第61話 司令官
ひとまず戦いは終わった。
味方の援軍たちが敵兵を捕らえる中、ボクは敵の隊列を突破した仲間たちの応急処置を行う。
彼らは全員無事だった。
ボクが抜けたあとも密集して亀のように楯で守っていたらしい。
本当によかった。
仲間たちの怪我は打撲の傷が多い。
打撲は内出血なのでボクの電気の魔術が届かない。
だから包帯を巻いて圧迫し、内出血の量をコントロールするしかなかった。
ヘモグロビンは見ようと思えば見られるので、血流の量を見るときに使わせてもらってるけど。
「まさか、こんなことになるとはな」
包帯を巻いていると、仲間の1人にそう苦笑された。
周りを見渡しているので、敵を吹き飛ばしまくったことを言っているんだろうか。
「嬢がやったってことでいいんだよな?」
「はい。それが出来たのはみなさんが命懸けで守ってくれたからですけど」
どう反応したらいいか分からないので、事実だけ話しておく。
「謙遜すんなよ。助かったぜ。この包帯ももちろん助かるがな――痛てて」
痛さを混じらせながらも気持ちの良いニカッを見せてくれる。
そういう姿を見ると、みんな無事で本当によかったと思った。
その後、カウダ隊長に断って左端の隊に向かう。
預けていた救急箱も返してもらい腰につけた。
この救急箱には予備の包帯やメス、それに薬などが入っている。
隊長は「おいおい、英雄様が行かなくてもいいんだぞ? 援軍がやることやってるだろ」と言われたけど、左端の隊には必ず戻ると約束している。
約束は守らないと。
左端の隊に向かう中、「この戦い、我々ローマ軍が勝ち取った!」「おー」という声が兵士全体から聞こえてきた。
3000人くらいは居そうな援軍の兵たちが一斉に声を出しているので鼓膜が破れるかと思った。
コメントによるとこれは勝ち鬨という自軍の勝ちを宣言して士気を上げる目的の行為らしい。
こういうことには乗り切れずに冷めた目で見てしまうんだよな。
軽く走って左端の隊に着くと、援軍の兵士たちが死体を板に乗せて運んでいるのが見えた。
その現実に気持ちが切り替わっていく。
左目を閉じて配信されないようにした。
「包帯兵です。怪我が酷い方の応急処置の手伝いに来ました」
「――ん? ああ、お前があの包帯兵か。重傷のものは野営地に運んでいる最中だ。直接聞け」
身体をじろじろ見られながら言われたのであまり良い気はしなかったけど、よくあることだと思い直す。
ボクは「ありがとうございます」とだけ伝えて怪我人が集められている場所に向かった。
その場所にたどり着くと、ボクに気付いた兵士の人が近づいてきた。
20代前半くらいの人だ。
戦闘中はボクに助けられたと感謝され、治療に来たと伝えると更に感謝された。
彼に連れられて怪我の酷い人から見ていく。
酷い人は剣で胴体を深く刺された傷があった。
矢が脇腹に刺さっている人もいた。
矢の方は、敵の歩兵が弓を持っていなかったと思うから騎兵にやられたんだろうか?
「マンドレイクはまだ飲ませてませんよね?」
援軍の兵士に聞いた。
「まだだ」
「これを腹部に矢が刺さっていて意識のある兵士に飲ませてください。飲ませたら外れないようにこれを腕に巻き付けてください」
青く染められた布も何枚か渡した。
この布でマンドレイクを飲んだかどうかがすぐに分かるようにしろと言われている。
マンドレイクは痛み止めとしてはかなり効果があるらしいけど、毒性が強く使い方が難しいと言われている。
幻覚みたりと副作用も強いし量によっては死ぬ。
だから、よっぽど緊急性の高いときか戦場でのみ使用されるらしい。
ボクは胴体への剣の刺し傷から処置していった。
刺し傷は背中からのものが多い。
たぶん倒れているときに刺されたからだろう。
事前に鎧は外してもらう。
重要なのは内臓が傷ついているかどうか。
内臓から軽く血が出ているくらいなら止血まではできる。
でも、傷が深すぎたり内臓の内容物がたくさん出てるとボクにはどうしようもない。
血が出ている場所はヘモグロビンに集中することですぐに分かるので、服を切り裂き止血していく。
このローマでは輸血はまだ存在してないみたいなので、応急処置として止血がとても重要になる。
ボクは板に乗せられた重傷の兵士たちを次々に応急処置していった。
中には刺し傷が肺まで達して空気が抜けている怪我とかもあったけどそういう状態はボクだとどうしようもない。
マリカみたいに酸素を細かくコントロールできればなんとかなるのかも知れないけど。
止血をした後は、野営地での治療に託す。
今はこうやって自分が救えない人を違う人に託せているけど、託せない場合にボクは見捨てることができるのだろうか?
