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第57話 野営地

 ボクは首席副官に連れられて、部屋の一室に通された。

 部屋はコンクリートで出来ていて、壁には窓から見える空の絵が書いてある。

 首席副官の両隣には護衛らしき2人がいた。


 緊迫した空気だ。

 何を言われるんだろう?


 首席副官は、1人だけ椅子に座るとそのまま話し始めた。


「まったく。来た早々、派手にやってくれてるな」


 ボクを睨んでくる。


「すみません」


「まず最初に言っておこう。私は殿下からお前を守るように頼まれている」


「――はい?」


 言葉の意味を理解する前に、混乱だけが思考を支配する。


 ≫よりによってこいつか≫

 ≫ミカエルの仲間?≫

 ≫何の話?≫

 ≫軍の中に味方がいるって話があったんだよ≫

 ≫最悪だな≫


 あ、そういうことか。

 コメントで冷静になってくる。

 その後も流れていくコメントには、この首席副官が味方ということに悲観する意見が多い。


 でも、それは無い物ねだりだと思う。

 軍のお偉いさんの中に味方がいるというのは、今のボクにとって代え難いほどありがたいことだ。


「二度は言わんぞ。それにこの話は他の兵士に話すな」


「――はい。分かりました。助かります。すでにいくつか面倒を掛けていますが、よろしくお願いします」


「全くだ。先が思いやられる。それにヘルディウスに勝ったからと言っていい気になるな。そもそも剣闘士と歩兵では戦い方が異なる」


「戦い方ですか?」


「そうだ。剣闘士は広い空間で1対1での戦いを得意としている。それに比べ、歩兵はあくまで軍団の構成要素として戦う」


 軍団。

 ローマの軍隊のことかな?

 集団で戦った方が強いということだろうか?

 でも、戦い方とどういう関係があるのかが全然分からなかった。


「歩兵は敵に圧力を掛けて行動を制限する。もしくは接近して止めを刺すことが重要な役割だ。当然、戦い方もそれに特化している」


 分かったような分からないような。

 あの大きな楯で、壁みたいになることが重要ってこと?

 うーん。


「分かってないようだな。例えばお前が100人いるとする。対面にはお前と戦ったヘルディウスが100人並んで楯を構えている。攻めきれるか?」


 100人ってことは1人1mとして100mのあの大きな楯の壁があるわけか。

 試合のときのように攻撃を誘発して避けても、隣と連携されるから隙になりそうにない。

 と、なると。


「魔術なしだと真正面から攻めきるのは難しいですね。大きく回り込むことになりそうです」


「それが圧力を掛けて行動を制限するということだ」


「あ、あれ? なるほど? あれ?」


「アホ面さらすな。歩兵の戦い方が、お前たち剣闘士と違うということは分かったか?」


「はい。それはなんとなく」


「では、お前の戦い方では歩兵として役に立たないことも分かるな?」


「いえ、それはまだ」


 アホ面と言われないようにキリッとして応える。

 すると、無言の時間が数秒続いた。


「どうして分からん!」


「す、すみません。ボクの戦い方のデメリットがいまいち想像できなくて」


「――チッ」


 舌打ちまでされた……。

 戦争の知識もない初陣(ういじん)の包帯兵が、いきなり理解するのは無理じゃないかな?


「まあいい。それより、お前は自分の仕事の価値を十分に理解してるんだろうな?」


「包帯兵の価値ですか? とにかく怪我人を治して戦える兵の数を減らさないようにすることが軍にとって大事とかですか?」


「ふっ。基本的にはそうだが、戦術的に見ると理解が足りてないな」


 せ、戦術的?

