第37話 師
お昼ご飯を受け取るために並んでいると、何人かに声を掛けられた。
昨日も2人に声を掛けられたけど、今日はもう20人を超えている。
そのほとんどが、ボクと巨人との戦いを称えるもので、結果は残念だったなという好意的なものだった。
ボクは嬉しくなって笑顔で「ありがとうございます」と頭を下げていた。
あと、ルキヴィス先生がセルムさんに勝った話も何度かされた。
養成所は今、セルムさんが負けた話で持ちきりらしい。
お粥を受け取ろうと並んでいる人たちの話に耳を澄ますと皆がその話をしていた。
マリカは闘技会の対戦表を見てからずっと沈んでいる。
たぶん、ボクがドラゴンと戦うからだろう。
そこまで絶望的なんだろうか?
「ありがとう。魔術の練習の話だけど、マリカは順調?」
部屋に着いた。
ボクの分までお粥を持ってきて貰ったので、マリカにお礼を言う。
「ああ、うん。ロウソクの火は簡単に消せるよ。広い範囲でもいくつかの場所を同時でも。それにしてもロウソクが燃えるのにサンソが必要なんて想像もしたことなかった」
マリカが椅子に座りながら言った。
酸素の存在っていつ知られたんだっけ?
錬金術の時代のあとだと思うから、500年は経ってないと思うけど。
「燃えること自体に酸素と熱が必要だから。酸素か熱のどちらかが十分にないと、火は消えるよ」
「そう、だったんだ。それなら火事とかになっても、サンソを減らせば火は消えるってこと?」
「うん、消えるはず」
「そっか」
「そういえばマリカって魔術をすごく広い範囲で使えるよね? あれってどうやってる?」
「どうやって? えーと、ちょっと待って」
マリカが腕を組んでうーんと唸り始めた。
「魔術を使いたい場所の一部分だけを見て、そこから全体を想像してるかな。魔術はその想像も含めた全体に使える」
「一部分だけってどういうこと?」
「なんて説明すればいいかな? たとえば、見慣れてるこのテーブルなら、少し見ると全体が思い出せるでしょ? そういう、ちゃんと思い出せる部分にも魔術は使えるってことかな」
「あれ? でも、マリカの魔術って空気しかない空間に使ってるんだよね?」
「そうなんだけど、私の場合は周りの景色も含めて具体的に思い浮かべないと魔術は使えない。そうじゃないって人もいるかも知れないけどね」
≫なるほど分からん≫
≫なんか法則はあるっぽいな≫
「ありがと。参考になった」
「そう? じゃ、はい。口開けて」
マリカがお粥をスプーンですくってボクの口元に運んでくる。
ボクは素直にそれを食べた。
≫これを待ってた≫
≫ふふん。既にお粥はスタンバってるぜ!≫
≫疑似あーん素晴らしいな≫
≫しまった。次は俺も用意しよう≫
≫お前ら朝っぱらからwww≫
たぶん、視聴者は自ら用意したお粥をマリカに食べさせて貰ってる風味で、自分で口に入れてるんだろう。
スマホかディスプレイを目の前に置いて。
さすがだとしか言いようがない。
「マリカは今までにドラゴンが戦ってるの見たことある?」
「ここに来てから1年以上になるけど、一度も見たことないな」
「じゃ、剣が通らないとか言うのは常識的な知識?」
「常識的な知識というよりも、養成所で教えて貰える話かな。はい、口開けて」
ボクは差し出されたお粥をはむっと食べる。
なるほど、養成所に伝わる話ということは、過去にはやっぱり誰かが戦ったんだろう。
「昔、誰かが戦ったってことかな? もし剣闘士が勝ったのなら、その話が聞いてみたいんだけど」
「私は、前の訓練士のフーベルトゥス先生にそういう話を聞いただけだから。誰が戦ったとか、勝ったのか負けたとかも知らないし」
「うーん、そうかー。やっぱりクルストゥスさんに聞くのがいいのかな?」
「それしかないんじゃない? はい、口開けて」
はむっとお粥を食べる。
≫話が全く入ってこないw≫
≫マリカちゃん面倒見いいよな≫
≫バブみある≫
17歳の女の子にバブみを感じてしまっているのか。
なお、バブみというのはずいぶん前に流行ったネットスラングで、特定の対象に赤ちゃんのように甘えたいという感情を表す言葉だ。
そのあと、時間を掛けてお昼を食べながら、マリカの次の闘技の相手や、第五席のシャザードさん、筆頭のマクシミリアスさんの話を聞いて過ごした。
シャザードさんは『切断』の二つ名の通り、相手の剣を斬ってしまうらしい。
剣の材質は互いに運営が用意した鉄らしいので、道具の差ではなさそうだ。
何かそういう魔術が使えるんだろうか?
