第32話 魔術開眼
昨日はあれからマリカが心配して外に出てくるまで、澄夏を交えてライブ配信で話していた。
澄夏と母さんには最後に、よくこの状況を信じる気になったねと聞いてみた。
澄夏は元々のライブ配信や電源のこともあったし、すぐに信じたらしい。
母さんは最初全く信じてなかったけど、ディズニーランドの約束のことが出てきてから信じることにしたとのことだった。
最後に澄夏が、マリカへのメッセージとして≫お姉ちゃんをよろしくと伝えて≫、≫お風呂で変なことしちゃダメだから≫とコメントされた。
ひょっとしてオイル塗られてたところ聞かれてたんだろうか。
澄夏が知ってるということは母さんにも知られている?
何がどうという訳じゃないんだけど、無性に暴れたくなった。
翌朝。
昨日に続いて、マリカに顔と歯を洗ってもらい、軽くオイルを塗ってもらった。
その後、1人でクルストゥスさんを待つ。
マリカは基礎訓練に行ってるけど、ボクは両腕が動かないから訓練は出ることができない。
ボクは遠くから基礎訓練を眺めていた。
≫体育見学みたいだなw≫
≫いや、むさ苦しすぎるだろw≫
朝はコメントも多かったけど、今は落ち着いてきている。
昨日あれから澄夏が設定してくれたんだろう。
ボクが寝てからもやり取りしてたみたいだし。
そのまま外で待っていると、クルストゥスさんとルキヴィス先生がやってくる。
「おはようございます。あれ? ルキヴィス先生もですか?」
「おはよう。俺も生徒だからな」
昨日言ってたのは本気だったのか。
「おはようございます。それでは始めます」
「お願いします」
外で立ったまま授業するのか、と不思議に思った。
「まず、四大元素からです。お二人はどの程度の知識がありますか?」
「ボクは火と空気と水と土、それに空というのがあるのと、その大まかな魔術の対応までは知ってます」
「俺も基本は知ってるな。あと、熱・冷、湿・乾の対応くらいはな」
「熱・冷、湿・乾ですか?」
「元々、アリストテレス先生が提唱した説ですね。四大元素を構成する要素です」
≫アリストテレスはそっちでも実在してるのか≫
≫調べたら、ちゃんと熱冷湿乾ってあるなw≫
「構成する要素ですか?」
「はい。水は、『冷』と『湿』の要素の組み合わせで出来ているという考え方ですね。更にこの要素を組み替えることで元素は変化します。例えば、水の『湿』を『乾』に置き換えると土となるというような変化です」
「なるほど」
ゲームなどでよく使われるのは、四大元素とそれぞれの相性くらいなのでこの考え方は知らなかったな。
「現代魔術はこの辺りが基本の考え方となっていますね」
「分かりました。まずはこの対応を覚えるんでしょうか?」
「いえ」
「いえ?」
≫違うのかよ!w≫
≫座学より実践だろ≫
どういうことだろう?
コメントにもあるように、勉強よりも実践あるのみってことだろうか?
