第56話 歩兵の戦い方
ボクと副隊長は6人のローマ軍の正規兵たちに囲まれていた。
「副隊長さんさあ。逃げられると思うなよ」
にやにや笑いながら囲んでる。
ボクは冷静に風の魔術を使う場所を考えていた。
今のボクなら2ヶ所同時に魔術が使えるから、手を出してきたと同時に2人×2は飛ばせる。
そのあとは残り2人だからなんとでもなる。
「アイリスくんは思ったよりリラックスしてるね? もしかして荒事には慣れてる? そうは見えなかったんだけど」
「それなりには」
ボクはなぜか照れながらそう応えた。
「ほう! 意外性がある! いいですねえ」
≫変なおっさんだなw≫
≫この状況で余裕あるな≫
≫こいつも実は強いのか?≫
「何話してやがる! 余裕ぶっこいていられるのも今だけだぞ」
「ああ、すみません。新人包帯兵とのコミュニケーションですよ。ところでどうします? 『試合』します?」
副隊長は軽い足取りで一歩前に出た。
『試合』のところだけ声が大きい。
そういえば、さっき副隊長が兵士同士のケンカは試合で決着をつけるみたいなこと言ってたな。
「おい、試合だってよ!」
「他の奴ら呼んでこい!」
周りの兵士たちが騒ぎはじめた。
あっと言う間に人が集まり、どこからともなく偉そうな人がやってきた。
いつの間にか木剣も用意されている。
≫手際いいなw≫
≫これも一種の娯楽なんだろう≫
絡んできた6人も誰が試合に出るか相談しているみたいだった。
副隊長は、背負っていた大きな楯と荷物を降ろして試合の準備をしている。
「荷物、見張っておいてね」
副隊長は痩せマッチョな体型だ。
強いかどうか分からないけど、雰囲気はある。
そして、楯だけどこれが大きい。
腰を落とせば身体が全て隠れるくらいの大きさはある。
相手の持っている楯もほぼ同じ。
向こうは木剣を軽く振って準備運動をしている。
「副隊長、ご武運を」
「ありがとう」
副隊長に余裕があると言っても、やっぱり戦いとなると独特の緊張感があった。
豪華な鎧を着た人がこの試合を仕切り、開けた場所の真ん中に立っている。
普通の兵たちもずいぶん集まって来ていた。
何人かがボクが女性ということに気付いたみたいだけど、それも興奮した声にかき消される。
ボクもすっかりこの姿というか女性として見られることに慣れたなと感慨深く思う。
自分の姿というよりも、その姿に対する周りの反応が立ち振る舞いを作っていくんだなと最近考える。
そんなことを考えていたら試合が始まった。
2人は大きな楯を構えてにじり寄っていく。
そして、剣が当たる位置までくると、大きな楯の真ん中にある金属の出っ張り部分をぶつけ始めた。
≫こういう戦い方なのか≫
≫相撲っぽいな≫
例えばルキヴィス先生ならどう攻めるだろうか?
突き出して当ててくる楯を先読みして避けるのかな?
見ていると少しウズウズとしてくる。
試合は副隊長が有利に進めていた。
楯同士がぶつかってもビクともしないし、緩急の付け方が巧い。
相手の動きを見て崩れたところに付け入っている。
最後は楯をはね飛ばして、僅かに空いた胴部分に木剣を突き立て倒していた。
鎧を着ているので、たぶん怪我はしてない。
≫なんか地味≫
≫地力が強ければ負けない戦い方だな≫
負けない戦い方なのかな?
突き出してきた楯をギリギリで避けて側面に回り込めばいけそうな気もするけど。
「おいおい、何やってんだよおめーら。なんだよ、負けてんじゃねーか」
大きな影が野次馬の兵士たちの中から出てきた。
名前は忘れたけど、副隊長だけが持つ長い棒を持っている。
もしかして、この6人の隊の副隊長かな?
「お前ら鍛えなおさねーといけねえみてーだな」
突然、試合のスペースにずけずけと入ってきた大男に皆唖然としている。
それにしても大きい。
フゴさんより一回りは大きい。
下手すると2メートルくらいあるんじゃないか?