 怒られるかも知れないけど素直に聞いておこう。


「――はい。何が足りてないのか教えてもらえますか?」


「さっき、歩兵の役割は圧力を掛けること言っただろう? 敵に圧力を掛け続けるためには、万全の状態で楯を持って並んでいる必要がある。それは分かるな?」


「なんとなくは分かります。弱っている場所があればそこを狙いますから」


「ああ。その弱点を作らないために、ローマ軍では先頭で楯を持つ兵士を次から次に交代させていく。疲れさせないためだ」


「はい」


「当然、怪我をした兵士もすぐに交代させる。軽傷なものは包帯兵が治療し、なるべく万全の状態に戻す」


「つまり、包帯兵は圧力を長い間維持するための要になる訳ですか」


「そうだ。戦力差がある場合は必要ないが、力が拮抗していたり、撤退戦などでは重要な要となる。これを理解していると、ギリギリのときの優先順位に差が出る。その差はお前が生き残る確率と直結する。私のためにも覚えておけ」


 最後の言葉はともかく、そういうことか。

 確かにそれを知ってるのと知らないのとじゃ、治療の加減にも差が出るかも知れない。

 診療所じゃ教えてもらえなかったな。


「貴重な助言、ありがとうございます」


 お礼を言っておく。


 ≫タンクのみのパーティーにヒーラー1人か≫

 ≫何の話ですか?≫

 ≫MMORPGっていうゲームの話≫

 ≫ゲーム脳w≫


 やったたことないけど言ってる意味は分かった。

 でも、ヒーラーって数人の体力とかの数値見ながら回復を行うんだよね?

 こっちの世界だと数値にも頼れないのに80人の状態管理なんてできるんだろうか?


「どうした? 理解できたか?」


 首席副官が腕を組みながらボクを見た。


「思っていた以上に大変そうだということが分かりました。それで頭を抱えてるところです」


「それは結構」


 コメントでは、MMORPGについての説明が続いていた。

 知らない人に『大規模マルチプレイヤーオンラインRPG』とコメントしてもイメージ湧かないので理解してもらうのは難しいと思う。


 あと、タンクについても説明していた。

 タンクという役割が、最前線で敵の攻撃を引き受けながら敵の場所を固定するというのはボクも知ってる。

 ローマ軍の歩兵とも役割が少し似ているのかな?


 ≫あと首席副官様との連絡手段を作っておけ≫

 ≫ああ、それは必要かもな≫


 そ、そうか。

 気は進まないけど、これは確保しておかないといけない命綱だろう。

 本当に気は進まないけど。


「あの、1つお願いが……」


「――お願い? 自分の立場を分かってるのか?」


 うっ。

 やっぱり無理か。


「まあいい。殿下に免じて聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」


「ありがとうございます。その、首席副官とボクとの何か連絡手段を用意してもらえないかと……」


「連絡手段だと?」


「はい。どうしようもない事態のときに相談だけでも出来れば助かると思いまして」


「全く、何を言い出すかと思えば。私も出来ることはすでにやっている。それ以外はお前自身がなんとかすればいいだろう。ローマの正規兵より強いんだよな?」


「――分かりました」


 元々、無理だと思っていたのですぐに引くことにした。

 ここで印象を悪くしても仕方がない。


「ナッタ」


 彼が意味不明な単語を発したと思ったら、護衛の1人に話しかけているらしかった。

 その護衛の名前がナッタというんだろう。


「はい」


「お前は治療について学んでいるな」


「基本的なことであれば」


「では、軍医の会議に顔を出せ。そして、私に報告しろ。ついでに、そこの女に問題があれば聞かせろ」


「はい。承知いたしました」


 ≫どういうことだってばよ?≫

 ≫アイリスちゃんの希望が叶えられたんだろ≫

 ≫ツンデレ?≫

 ≫ツンデレっていうか面倒くさい奴だなw≫


 えーと。

 思考が止まってしまっていた。

 連絡手段を作って欲しいっていうボクの要望は叶えられたと思っていいんだよね?

