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第31話 遠い約束

 妹の澄夏(すみか)がライブ配信でコメントしてきたことにボクは動揺していた。


「どうして? いつから?」


 ≫落ち着いてよ、お姉ちゃん≫

 ≫ラキピのリアル妹?≫


 と、とりあえず澄夏の名前を呼ぶのはまずい。

 機嫌を損ねるのも怖いので、様子を見てなんて呼べばいいか聞いてみよう。


 ≫いつからってのは結構前からだよ≫

 ≫キモいから見てないけどね≫

 ≫妹さんキッツいなw≫


 前からライブ配信してたこと知られてたのか。

 夜な夜な出掛けてたら怪しいと思うのは分かるけど、どうやって知ったんだろう。

 でも、澄夏は妙に鋭いところあるからな。


「そっちでボクはどうなってる?」


 まず一番気になるのはそこだ。

 こっちではこの身体になってるから、元の身体がどうなっているのか気になっていた。


 ≫意識はないけど無事。なんの異常もないって≫


「入院してるとか?」


 ≫あんまり話すとまずいから無事ってことだけ≫


 函館ってことまでバレてるから特定される怖れもあるか。

 この辺はボクより澄夏の方がしっかりしてるな。


「そ、そうか。助かる。母さんは?」


 ≫めちゃくちゃ心配してる≫


 そりゃそうか。

 女手一つで育ててくれて、こんなことになっちゃな。


 それで1つ約束を思い出す。

 思い出すというよりも、心にこびりついているから、そこから記憶に引き出すだけなんだけど。


 約束と言っても他愛もないものだ。

 ボクが小学4年の頃、家族で初めてディズニーランドに行くことになっていた。

 それが、父さんと離婚することになって取りやめになった。


 悲しんでいる母さんや澄夏を見て、ボクは働くようになったら2人をディズニーランドに連れていくと約束した。


 それで2人がありがとうと言って笑ってくれた。

 ボクは嬉しくて絶対に連れて行こうと思った。

 まだボクが幼かった頃にしたそれだけの約束だ。


 ≫どうしたの? 黙って≫


「ああ、ごめん。ちょっと思い出してて」


 ≫何を?≫


「子供の頃に2人をディズニーランドに連れて行くっていう約束したってこと」


 ≫そんな約束してたっけ?≫


 澄夏は覚えてないか。

 まだ小学1年だったしな。


「母さんに伝えておいて。あのときの約束守れないかも知れないからごめんって」


 ≫自分で伝えれば?≫


「そっちに帰れるかどうか分からないから。それにこの配信もいつ途切れるか分からないし」


 ≫遺言みたい≫


 遺言か。

 確かにそれに近いのかも知れない。


 でも、最後に伝えたいことが幼い頃の約束ってどうなんだろう。

 それだけボクの中では大切だったのかも知れないけど。


 ≫お母さんには伝えておいたよ≫


「はい?」


 ≫お母さん、ここに居るから≫


「居るって……」


 いや、ちょっと待って。

 なんか恥ずかしいんですけど。


 ≫お母さんが何か見せてきた≫

 ≫ディズニーランドひきかえけん?≫

 ≫お姉ちゃんが作ったみたい≫


 ディズニーランド引換券?

 なんだそれ?

 ボクが作った?


 なんのことか分からなかったけど、頭に緑色の画用紙が浮かぶ。

 その画用紙に、賞状みたいな装飾を手書きしている記憶。

 ――あ。


 ≫そういえばこれ、あたしも持ってる≫

 ≫なんか大事に閉まってあるんだよね≫

 ≫なんだろってずっと思ってた≫


 確かに作った。

 2人に見つからないように深夜に2枚の引換券を作って朝に渡したんだ。

 絶対喜んでくれると思ってたし、実際2人ともすごく喜んでいた。


 ≫聞いてる?≫

 ≫引換券ボロボロだよ≫

 ≫お母さんずっと財布に入れてたみたい≫


 は?


「どうしてそんな」


 ≫見ると元気が出るんだって≫

 ≫辛いことがあっても頑張れるんだって≫


 言葉が出なかった。

 あの遠い日に作った引換券がまだあって、しかも母さんの財布にずっと入ってたなんて。


 ≫だから≫

 ≫約束守れないなんて言わないでよ≫

 ≫お母さん泣いてるよ?≫


 あの母さんが?

 ボクの知る母さんは(したた)かで容赦がなくて泣くなんて想像もつかない。

 でも、そんな母さんになったのはいつからだろう。


 ――思い当たってしまった。

 引換券を渡すまで、母さんは泣いていたんだ。

 だからボクは母さんに笑って欲しいと思った。


「ごめん」


 でも、ボクはそれしか言えなかった。

 守れない約束なんて出来ないし、変に期待させるのも違うだろう。


 ≫今、お母さん引換券破って捨てたんだけど≫


「はい?」


 ≫これで約束はなし。ざまぁみろだって≫


 ボクは思わず苦笑してしまった。

 これは母さんらしい。

 でも、その振る舞いの裏に隠れた思いを考えてしまう。


 もしかして今までもそうだったんだろうか?


 今なら少しだけ分かるけど、看護師は大変な仕事だ。

 ()ていた人が亡くなることも多いし、心ない言葉を受けることもあると聞く。


 ボクは母さんから仕事の愚痴を一度も聞いたことがなかった。


 もし、母さんを元気づけていたのがボクが幼い頃に渡したあの引換券だったとしたら。

 これから母さんはどうやって元気になればいいんだろう?