「次の人、お願いします」
「い、いや次はもういない」
集中して応急処置を行っているといつの間にか全員終わったみたいだった。
急に周りのざわめきが聞こえてくる。
顔を上げると敵兵たちが引き連れられているのが見えた。
捕まっている敵兵は思ったよりも多い。
数百人じゃ収まらない気がする。
「お前は隊が違うんだろう? 戻ったらどうだ?」
「――はい」
援軍の百人隊長の言葉に従うことにする。
なんだか気持ちが落ち着かない。
戦場の雰囲気に当てられてのか、たくさんの人の死を考えたくないのか、まだボクに何か出来るはずだと思っているのか。
ボクはその気持ちの正体が分からないまま一礼してその場を去っていった。
その後、隊のみんなと合流して戦場を去り、野営地に戻ってきている。
病院に行って手伝おうと思っていたけど、カウダ隊長に休んでいろと言われて今は隊長の部屋に1人でいた。
隊長はこれから会議があるらしい。
ただ、状況説明のために呼ぶことになるかもとも言われていた。
≫とりあえずお疲れさん≫
≫お疲れ≫
ベッドに座るとそんなコメントが見えた。
「――ありがとうございます」
≫元気ないな?≫
≫あの戦闘の後、すぐに元気は無理だろw≫
「すみません。なんか頭ごちゃごちゃで」
≫話せる内に話せば楽になるかもよ?≫
≫いくらでも話は聞くぞ≫
「助かります」
≫たまに暗転するのなんで?≫
「酷い怪我とか配信するとBANされるかも知れないので意図的に映像を止めてます。目を閉じると配信に映像が流れないみたいなので」
≫まとめサイトに書いてあるぞw≫
≫目がカメラ? どういう原理なの?≫
≫原理までは書いてないし俺にも分からん≫
「原理はボクにも分かっていません」
他にもボクが今いるこの世界のことや魔術についての質問に答えていくことになった。
今回質問のあったほとんどは、まとめサイトに書いてあることらしい。
まとめサイトすごいな。
答えている内に少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
あと、この配信が本当のことかどうか疑うコメントは書き込めないように規制されていることも分かった。
≫アイリスさん、謝らせてください≫
質問がなくなった頃に、そんなコメントが目に入る。
≫ど真ん中から吹き飛ばせと提案した者ですが≫
≫軽率でした。申し訳ありません≫
「丁寧語さんのお陰で助かったので謝らなくても大丈夫ですよ」
≫丁寧語さんってw≫
≫敬語さんじゃないのがいいなw≫
しまった。
特徴をあだ名にして呼んでしまった。
でも、分かりやすいしこれからそう呼ぶことにしてしまおう。
≫助かったと言ってもらえるのは嬉しいですが≫
丁寧語さんは、戦争を経験したこともないのに知識やストラテジーゲームの気分のままで提案してしまっていたことが問題だとコメントした。
全く予想外のことが次々に起こり、コメントする間もなく怖さを知ったとも話してくれた。
「経験したことないという話でしたけど、それならこれからしていきませんか? 丁寧語さんがコメントしてくれると、ボクも心強いですし」
ボクが今回の戦争で関われることはほとんとないと思うけど、また劣勢になったときに何かできるかも知れない。
そんなときに丁寧語さんのような知識のある人がアドバイスしてくれると助かる。
≫これは天使≫
≫丁寧語さん! 俺からも頼む!≫
≫ミリオタの力をローマに見せてやれ!≫
≫相手はローマじゃなくて反乱軍なw≫
≫丁寧語! 丁寧語!≫
≫丁寧語! 丁寧語!≫
コメントでは謎の丁寧語コールが巻き起こり始めた。
なんだこれ?
