第62話 一本化
戦いの翌日。
ボクは司令官が殺されたという声で目覚めた。
カウダ隊長は急ぎの会議があることを伝えて外に出て行く。
外を見ても、野営地に敵が入り込んできたという慌ただしい雰囲気ではない。
ただ、一晩明けてもまだ雨は降っていた。
それにしても昨夜元気に話していた人間が亡くなっているというのはショックだ。
殺されたというけど誰にだろうか?
「見てる人、誰かいますか?」
手のひらを左目に向けて話しかける。
≫いるぞ≫
≫いる≫
「よかったです。おはようございます。司令官が殺されてしまったって話があったんですけど、軍がこれからどうなるか分かりますか?」
≫おはよう。誰かが引き継ぐんじゃないの?≫
≫分からん≫
「撤退という訳じゃないんですね」
≫討伐軍だし戦える内は撤退はないんじゃ?≫
「どういうことですか?」
≫反乱軍を鎮圧可能な内は撤退しないってこと≫
≫勝てる見込みがなくなれば撤退するかもだが≫
≫完全に憶測だから隊長にでも聞いてくれ≫
「ありがとうございます。分かりました」
≫司令官は誰が殺したんだろうな?≫
≫昨日、首席副官が絡まれてたがまさか≫
≫おいおい、さすがにそれはないだろw≫
「首席副官が犯人ということはないと思います。食事のときは落ち着いてましたし」
≫他人の本心なんて分からんもんさ≫
≫斜に構えてんなあw≫
≫それより朝の準備はいいのか?≫
「あっ、忘れてました。ありがとうございます」
髪も埃っぽいから洗わないと。
昨日は身体だけ拭いて寝ちゃったからなあ。
野営地は水が冷たいので、養成所のお湯が使い放題だった頃が恋しい。
綺麗な水があるだけでも感謝しないといけないとは思うんだけど。
ボクは外に出て顔や髪を洗う。
昨日からの雨は小雨になっていた。
洗いながら司令官のことを考えてしまう。
どうして殺されたんだろうか?
いつ誰に?
敵の仕業だろうか?
これまで何をしてきた人だったんだろう?
家族はいたんだろうか?
顔を傾けて髪を搾っていると、隊長が慌てて戻ってきたのが見えた。
髪をタオルで拭きながらボクも急いで戻る。
「どうなりました?」
「ん? ああ、頭洗ってたのか。部屋から返事がないからトイレにでも行ったのかと」
≫おい、デリカシーw≫
≫軍人のオッサンだしこんなもんだろ≫
「昨日はいつの間にか寝ちゃってましたからね。それより会議はどうなり――」
「状況は最悪だ。司令官を殺したと思われる剣がフィリップス首席副官の部屋から出てきたらしい」
「は?」
「俺も全く同じ反応したよ。昨日は、首席副官が自分に出来ることをすると前向きだったの見てるからな」
カウダ隊長の言葉で昨日の別れ際の彼の様子を思い出す。
思い詰めた感じはなくて、やる気に満ちあふれていた。
≫ハメられたんじゃ?≫
≫推理モノなら確実にシロのパターンだからな≫
≫ハメられたとすると工作の可能性もあるか≫
≫工作ならローマ軍やばいんじゃ?≫
工作?
確かにその線もあるかも。
「――すみません。ちょっとお手洗い行ってきます。長くなるかも知れませんけど」
「おい、待て。何をするつもりだ? 嫌な予感しかしないんだが」
ボクは隊長に笑顔だけを残して外に出た。
小雨はまだ降っている。
出ると同時に手のひらを左目に向けた。
「工作の話、ボクもあり得ると思います。情報を集めたいので、首席副官のところに行こうと思います。行ってもいいと思います?」
≫いや、止めた方がいいんじゃないか?≫
≫俺も疑われてるとこに直接行くのは反対だな≫
≫あのナッタってのには接触できないのか?≫
「ナッタさんですか。明日なら包帯兵の会議があるので接触する機会もあると思うんですけど、今は連絡方法がなくて」
≫慌ただしいですけど、どういう状況ですか?≫
≫お、丁寧語氏?≫
≫はい。そうです≫
≫司令官が殺されたらしい≫
「はい。あと、首席副官の部屋に凶器と思われる剣があったみたいです。それで彼が犯人と疑われてるかも知れません。コメントで敵の工作の疑いがあるという話が出たので、ボクはこれからそのことを調べようとしています」
≫説明感謝です。工作はあり得ますね≫
≫マジか≫
≫司令官は軍に奴隷を連れてきてるはずです≫
≫昨夜の会議だと彼は属性で差別する方ですね≫
≫その彼の奴隷が反乱軍に協力したとすると?≫
「なるほど。まずは司令官の奴隷がどこに行ったか突き止めればいいんでしょうか?」
≫そうですね≫
≫次に首席副官の現在の状況でしょうか?≫
≫あと工作の場合、かなり状況は悪いです≫
≫すぐに反乱軍が攻めてくるかも知れません≫
「え?」
≫理由を説明します≫
≫工作だった場合、指揮系統の混乱が目的です≫
≫指揮系統を混乱させる目的は2つです≫
≫敵が優位に攻めるためか、時間稼ぎですね≫
≫そして攻めるなら混乱の最中が効果的です≫
≫つまり攻めるなら今ですね≫
コメントを見て血の気が引く。
「その場合、何をすればいいんでしょう?」
≫早急に指揮系統を一本化する必要があります≫
指揮系統の一本化か。
司令官の次に偉い人が誰かも分かってないボクに何かできるんだろうか?