 なんて分かりにくい。


「ありがとう、ございます?」


「疑問系で感謝を言うのはやめておけ。それに、私はお前のようなトラブルメーカーを放置すべきではないと思っただけだ。話は終わりだ。出て行け」


「はい。わざわざ時間をとってもらってありがとうございました?」


「だから疑問系はやめろ」


 彼に手でシッシッとやられて、ボクは部屋を追い出される形になった。


 その後、ローマの街を出発して3日経った。


 出発するとき、あの首席副官が軍全員に「支援軍であっても兵士への暴行があれば『十分の一刑』に処す」と宣言した。

 これが首席副官の言っていた『出来ること』なんだと思う。


 そのおかげもあって、ここまで平和そのものだ。


 『十分の一刑』とはローマ軍の有名な刑罰で、問題行動を起こした兵士だけでなくクジ引きで仲間の1人を処刑するというものらしかった。

 処刑を行うのも他の仲間全員らしく、後味の悪い刑罰なのが分かる。


 コメントによると実際にこの刑罰が行われたのは数えるほどらしい。

 でも、実際に行われたことがあるというのは怖いな。


「嬢、話によると今日到着らしいぞ」


「そうなんですか。ありがとうございます」


 ボクは隊のみんなから嬢と呼ばれていた。

 隊の人たちは仲良くしてくれてる。

 副隊長がヘルディウスさんとの試合のことを大げさに話したからだと思うけど。


 気になっていた行軍中のトイレについては、思いもよらないことになっていた。


 大体2、3時間ごとにトイレ休憩があるんだけど、ローマ軍はそのトイレ休憩のためにわざわざ水洗トイレを作る。


 川沿いの街道に溝を掘って水を流し、ベンチのようなトイレをずらっと作る。

 等間隔で穴が開いているのは、訓練所のトイレと同じだ。


 そこにトイレ休憩となった兵士やその従者たちが座り、目的を果たす。

 囲いはないけど、ローマの服装は裾が長いので座ってしまえば見えなくなる。


 そうは言っても、ボクの場合は注目されるので一番端でこそこそと致すことになった。

 男だらけの中で、気持ちを開放するというのはものすごく緊張して時間が掛かってしまった。

 それでも大だと思われるのがイヤで頑張った。


 あと、夜も小屋のようなものが出来ていてそこで就寝した。

 その日の内に兵士たちが作ったらしい。

 川から水を引いてきて、身体くらいは拭けるようになっていたのも驚いた。


 ご飯は保存食中心だけど養成所とは比べものにならないくらい美味しくこれにも驚かされた。

 剣闘士の大麦のお粥は罰としてして与えられることがあるレベルらしい。

 なんという贅沢な。


 あ、でも飲料水は酢が混じっていて不味い。


「見えてきたな」


 誰かが言った。

 周りの兵士たちが顔を上げる。


 ボクが顔を上げても隊のみんなの後ろ姿しか見えないので、列の横から顔を出した。

 確かに遠くに城壁のような壁と、その手前に理路整然と家が立ち並ぶ集落のような場所が見える。


 道はまっすぐそこに向かっていた。

 兵たちはその集落の中に続いている。

 あの集落を駐屯地にするんだろうか?


「今日はあの集落に泊まるんですか?」


 隣にいる副長に話しかける。

 疲れを見せることもなくニコニコ微笑んでいる。


「集落かい?」


 副長は首を(かし)げた。

 何か意味が通じてない気がする。

 ボク、もしかして見当違いのことを言った?


