第45話 月明かり
ボクは今、円形闘技場の地下にいる。
その地下の通路で空間把握に集中していた。
空間把握で見ているのは少し離れた場所にあるエレベーターの部屋だ。
そのエレベーターの部屋には男と巨人がいた。
男の方はさっきまでエレベーターのカゴ室に閉じこめられていた。
その男は剣闘士筆頭『不殺』のマクシミリアスさんのはずだった。
彼のことは遠目にしか見たことがない。
顔とか姿形は分からない。
でも、男はボクの知っている人によく似ていた。
ルキヴィス先生。
いや、まさか。
「――めよ」
遠くで金属の音と小さな声が響いてくる。
兵士が近くまで来ているんだろうか?
ここにボクがいるのを見つかってしまうのは避けたい。
反乱の仲間と思われる可能性がある。
ボクは、音を立てないように牢の方向に移動した。
移動しながら空間を探る。
牢の向こうにかなり広い通路があるみたいなので、そっちに向かった。
探っていくとさっき話した巨人以外にも、3人の巨人が牢の中にいる。
あと、ボクと戦ったドラゴンらしきものも大きな牢の中でじっとしている。
ボクは巨人たちやドラゴンに見つかって騒がれるのも嫌だったので、回り道をして移動した。
それにしても牢が多い。
大きなものも含めて50はありそうだった。
しかも牢の中に怪物はいない。
これまで倒した怪物は10匹くらいだろうから、それ以上にボクが向かってる広い通路の方向にいるのだろうか?
その広い通路は、空間把握でも先を見通せない。
かなり長い距離があるんだろう。
広い通路に出ると風の流れを感じた。
通路は少し上り坂になっている。
外に通じてるんだろうか?
歩き出すと、静かに歩いているにも関わらず、靴音が反響する。
≫音からすると広い空間か?≫
≫相変わらず何も見えん≫
≫明かり欲しいな≫
≫ガンマ補正頼むw≫
「えーと、今、かなり広い通路の入り口にいます。靴音が響いてしまって静かにしてても仕方ないので、走って抜けますね」
≫怪物の搬入口かもな≫
≫ああ、なるほど≫
天井もドーム状になっていて高い。
確かにこれなら、あのドラゴンより相当大きな怪物でも入ると思う。
通路を走っていくと、明るくなってきた。
もうすぐ外だ。
外の様子を空間把握で確認しながら走る。
戦ってる?
ごちゃごちゃしていて分かり難いが、怪物と兵士たちが乱戦になっている。
そしてそのまま外に出る。
右側から夕日に照らされた。
数秒で目が慣れ周りの様子がはっきりと分かってくる。
――あ。
ボクはその光景に言葉を失った。
大勢の兵士が倒れている。
何匹もの怪物が横たわっている。
動機がして胸を押えた。
呼吸が苦しくなり、足が震える。
それなのに、瞳にだけ力が入って目を逸らすことができない。
視界いっぱいの死。
周りに広がっている死を認識したとき、ボクは訳も分からず泣いていた。
悲しいとか辛いとか怖いとかそういう感情は全くない。
ただただ、ボクの感情が大きく揺さぶられて、それを処理しきれずに涙が溢れる。
≫おいどうした?≫
≫一瞬見えたけど人がたくさん倒れてた≫
涙は止まらないけど、頭のどこかに冷静に考えるボクもいる。
視界はぐちゃぐちゃで使い物にならないのでボクは空間把握に切り替えた。
2、30人は倒れている。
広い道を遮るように兵士が守っている。
彼らの前にいるのは、キマイラリベリだろうか?
涙を服で拭って、顔を上げる。
後ろからだけど、あれはキマイラリベリだ。
その道の先にも怪物がいて、3人の兵士で止めようとしているけど不利な状況に見えた。
それだけじゃなくて、別の場所にも怪物と戦っている兵士の姿がある。
≫大丈夫なのか? こんな画面映して≫
≫CGっていえば問題ないだろ≫
ボクは左目の涙を肩の部分で拭った。
≫目を閉じたか。その方がいいかもな≫
え?
