第29話 魔術研究者クルストゥス
黒髪で長髪の男がボクの前にいる。
「ア、アイリスです」
ボクはその男――クルストゥスさんにそれだけ言った。
どうしてボクを円形闘技場で捕まえた人が?
≫つい先日ぶりって会ったことあるのか?≫
≫どこで会った?≫
≫配信止まってた時期?≫
≫雰囲気イケメン≫
≫白衣とか似合いそうw≫
クルストゥスさんをライブ配信で見た人は今いないのかな?
初日の夜にちょっと話しただけだし。
それにしてもコメントの流れが速い。
意識してもいくつか拾うことが出来るだけだ。
量が多いとすぐに流れて読めないんだよな。
何か対策ができるといいんだけど。
しかし、クルストゥスさんはこうして見ると、兵士でも護衛でもなさそうだなと思う。
どんな人なんだろう?
あと、名前が覚えにくい。
厨二映えする名字の『来栖』をローマナイズした名前とでも覚えておこう。
そんなことを考えていたら、落ち着いてきた。
「俺も彼とまともに話したのは今日が初めてなんだがな。彼のお父上は皇族専属の占い師でもある」
ルキヴィス先生がそれとなく補足する。
「お父様が皇族専属なのですね。どうしてそのような方がこちらにいらっしゃったのですか?」
マ、マリカ?
何その柔らかな微笑み?
キャラ違うよ?
≫もしかして:お嬢様?≫
≫これはこれで≫
≫尊い≫
≫マリカネキ!?≫
17歳の女の子に姉貴呼ばわりの『ネキ』はどうなんだろ。
「ああ、彼には俺の友人が頼み込んでくれてな」
先生が重要なことをさらっと話す。
その友人って第二皇子のミカエルのことですよね?
「私の父が皇族専属と言っても、私自身はただのローマ市民ですよ。父の立場は気にしないでください」
「本人がそう言ってるんだ。気にせずいこうぜ。このクルストゥスにも魔術を教えたい理由があるみたいだしな」
「理由ですか?」
思わずボクは聞いていた。
あの夜に何か思うところでもあったんだろうか?
「そうですね。そこははっきりしておいた方が私への不信感も払拭できるでしょう」
≫自分を胡散臭いとは思ってるのかw≫
≫払拭できるかな?w≫
クルストゥスさんが話したのは、ボクの能力と日本の知識についてだった。
その2つに興味があると。
「ボクの能力と知識に、皇妃と対立するだけの価値がありますか?」
ボクはクルストゥスさんに直球で聞いた。
仮に嘘を付かれるにしても、そこははっきりと聞いておきたい。
「まず私と皇妃との関係ですが、基本的に無関係です。父の手前、たまに彼女からのお願いを受けてるだけで、それは義務でもなんでもありません。彼女と対立するリスクよりも、二度とないチャンスの方を優先します」
「ありがとうございます。分かりました」
≫理由としては弱いな≫
≫直接的なメリットじゃないからな≫
≫就活ならお祈りされるわw≫
≫お前らひねてんなw≫
コメントの意見は厳しめだな。
とはいえ、ボクもクルストゥスさんは本心を隠すタイプと思ってしまってる。
ボクやマリカのような剣奴にも敬語で話すからかも知れないけど。
彼が話すときの表情にも気をつけてみよう。
それで今は判断は保留しておいて、夜にでもライブ配信で相談かな。
昨日は疲れ切って寝てしまったので、今日はガッツリと相談タイムを設けたいと思う。
「まあ、言葉での自己紹介はこれくらいでいいだろう。そろそろ魔術での自己紹介に移る頃合いだな」
何の頃合いなのか分からないけど、確かにクルストゥスさんの魔術を見てみたいという気持ちはある。
「まず俺からな」
そう言って、先生がボクたちの前に右手をかざす。
「よく見てろよ」
その手の親指と小指に大きな指輪が付いている。
ボクやマリカ、クルストゥスさんがその手に注目する。
すると、親指に電子が集まり、バチッという音と共に電撃が走った。
「な、なに?」
マリカが驚いている。
≫電撃か≫
≫指輪が触媒ってのがいいなw≫
≫アイリスちゃんもこれ出来るのかな?≫
≫俺もセーターを着ればこのくらい出来る!≫
≫静電気かよw≫
ボクは初日の夜にあの路上で見ているので特に何も思わなかった。
「これは雷の魔術ですか?」
「ああ。麻痺の魔術でもある。シビレエイの麻酔効果も同じ原理だな。ちなみにアイリスの祖国のニホンだとこれのことデンキと言うらしい」
先生のその言葉にクルストゥスさんは本気で驚いている様子だった。
それにしてもまたシビレエイか。
好きなのかな?