「時間があればそれも悪くないのですが、アイリスさんには4日しかありません。そもそもこの四大元素や熱冷湿乾の考え方は、魔術研究していると当てはまらないことも多いんですよ」
「当てはまらない?」
「はい。例えば、『魔術師』メッサーラさんが空気中から氷を作り出したのは分かりましたか?」
「はい」
≫マジか≫
≫見てないから分からん≫
≫地味だなw≫
「驚かないのですね。あれが氷だと分かるだけでも相当な知識や魔術に対する理解が必要なはずなんですが」
「空気中には気体になった水が存在しています。それを集めて冷やせば氷になります。そこから想像しました」
そう話すとクルストゥスさんは黙ってしまった。
「そんなことやってたんだな」
ルキヴィス先生が話す。
「それはニホンという国の知識ですか?」
「はい」
「ニホンのどのくらいのレベルの教育を受けたら、その知識を得られるのですか?」
「このレベルくらいならボクくらいの年齢以上なら8割は分かるんじゃないでしょうか?」
≫そのくらいはなあ≫
≫9割くらいは分かるんじゃ?≫
クルストゥスさんは絶句している。
「今からそんなに驚いてると今後が心配になるな。とりあえず知識だけならアイリスはローマ最高レベルだと思った方がいい。そしてアイリスはニホンじゃ普通の存在で特別じゃないそうだ」
「そうなんですか?」
「ボクが特別な存在じゃないってのは確かですね。平均以下かも知れません」
大学は偏差値50ちょっとのところだけど、常識ないとか言われるし、昔の方が平均レベルは高かったらしいし、ボクの自己評価は平均以下だ。
「それは公には出来ませんね。今、アイリスさんが言った『空気中に気体の水が含まれている』というのは、ローマではほとんど知られてない話だと思います」
「そうなんですか?」
「はい。水が気体になったら空気になるというのがここローマでの一般的な知識です」
≫確かに教えて貰わなかったらそうなるか≫
≫習ったのって小学校だっけ?≫
確かに分子の存在が知られてないんじゃ、そんなところか。
ヤカンの水蒸気もすぐに空気になるように見えるもんな。
「時間がないので、話を戻しますが、アイリスさんには知識を教える必要がなさそうですね。むしろ、私が勉強させて貰う立場のようです」
「その辺りの教育方針はよく分からないのでお任せします」
とにかく今は魔術だ。
今の話だと、化学の知識も役に立ちそうだけど。
そういえば、ブラウン運動も魔術と関係してそうなんだよな。
「そういや、次の相手はどの怪物なんだろうな? アイリスの腕が使えないことはまだ知らないはずだから、相当に強い怪物をぶつけてくると思うが」
「強い怪物って例えばどんなのですか?」
「巨人4体と同レベルというと難しいな。ドラゴンだと強すぎるか」
「ドラゴンも蛇系であれば次の相手となることも考えられます。グレンデルやアリマスポイのような強い巨人族という可能性もありますね」
≫アリマスポイは検索すると出てくるな≫
≫グリフィンと敵対してるらしい≫
≫グレンデルも出てくるぞ。残忍で醜いらしい≫
「クルストゥスは詳しいな」
「魔術と怪物学は切り離せないのですよ。動物と違い、魔術的な存在なのが怪物ですので」
そういうものなのか。
確かに、ボクが元居た世界とこの世界との大きな違いは魔術の存在だ。
怪物が魔術的存在というなら、こっちの世界にのみ怪物がいるというも分かる。
そういえば、ユーピテルという神もいたな。
彼も魔術的存在なんだろうか?
あれ?
「人はどういう存在なんでしょう?」
「それはいろいろな説がありますね。しかし、重要なのは人は生まれながらに魔術を使えないということです。怪物は、教えられることなく魔術――というか魔法が使えますが、人は教わらないと魔術が使えません」
「なるほど。だから魔『術』というんですね」
「正解です」
≫なるほどな≫
≫俺らからすると人は動物なんだがな≫
クルストゥスさんは一旦そう言って話を区切った。
「余談はさておき、その魔術のきっかけを掴みましょうか。まず、アイリスさんはデンキの魔術を貴女自身の体内に使ったということでしたよね?」
「はい。そうだったと思います」
「それが可能だった理由をこれからお教えします」
ボクは次の言葉を待った。
そもそも使ったことがない魔術があの土壇場で使えたことが不思議だった。
その理由を知っているというのだから興味が湧かない訳がない。
「まず魔術を使うには2つの基本があります。1つは変化させたい状況を具体的にイメージできることです。そしてもう1つは、魔術を行使する領域が自身の領域として意識できているかどうかですね」