肩で目を拭っているまま、ボクの動きが止まる。
ボクにはまだこの悲惨な状況が見えてる。
目は閉じてない。
「えっと、ちゃんと動画は真っ暗になってます?」
ボクは視聴者に聞いた。
≫黒いな≫
≫何も見えん≫
≫BANされないためにもその方がいいかも≫
ボクは右目だけ周りを見た。
片目だけ閉じるのは慣れないけど、できないことはない。
「ありがとうございます」
別のことに意識が向いたからか、動揺も少し収まっている。
落ち着いて見ると、倒れている兵士だけでなく、それを応急処置している兵士も何人かいる。
ボクは彼らに向けてすぐ声を掛けた。
「大きな怪我をしている方はいますか。ボクは止血の魔術が使えます」
何度かその声を繰り返すと、処置をしている兵士が懇願するような目でボクを見てきた。
ボクはすぐにその下に向かい、怪我の様子を聞く。
聞きながら、流血している場所を探り、魔術で血の流れを止める。
血自体はそれほど流れていない。
その兵士の人は肩口を半分くらい失っていた。
ボクは、短剣を借りてすぐに電気メスの要領で止血した。
「怪我した肩を上にして横にさせててください。怪我した場所を高い所に置くことが重要です」
ボクは、借りた短剣を鞘ごと貰うことになって、更に10人以上の兵士の止血を行った。
死んだ兵士たちは、ノドや胸などを噛まれたり爪で抉られていた。
ボクは気持ちを強く持って、まだ続いている兵士と怪物の戦いの場所へと向かった。
「これが最後の怪物かな?」
怪物は風で壁にぶつけるか、高く飛ばしてから落とすことで無力化した。
たぶん、死んではいないと思う。
もう日は沈んでいて、暗くなってきている。
「いえ、最後ではありません。円形闘技場の方角にグリフォンが逃げていきました」
≫グリフォンもいるのか≫
「グリフォンって飛べますよね? 飛んで逃げるなら、街への被害はないんじゃないですか?」
「いえ、それが闘技のために翼を切っているので僅かの間飛べるだけになっています。グリフォンは非常に獰猛なので、被害が出る可能性は高いかと」
≫アイリスちゃん敬語使われてるw≫
≫つーかラキピ助けるのか。人が良いな≫
「――すみません。盾をお借りできますか?」
「自分のでよければ」
「ありがとうございます。少し強い風で煽られると思うので離れててください」
ボクは盾を胴体と顔を当ててすぐに飛んだ。
姿勢を安定させてから、片膝を立てて盾の上に座る。
顔を上げると、夕暮れのグラデーションが僅かに見え、星もいくつか見えた。
ボクは両目を開けて円形闘技場の近辺を探った。
暗くて細かいところは見えないけど、動きがあれば分かるはずだ。
すると円形闘技場の先、宮殿のある丘の向こうに大きな鳥がいるのが分かった。
ドラゴンよりは小さいけど、その半分くらいはあるように見える。
どうして逃げないんだ?
と思うが、何かを襲っているようにも見えた。
ボクは、盾に風を斜めから当ててグリフォンの下に向かった。
最後に残った空のグラデーションが消え、真上にあった月が輝きだす。
ボクはグリフォンの斜め上まで辿り着いていた。
そして、風の魔術を使うのを止める。
盾に乗ったボクは、重力にしたがって急下降を始めた。
目標はグリフォンの後頭部。
「アイリス――」
「パーンチ!」
≫またかw≫
≫アイリスパンチ(踏み付け)≫
盾がグリフォンの後頭部を捉えた。
グリフォンの頭の大きさはボクより大きいけど、4倍くらいだ。
十分に効果はあったみたいでグリフォンはフラフラと落ちていく。
ボクは、地面にぶつかる前に風の魔術を使って勢いを殺しながら着地した。
「くっ」
着地はまだ慣れてないので、衝撃が強い。
すぐにグリフォンを見るとボクを射抜くような目で見ていた。
「キミはさっきドラゴンと戦っていた女剣闘士か?」
少し離れた位置から剣を構えた兵士が声を掛けてくる。
いや、兵士という感じじゃないな。
「はい。そうです」
そう言ってから、自分が女だと言われて違和感なく返事をしてしまったことに自己嫌悪した。
「手を貸してくれ。皇子があの馬車の中にいる」
見ると、グリフォンは馬2頭と馬車をその大きな前足で掴んでいた。
男は兜も身に着けず、汗だくになっていた。
肌に張り付く髪が月明かりに照らされている。
「分かりました。それでボクは何をすればいいですか?」
グリフォンの挙動に注意したまま返す。
「奴が飛び上がろうとしたら俺がアンチマジックで落とす。その隙を狙い、馬車を掴んでる前足をなんとかしてくれ」
「――初対面なのに無茶なこと言いますね」
「悪いな。でもキミを二度見てファンになったから無茶だとは思ってない」
――え?
