第6話 皇妃エレオティティア
警備に捕えられて、馬車の前でしばらく待っていると、初老でいかにも執事といった男がやってきた。
「皇妃はこの者と入ってくるようにおっしゃっていたか?」
「はい」
「この者に対して他に言づては?」
「いえ」
「分かった」
物腰は柔らかなのに凄みというか雰囲気がある。
「お初にお目にかかります。私はエレオティティア皇妃の付き人を任されてるユミルと申します」
≫名前がユミルだから女の子かと思った!≫
≫これはこれであり≫
≫コウヒは皇妃でいいんだよな?≫
「えーと」
しまった自分の名前を考えていなかった。
……ライブ配信で名乗ってるアイリス・ラキピのアイリスでいいか。
意味は知らないけど大丈夫かな?
映画館につける名前だから大丈夫だと思うけど。
「アイリス、です。はじめまして。よろしくお願いします」
作法とか分からないけど、頭を下げる。
「アイリス殿。では、参りましょうか」
ボクは馬車の中の怪物のことが気になり、躊躇する。
「いかがしました?」
「——なんでもありません」
ボクはユミルさんに導かれて、馬車へ入っていった。
馬車に入ると、思った以上に広く、まるで部屋の一室のようだった。
内装も豪華だ。
そんな中、皇妃がリラックスした雰囲気で寝そべっている。
その横に女中さんのような人が2人いた。
取り調べという雰囲気じゃない。
「まず、お前。いつ殺されても仕方ないことは分かってる?」
微笑みながら恐ろしいことを言われる。
「はい」
「良い心がけね。なんであそこに居たの?」
「はい。部屋に連れてこられて、その、なんて言うかある方に嫌なことされそうになったので逃げだしました」
あの襲ってきたミカエルとこの皇妃は親子だと思う。
だからミカエルを悪く言わないように言葉を選ぼうと頑張ってみた。
あまりいい風には話せなかったけど。
「嫌なこと? ああ、お前、犯されそうになったんだね? ふふ。誰に犯されそうになったの?」
「それはその」
「当ててあげよっか。ミカエルでしょ? 全くあの子は」
ご機嫌な様子で、呆気なくミカエルの名前が出てくる。
「それでお前はどこから来たの? ローマ市民?」
皇妃は鋭い眼光でボクを見ながら言う。
気圧される。
下手に嘘をつくと突っ込まれてしどろもどろになりそうだと思った。
「日本という東の果てにある国からです」
「ニホン? ユミル、知ってる?」
「いえ、存じ上げません。東の国というと、シナエですが、更にその先に国があるのかも知れません」
「ふうん。とにかく、お前は外国人ってことでいい?」
目だけこちらに向けてくる。
「はい」
「証書は持ってないとして、保護者とかはいる?」
「いえ、いません」
「ふうん。じゃ、奴隷扱いね」
「はい?」
「奴隷よ、ド・レ・イ。ユミル、説明してあげて」
「はい。ローマの法律では、身よりや証書のない外国人は、奴隷と同一の扱いを受けます」
口を開けるが何も言葉が出てこなかった。
ボクが奴隷?