「自身の領域として意識できる、ですか?」
「身体の内を自身の領域として意識できてることは分かりますか?」
「それはなんとなく」
身体はボク自身のものだ。
この身体が他人の領域なんてのは考えられない。
――というところにまでなってしまった。
「ということはですよ? 自分の身体の中であれば誰もが魔術の基本の1つを満たすことになっています。ここまでは分かりますか?」
「分かります」
「しかし、普通の人は自身の体内の様子を具体的にイメージできません。理由は分かりますよね?」
「自分の身体がどういう構造かなんて、医師でもなければ分からないからでしょうか?」
「正解です。ただ、それにも例外はあります」
「例外ですか?」
「アイリスさんのように感知できることです」
――ああ。
なるほど。
確かにこっちに来るまでは神経の位置なんてなんとなくしか分かってなかった。
でも、散々ルキヴィス先生との訓練で見てたので、今ではもう完全にその位置を把握している。
「魔術検査のアクアデュオで水の動きが感知できるかどうか確認するのはそれが理由です。感知できなければ魔術を使うことは非常に難しいのです」
な、なるほど。
「ということは、もしかして相手の神経を電気で麻痺させれば動きを止められたりもできますか?」
「それは難しいでしょうね。先ほども言ったように体内というのは非常に強力な自己領域なんです。そこに他人が魔術を行使するのはほぼ不可能です。意識を失っていたり、密着してれば可能かも知れませんが」
「そういえば俺もそれは試してみたんだが出来なかったな。他人の体内に魔術を直接送り込めないのはそういう理由があったか」
ルキヴィス先生が感心するように言った。
「先生もいろいろ試したんですね」
「ああ。でもな、外からデンキを送り込むことは出来るんだよ。それで麻痺させてる」
あ、ちゃんと麻痺させることは出来るのか。
先生さすがです。
「基本は分かりましたか?」
「なんとなく――。あ、いえ、具体的なイメージというが分かってませんけど」
「それはアイリスさんの場合、実践でやった方が早いでしょうね」
「実践ですか?」
「私が言うとおりに従ってみてください。あまり考えずに素直に言われるままやるのがいいと思います」
「分かりました」
クルストゥスさんが空に視線を移す。
「これから私が目の前でそよ風を起こします。その空気の様子をよく覚えておいてください」
「はい」
クルストゥスさんの額の前50cmくらいに魔術の光が見えた。
彼の顔もその魔術の中に含まれている。
その領域の中の空気のチカチカが少しずつ動いていくのが分かった。
マリカが最初に見せてくれた風の魔術に似てるかも。
そよ風が起き、クルストゥスさんの長い髪が揺れる。
「覚えましたか?」
「たぶん」
「では、アイリスさんの目の前の空間に対して、覚えたイメージを重ねてください」
ボクはその言葉でいろいろ考えそうになる。
でも、素直に言われるままやった方がいいという言葉を思い出し、ただイメージを重ねてみた。
チカチカがゆっくりと動き、ボクにそよ風がかかる。
「あ。出来ました」
≫出来たって魔術が?≫
≫分からん≫
≫もう出来たのか!≫
「ほぉ。クルストゥス、たいしたもんだな」
ルキヴィス先生が感想を漏らす。
「それはよかったです。最初の内は自分の身体に近いところから始めるといいですよ。例えば、他人が近づいてきて嫌だなと思う空間は、自分の領域と思っています。その距離が魔術が強力に使える距離だと覚えておいてください」
≫パーソナルスペースってやつか≫
≫俺にも使えそうな気がしてきた!≫
なるほど。
パーソナルスペースを意識すればいいのか。
ボクは自分の身体の前の空間を捉えた。
パーソナルスペースは前面の方が広いと聞いたことがある。
そしてその空間のチカチカに焦点を合わせる。
このチカチカが気体の分子がぶつかってるのなら、ぶつかった瞬間に全ての分子がこっちに向かってくるイメージは出来ないだろうか?
ボクは具体的なイメージとして、飛び交っている分子がぶつかった瞬間に、ボクに来る分子と反対側に向かう分子を考える。
それをさっき教えてもらった要領で現実の空間に重ね合わせた。
バフゥ!
え?
ボクは風圧のようなものに叩きつけられたと思った瞬間に、身体を後方に飛ばされた。
しかも身体がキリモミ状態で回転していて本能的に危機感を覚える。
今のボクは腕も動かない。
すぐにボクは身体全体をガツンと叩きつけられた。
≫な、なんだ?≫
≫すごい音したぞ?≫
――う。
動けなった。
すぐに大丈夫か?