一瞬、何を言われたのかと思った。
でも、グリフォンの身体の電子が見える。
「来ます!」
「は!」
彼からグリフォンまで、大きな光が広がった。
グリフォンは羽ばたくが、ガクッと落ちた。
ボクは、盾を背後に固定して風の魔術を使いグリフォンまで一直線に飛ぶ。
更に盾で前足に打撃を当てようと、持ち手の部分に手をかけた。
でも、このままだと身体を安定させて盾に風を当てて加速するのは難しい。
難しくてもやるしかない。
ボクは背中から押した風を維持しつつ、盾にも突風を当ててグリフォンの前足を打撃した。
足の内側から外側に打撃したので、そのまま股が開くような形になり、グリフォンの前足が馬車から離れる。
グリフォンはそのまま横倒しになった。
「せいーっ!」
そこにさっきの彼がグリフォンの首下に向かって剣を振り下ろす。
カンッ。
グリフォンはその剣をクチバシで弾いた。
男が着地する寸前に、グリフォンは風を起こし、男を吹き飛ばす。
男は大きく横に避けて転がった。
その隙にグリフォンは飛び上がり、更に4階の建物を踏み台にして逃げていった。
ボクはといえば、肩から落ちて身動きが取れない状態だった。
「皇子!」
すぐに男が馬車のドアをこじ開けて中を確認する。
「皇子、皇子!」
焦るような男の声に、ボクは慌てて馬車の下に向かった。
「どういう状況ですか?」
「皇子が頭から血を流して動かない。ただ、脈も呼吸もある」
「分かりました。ボクは止血の魔術が使えるので任せてください」
「――分かった。頼む。俺は他の3人の様子を見てくる」
男は少し迷いを見せたが、すぐに皇子をボクに任せてくれた。
そして馬車の中に入っていく。
皇子は第一皇子で、第二皇子でなかったことにほっとする。
あのミカエルだったら見捨ててた確率9割9分9厘だ。
ボクはすぐに皇子の頭の出血を止めた。
コメカミ辺りを切ったみたいで、出血は激しかった。
すぐに、他に出血している場所はないか、頭の中まで含めて探る。
内出血しているような不自然なところはない。
ボクは馬車の中にいる彼に断りを入れてから短剣を取り出した。
そして、電気での止血を行う。
あとは頭を高いところに置けば大丈夫かな。
でも、皇子という立場の者が枕に出来るようなものは周りになかった。
いや、実はある。
ボクがやりたくないだけで。
ライブ配信さえしてなければまだいいんだけどな。
暗くて見えてないかも知れないけど、月明かりのせいで近くによると顔くらいなら見えてるかも知れないんだよなあ。
――あれ?
≫なんだまた真っ黒だぞ≫
≫顔だけ少し見えてたのに≫
≫なぜ目を閉じた!≫
≫皇子きゅん見せてー≫
ふっふっふ。
ボクは左目だけを閉じていた。
ボクは正座をして、皇子の頭を太ももに乗せる。
正座だと少し高いので女の子座りをすると、ちょうど良い高さとなった。
月明かりに照らされて皇子の顔が見える。
どうしてこんなことになってるんだろ。
遠くでまだ兵士たちの声が聞こえていた。
シャザードさんの反乱はまだ始まったばかりだ。
でも、怪物を逃がして混乱させる、という目的は完全に果たしたと思う。
これからどうなるんだろうと月を見上げた。
そんなどうでもいいことを考えていると、皇子が身じろいだ。
そして、彼はうっすらと目を開ける。
「大丈夫ですか?」
ボクは思わず声を掛けていた。
皇子はそう言ったボクの顔を少し驚いたように見つめていた。
次話は、14日(木)の午前6時頃に投稿する予定です。