マクシミリアスさんは、剣だろうと魔術だろうと怪物だろうと、相手に攻撃させてから倒すらしい。
恐らく、運営側が彼にそういう戦い方をお願いしてるじゃないか、とのことだった。
そりゃ、一方的に一瞬で片がついたら見世物としては面白くないだろうからなあ。
現に、今日のルキヴィス先生とセルムさんの模擬戦はセルムさんの強さが全く分からなかったし。
でも、そんな不利な状況で10年も勝ち続けてるなんて、どれだけ強いんだろう。
≫それにしても話題が全然女子っぽくないなw≫
「見てる人たちが言ってるんだけど、会話の内容が女の子っぽくないって」
ボクはマリカにそう言ってみた。
「え? そうなの? 普通の女の子って何話すの?」
「えっと、ボクたちの国だと芸能人とか物語含む男性の話とか食べ物とかファッション? あと美容とかもあるかな。もちろん、みんながそういう訳じゃないけど」
澄夏が他に話すことないの? と憤慨してたのでそんなところだろう。
澄夏は兄のボクすら毛嫌いするほどの男嫌いだからな。
――あれ?
そう言えば、ライブ配信のことで協力的だったのはもしかして今のボクが女の子だからとか?
いや、まさかな。
ピンチに陥った兄のために頑張ってくれたんだと信じたい。
「ふーん、そうなんだ。私、同じくらいの歳の友だちっていなかったから。アイリスもそういう話の方がいい?」
「そういう話は苦手だから。今までみたいなマリカとの話がすごく楽しいし」
「そ、そう? よかった」
そんなことを話したあと、ボクたちは部屋を出て練習に戻ることにした。
いつもの木陰の近くの練習場所に戻ると、もうクルストゥスさんがいた。
そういえば、ずっとクルストゥスさんと呼んできたけど、正式に魔術の先生な訳だし先生と呼んだ方がいいのかな?
「どうしたんですか? クルストゥス先生」
ボクが聞くと彼は意外そうな顔をする。
「どうしたんですかって、次の闘技の相手がドラゴン・エチオピカスということは知ってますよね?」
「はい。先生ならそのドラゴンについても詳しいんじゃないかと思って、話を聞きたいと思ってました」
「あ、はい。もちろんある程度は知っています。いえ、そうではなくて」
「アイリスに危機感ないから驚いてるんだろうけど、それを期待しても無駄だから。ドラゴンには剣も魔術も通用しないって私が教えてもこれだし」
マリカが呆れるように言った。
≫2人とも苦労しそうだなw≫
≫アイリスちゃんって天然なのかー≫
≫これは養殖じゃないなw≫
「そう、なんですか。ふぅ。分かりました。これでは取り乱していた私だけが恥ずかしい人ですね」
「いえ、そんなこと。心配してくださってありがとうございます」
ボクは頭を下げた。
「巨人は割と怖がってたみたいなのに」
「巨人は牢の前で怖すぎて気絶したトラウマがあったからだと思う」
「そういうことですか。アイリスさんの空間把握のこと聞いたときに、どうして怪物のいる牢に向かったのか不思議に思ってたんですが、元々、度胸が据わってるんですね」
≫古参は元々その度胸が好きで見てたしw≫
≫そんなことがあったのか≫
うーん、そうなんだろうか?
前は度胸に自信あったけど、今はないし。
「自分では分かりません」
「了解です。この話はここまでとしましょう。それよりも、ドラゴン・エチオピカスの情報ですよね」
そう言ってクルストゥスさんは、そのドラゴンについて教えてくれた。
全長は20キュビット――10m弱で足は2本だけ。
翼の部分はコウモリに似ていて、飛ぶことは出来ないが、鶏のように少しの間だけ浮く力はある。
ただし、浮くときは他のドラゴンと同じように魔法を使ってる可能性がある。
武器は、口や足、尾を振り回した打撃。
堅い鱗があり、剣や槍の攻撃はまず通用しない。
「足が2本ということは、足で攻撃するときは上半身だけ浮いて攻撃するんですか?」
「そこまでは文献にはありませんし目撃者の話も聞いてないですね。私も実際に見たことはないので」
なるほど。
でも、魔法で身体を浮かすことが出来るというのなら、ボクの魔術でも浮かすことができないだろうか?