頼れる可能性がある首席副官は犯人扱いで会話できるかどうかすら分からない。
――どう考えても何もできそうにない。
「指揮系統には手が出せそうにありません。ボクは何をしたらいいんでしょう」
すがるように言ってしまう。
≫まずは敵の工作かどうか確定させてください≫
≫どうにもならなかったら逃げればいいんだし≫
逃げるという言葉が見えて、そのことを全く考えていない自身に気付いた。
多分、みんなを見捨てたくないんだと思う。
それがどんな感情から来てるのかは分からないけど。
「――多少、強引にいってもいいですか?」
気持ちが決まったからか、思っていたよりも低い声が出る。
≫今は完璧な回答よりもスピードが命です≫
≫強引にいってください≫
≫ダメそうでも俺らがフォローするから≫
「ありがとうございます。では、リスク覚悟で首席副官の部屋に行ってみます」
場所が明確に分かるのはそこだけだ。
司令官の部屋の場所は分からない。
ボクは小雨の中を駆けていった。
すぐに首席副官の部屋――というか住居に到着する。
何人もの兵士たちが仁王立ちで並んでいる。
「お疲れさまです。急ぎで首席副官に伝えたいことがあるのですが通してもらっていいですか?」
「ん? いや、ダメだ」
即座に断られる。
「そうですか……。では、この状況を指示した人がこの場所にいるかだけでも教えてもらえますか?」
「指示を行ったのは陣営監察官だ。ここにはいない」
「ありがとうございます」
ボクは一礼して引き返した。
断られてしまったけど、情報は得た。
陣営監察官という役職の人がいるのか。
その人が今一番偉いのかな?
≫陣営監察官は元百人隊長のはずです≫
≫戻って隊長に聞いた方が早いと思います≫
≫おい、詳しいなw≫
「そうなんですか?」
≫私の知ってるローマ軍団ならですけどね≫
「助かります!」
ボクは急いで戻っていった。
戻る途中でこれからまた会議というカウダ隊長に会う。
隊長には、司令官が殺されたのは敵の工作の可能性があることを中心に話した。
反乱軍が攻めてくる可能性があることと、それを迎え撃つために指揮を一本化する必要があることも伝える。
「――言われてみるとそれらの可能性はあるな」
「はい。当たりだった場合、対応の遅れは致命的になりかねません」
「分かった。俺の方からも陣営監督官に伝える」
隊長が歩き始めたのでボクもそれに付いていく。
「指揮の一本化は難しいかもな。俺ら歩兵はいいんだが騎士の連中がな」
≫身分としては貴族の下が騎士のはずです≫
≫軍では騎兵を担っていると思います≫
ボクのレベルに合わせたコメントでの注釈がありがたかった。
「陣営監督官が指揮すると騎兵隊の扱いが難しいということですか?」
「ああ。普通の戦いならともかく、今回みたいに予想外のケースだとな。しかも首席副官が生きているとなると更に難しくなる」
「首席副官の指揮だと大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。貴族の議員様だからな」
≫なるほど、そうでしたか≫
≫今の情報で工作の可能性が上がりました≫
≫どういうことだ?≫
丁寧語さんによると、指揮系統の混乱を狙うのは戦略の基本らしい。
現在のローマ軍には、首席副官が司令官を殺したことにすれば指揮系統が混乱する土壌がある。
敵がそのことを知っていれば、当然狙う可能性が出てくるとの話だ。
ボクには分かったような分からないような感じだけど、なんとなく納得はできた。
「あと、もう一つカウダ隊長にお願いが――」
「お願い? 嫌な予感しかしねえぞ……」
「おっ、アイリスじゃねーか!」
ひときわ大きな声で名前を呼ばれる。
見ると、大柄な人がこっちに手を振っていた。