「あの、前に見えてる低い壁に囲まれた場所がありますよね? あのたくさんの家みたいのが並んでる。あそこって村というか集落じゃないんですか?」


「おおっ、そういえばそうか。なるほどなあ。初めてなら、そういう見方もできるか」


 副長はニコニコしたまま一人頷いている。


「あの……?」


「嬢、あれは軍が作ってる野営地だよ。今も設置作業してる途中だと思うぜ」


 後ろを振り向いた隊の兵士が教えてくれた。


「やえいち? 今、作ってる?」


 もう1度、隊列から顔を出してその野営地と言われた場所を見てみる。

 ここから見ても広大だと分かる敷地がすべて壁で囲まれ、理路整然と等間隔に家のようなものが並んでいる。


 遠くからだと街にしか見えない。


 ≫でたな土木チートw≫

 ≫ローマ軍の野営地って遺跡になるレベルだし≫

 ≫カストラですね≫

 ≫兵士はそのまま土木の専門家だからな≫

 ≫3日でライン川に橋架けるチートっぷりw≫


 みんなよく知ってるな……。


「驚きました。どのくらいの時間で作れるんですか?」


「んん? 半日くらいだったと思うよ。すごいよねえ」


 副長がニコニコしたまま答えてくれる。

 半日であの街みたいなのができるもんなのか。

 でも、野営地に着いてから更に驚くことになる。


 着いてからボクがやってきたのは野戦病院だ。

 野営地に設置された病院で、川から引いてきた水が流れ、治療のためのベッドもある。

 驚くのが井戸から引いてきた綺麗な水まであることだった。


 麻酔のためのシビレエイこそいないけど、それ以外の設備は診療所より上かも知れない。


 これを半日程度で作ってしまい、当然のことのようにしているローマ軍に恐怖すら感じてしまう。

 コメントによると、2千年前からローマ軍はこの水準の建築技術を持っていたとのことだった。


 2千年前って日本は前方後円墳とかのあった時代ですらないよね?

 卑弥呼の邪馬台国っていつだったっけ?

 少なくとも大化の改新が646年で、聖徳太子が生まれたのがその百年くらい前だ。


 ――昔過ぎてピンとこないな。


 でもそれより昔の2千年前から上下水道まで整備した野営地を半日足らずで作るローマっていったい……。

 考えてみれば、あの円形闘技場(コロッセウム)も2千年前に作った建物としては異常だ。


「聞いているか、アイリス包帯兵」


「は、はい。すみません、聞いてませんでした」


 そう返すと周りの包帯兵から失笑のような声が聞こえた。

 驚いている場合じゃない。

 ちゃんと聞いておかないと。

 首席副官とこのナッタさんも来ているし。


 話の内容は2つあった。

 1つが、兵が交代で街を囲んで籠城戦に持ち込むという作戦について。

 もう1つは、ボクたち包帯兵が病人や怪我人を応急処置してこの病院に連れてくるという基本的な確認だった。


 今回はローマから1万人、他の街から5千人の兵士がこの野営地で過ごすらしい。

 兵士以外も合わせると2万弱との話だった。


 市町村の『町』くらいの人数はいる感じか。

 なお、道内第三の都市である函館の人数は23万人だ。


 包帯兵の全体の数はどのくらいになるんだろう?

 ざっくり100人に1人としても150人くらいはいる計算になるけど。


 今、この病院にいるのは一個軍団(いっこぐんだん)の包帯兵だけなので、50人くらいだと思う。

 軍団というのは軍隊の基本単位で一個軍団辺り約5千人の兵士がいる。


 作戦としては三個軍団中、二個軍団で街の陸側を包囲する。


 街の港側にも海軍がいるみたいだから、相当な規模ということが分かる。


 シャザードさんはこれに勝つ見込みがあるんだろうか?


 彼のことを少し考えそうになったけど、ボクの力じゃどうしようもないことなので考えるのを止めた。


 ボクに出来ることはみんなの応急処置くらいだ。

 戦争なんだから迷ってたら致命的になるかもしれない。

 自分の役割に集中しよう。


 明日から戦場に出ると思うと、緊張して身体が(こわ)ばってしまう。


 包囲戦だからいきなり激しい戦いにはならないとの話だった。

 こちらから牽制の矢を撃ったり、大きな兵器で城壁を攻撃したりするだけみたいだけど、どうなるかは分からない。


 ボクは結局目が冴えて眠れずに次の朝を迎えることになった。

次話は来週中くらいに投稿する予定です。

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