「あなたの部下でしたか。できればこの方々に、礼儀も教えておいて貰えるとありがたいんですが」
副隊長が大男に向かって言った。
「礼儀? 難しいことはわかんねーよ。それよりどーだい? 俺と、ひと勝負」
2人の目が合う。
「あの鉄壁のヘルディウスと試合ですか? それは滅多にない機会です。面白そうですね」
2人とも歯を剥き出しにして笑っている。
副隊長って意外に好戦的なんだな。
≫このでかいの有名なのか≫
≫明らかに強そうだもんな≫
≫我らが饒舌な副隊長は勝てるのか?≫
周りも更に騒ぎになっていた。
ボクはこの大男もあの楯を中心にした戦いするのかな? などと考えている。
「待て! 同一人物の連戦は認められていないぞ!」
豪華な鎧を来た人が大声で言った。
「なんでえ。堅ぇーこと言うなよ」
「堅いことだと? 貴様! ローマ軍団の副隊長なら規律を尊重しないか!」
「わーってる。わかってるって」
「あのー」
ボクは恐る恐る口を挟む。
「ん? なんでここに女が居るんだ?」
大男が首を傾げた。
「私の隊の包帯兵ですよ」
「包帯兵? 支援軍っつーことは最前線だろ? 女なんかに勤まるのか?」
少しカチンときた。
いや別にボクは女性ではないんだけど、軽く見られたことには何故か憤りを感じる。
「勤まるか試してみます? 文字通り『試合』で」
ボクは真正面から大男を見上げて言った。
男連中のざわめきの中に、ボクの高い声が通る。
「ほう? 面白ぇーな、アンタ。別嬪なのに強そうだ」
「ありがとうございます」
「確かに面白いですね。それにヘルディウス副隊長の言うように貴女は強そうだ。でも、彼は強いよ。今回の軍の中でも単純な強さだけなら上位だろう。その彼に勝てる見込みはある?」
副隊長の言葉にボクは大男を一瞥する。
「勝てるかどうか分からないから、試してみたいと思いまして」
ボクのその言葉を聞いて、大男――ヘルディウスさんは獰猛な笑みを浮かべた。
「は? 女のくせに何言ってんだお前? ヘルディウス副隊長は俺ら全員で掛かっても勝てないんだぞ? 勝てるわけねーだろ」
横からさっきボクに声を掛けてきた男が話しかけてきた。
――女のくせにって!?
いや、あれ?
やっぱりカチンときてしまう。
男を睨もうとすると、ガツン! と音がして男が殴られていた。
「バカはてめーだ。せっかく面白れーことになってんのに邪魔すんじゃねーよ。試合だ試合。いいだろ、そこの副官さんよお」
「いや、しかし」
「ようやくたどり着けたか……。この喧噪はいったいどうしたんだ?」
そこに例の首席副官の彼が2人の護衛っぽい人たちに守られてやってきていた。
「いえ、その包帯兵の少女とヘルディウス副隊長が試合をすると――」
首席副官はボクを見て大きく息を吐いた。
「――またお前か」
「うっ。なんかすみません」
心労掛けたっぽいので謝っておく。
「ヘルディウス副隊長というのは今回が初陣の私でも聞いたことがあるぞ。そんな強者とお前は試合する気でいるのか?」
「その方向で考えてます」
「考えている? 煮え切らないな」
「首席副官よお、試合してもいいんだろ?」
首席副官の彼はヘルディウスさんの全身を確認した。
その後、彼はボクに近づいてくる。
「――アイリス包帯兵。もし試合するなら、あの風の魔術はなしだ。それでも試合するか?」
あの風の魔術!?
小さい声だけど、確かにそう聞こえた。
この人、ボクのこと知ってる?
一瞬、焦った。
この人がミカエルの仲間なんだろうか?
あ、でもミカエルの仲間じゃなくても、円形闘技場でボクの闘技を見てればボクだと分かってもおかしくないのか。
偉い人はアリーナに近い前列で見られるらしいし。
それにしても、風の魔術なしで試合か。
もし、ヘルディウスさんが強すぎてどうにもならなければ風で吹き飛ばそうと思ってたんだよな。
――でも、風の魔術は元々使うつもりがなかったし、禁止されても問題ないか。
「はい。試合を希望します」
ボクははっきりと返事した。
「分かった。それでは私の権限でヘルディウス副隊長とアイリス包帯兵の試合を行う。それでいいか?」
ボクは頷き、ヘルディウスさんは笑みを浮かべた。
彼はすぐに準備を始める。
ボクも木剣だけを受け取って、荷物をウチの副隊長に預けた。
周りの見物人たちはざわついている。
「こうなったら頑張ってね。勝てばキミも一躍有名人だし」
「ありがとうございます。別に有名人にはなりたくないんですけどね」
「まあそう言わずに。ことローマ軍においては強さで有名になるというのは非常に大切なことだよ。ところで楯はいいのかな?」
「はい。この楯は重すぎてボクには持てそうにありません」
「そうか。身長差や腕力をひっくり返すような戦い方を見させて貰うよ。」
「はい。こう見えて大きな相手には慣れてますから」
≫確かに慣れてるな≫
≫巨人にドラゴンだもんな≫
≫言うようになったなあw≫
ボクはスペースの中央に向かった。
正面から肩を回しながらヘルディウスさんが悠々と歩いてくる。
楯は他の兵の持っているものよりも大きい。
戦い方はやっぱりあの真ん中の金属の出っ張りをぶつけていくやり方なんだろうか?