「――鉄壁のヘルディウスか。仲良くなったというのは本当だったんだな」
向こうが人懐っこいだけな気がする。
ヘルディウスさんは立ち止まっているので、僕たちが歩いて近づいていった。
「ヘルディウスさん、おはようございます」
「おう。昨日は大活躍だったみてーだな」
「昨日のこと? アイリスが活躍したなんて話は公式には認められてないはずだぞ?」
カウダ隊長が言った。
「アイリスんとこの隊長さんか?」
「ああ。よろしく」
「おう。ヘルディウスだ」
「支援軍の百人隊長、カウダだ。もしかしてこの会議に呼ばれてるのか?」
「そーみてえだな。今の陣営監督官にゃ昔世話になったからなあ」
「ヘルディウスさん、陣営監督官と知り合いなんですか?」
「おう。世話になったつーか世話したっつーか。ま、俺を買ってくれてた人だな」
「ならお願いがあります!」
ボクは姿勢を正してヘルディウスさんに向き合った。
「お願い? ほーお? なんだか面白そうだな」
「面白そうかどうかは分かりませんけど、首席副官が司令官を殺したと疑われてるのは知ってますか?」
ボクは歩きながら話しましょうと言って、その殺しそのものが敵の工作であることと、敵が今にでも攻めてくる可能性を話す。
「なるほどなあ」
ヘルディウスさんは腕を組んだ。
「確かにくせえな。そもそもあの坊主は直接人を殺したことねー気がするわ」
口をひん曲げながら頷いている。
「そういうのって分かるんですか?」
「ああ。アイリスも殺したことはねーだろ? 人殺しは強者とは違う雰囲気がある。例えばそこのカウダ隊長やアイリスんとこの副隊長は顔色一つ変えずに人を殺せるタイプだ。俺もだけどな」
「そうだな」
カウダ隊長が頷いた。
「まあ、今の坊主を見れば司令官を殺したかどうかは分かる。さっさと済ませてここを守る準備するかな」
「指揮の一本化はできそうですか? 騎士の人たちも指揮できる状態にしておいた方がいいと思うんですけど」
「どーいうことだ?」
「それは俺が説明しておくから心配するな」
カウダ隊長が苦笑していた。
「ありがとうございます」
「会議って話だったが、俺がパパッと言ってババッと終わらせるからよ。アイリスは外で待ってろ」
「外で待つ、ですか?」
雨はほとんど霧雨になっているけど濡れたまま待つのはちょっと嫌だった。
「会議のあとに坊主に説明するのはアイリスが一番だろ? じゃあな」
どうして包帯兵のボクが説明するのが一番なのか分からない。
話をするなら、立場が上の人の方がいいんじゃないだろうか?
カウダ隊長も苦笑しながらボクに手を振る。
頼もしいんだか頼もしくないだかよく分からないまま、ヘルディウスさんとカウダ隊長は建物に入っていった。
≫勘で生きてるタイプっぽいな≫
≫意外と本質捉えてるっぽいのが侮れない≫
≫アイリスも説明の内容考えておけ≫
「――そうですね。相談させてください」
建物に入っていく人が周りにいるので、小声で配信に向けて言った。
ちらちら見られるので、入り口とは逆の方向に向かう。
しばらくすると、建物の中からヘルディウスさんの大きな声が漏れ聞こえてきた。
遠くでプォーという小さな音も聞こえてくる。
どうしたんだろうと思いながらも、コメントの人たちと説明の順序とか根拠について話し合った。
そんな中、慌てて会議中の建物に入っていく兵士の姿が見えた。
≫ずいぶん慌ててるな?≫
≫何かあったのか?≫
その後、建物の中から声が飛び交っているのが聞こえてきた。
怒鳴り声じゃなくて戸惑いを感じるざわめきだ。
「アイリスぅー! どこだー?」
大声にビクッとなる。
ヘルディウスさんだ。
「こ、ここにいます。それより何があったんですか?」
また叫ぼうとしているヘルディウスさんに駆け寄って、呼ばれるのを止めた。
「いたか。捕虜が逃げたらしい」
逃げた?
