第4話 第二皇子ミカエル
再び廊下に出ると空気が冷たく感じられた。
脱衣所はかなり暖かかったのだろう。
着せられた服が薄手なのもあるかも知れない。
歩きながら服を見てみる。
生地は侍女の人たちと同じくシルクのような光沢があった。
少し重みがあるけど、肌触りはさらさらとしていて、肌が擦れるような負担もない。
ブラもつけてもらったからか、胸の収まりも良くなった。
引っ張られるような感覚が分散されている。
≫えっろ≫
≫でかい≫
なんのコメントかと思ったけど、視界の端に大きくあいたボクの胸元が見えてることに気づいた。
完全に油断してた。
「——大変お似合いです」
肩口からボクを見た侍女の人が声を掛けてくる。
きょろきょろ自分の服装を見回していたから、フォローしてくれたのだろうか?
「こちらにおいでください」
「どこに連れていかれるんですか?」
「ミカエル殿下の元へとお連れします」
「ミカエル殿下?」
ボクがそのミカエル殿下を知らないような口振りでオウム返しにすると、一瞬だけ間があった。
「はい。皇位継承権第二位のミカエル殿下です」
ローマ皇帝の継承権第二位ってことだろうか?
ならそのミカエルは王子様?
いや、王じゃなくて皇帝になる可能性があるんだから漢字違いの皇子か?
要はすごく偉いってことかな。
「どんな用事があるのか聞いてますか?」
「申し訳ありません」
≫王子様キター!≫
≫やべえよやべえよ≫
「ところで、この服の露出はもうちょっとなんとかなりませんか?」
「誠に申し訳ありません」
≫今なんて?≫
≫露出、だと?≫
≫見せろすぐに≫
≫鏡は?≫
しまった。
コメントに餌を与えてしまった。
それにしても、侍女の人は即却下したな。
こちらに選択権はないということか。
このまま言うとおりにして大丈夫なのかな?
「ご案内します」
侍女の人は目で着いてくるように促してくる。
ボクはそれに着いていった。
豪華な中庭を通り、更に通路を歩いていったところで侍女の人が止まる。
そしてボクの方に振り向いた。
「こちらでお待ちください」
そう言って、ドアを開ける。
侍女の人は一礼したまま動かないので、もう入るしかないという雰囲気になっている。
こういう強制力のある雰囲気は好きじゃないので敢えて断りたくなった。
でも、開いたドアから見えた部屋の豪華さに目を奪われる。
天井からぶら下がるシャンデリア。
シャンデリアの装飾は凝っていて、よく見ると無数のロウソクが灯っている。
その明かりが照らすのは、大きな絵画や複雑な模様の絨毯、カーテン付きのベッド。
淡い光沢を放つ家具。
家具の上の生け花も、花や芸術が分からないボクでも一つの世界を感じた。
いつの間にか部屋に入っていた。
「それでは失礼いたします」
侍女は一礼するとドアを閉めてしまう。
「あっ」
ボクはこうして部屋に残された。
中央に椅子と机があるのでそこに座って待ってろということだろうか?
皇族に対する作法なんて知らないんだけど大丈夫かな? などと余計な心配をしてしまう。
ん?
ふと、背後に人の気配を感じた。
思わず振り向く。
その振り返った先に見えたものを見て、思いっきり固まる。
その見えたものも動きを止めて固まっている。
これが、ボク、か?
鏡に映る人物のあまりの美少女っぷりに息を飲んだ。
顔は卵形で、目はつり目がちだが大きく、鼻や口は小さく整っている。
どちらかというと美人系だが。目が大きいからか少女っぽさも残る。
華奢な身体付きながら出るところは出ていた。
着せられた服は、首元が大きく開き、細い首と大きな胸に目がいく。
全体としては清楚な感じでシンプルに身体のラインを出しつつ、生地の弛みでチラリズム的な隙もある。
≫かわええ≫
≫マジ?≫
≫惚れた≫
≫キター≫
≫●REC≫
≫なんでオカルト配信やってたんだよ?w≫
≫ガタッ!≫
映ってから少しして怒濤のコメントが流れる。
すぐにその場所から離れる。
心臓がドクバクいってる。
「失礼いたします。ミカエル殿下が参りました」
ドアの外からさっきの侍女さんの声がした。
まだパニックの途中なんですけど?
とりあえず息を深く吸って心臓を落ち着けようとする。
ドアが開き、躊躇なく男が入ってくる。
「へぇ」
見た瞬間、あれ? この男どこかで、と思った。
≫テライケメン≫
≫これが王子様か≫
コメントにある通り、確かにイケメンだ。
肩幅はあるのに華奢で線は細い。
手足は長い。
顔は小さく口は大きめで、全体的に整っている。
でも、チャラい雰囲気がどうにもカンに障った。
チャラい?