 ボロボロになっても離さず持っていたものを破り捨てたときの気持ちはどんなものだったんだろう。

 ボクには分からない。


 でも、そんなことする必要なんてどこにもないのにと思ってしまう。

 自分が(すが)ってるものまで犠牲にして、バカな息子の些細な罪悪感を救わないでいいのに。


 もしかしてこれが親の愛ってやつなのだろうか。

 気付けなかっただけでボクたちはずっとそれに守られていたんだろうか。


「母さん、その、ありがとう」


 ボクはそう言っていた。


 ≫お姉ちゃん。ざまぁの返答がそれって笑≫


「澄――。お願いがあるんだけどいいかな?」


 ≫何?≫


「破り捨てたその引換券。ゴミ箱から拾ってくっつけて欲しい。たぶん、それは母さんにとって大事なものだから」


 ≫分かった≫


「――素直すぎて怖いんだけど」


 ≫大事なものだってのはあたしにも分かるよ≫


「そっか」


 ≫お姉ちゃんの約束も保留でいいでしょ≫


「ディズニーランドのこと? いいよ」


 ≫あたしが先に就職したら約束引き継ぐから≫

 ≫引換券戻すのあたしだし、いいよね≫


「それは。――いや、ありがとう」


 ボクは日本に帰れないかも知れない。

 だったら引き継いでくれると言う澄夏には感謝するしかないか。


 そうか。

 ボクはもう母さんや澄夏と会えないかも知れないんだ。

 そのことに気付いて愕然とした。


 あの日常の日々が急に大切なものに思えてくる。

 てっきり永遠に続くと思っていた。

 もしかして母さんはこれを守ろうとしていたんだろうか?


 いや、今だってボクを守ろうとしてくれている。

 ボロボロになるまで大事に持っていた支えを破り捨ててまで。


 ボクは自分が情けなくなった。

 そして、それに気付いたときには、遠すぎてどうしようもない。


 まだ言葉が通じるだけ恵まれてるというべきだろうか?


「母さん、まだいる?」


 ≫まだここにいるよ≫


「母さんの言葉が見たい。お願いできるかな?」


 ≫あたしが入力するから少し遅くなるかも≫


「ありがとう。母さん、別に遺言じゃないけど、伝えたいことがある」


 ≫うん。言ってみ≫


「まず、こんなことになってごめん。心配させた」


 ≫心配するのが親の責任だ≫


「そういう言い方すると思った」


 ボクはそのやり取りだけで日常の残照(ざんしょう)を感じた。

 ずっとあったのに今はもう届かない日本の日常。


 日本に戻ることが出来たら笑い話になるだろうけど、もしボクが死んだり、明日ライブ配信が途切れてボクも日本に戻れないなら宝物になる。


 そんなやり取りだと思った。


「母さんは、そんな言葉いらないって言うと思うけど、言わせて欲しい。ボクを産んでくれて、育ててくれて、守ってくれてありがとう。母さんの子供で幸せだと思うし、誇りに思う。本当にありがとう」


 ボクは気持ちのままに言った。

 でも、コメントは何の反応もない。

 ボクがまた配信が切れたんじゃないかと心配になると、1つだけコメントが表示される。


 ≫またお母さん泣かせた≫


「え?」


 ≫号泣してるよ≫


「あのノリから?」


 ≫わかんない。でも今日はもう無理っぽいね≫


「そうか」


 とりあえず最小限のことは伝えることが出来た。

 ボクの方も、日本へ帰る手段を見つけるという目標が出来たように思う。

 また、話す機会もあるだろう。


 ≫あたしにも感謝してよね≫


「もちろん。感謝してもしきれません」


 ≫スマホ落ちてたの充電したのあたしだよ≫


「へ?」


 ≫だから、スマホの電源切れてたの≫

 ≫それを充電したらライブ配信が復活したの≫


 ま、まじか。

 もしかしてボクの配信が停止してたのはそういうことか。

 そりゃ、バッテリーが切れてサスペンドモードに入れば配信も止まるよな。


 でもそうなると、配信はスマホを通して行われてるということか?

 スマホが壊れたらどうなるんだ?


「そのスマホ、今充電してる?」


 ≫してるよ≫

 ≫割り込んですみません。そのスマホですが≫

 ≫充電しながら冷やした方がいいと思います≫

 ≫その方が回路の劣化を防げるので≫


「ありがとうございます。澄。スマホに扇風機とか当てられる?」


 ≫うん。出来ると思う≫


「じゃ、その辺も頼んでいいかな」


 ≫こっちのことは全部あたしに任せて≫


 あの傍若無人な澄夏が頼もしい。

 まさかとは思いますが、今のボクが男じゃないから素直に接してくれてるなんてことはないよね?

 ――ないよね?


 それから、視聴者を交えて管理画面のこととか話した。


 ボクたち家族のやり取りを見ていた人たちは、「俺たちはなんとしても最後まで協力するぞ」と結束を高めていたりしている。


 ボクは本当に恵まれているなと思った。


 ≫あ、お母さんから一言あるみたい≫


 急に澄夏がそんなコメントをしてきた。


 ≫さっきの今度は帰ってきたときに聞きたい≫

 ≫だって≫


 今度はボクが絶句する番だった。


 ≫あれ録画してあるんで上げときますよ≫


「し、視聴者さん!?」


 この人たちボクを(はずかし)めてころす気だ。

 ボクって不幸かもしれないと思い直すのだった。

次話は、来週23日(月)の午前7時頃に投稿する予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃいい話!!だけどオチ!!笑
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