養成所から剣闘士が逃げたときを思いだす。
「ウチの軍側の怪我人はいますか?」
「怪我人? 分からねえ」
「どっちから逃げたって聞いてます?」
「南門だ」
「ありがとうございます。応急処置に向かいます」
「おい!」
ボクは南門に向けて駆けた。
空を飛べたら速いんだけど楯がなくて出来ない。
ブラはしてるけど、今はタオルを巻き付ける程度の仕方だから胸が揺れて走りにくい。
なんかブラも外れそうだし。
外れると濡れているシャツに形が出て嫌なのもあるけど、単純に痛いんだよなあ。
仕方なく、片腕で胸を下から押さえつけるように支えながら走っていく。
見られても押さえてるってばれないようにしながら。
南門は、会議していた建物からはかなり遠かったので、時間が掛かったけど休まずに到着できた。
10人くらいが座り込んで怪我した場所を押さえている。
命に別状はなさそうでほっとした。
「ふぅ、ふぅ。包帯兵です。怪我人はここにいるだけですか?」
「ああ、そうだ」
「他の医師か包帯兵は来てますか?」
「今、呼びに行ってるが……。あんたは呼ばれてきたんじゃないのか?」
「自主的に来ました。では、止血します」
ナイフを持っていなかったので借りる。
酷そうな怪我を中心に、痛みを止めて止血していった。
「逃げ出した捕虜は何人くらいでした? 怪我したということは剣を持っていたんですよね?」
止血しながら情報も集めようと話しかける。
「あんたが噂のミネルウァの化身か」
「ミネルウァの化身――ですか?」
前にもそんなこと言われてたような。
「少なくとも支援軍の中じゃすげえ噂になってるぜ? 医術、戦いの腕は超一流で超美人。もうミネルウァの化身以外考えられないってな」
「そういうのじゃないですから。はい、止血は終わりです。念のため病院の方にも行ってください」
ボクは次の兵士を止血しながら、情報を聞いていった。
脱走した捕虜は20人から30人だったという。
意外と少ないなと思った。
かなり強く、全員が鉄の剣を持っていたらしい。
逃げたのは元剣闘士かもしれない。
あと、丁寧語さんが捕虜の格好ではなく、もっと身なりの良い者がいなかったか聞くようにコメントしてくれたのでそれも聞いた。
話によると2人、明らかに捕虜の格好と違うものが脱走していったようだ。
≫工作の可能性がかなり高くなりましたね≫
≫司令官の奴隷かどうかはまだ分かりませんが≫
工作の可能性が高いということは、すぐに反乱軍が攻めてるということだ。
はやくしないと。
「脱走した捕虜を追撃してる人います?」
「いない。怪我人が多かったしな」
顔を上げて門の先を見る。
霧雨でほとんど先が見えない。
門の反対側に視線を移すと、看護用の箱を持っている包帯兵の人が2人走ってくるのが見えた。
「ありがとうございます。包帯兵の人たちが来たみたいなので彼らに引き継ぎます」
「あ、ああ。こちらも助かった」
ボクは包帯兵の2人に応急処置として止血だけしたことを報告してその場から去った。
捕虜が脱出してから10分は経っていない。
南門からだと反乱軍の街に着くまで10分くらいだろうか?
反乱軍にはもう情報は伝わりこちらに向かってる可能性すらある。
――残り時間は少ないな。
「反乱軍が到着するまで何分くらいだと思いますか?」
走りながら手のひらを左目に向ける。
≫20分から40分じゃないでしょうか?≫
「ボクも同じくらいと考えていました。それまでにすべきことって何があります? ボクの考えでは、時間的に陣営監督官に指揮を一本化するのがいいと思ってます。首席副官にも頑張ってもらいますけど」
≫なるほど、それもいいかも知れません≫
≫『それも』って丁寧語氏は違う考えか≫
≫一本化は首席副官で考えてましたね≫
≫でも実際に説得する人の意見の方が重要です≫
≫そういうもんか≫
≫あとは皆でフォローして成功させましょう≫
≫応ッ!≫
≫おう!≫
妙に一体感があるのはコメントの書き込みに制限があるからだろうか?
ともかくありがたい。
ボクは親指を立てて左目に向けた。
会議をしていた建物が見えてくる。
カウダ隊長が居てボクに気が付いたようだった。
これからは僅かな時間とボクの判断が軍の命運を決めるかも知れない。
迷いはある。
養成所が同じだった元剣闘士の人たちが死んだりするのは嫌だ。
でも、ローマ軍の人たちが死ぬのも嫌だと思う。
敵に死んで欲しくないなんて兵士としては間違っているけど、現剣闘士の包帯兵としては間違ってないと自分に言い聞かせる。
とにかく、今は守るために出来ることをする。
ボクは拳を握り、静かに決意を固めていった。
次話は来週のどこかで更新予定です。