もちろん、範囲は今より大きなものにしないとダメだけど。
「ところで、剣も槍も通用しないのにどうやって捕らえたんでしょう?」
「大型の怪物を捕らえるために魔術に特化した百人隊がいます」
「そんな隊が……」
百人でドラゴンを捕らえられるというのもすごいけど、よく考えたらボク1人でそのドラゴンと戦おうとしてるんだよな。
「時間がないのであまり期待は出来ませんが、もし闘技会までに彼らが戻ってきていたら弱点などないか聞いて見ます。彼らとはよく話をするので」
「お願いします」
「よっ、次の相手ドラゴンなんだって?」
挨拶をするように気楽に声を掛けてきたのはルキヴィス先生だった。
≫軽っw≫
≫逆に頼もしいな≫
「――師弟は似ると言いますが」
クルストゥス先生が肩を落とした。
「自虐はあまり良くないぞ。大丈夫。クルストゥスなら良い師匠になれるさ」
「――はい、ありがとうございます。今、ドラゴン・エチオピカスについて彼女たちに話していたところです」
な、なんか、クルストゥス先生の印象が少し変わってきてるような。
「ルキヴィス先生には、なにか秘策でもあるの?」
マリカがルキヴィス先生に言った。
あ、ちゃんと忘れずに先生呼びしてるんだ。
「ないぞ。まあ、あの風の魔術使うしかないんだろ?」
「そうですね。まともに使っても効かないと思うので、何か応用することになると思いますけど」
ボクは考えながら応えた。
「そうなるわな。俺なら全力のデンキ使ってなんとかするんだがな」
なるほど、そういう方法もあるのか。
「制御が難しいから、さすがのアイリスでも次の闘技には間に合わないからやらせないぜ?」
「ですよね。そもそも、腕が動かないので使える気がしませんけど」
「なるほどな。大きなデンキは金属ないと使えないことくらいは当然知ってるか」
「ちょっとちょっとちょっと。2人でなに話してるのか全く分からないんだけど?」
マリカが声を上げた。
≫マリカちゃんだけが俺らの代弁者だ≫
≫俺たちの癒し!≫
≫あーんして貰いたい≫
「風の魔術の応用――と話していましたね? どういうことですか?」
クルストゥスさんの印象が変わったと言っても、好奇心のときに口角が上がる癖は同じみたいだった。
「いえ、ドラゴン自身の魔法で浮けるなら、あの風の魔術も通用すると思っただけです」
ボクは話を続けた。
「例えば、翼を風の魔術で使えなくしてから、宙に飛ばして落下ダメージを狙うとかですね。これは自在に使えたらの話なので、今のボクには出来ませんけど」
「面白いな、それ」
ルキヴィス先生が感心するように言って腕を組んだ。
「時間があまりないですが、それまでにアイデアは出そうなんですか?」
「時間は少ないですけど、闘技中に考えるよりは時間があります」
「そういうことですか」
クルストゥスさんがボクに向き直る。
彼はあまり表情を変えないし、いつも真顔なんだけど、それにも増して真剣だということが分かった。
「分かりました。私も精一杯考えてみましょう。無理だなどと決め付けてる場合じゃないですね。仮にも貴女の師匠なのですから」
そして笑った。
「『仮』は余計だな。ま、俺も負けてられないか。師匠の1人として考えてみるさ。練習終わったら魔術の詳しいこと聞かせてくれ」
「2人ともありがとうございます」
「私にも何かできるかな?」
「いや、マリカも俺らの弟子なんだから、ちゃんとやることやって次も勝てばいいのさ」
「それにマリカはご飯とかお風呂とか十分助けて貰ってるから」
ボクはマリカや彼らの存在が本当にありがたいと思いはじめていた。
これであの皇妃がいなければとも思うけど、あの人がいなければボクはここにはいない。
つまりマリカたちとも出会えてない。
なので一応は感謝すべきなのかな? などと血迷ったことを考えるのだった。
次話は、17日(木)の午前8時頃に投稿する予定です。




