボク単独で戦うのは無理だろう。
レンさんと離れたのは間違いだったか。
「ダメ元で集団に突っ込みます」
≫リスクは高いですがそれしかないですね≫
≫中なら少しは魔術も使える可能性もあります≫
そうか。
人の隙間は外から見えない。
見えなければ、魔術無効を使うのは難しいはずだ。
中に入ってさえしまえば、威力はともかく突風の魔術は使えると思う。
ボクはすぐに集団に向かって走った。
地面に転がっていた彼らの混乱は収まりつつある。
武器は――ツルハシか。
剣が相手の場合より対処が難しそうだけどやるしかない。
――体力持つかな?
「なんだぁ?」
「女?」
構わず突っ込む。
人の間隔は大体1.5メートルくらい。
彼らは訓練してないからか、いきなりツルハシを振り下ろしてきたりはしない。
人に武器を向けるのって慣れか覚悟が必要になるからな。
「捕まえろ!」
先読みで邪魔を全て掻い潜ってから、突風の魔術を前後左右に乱れ撃つ。
こういうときなら2方向に分かれて突風が起こるのは有用かも。
「くっ、また風か」
ただ、彼らを吹き飛ばすことは出来ない。
2、3メートル煽って後退させ、風圧で近づかせないようにするのがやっとだ。
マズい。
想像以上に威力が小さい。
ボクの周りに空間が出来る。
でも、これも長くはもたない。
密着されて詰め寄られたら空間は狭められる。
前後左右を人の壁で詰め寄られたら、立ち回りではどうしようもない。
もう少し威力があれば……。
いや、出来ないことを嘆いても仕方がないか。
この威力で出来ることを考えよう。
前から2人、後ろから1人向かってきたので横から風を当ててみる。
煽られて大きく進行方向が変わるけどそれだけだ。
横だと当たる面積が小さいからか。
次に、彼らに何度も突風の魔術を使った。
すると大きく後ろによろめいていった。
確かに、無風と強い風が交互に来る方が対応しにくい気がする。
ボクは群がってくる集団の中で道を切り開こうと突風の魔術のオンオフを繰り返した。
ボク自身の足が止まっていると追いつめられるので、少しずつ場所を移動していく。
ただ、このままだとダメだ。
いずれ密集されて潰される。
せめて、倒れるようには出来ないか?
なんだっけ?
人は姿勢制御という方法で倒れずに立ってられるんだっけ?
あれ? 倒れる?
今朝、18位の人と戦ったときのことを思い出す。
確か、顔に剣先を突きつけたらストンと倒れた。
その閃きで急に頭が回り始める。
あのときコメントしてくれたのは武術家さんだと思う。
コメントではまず相手の重心線を身体の外に出すように言われたはずだ。
その状態で顔に剣先を突きつけて追いつめていったらストンと倒れた。
相手の重心線を身体の外に出すのは、関節の余裕をなくすためだと理解している。
最初に18位の人と戦ったときにボクのこの身で体験した。
あのときは連撃で身動きがとれなくなっていた。
ストンと倒れたのは、身動きが取れない状況で、重心線が支持基底面の外に出たからだと思う。
重心線が基底面の外に出たのは、たぶん頭の重みのせいだ。
つまり、頭――顔にだけ突風を当てればいいんじゃないだろうか?
今の突風の威力でも、顔だけに当てるなら十分なはずだ。
ボクはすぐに顔に向けて次から次に突風をぶつけていった。
初めてするはずなのに不思議と手慣れている。
顔を意識を向けただけで突風を放てるので1秒間に5人はいける。
自分のことながら驚く。
突風を顔に当てると顎が上がる。
その場で顎が上がる人もいれば、よろけて顎が上がる人もいる。
ただ必ず動きは止まった。
――金縛りみたいだ。
その上でもう一度、顎を中心に突風を当てると多くの人がお尻から落ちる。
いける気がした。
これに賭けるしかないか?
ボクは剣を下げて構え、胸の揺れを最小限にする動きで移動する速度を上げた。
後ろだけ空間認識しつつ、目の前は目視で顔をロックオンして動きを止めあるいは倒していく。
怖いのは足下だ。
数こそ多くないけど、倒れた人が進行方向の近くに居ると足を掛けてきたりする。
それは先読みで避けた。
パンとタンの中間くらいの空気の音が連続していく中、ボクは脳をフル回転させて進んでいった。
なんのためにこんなことやってるんだっけ? と疑問が浮かんだけど絶体絶命から逃げるためにやってることを思い出す。
その間にもバタバタと人が尻餅を付いていく。
慣れてくると突風を当てる角度も分かってきた。
両足の踵を結んだ線と垂直になるようにすると、より確実に倒せる。
この角度なら1回の突風で倒せる場合もある。
更に突風を収束することも出来てしまった。
イメージは逆向きのメガホン。
収束と言っても、直径1メートルくらいの範囲を顔の大きさに集まるようにするくらいだ。
でも、これの効果はかなり高い。
収束した風を踵を結んだ線と垂直に当てれば1度の突風で倒せる。
しかも、お尻から落ちるとかじゃなく背中から落ちる。
ペースが加速していく。
倒れて出来た空間を利用して、普通の突風の魔術を四方八方にぶつけたりもする。
空間が広いと突風の威力が強烈なものになり、何十人も吹っ飛び転がる。
そうすると、更に空間が広がり吹っ飛ばせる人数が増えていく。
連続した気持ちの良いリズムと、思い通りにいくその様子に気持ちよくなってきてしまった。
顔が火照ってるのが分かり、何か身体の奥がむずむずしてきてしまう。
マズい。
このままだと戦場で気持ちよくなる変態になってしまう。
ボクは頭を振って目の前に集中することを心がけた。
そんな中、顔に突風を当てていく様子が止血のときの魔術に似ていると気づく。
あれも赤血球が出ている場所をロックオンして同時に剣から血管の破れた場所に電子を移動している。
それを意識すると、また効率が上がった。
1人1人ロックオンするんじゃなくて、数人ロックオンしてそこに同時に突風をぶつける。
でも、その気持ちの良い無双も終わりを向かえる。
唐突に魔術が使えなくなった。
「アイリスさん。キミのことはずいぶん高く評価していたんだよ? でも、その評価するということ自体が私の驕りだったようだね」
低音だけど爽やかな声が聞こえる。
印象的な聞き覚えのある声。
――まさか。
振り向いた先には馬に乗る第六席とそして……。
反乱軍のリーダー、シャザードさんが馬上から穏やかにボクを見ていた。