「――驚きました。今のこのやり取りだけで、私の常識が崩れ去りました」
クルストゥスさんは、本当に驚いているように見えた。
「こんなもんじゃねえぜ? なあ」
「なあとボクに振られても困ります。あまりハードルを高くされると、プレッシャーになるのでほどほどにしてください」
マリカが静かなのでつい突っ込み役に回ってしまった。
「んじゃ、次はマリカな」
「承知いたしました。少々、お待ちいただいても?」
「いやな、マリカ。お淑やかなのは嫌いじゃないんだが、その調子じゃ疲れないか?」
「私のことはお気になさらずマリカさんは普段通りに接してください」
≫余計なことを!w≫
≫マリカネキは普段のが良い≫
≫どちらも良い≫
≫ギャップが良い≫
≫なんだか知らんがとにかく尊い≫
「わ、分かった」
なんだかものすごく照れてるマリカが居た。
≫照れてるのも良い≫
≫至高≫
≫女神≫
≫キャプった≫
≫うp!≫
なんだこのコメント。
同じような内容が大量に流れるだけにうざさが半端ないぞ。
ボクは半笑いになっていた。
「えーと、まずサンソをこの周辺に集めます」
マリカが言うと、驚くほどの大きさの魔術が展開された。
これ養成所の半分くらいあるんじゃ?
大きさだけで言うと、『魔術師』のメッサーラさんが開始前に展開していた魔術に匹敵する。
一気に気持ちが切り替わった。
これがマリカの今の本気ってことなんだろうか?
ボクたちの周りにもう一層の魔術が展開される。
気体が集まってくるのが分かった。
「ここで、息が切れるくらいの運動をしてもらえますか?」
「もうここはサンソの中って訳か。面白そうだな。クルストゥスも剣術くらいやってんだろ? 型とかやってみたらどうだ?」
「剣術ですか。あまり得意ではないのですが」
「サンソってのは運動の元らしいぞ。この魔術を使えるのは俺はマリカしか見たことない。ここでやっておかないと二度と体験できないかもな」
その言葉でクルストゥスさんの目の色が変わった。
ルキヴィス先生って自分はサボり魔なのに、人をノセるのは巧いよな。
「剣を貸していただけますか?」
クルストゥスさんはマリカから剣を受け取った。
そうして剣を振るう。
無駄のない綺麗なフォームだと思った。
≫なんか知らんが巧いな≫
≫貴族の剣術ってイメージだ≫
「その辺の力自慢よりは剣の腕も立ちそうだな」
「苦手なんですよ。戦いとかそういうものは」
表情は変わらない。
「それは残念。ところでウチのお嬢様の空間の快適さはどうだ?」
「――言われてみれば息が切れないですね。動きながら会話も出来ますし」
「人の息が切れるのは、サンソ不足だから起きることらしいからな。これもアイリスの国の知識だ」
「ニホンという国ですか?」
「ああ。俺もそんな国は聞いたことないんだがな。シエナの東にあるらしい」
「それはまた――興味深いですね」
今度は表情が動く。
見てると、好奇心が動くときだけ表情に出るような気がする。
ボクの能力と知識に興味があるというのも、嘘ではないかも知れない。
「今度は私の番でいいですか?」
クルストゥスさんが言った。
「いいぜ。何するんだ?」
「マリカさんの魔術を無効化します」
「私の?」
マリカが声を上げると同時に、ゾワッと何かが通り過ぎていった。
その後すぐに、マリカの魔術が不安定になっているのが分かった。
「あっ」
ボクは酸素だけを選択して見ることは出来ないから、実際どうなっているのかは分からない。
気体は全部同じようにブラウン運動してるように見えるんだよな。
あとでライブ配信で聞いてみた方がいいのだろうか?