ボクは身体の力を抜いて、どんな攻め方をされても避けられるように準備していく。
「相手を殺すような攻撃は控えるように。では、試合開始だ」
首席副官が静かにそう言って試合が始まった。
ヘルディウスさんがその声と同時に突っ込んでくる。
「どっせい!」
突っ込んでくる勢いのまま、ボクに向かって楯をぶつけてくる。
ボクはぶつける直前の腕の神経を走る電子を見てから横に避けた。
楯が大きいので、少し距離多めに避けることになったけど彼は硬直した。
当たったと確信したときに避けられると、人は一瞬だけ硬直してしまう。
ボクは木剣を彼の胴体に突き出した。
突きは当たったと思ったけど、筋肉を動かす電子も見えないのに彼の身体が沈み込み、ボクの木剣を避ける。
そのまま彼は楯を支えに体勢を立て直してボクから離れる。
「やべえなお前!」
彼が立ち上がろうとした電子が見えたので、それに合わせてボクは楯を足裏で蹴った。
彼は後ろによろめき尻餅をつく。
「なんだお前、なんだお前ぇえ!」
そんな嬉しそうに叫ばなくても。
≫語彙力w≫
≫それなw≫
でも、この人もさすがに強い。
さっきのボクの突きを避けた動きはなんなんだろうか?
ボクはそう考えながら、彼の次の動きを見るために電子が動かないか注意深く観察していた。
でも、彼はしゃがんだまま、様子を伺っている。
動く気配が見えたら追撃しようと思っていたのに勘がいい。
なら、こっちから行くか。
ボクは一歩踏み出した。
楯が引きつけられ、体勢が尻餅から膝を付いた形になって、彼の全身が力む。
亀のような防御体勢だ。
ボクは2歩進んで彼の楯を手で触れる距離まで近づいた。
その状態で1、2秒経つ。
「うらぁ!」
じれた彼は楯をずらして、木剣をボクに向けて突き出してくる。
電子の動きでそれは分かっていたので、小さく身体を動かしてそれを避けた。
避けながらボクも木剣を突き出す。
さすがに硬直直後だったからまともにボクの突きが入った。
よし勝ったと思った瞬間、ヘルディウスさんの全身に電子が見えた。
ぞわっとする。
すぐに這いつくばっている状態からの蹴りだと分かったけど突きを打った直後なので避けられない。
とっさに持っていた木剣を引き寄せて、木剣の刃の部分に左手を当て、ボクの太もも辺りに来た蹴りを受け止めた。
「ぐっ」
蹴ってきた足のスネに木剣の刃の部分が当たったからか、ヘルディウスさんの苦悶の声が聞こえた。
ボクは木剣を彼の顔の目前に突きつける。
彼はその木剣を少し見つめてから「まいった」と剣と楯を手放した。
それを見た首席副官が「勝者、アイリス包帯兵」と宣言する。
周りの兵士たちは歓声を上げるわけでもなく、ざわついていた。
自分たちも試合をする可能性があるからだろうか?
やっぱり闘技場とは違うな。
「っつー。いやー、完敗完敗。しかし、驚いたな。この俺が全く何も出来なかったぜ」
痛めたスネをさすりながら、ヘルディウスさんはボクを見上げた。
何か言葉を返そうかと思ったけど、勝者が敗者に何も語ることはないとルキヴィス先生が話していたことを思い出す。
「ボクも必死でした」
それだけ言うと、彼はニッと笑って右手を握手するような形にして差しのばしてきた。
ボクもつられるように笑い、その手を取って握手する。
「気に入ったぜ。だがよぉ。お前、包帯兵だったのかよ」
≫あの首席副官が言ってなかったか?w≫
≫負けるまで興味なかったんだろ≫
「はい。もし怪我があれば治療しますよ?」
「あっはっは。面白れー嬢ちゃんだな。いや、嬢ちゃんは失礼か。名前は?」
「アイリスです。ヘルディウス副隊長」
「ほお。じゃあ、アイリス。怪我したときは頼むぜ。それと、――おい、お前らこっち来い!」
ボクに絡んできた6人を呼んで何やら話していた。
説教という訳ではなく、彼らの話を聞いて深く頷いているところを見ると良い上司なのかも知れない。
「勝利おめでとう。それに、お疲れさま。まさかあの鉄壁のヘルディウス相手に何もさせないとは驚いたよ」
副隊長が近づいてきてそう言った。
「いえ。戦い方の相性もあったかも知れません」
楯で崩してきて次に攻撃だから分かりやすい。
「なるほど。その辺りは道中に聞かせてくれると嬉しいね。これは楽しみだ」
「アイリス包帯兵」
不意に首席副官から声を掛けられた。
「――はい。なんでしょうか?」
「話があるからちょっと来い」
ボクは副隊長を見るが「さすがに私ではどうしようもありません」と苦笑いされるだけだった。
ヘルディウス副隊長たちもまだ話し込んでいる。
ボクは仕方なく首席副官に着いていくことになった。
次話は来週更新の予定です。