という声が聞こえてくるけど、返事ができない。
≫おい、大丈夫か?≫
≫何が起きたんだ?≫
しばらくその状況に耐えていると、痛みと共に身体が動くようになってくる。
ボクは腕が使えないので、なんとかもぞもぞとしながら身体だけを起こした。
「だ、大丈夫ですか?」
「あまり大丈夫じゃないかもです」
腕が使えなかったことが不味い。
手で身体を守ることも出来ずに直接ぶつけたような気がする。
でも、よく見てみると、ボクはそんなに飛ばされてはないみたいだった。
3メートルくらいだろうか?
「医務室に行くぞ。歩けるか?」
「はい。たぶん」
≫何? 怪我したのか?≫
≫なんかやらかした?≫
足に痛みはない。
手とか肩が痛いので地面にぶつけたのはその辺りだろう。
ボクはなんとか立ち上がって2人と一緒に医務室に向かった。
医務室では、丁寧な対応をしてくれるお医者さんにまた診てもらった。
明日以降、青あざになるかも知れないけど、骨などは折れていないみたいだ。
その頃になると直接的な重い打撲の息苦しさは減って、打った場所だけが痛むものに代わってきていた。
「大丈夫ですか?」
クルストゥスさんが声を掛けてくれた。
「心配かけてすみません。なんとか大丈夫みたいです」
ボクはベッドに座ったまま応えた。
「あれは風の魔術ですか?」
「たぶんそうだと思います。イメージを重ねた瞬間、風に飛ばされました」
「瞬間ですか。私の知りうる限り、魔術を行使した直後に人を飛ばすだけの威力を持つ風の魔術はないんですが」
≫そういうことだったか≫
≫びっくりしたわ≫
≫魔術は成功したってことでいいのか?≫
痛っ。
あの気体の分子が飛んでるイメージはこっちの人たちは出来てないってことだろうか?
分子を知らなくても感知できれば分かりそうなものなんだけどな。
それにしても、分子の方向を決めただけであそこまでの威力になるなんて驚いた。
そもそも分子の方向を想像した通りにすることが出来るっていうことが謎なんだけど。
でも、それが魔術というなら納得するしかない。
「痛むようでしたら、少なくとも午前中は休んだ方がいいと思うのですが」
クルストゥスさんが心配してくれた。
「大丈夫です」
このくらいの痛みは何もできなくて死ぬよりはマシだ。
それに魔術が少し面白くなってきた。
魔術を使うなんて元の世界じゃとても考えられなかったことだ。
しかも現代知識が役に立つのかもしれない。
これはものすごく有利なことだと思う。
「魔術の話ですが、たぶん日本の知識による具体的なイメージを重ねたので、想像以上の威力が出たんだと思います」
ボクはイメージを重ねた瞬間を思い出しながらはした。
「それは一旦、アイリスさんの部屋に戻った方がいいですね」
あれ? クルストゥスさんと話がかみ合ってない?
ボクがそう思うと、彼は視線をお医者さんに向けて口に手の平を当てる。
ボクは人前で話をしない方がいいことを話していたことに気付いた。
「分かりました」
ボクはお医者さんにお礼を言ってから、医務室をあとにした。
「決めるのはアイリスさんですが、知識の話は人のいるところでは避けた方がいいかも知れませんね」
医務室から十分に離れたときにクルストゥスさんが言った。
「どうしてだ?」
ルキヴィスさんが横から聞く。
「その知識に価値がありすぎるからです。欲や悪意を持った人間に価値を気付かれると、余計なリスクを背負うことになります」
「俺と意見が合うな」
「やはりそうでしたか。道理で一緒に魔術を学びたいというはずですね」
え? どういうことだろう。
≫ルキヴィスが監視してたってことか?≫
そのコメントでようやく何を会話してるのか分かった。
先生は昨日、クルストゥスさんと話をするのは初めてと言っていた。
だから、クルストゥスさんが欲望や悪意のためにボクの知識を利用しようとしないか見極めようとしてくれていたんだろう。
今の会話でクルストゥスさんがそのことを確信したと。
「こう見えて俺は慎重派でね」
「覚えておきます」
ルキヴィス先生が少しだけかも知れないけどクルストゥスさんを信じたってことだろうか?
ボクはそうだといいなと思いながら、ボクとマリカの部屋に向かっていった。
次話は、26日(木)の午前7時頃に投稿する予定です。




