第2話 最高神ユーピテル
空の大きな人影がはっきりと見えてきた。
怪物が倒れて一息つきたいのに、まだ何かあるのか?
それにしても大きい。
「——五稜郭タワーより大きいな」
≫何が?≫
≫なんか見えてる?≫
≫ごwりwょwうwかwくw≫
「えーと、五稜郭タワーは107mで道南地区で一番高い建物です」
≫マンション換算で30階くらいか?≫
≫でかっ≫
≫シンゴジラ第四形態並か≫
「ちなみに、五稜郭タワーのマスコットキャラGO太くんの身長も107mあります。センチメートルではなくメートルです」
≫マスコットとは?≫
≫この牛乳瓶みたいなやつ?≫
「あっ、牛乳瓶呼ばわりすると『牛乳瓶じゃないごー』と怒り出しますので気をつけて!」
≫なにその雑なキャラ設定w≫
≫ごーw≫
「ちょっと。さっきから独り言? 怖いんだけど」
そういえばまだ女の子が近くにいたんだった。
彼女は半歩後ずさりながら、眉を寄せている。
「え、と、それはあれです」
空に向かって指を指す。
「何かある?」
女の子は目を細めて空を見上げた。
その横顔を見る。
激戦のあとで汚れているのに、どこか気品があり、ブロンドも夕日で赤く煌めいていて綺麗だなと思った。
「何もないけど——え、えー! なにあれ?」
女の子がボクを見る。
≫この女の子かわいい≫
≫なんかあるの?≫
≫何も見えないが≫
「見えました? ボクには大きな人影に見えます」
時間が経つにつれ、更に人の形をはっきりさせていく。
闘技場の観客も騒がしくなってきている。
「ざわ……っ、ざわ……っ」
「なに?」
「有名漫画家がよく使う、場が騒然となっているときの擬音を発声してみました。類似表現としてハァハァがあります」
≫福本w≫
≫丸太は持ったか!w≫
コメントでの反応はともかく、目の前の女の子の反応はすこぶる悪い。
眉の寄せ方から何言ってるんだコイツという軽蔑のまなざしを感じた。
いわゆる、ご褒美というやつである。
「擬音についてはともかく、あの宙に浮かんでる人の輪郭がはっきりしてきましたね」
≫?≫
≫なんのことだ?≫
コメントの反応を見ると、人影は見えてないようだ。
「そんな、まさか」
「見えました?」
「ユーピテル様?」
「ユーピテルってあのローマ神話のトップの神で、ギリシア神話のゼウスと同一視されてる?」
ライブ配信に配慮して、説明的に言ってみる。
「——なんか言い回しが気になるけど、そのユーピテル様」
≫おっさんでかっw≫
≫なんか見えてきた!≫
観客席からもユーピテルが見えるのか騒がしくなってきた。
祈るようにしている人も見える。
「筋骨隆々な半裸の中年男性だから騒いでる、という感じではないみたいですね」
「どこからその発想が!?」
≫良いツッコミw≫
≫そういう趣味か。メモメモ≫
『ふむ、美しいな』
どこからともなく声が聞こえた。
「ん?」
「え? なに?」
「いま、男性の声が聞こえませんでした?」
「聞こえてないけど?」
≫?≫
≫???≫
周りを見渡してみる。
声を発したと思われる男の姿はなく、女の子しかいない。
ゾワッと不快な感覚に身体がなぶられる。
自分の身体を抱きしめるように逃れようとするが無理だった。
不快な視線は上から感じる。
あまり見たくないなと思いながらユーピテルを見た。
目が合う。
≫こっちみんなw≫
≫こわっ≫
『余の愛人にならんか?』
「——は?」
「え? どうしたの?」
真顔で不快感が出てしまった。
隣にいる女の子は、ボクが全力で不快さを見せたからか、困惑している。
ひょっとしてユーピテルの声はボクにしか聞こえてないのか?
「えーと、今起こったことをありのまま話すぜ。目の前の神様に『愛人にならないか?』と迫られました。何を言っているのか分からないと思いますが、ボクにも分かりません」
≫は?≫
≫は?w≫
「は?」
コメントも女の子もさっきのボクと同じ反応だった。
それにしても、こんな彫りが深くて髭モジャな中年マッチョに『愛人にならないか』と言われても気持ち悪さしかない。
『お前は別の世界から来たのであろう?』
再び、ユーピテルが問いかけてくる。
隣の女の子を見ると、ユーピテルの声は聞こえてないように思える。
これはあれか、ボクの脳に直接語り掛けてきてるのか。
「目の前のユーピテルが『別の世界から来たんじゃないか』と質問してきてますので肯定してみます。どうやって伝えたらいいのか分かりませんが」
『お前の言葉は全て聞こえている』
「ユーピテルは、ボクの話したことはみんな聞こえてると言っていますね」
「ちょっと?」
女の子がボクの目の前に来て顔を近づけてくる。
妹以外でこんなに近く女の子が来たことないので焦る。
「さっきからそれ独り言? あなた関わったらまずい人?」
「ライブ配信をちょっと」
「ライブ配信?」
当然だけど、ライブ配信という言葉は知らないみたいだ。
『静かにせよ。余はお前たちがユーピテルと呼ぶ存在だ』
声が頭に響く。
その一言で騒がしくなってきた観客席が静かになった。
「——ほんとにユーピテル様」
隣の女の子が呆然としていたかと思うと、急にひざまづき手を合わせ祈り始めた。
観客席の人たちもほとんど全員ひざまづいて祈りを捧げている。
≫なんだこれ≫
≫何が起きた?≫
「えーと、空の大きな人物が自分はユーピテルなどと意味不明なことを繰り返しており——」
「失礼なこと言ってるって自覚ある?」