≫ひでえ≫
≫マジでやばない?≫
≫ラキピどうなんの?≫
「その場合、所有者はその都市となります。もし、後に他国の保護者が現れた場合、その保護者が十分な買い取り金額を支払う必要があります。自分で自分を買い取るという方法もあります」
「失礼します」
ショックを受けている途中で、外から護衛の声がした。
「その、ミカエル殿下が——」
「失礼しますよーっと」
絶対に思い出したくない男、ミカエルが馬車に入ってくる。
「恐れながら、失礼ではないですか?」
ユミルさんが、皇妃を隠すように、ミカエルの前にすっと入り込む。
「うん。だから失礼するって言ってるじゃない。すぐ済むからさ。お義母様、ちょっといいですか?」
ミカエルが笑ったままボクを見る。
嫌悪で鳥肌が立った。
「ユミル。耳を貸す必要はないから追い出しなさい」
「はい」
「ちょ、ちょっと待ってってば。ほら、アーネス兄さんも入ってきてよ」
「失礼します」
アーネス殿下が馬車に入ってくる。
広い馬車とはいえ7人もいるとさすがに手狭だ。
「アーネス。お前までなに?」
「いえ、その」
アーネス殿下はボクをチラッと見る。
≫やはり惚れたか≫
≫玉の輿か!≫
いや、もう奴隷のこともあるのに、男に惚れられるとか勘弁して欲しいんだけど。
「——2人とも、この者にご執心のようね」
ため息をつきながら、皇妃が言った。
そして、言葉を続ける。
「分かりました。今日はもう遅いから、この者については、明日ここにいる全員で話し合うことにしましょう」
一瞬、皇妃の瞳がギラついたような気がして寒気がした。
「あ、ありがとうございます」
アーネス殿下は嬉しそうにしている。
彼は素直な性格なのかも知れない。
「ミカエルもいい?」
「仕方ないなあ。明日までこの子のことをどうするつもりですか?」
「この子たちにでも任せて、明日まで過ごしてもらうつもり」
左右の女中さんを見る。
「うーん、じゃ、お任せするしかないかな」
しばらく女中たちを見ていたミカエルは肩をすくめる。
「ユミル、2人を見送りなさい」
「はい」
皇妃がユミルさんにそういうと、2人とも否応なく出ていくことになった。
「それで、お前の処遇だけど、奴隷は嫌?」
「えっと? それはそうです」
皇妃が怖いので緊張しながら話してしまう。
「ローマでは奴隷が自分でお金貯めて自分を買い取れるってことは知ってる?」
「いえ、知りません」
「皇宮で働いても数十年掛かるけどね。お前はどうしたい?」
僅かに皇妃が笑う。
≫この女信用できないと思うんだが≫
≫確かに≫
コメントが流れる。確かにそう思う。
でも、だからといって逆らうのは怖いんだよな。
「聞いてる?」
「はい」
考える時間が欲しいんだけど、それ言うと機嫌損ねそうだと思った。
母さんもそのタイプなのでなんとなく分かる。
ところで、皇妃の隣にいる女中さんたちも奴隷なんだろうか?
確か、昔は主人に団扇で風を送るだけの奴隷がいたとか聞いたことがある。
「皇宮で働かせてくれるなら……」
怒らせる前にと思って、思考がまとまる前に答えていた。
そのボクの応えに、皇妃は少し眉を寄せている。
「それって奴隷でいいってこと? さっきは奴隷が嫌って言ってなかった?」
「考えたら奴隷になるしかないなと思い直しました」
「ふうん——」
皇妃はそうつぶやいて、何か考えてるようだった。
そして笑う。
「それなら、今から挨拶に行かせましょう。ユミルを呼んできて」
女中の一人に声を掛けると、彼女はすぐに立ち上がって外に出ていった。
「挨拶ってどこへですか?」
「奴隷を管理してるところ。行けば分かるから。ユミルが戻ってくるまでそこで大人しくしてて」
そう言われてボクはユミルさんが来るまで大人しくしているしかなかった。
「失礼いたします」
しばらくしてユミルさんが戻ってくる。
「この者を、フベル——いえ、ヌメリウスのところへ連れていきなさい」
その後、長い間があった。
あれ? と思ってユミルさんの方を見ると返事が聞こえてくる。
「はい。承知いたしました」
≫何だ今の間≫
≫行っちゃダメなパターンでは?≫
≫ヌメリウスw≫
≫ヌメヌメしてそう≫
「——着いてきてください」
さっきまでは話をするときは目を合わせてきたのに、今は目をそらしたままだ。
コメントの通り、不味いことになるかもしれないと思い始めた。
でも、味方もいないし逃げられそうもない。
ボクは、結局ユミルさんに着いていくしかないと思った。
次話は明日の午後8時頃に投稿する予定です。