それで思い出した。
「あなたは来賓席にいた方ですか?」
「ああ、そっちも気づいてたのか」
笑顔で一歩近づいてきたので、一歩下がる。
「なんの用事ですか?」
「君に興味があってね」
そのまま見つめてきた。
嫌な予感がする。
≫なんか雰囲気やばいな≫
≫逃げてー≫
「興味、ですか?」
無言の空間に耐えられずに思わず聞いた。
ミカエルは何も言わずに笑顔で近づいてくる。
「後ろ危ないよ」
直後に何かが足下にぶつかる感覚があった。
「あっ」
いつの間にか抱き抱えられるようにして、腰を支えられている。
しかも顔が近い。
パニックに陥っている内に易々と抱え上げられ、お姫様抱っこされる。
それでもう訳が分からなくなった。
≫なにが起きてる?≫
≫ピンチ?≫
≫ちょwww≫
そのままどこかに歩いていく。
お姫様抱っこの状態なので、どこに向かってるか分からない。
天幕のあるベッドに優しくおろされる。
意外にベッドは固かった。
更に上からミカエルが多い被さってくる。
「待っ」
それを拒否しようと押しのけようとすると、両手を捕まれて頭の上に押しつけられる。
動こうとするが全く身動きできない。
この皇子様、身体は細いのにどこにこんな力が。
しかも見つめてくるので気持ち悪い。
≫やべー≫
≫まずいまずいまずい≫
≫誰か!≫
コメントが大量に流れてくるのだけは分かった。
内容は読んでる余裕がない。
「くっ」
顔が真っ赤になるくらいの全力を出すが、ちょっと力を強く押さえ込まれただけで動けなくなった。
「抵抗しちゃって可愛いね」
動けない絶望と共に、鳥肌が立った。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
顔を必死で背けながらなんとか逃れようともがく。
押さえられている手が痛い。
≫なんとか相手の両足を見てくれ≫
たくさん流れていくコメントの中で、それが見えた。
しばらくすると、また同じコメントが流れてきたので同じ内容を何度も書いていてくれたのかも知れない。
コメントしてくれた視聴者が、ミカエルの両足を見て、状況の打開策を教えてくれようとしていることに気づく。
「力強いね。怪物と戦って生き残っただけのことはあるかな」
余裕の声。
ミカエルに悟られないように、僅かな隙間から、彼の足の位置を確認する。
右足が膝をついている。
左足は膝を延ばし気味で後ろにあった。
≫OK。自分の右足の裏を床につけて、骨盤を横から縦向きにして隙間作って≫
柔術か何かだろうか?
なんにせよ、このコメントに従うしかない。
抵抗を装いながら、腰を縦にして、出来た隙間を視界に入れる。
≫OK。相手の右膝に、左足裏か、無理なら左膝をくっつけて≫
「大丈夫だから」
ミカエルの声だ。
何が大丈夫か知らないが、全然大丈夫じゃない。
怒りが沸き始める。
その怒りを押し殺し、必死で足裏をミカエルの膝にくっつけようとする。
でも無理だったので足裏を諦めて膝をくっつけた。
それを視界に入れる。
≫思いっきりそいつの膝を蹴って≫
≫膝が伸びたらそいつと上下身体を入れ替えて≫
≫入れ替えるときは頭真っ白にして全力で≫
身体を入れ替える?
ボクが上からのし掛かる形になればいいのかな?
膝を使ってミカエルの膝を押す。
あれ?
十分に伸ばしきれない?
焦ったけど、すばやく足裏をミカエルの膝につけて思いっきり蹴飛ばす。
ミカエルは膝が伸びきって支えを失い、ボクに倒れ込んできた。
「この!」
憎しみを込めて、入れ替わるように身体を回転させる。
「あれ?」
気づくと身体の位置が入れ替わっていた。
ボクの下になったミカエルも何が起きたか分からない表情をしている。
でも、すぐにその目に意志が宿る。
とにかく逃げないと。
「さすがに今のは驚いたな」
ミカエルはそう言いながらボクの腰に両手を回してガッチリホールドしてきた。
まずい。
逃げようとするが逃げられない。
「んんっ!」
離れようと全力で自分の腕を突っ張る。
でも、腰に回された手が離れない。
「さっきのは偶然?」
≫何されてる?≫
コメントでそう聞かれたけど、腰をホールドされてる状況は、目視で伝えることが出来ない。
——実況するしかないか。
「下から腰に両腕を回されて、ボクの後ろでホールドされてます」
「ん?」
ミカエルが面食らった顔をしている。
いきなり実況されたら当然そうなるだろうな。
≫OK。相手の両ワキに自分の肘を押しつけて≫
「どうかしたのかな?」
ミカエルは無視する。
そしてコメントで言われた通りに、ミカエルの両ワキにボクの肘を押しつけそれを目視する。
腰を反らせて肘を付いてる状況だ。
大きな胸はミカエルの胸にくっついたままだった。
≫OK。相手の二の腕を肘でこじ開けて≫
≫ワキが閉まらないように邪魔しながら≫
言われる通りすると、ボクの腰にあった相手の腕が背中までせり上がってくるのが分かった。
「ホールドされていた腕が背中にきました」
≫そいつの胸押しながら思いっきり離れて≫
思いっきり手を突っ張って勢いを付ける。
その勢いのお陰か、相手の腕がほどけるのが分かった。
すぐにベッドから離れ、逃げ道を探す。
ドアから出ると侍女とか護衛がいる。
窓は?
部屋の壁に目を走らせる。
すると、ベッドの傍にカーテンが見えた。
すぐに近づいてカーテンを開ける。
「これどうすれば?」
窓は開くようになってなかった。
壁に、コーラの瓶のような薄緑色のガラスがはめ込められているだけだ。
大きさはそこそこ大きく、両手を広げたくらいはある。
≫割れ≫
≫蹴破れ≫
もう一刻の猶予もない。ベッドからミカエルが起きあがるのが見えた。
「蹴破る!」
そう宣言して、服の足元の方をたくし上げる。
「せやっ!」
気合いを入れて、窓の中心を蹴る。
ヤクザキックみたいに正面から足裏で蹴る形になった。
でも、ミシッという音がしただけで割れない。
「元気だね」
「ッ!」
ミカエルの声に恐怖し、全力で体重をかけて窓に体当たりする。
バリッという音と共にボクは窓の外に落ちた。
「わ!」
ボスッ。
何が起こったかなんて気にする余裕もなく、ボクは無我夢中でそこから離れた。
次話は1時間後くらいに投稿する予定です。