≫丁寧語です。分かりました。微力ですが……≫
≫ついに本人が自称し始めたぞw≫
≫公式化したかw≫
≫丁氏これからもよろしく!≫
≫丁寧語の丁は名字じゃねえからw≫
やりとりを見てたら、さっきの戦場のことを忘れていた。
自然と笑っていることにも気付く。
気持ちもずいぶん落ち着いていた。
「皆さんありがとうございます。さっきまで気分が沈んでたんですけどやり取り見てたらそんなの忘れてました。丁寧語さんもありがとうございます」
≫よろしくお願いします≫
「アイリス包帯兵殿、会議で司令官が呼んでいます」
ドアの外から声がした。
この低い声はたぶんナッタさんだ。
首席副官の付き人なのにこんなことまでさせられるんだな。
「はい。すぐに行きます」
カウダ隊長も参加している会議か。
あれ? でも、司令官って一番偉い人じゃ?
ボクは配信とのやり取りに夢中で身体を拭くのを忘れて服も身体も汚れていることに気が付いた。
このまま参加すると失礼に当たるかな?
とはいえ、もう身体を拭く時間なんてない。
ボクは部屋を出て、ナッタさんに連れられて会議が行われている部屋に向かった。
会議をしている部屋に通されると、注目がボクに集まる。
部屋は広く備え付けられている長いイスに隊長と思われる人が10人程度、豪華な鎧を着た人たちが10人程度いた。
「アイリス包帯兵殿を連れてきました」
ナッタさんはそういうとすぐに首席副官の後ろに下がる。
部屋の中は嫌な緊張感があった。
「包帯兵のアイリスです」
自己紹介だけはしておく。
余計なことは言わないでおこう。
「アイリス包帯兵。歩兵隊の左翼が君の働きによって壊滅を免れたという話だが、どういうことか説明してもらおう」
――はい?
左翼って左端の隊のこと?
壊滅を免れた?
どこからどの程度の詳しさで説明すればいいんだろう?
質問が答えにくい。
ボクに質問をしてきている人は席の真ん中にいる。
偉い人なのかも知れない。
司令官だろうか?
「左翼にたどり着いた直後に兵士の人たちの止血を行いました。その後、風の魔術で敵兵を吹き飛ばしました」
「止血したことは分かってる。どうやって何十人もの止血を行ったのかを聞いているのだ」
≫そんな質問してないよね?≫
≫答える気をなくす情報不足な質問の仕方だな≫
そんなコメントを見ながら、ボクは困っていた。
止血は電気の火花で細胞を軽く焼くことでやってるはずだけど、それをどうやって説明したらいいか分からない。
「小さな火で傷口を焼いて止血していきました。傷口が分かればそれに当てていくだけなので、数十人の止血だけならすぐに済みます」
電気の説明は難しいと判断して、小さな火を使ったといことにしておいた。
火花は使ってるので嘘は付いていない。
「嘘をつくな。火の魔術を使えるという話は聞いたことがない。それともお前は歴代最高の魔術使いだとでも言うのか?」
一部から失笑が漏れる。
首席副官は憮然として顔で腕を組んでいた。
≫理解できないからって嘘つき扱いかよ≫
≫ケンカ売ってんのか?≫
確かに歓迎されている雰囲気じゃない。
でも、どうしてこんな状況で呼ばれたんだろう。
「いえ、魔術に関しては初心者です」
「では、嘘だと認めるんだな?」
カウダ隊長を見ると、手の平を上に訳が分からないというジェスチャーをボクに向けた。
ただ、今まで腕を組んでいた首席副官が手を挙げていた。
「司令官、発言をよろしいか?」
彼は静かに呟きながらその司令官を見た。
やっぱり司令官だったのか。
「フィリップス首席副官。発言を許す」
「包帯兵が嘘をついているかどうかは実際にやってもらえば分かるだろう」
≫おっ、一応味方なだけあるなw≫
≫ありがてえありがてえ≫
「証明する必要ない。そのためだけに時間を浪費するわけにはいかんだろう。他に議論するべきことがある」
「司令官」
次に手を挙げたのはカウダ隊長だった。
「発言を許す」
「時間を浪費するって怪我人を用意するのに時間が掛かるってことですよね?」
「ああ、そうだ。これは野戦病院からわざわざ連れてくるほどの議題ではない」
「それならこれでどうですか?」
カウダ隊長がマントを取り外し膝の上に置いた。
腕を捲り、ナイフを取り出してスッと切る。
――えっ?
