第47話 奴隷と女神
皇宮から養成所に戻る。
短い距離なのに、何人もの兵士がいた。
兵士以外の人は見掛けないし、警戒態勢なんだろう。
そして帰りも、クルストゥス先生の遣いの女性が付き添ってくれていた。
名前を聞いてみると、彼女はカーネディアと名乗った。
10年近く前に、クルストゥス先生の助手として買われた奴隷らしい。
≫この普通な感じのお姉さんが奴隷だと!?≫
≫おのれクなんとか!≫
≫10年前っていくつだったんだ?≫
「カーネディアさんは反乱のことをどう思いますか?」
奴隷という立場の彼女は、今回のことをどう考えているんだろうか?
ボクも剣奴という名の奴隷なんだけど、寮に入ってるスポーツ強豪高の学生くらいの感覚だった。
なので、反乱を起こす気持ちが分からない。
「それは私個人から見た感想でしょうか? それとも客観的な意見でしょうか?」
「カーネディアさん個人から見てどう感じるかということが聞きたかったんですけど、両方お願いします」
「分かりました。私個人としては反乱や逃げることはあり得ません。私はクルストゥス様に随分と良くしてもらっています」
「そうなんですか」
カーネディアさんは誇らしげな顔を見せた。
「はい。客観的な意見としては、愚かなことだとは思います。奴隷の反乱は成功したことがありませんから」
≫反乱って何回くらいあったんだろうな?≫
≫スパルタカスの反乱が3回目だっけか?≫
「しかし、反乱が戦果を上げるたびに奴隷の待遇は良くなってきたという話です。将来の奴隷たちにとってみれば良いことなのか知れません」
そういうものなのか。
悲惨さは異なるけど、労働争議みたいなものなのかな?
「なるほど。ありがとうございます。常識的な知識かも知れないんですけど、奴隷の反乱はこれまで何回くらいあったんでしょうか?」
「6回です。今回の規模が大きくなれば7回目ということになります」
≫7回目、だと?≫
≫歴史だとスパルタカスが最後じゃ?≫
≫今、そっちは何年なんだ?≫
スパルタカスというのは名前は聞いたことがあるくらいだ。
その反乱が何年くらいにあってどんな内容だったかというのは全く知らない。
「えーと、スパルタカスの反乱は知ってますか?」
「スパルタカスの反乱ですか。今から2千年以上前の3回目の反乱ですね。ローマ史の中でも最も有名な反乱です」
≫2千年以上前?≫
≫紀元前73年から2千年って≫
≫時系列的にはそこは現代ってことか≫
ボクも少し混乱していた。
かろうじて、過去じゃないかも知れないということだけは分かる。
魔術が存在する時点で、過去もなにもないんだけど。
≫今、何年か聞いてみて≫
≫西暦?≫
≫ローマの紀年法っていっぱいあるぞ≫
≫古代ローマならローマ建国紀元があるはず≫
≫いや、ユリウス暦なら調整が必要だろ?≫
コメントが何を言っているか分からない。
でも、『ローマ建国紀元』というのがあるのか聞けばいいんだろうか?
「ローマ建国紀元って分かりますか? それで今年が何年かを教えてもらえると助かるんですけど」
「え? ローマ建国紀元は知っていますが……。今年はAUC2781年になります」
≫は? こっちと同年かよ≫
≫2781-753=2028≫
≫マジかよ≫
≫パラレルワールド説浮上≫
コメントのことを信じるなら、時間的にはボクのいた日本と同じってことだよな?
どういうことなんだろうか?