「どうだマリカ? 魔術無効されたか?」
「う、うん。今も魔術使ってるのに、全然サンソが集まらなくなった」
「マリカの魔術は結構広い範囲だろうに」
「そうですね。驚いています。昨日の闘技の『魔術師』に匹敵しますね」
そういうクルストゥスも相当なものだと思う。
『魔術師』メッサーラさんに匹敵する範囲の魔術を涼しげに無効化してるんだから。
ちなみに、今、ボクの魔術検知で見えているのは、マリカの魔術にクルストゥスさんの魔術が重なっているような状況だ。
これが魔術無効なのか。
「ところでボクは何をすればいいんですか?」
ボクが出来るのは空間把握とか魔術検知だ。
能動的な魔術は使えないと言っていい。
空間把握とか魔術検知はそもそも魔術なのかどうかも怪しいし。
「試したいことがあります。いくつか言う通りにしてください」
クルストゥスさんが言った。
ボクはその申し出に快く答える。
そのクルストゥスさんの試したいことは、空間把握や魔術検知の精度を探るものだった。
ボクとクルストゥスが背中を向け合った状態で、彼の指の数をリアルタイムに数えたり、彼が展開する複数の魔術を正確に実況した。
実況しながら何かをするというのは、ライブ配信してるみたいだなと思った。
「ところで、あの巨人――ベリグリシ。いや、複数なのでベリグリサルですか。彼らに捕まったときを覚えていますか?」
「ベリグリサルですか?」
「ゲルマン語で『山の巨人』の複数形を意味します。土の岩化の魔術を使う巨人となると彼らしかいないので」
「そうだったんですか。あ、もちろん捕まったときは覚えています」
「では、あのとき抜け出した力も魔術を使ったということでよろしいのですか?」
「あれも魔術だな。俺もあの力強化の魔術は使える。というか俺が見せたあの魔術をぶっつけ本番で真似したらしい」
すでに横になって休んでいたルキヴィス先生がフォローしてくれた。
「なるほど。概ね分かりました。大変興味深いですね」
「どうだ? そそられたか?」
「それはもう。――私に任せていただけるんですよね?」
少しニタリという気持ちの悪い笑みがでる。
もしかしてヤバい人?
「まずは5日、いや明日からだから4日間か。そこをクリアできれば好きに教えてくれて構わない」
「4日間であの皇妃の嫌がらせを潰す実力を身につけさせるってことですよね。なかなかに骨が折れそうです」
クルストゥスさんの口からため息が漏れる。
「皇妃に恨まれるようなことをした覚えはないんですけどね」
ボクがそう言うと、クルストゥスさんはこっちを見た。
「理由は考えるだけ無駄だと思いますよ。皇妃は貴女のことが気に入らないだけだと思いますから」
「それだけでルールまでねじ曲げる人なんですか?」
「はい。たったそれだけで取れる手段は全て取ってくる方です。たまに協力してる私が言うのもなんですが」
「誘っておいてなんだが、クルストゥスは大丈夫なのか? 皇妃にはお前がアイリスに教えてることなんてすぐにばれるぞ」
ルキヴィス先生が言った。
「どうでしょうか。危なくなったら逃げますよ。そのときは、貴方のご友人の助力にも期待します」
「そうなったら可能な限り協力させるさ」
「何者? ルキヴィスの友人の方って」
マリカが眉を潜めた。
「そうだな。面倒くさがり屋の悪党かね?」
「あ、悪党!?」
「間違っても関わらない方がいい人間だな」
あのー、関わってるボクはどうすればいいんでしょうか?
しかも借りがたくさんあるような気がするんですけど。
もし、ミカエルに借りがあるからと身体でも求められたらと思うと。
お腹の下から腰の辺りがきゅって締まるような感じがした。
いや、無理だ、無理無理。
男に抱かれるとか考えたくもない。
変な汗でる。
ともかく、明日からは魔術の訓練が始まる。
気持ちを切り替えていかないと。
ルキヴィス先生が魔術専門の先生としてクルストゥスさんまで連れてきてくれた。
打てる手は打ってくれてる。
ボクは魔術に集中するだけだ。
魔術を教わることについては楽しみな気持ちもある。
あ、でもその前にお風呂か。
さすがに埃っぽいし入らないといけないだろうな。
マリカがお風呂でボクを洗うと言い出すんだろうなと予想をつけながら、長く息を吐いた。
次話は、16日(月)の午前6時頃に投稿する予定です。