腕に赤い線が生まれて敷いたマントの上に血液が滴り落ちていく。
「アイリス。これを治してくれ」
≫マジか≫
≫無茶するなw≫
≫かっけえぇ≫
「――失礼します」
ボクはすぐに駆け寄って隊長のナイフを借りてバチバチいわせながら止血した。
隊長を軽く睨んで非難の目を向けておく。
一方の隊長は目を細めて口だけを歪ませた。
ボクは、感謝の意味を込めて頭を下げる。
「このようにアイリス包帯兵は魔術で止血が可能です」
部屋がざわつく。
「――止血については分かった。しかし、風の魔術で敵の歩兵や騎兵隊までも吹き飛ばしたというのはどういうことなんだ! 単独で、しかも女の奴隷風情には不可能だ!」
テンションが上がっているのか大声になっている。
何が司令官を高ぶらせてるんだろうか。
≫こいつむかつくな≫
≫自分が否定した止血をさらっと流しやがった≫
≫身体張って守ったのにこの言われよう≫
≫元はといえばこいつの戦術の甘さが原因だろ≫
質問はされてないみたいので、ボクは黙っていることにした。
皇妃と違って決定的に敵認定されてる訳じゃなさそうだし。
「都合が悪くなるとだんまりか? 黙ってないで答えてみろ」
ボクが黙っていたのを自分が優勢だと思ったのか、嘲笑したような顔で見てきた。
その顔から一旦視線を逸らす。
気持ちを落ち着けてから顔を上げる。
「――事実だけ言います。魔術無効の影響がなければ吹き飛ばせます」
「なっ!」
司令官の声と共に、ざわめきが部屋中に広がった。
ざわめきが収まってきた頃に首席副官が手を挙げ「アイリス包帯兵の功績を認め、速やかに次の戦いに向けて議論すべきだ。今現在、我々が後手に回っていることを打開しなくてはいけない」と語りかける。
≫首席副官は意外とまともだな≫
≫見直したわ≫
≫搦め手にいかず正論に行くところが若いなw≫
若いってどういうことだろうと思っていると、司令官が首席副官に身体を向けた。
「現場も知りもせず知ったようなことを言うな。事実を正しく認識せずに次の戦略の議論など出来ん。それとも何か? この包帯兵に気でもあるのか?」
首席副官はこの言葉にむっときたのか司令官に怒りの表情を向けた。
怒りに耐えるためか、自身の太股に爪を立てている。
その後、司令官の総合的な判断によって魔術兵隊の一部が自己判断で風の魔術を使ったということになった。
ここでは基本的に司令官の意見が絶対なのだと感じた。
ボクは何故かその会議に居続けることになって、明日は守りの歩兵の数を3倍にして塔の建設を続けることになることを聞いていた。
丁寧語さんは作戦を直に聞けて少し喜んでいたみたいだ。
会議が終わり外に出ると、辺りはもう暗くなっていて雨が降っていた。
「ふぅ」
溜め息もザーという雨音に消される。
なんだか疲れた。
明日、雨が降り続けていても作戦は続行なんだろうか?
――遠足じゃないし当然、雨天決行か。
ウチの隊は野営地で待機みたいだから、雨に濡れたまま数時間立ちつづける必要はないのでよかった。
さて、あんまりお腹空いてないけど、一応食事を摂って、そのあとに病院の様子でも見てこようかな。
「アイリス包帯兵殿」
雨音を聞きながら考えごとをしていると、遠くから声がした。
この低い声と呼び方はナッタさんだろう。
見ると隣にカウダ隊長もいる。
近づいてきたナッタさんによると、ボクは首席副官に呼ばれているらしい。
カウダ隊長も一緒に呼ばれている。
今日の戦いについて詳しく聞きたいとのことだった。
首席副官は最初の印象が最悪だったけど、彼なりにちゃんと軍について考えているんだろうと思い始めている。
食事をしながら話をして、解放されたときにはこっちの時間で午後9時くらいになっていた。
話の最中、方陣で突っ切ってからのボクの行動はかなり驚かれた。
特にクロスボウを一斉に撃たれたところは隊長に「無事なのが奇跡だな」と呆れられるくらいだ。
首席副官が「何かあったら殿下に会わせる顔が――」と言い掛けて隊長がいることに気づき、真面目な雰囲気に似合わないくらい慌てていたのが微笑ましい。
解放後、ボクは部屋に戻って身体だけ拭きベッドに横になると意識を失うように眠ってしまった。
昨日もまともに寝てないし、今日はいろんなことがあったからだろう。
そして、朝、司令官が殺されたという騒ぎで目が覚めることになる。
次話は来週のどこかで更新する予定です。