そんなことを話している内に、養成所の入り口に着いた。
ボクはカーネディアさんにお礼を言うと、彼女は「しばらく毎日顔を出します」と言って帰っていった。
「ただいま」
部屋に戻る。
「おかえり。どんな用事だった?」
マリカが聞いてきたので、ボクは包帯兵として反乱軍の討伐隊に加わることになったと話した。
「なにそれ? 意味分かんないんだけど?」
「皇妃が権力使って、ボクを合法的に殺そうとしてるんじゃないかな?」
自分で言ってて合法的というのがこのローマ世界で通用するんだろうかと思った。
「本当、アイリスって皇妃に何したの? そこまで恨まれるなんてよっぽどだと思うけど」
「それが分からないから困ってるんだけど。どうも自分の思うとおりにならないのが許せないってタイプみたいだから、それが原因かも知れないけど」
「うわー、それは目を付けられただけで嫌かも」
心底嫌そうな表情でマリカが言った。
≫かわいい≫
≫いやかわ≫
「話変わるけど、マリカは包帯兵のこと知ってる?」
「全然知らない。あ、養成所の医者に聞いてみたら? 養成所の医者って軍医上がりが多いみたいだし」
そういうものなのか。
武器で怪我するというところは確かに近いかも知れないけど。
「分かった聞いてみる。ありがと」
ボクは、朝ご飯のあと、肩の調子を診せるついでに聞いてみることにした。
そして、マリカと朝ご飯を食べたあと、医務室に向かう。
お粥を受け取りに来ている養成所の人たちは、いつもより静かだった。
この養成所から何人くらいが反乱に加わったんだろうか?
「痛みはありませんか?」
医務室に着くと、いつもの壮年男性のお医者さんがボクの肩を触診していった。
「はい」
「問題ないようですね。昨日、あれだけ動いていたので心配していましたが」
「もしかして見てました?」
「もちろんです。この養成所の闘士が怪我していた場合は治療する必要がありますので」
「そういうことですか。ところで、1つ聞きたいことがあるんですが大丈夫ですか?」
「新たな怪我人が来るまでなら大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。聞きたいというのは包帯兵についてです」
それから彼に包帯兵と軍医のことを聞いた。
話を聞いていくと45歳まで奴隷の立場で軍医をしていたらしい。
そのあと、解放奴隷となったものの、この養成所で働いているとのことだった。
≫医者が奴隷なのか≫
≫古代ローマだと医師や教師は奴隷だぞ≫
≫先生(奴隷)≫
そして包帯兵は百人隊に1人配属され、怪我人の応急手当を行うらしい。
応急手当しても戦いに戻れない場合は、軍医の下で治療することになるらしかった。
この辺は朝、ユミルさんに教えてもらった通りだな。
話を聞いている内に包帯兵の大体のイメージが掴めてくる。
話が一通り終わったあと、お医者さんがボクのことを見て考え込んでいた。
「どうしたんですか?」
「いえ、失礼しました。なんでもありません」
「何か気になったことがあれば言ってください。何か生きていく上でヒントになるかも知れないので」
「いえ、大した話ではないのです」
「そこまで言われたら余計気になります。遠慮なく言ってみてください」
「そうですか。では失礼して。まず、気になっていたことは2つあります」
「はい」
「まず1つはどうして貴女が包帯兵として配属されるかという点です。失礼ですが、最初にここを訪れて以来、医学の知識があるようには見受けられませんでした」
「それは確かですね。ボクに医学の知識はありません」
「やはりそうですか。そうするともう1つの噂の謎が深まります」
「――噂の謎ですか?」
少し嫌な予感がした。
「私の友人の医師から聞いた話です。その話によると、昨日、多くの親衛隊の方々が女性に救われたと聞いています。その救った人物は、女神のような美しさと完璧な治療技術、そして怪物など物ともしない強さを見せたようです」
≫あーwww≫
≫いったいどこのアイリスさんなんだ?w≫
≫これラキピだわw≫
「親衛隊の中ではこう言われてるようですよ『女神ミネルウァが降臨され我々を救ってくれた』と」
いや、これコメントの皆が言うようにボクだよね。
――女神。
まさかボクが女神呼ばわりとは。
どんどん男から遠ざかっていく気がする。
≫ミネルウァってアテナのことだよな≫
≫元々、アイリスって女神の名前だし≫
≫虹の女神だけどな≫
マジか!