「はい!」
「——そうなんだ。でも、あなたもせめて膝をついて」
「了解しました」
ボクはそう言って膝をついた。
『美しい女。お前はどこから来た』
またユーピテルの声が聞こえてきたが、無意識で別の人に話しかけていると判断していた。
『今はお前にしか話しかけていない』
そう聞こえてきたので顔を上げる。
『そう。お前に聞いている。この世界のものではないのだろう? どこから来た?』
「ボクがどこから来たという話なら、日本から来たとしか答えようがないです」
ボクは口元を女の子から見えないようにして小声で応えた。
これでユーピテルに聞こえるなら小声のままの方がいいだろう。
『ニホンとはどこだ』
ユーピテルにはボクの声が問題なく聞こえているようだ。
ボクは話を続けた。
「日本を知りませんか。そうですね、日本がどこか答えるには、この場所がどこなのか知る必要があります」
それにしても、日本語が通じるのに日本を知らないとかどういうことなんだろう。
『ここは人間がローマと呼んでいる地だ』
「ここはローマでしたか」
この場所が円形闘技場っぽいので特に驚きはしない。
『ニホンというのがどこなのか話せ』
そう言われてもどう説明したらいいのか迷う。
今がいつの時代なのか分からないので、地名が通じるかどうか分からないし。
「日本は、この大陸の東の果てにある島です。大きな四つの島から出来ています」
『ふむ。知らない場所だな。余もこの大陸が東にどこまで続いているのか知らないのでな』
「この大陸、ユーラシア大陸がどこまで続いてるのか知りませんか? それだと日本の場所も分からないですよね」
『ユーラシア大陸とは?』
「ユーラシア大陸ですか?」
なんと説明したらいいかと迷っていると、すぐにコメントが入る。
≫ヨーロッパとアジアの合成語≫
「えーと、ヨーロッパとアジアを含む大陸の地域名を、日本ではユーラシア大陸と言います」
『なるほどな。分かった。ともかく、お前はアジアの東にある島から来たわけか』
「大まかに言うとそうなります」
『ともかく、見も知らぬ地で不安だろう。余も知りたいことがある。悪いようにはせぬから、余の所に来ぬか?』
いきなりのお誘いか。
あからさまに怪しいな。
美しい女とか言われたし、今のボクはそういう見た目なんだろうか?
鏡とかで姿を確認できないかな?
「せっかくですが、お断りします」
『そうか。では、困ったときは余の神殿に来るがよい』
「ありがとうございます」
ボクがそう応えると、ユーピテルの姿が消えていく。
≫消えちゃうー≫
≫何を断った?≫
周りを見ると観客が騒然としている。
女の子も祈るような姿を見せている。
現代だとイタリアでもローマの神々やユーピテルの信者はいないと思うけど、ここだと普通に宗教なんだな。
そんなことを思った。
ん?
ほとんどの人がユーピテルが消えた余韻で平静でない中、一人の男と目が合った。
場所は来賓席のある一角だった。
歳は若そうだけど偉い人なのだろう。
数秒目が合うと目が逸らされる。
最後に笑ったかのように見えたが、それが遠くから見てもチャラそうで、その笑顔がボクに向けられているように感じられたのでゾッとした。
「また独り言言ってたよ? やっぱり危ない人?」
女の子が膝の土を払いながら話しかけてきた。
ボクは息を吐いて気を取り直す。
「ユーピテルだっけ? あれと話してた」
「『あれ』って不敬でしょ?」
「んー、そう言われてもよく知らないから。それでなんかユーピテルに自分のとこに来ないか? とか言われました」
「は?」
「ユーピテルって女好きと聞くけど、ここでもそういう話は伝わってます?」
「神話ではそうみたいだけど——」
≫また口説かれてたのかw≫
静かだった観客席も、ユーピテルの余韻から冷めはじめたのか、ざわつき始めた。
ふと、倒れている怪物が目に入る。
考えてみれば、ユーピテルに命を救われた形になるのかな?
それを盾に迫ってこなかっただけ、さすがは神様と言っていいのだろうか?
「静粛に! リドニアス皇帝からお言葉があります」
突然、闘技場に大音量が響きわたった。
ざわつきが静かになっていく。
静かになると、来賓席から壮年の男性が現れた。
王冠などはないが、高そうな白い服装を着ている。
短くトランペットのような音で曲が奏でられた。
「——SPQR。この闘技場にユーピテル様が降臨あそばされた。
これほど多くのローマ市民の前での御降臨は初めてのことである。
今日という日は、永遠に歴史に残るであろう。
また、現在のローマ市民がユーピテル様に愛されていること、選ばれた民であること、正しいことを証明するものだ。
今後とも正しくあれば、必ずやユーピテル様のご加護を受けることが出来るであろう」
そう言って、闘技場全てをゆっくりと見渡した後、その場所から下がっていく。
皇帝が消えると、どこからともなく歓声が聞こえすぐに闘技場が割れんばかりの歓声となる。
歓声の大きさで地が震え、肌に振動が伝わる。
「すごいな」
≫なにこれ映画?w≫
≫最初なんて言った?≫
ふと、女の子の方を見ると歓声を上げることもなく、冷めた目で見ていた。
「皇帝には無反応ですか?」
歩み寄って、女の子に言ってみる。
「よく知らないし。あっ、私も不敬かな」
女の子はいたずらっぽく笑った。
ボクもそれにつられて笑ってしまっていた。
本日中に次話を投稿します。