ボクは頭を抱えた。
まさか自ら女神を名乗っていたなんて、函館の誇りシネマ・アイリスから採っただけなのに……。
「どうなされましたか?」
そう声を掛けられたときだった。
「アイリス闘士はいるか!」
診療室の外から声がした。
「はい。ここにいます」
ガチャっと音がして、見たことのある訓練士が入ってきた。
少し慌てているようだ。
「アーネス皇子がお見えになっている。お話があるとのことだ」
「ボクにですか?」
訓練士は頷き、「来い」と言って歩き出した。
ボクは慌ててお礼を残し、医務室から出て行った。
≫そもそも今、皇子が外を出歩いていいのか?≫
≫普通に考えたら絶対にダメだよなw≫
≫そこまでしてアイリスちゃんに会いたい!≫
着いていった先は、応接室のような場所だった。
失礼しますと入っていくと、そこにはアーネス皇子と、剣を腰に帯びたエレディアスさんがいた。
エレディアスさんはボクと一緒にグリフォンと戦った親衛隊の人だ。
彼と一瞬だけ目が合うと、苦笑して肩をすくめた。
ボクが姿を見せると、アーネス皇子はボクに駆け寄ってきて両手を握った。
呆気にとられたボクは手を握られるままになってしまう。
それに気付いたのか、アーネス皇子は慌てて手を放した。
「私としたことがすまない。つい嬉しくなってしまって」
「い、いえ、大丈夫です」
そもそも、ボクは皇族に失礼のない立ち振る舞いとか知らない。
敬語はよく分からないので丁寧語で精一杯だ。
出来ないものは出来ないのでそれで行くしかないんだけど。
「もう1度、キミにお礼が言いたくて来た」
「わざわざありがとうございます」
ボクは頭を下げた。
「あのとき、目を覚ますとキミがいた。月明かりに照らされて、まるで女神ディアーナのようだと思ったよ。そのくらい美しかった」
≫また女神かw≫
≫もうこれ女神だな≫
≫つーか、なにこれラキピ口説いてんの?≫
≫ディアーナって月の女神かw≫
「ともかく、私たちを助けてくれてありがとう」
そう言ってボクを真っ直ぐに見てくる。
『私たち』か。
彼は悪い人じゃないのかも知れないと思った。
「ところで、私の母がキミに酷いことをしようとしてるらしいね」
酷いこと?
一瞬、考えてしまったけど、それが包帯兵のことだと気付く。
「キミは確かに強い。しかし、私の母はその強さとは別の強さを持っている」
皇妃って怖いもんな。
あの怖さの上に権力持ってるから確かに太刀打ちできない。
「その強さから身を守る術を手に入れたくはないか?」
「あれば手に入れたいと思います」
「ある。私だ。私ならキミを守れる」
「あ、大丈夫です」
ボクは咄嗟に言っていた。
あの皇妃に、ボクがアーネス皇子によって守られてるところなんて見せたら、何をされるか分からない。
それに皇子たちをグリフォンから救ったと言っても、あの皇妃と敵対するほどの恩は売ってない。
元々、あのグリフォンはエレディアスさん1人でもなんとかなったはずだ。
そこに、たまたまボクが加勢しただけだと思う。
≫うわぁw≫
≫ノータイムで断るかよwww≫
≫一級フラグ破壊師w≫
≫聞いてる俺の心が痛い≫
≫皇子の口からエクトプラズムがぁ!≫
エクトプラズムってなんだよ。
魂が口から出てるってことが言いたいんだろうけど。
でも、そんなこと言われても仕方ない。
断る以外の選択肢はないように思う。
皇子に守って貰うのは双方にとって良くない。
だから曲げられない。
その後、皇子は気を取り直して「助けになるから困ったことがあれば言ってくれ」という言葉を残して帰っていった。
エレディアスさんの背中は笑いを堪えてるのかプルプルと震えていた。
次話は、22日(金)の午前6時頃に投稿する予定です。




