第28話 え?
巨人と戦った翌日。
朝起きると身体が動かなかった。
「え?」
身動きが取れない。
自分の状況を確かめてみると、両腕が全く動かないみたいだ。
神経の電子は流れてるみたいなので、筋肉が動かないのかも知れない。
そういえば巨人との戦いの最後に、押さえつけられてる状況から無理矢理抜け出した。
あのとき、ボクが電子を神経に発生させたんだっけ?
それで限界を超えたのかも。
ボクは腰と足でもぞもぞと動いてベッドの縁に座った。
足も腰も筋肉痛になっている。
さて、困ったぞ。
朝の準備はどうすればいいんだ?
指や手首は動くみたいだけど、そこだけ動いても何もできない。
ボクが途方にくれていると、マリカが目覚めたみたいでむくりと起きた。
「おはよう」
「おはよう。ちょっと困ったことになってるんだけど」
「んー」
ボーっとしてるマリカ。
普段しっかりしてるので、隙だらけの朝はギャップがあってかわいい。
「――あれ? 今、困ったことって言った?」
「うん、言った。両腕が動かないみたい」
「え? どうしたの? 大丈夫?」
「たぶん、巨人と戦って無理したのが原因だと思う。昨日の夜まではなんともなかったのに、起きたら動かなくなってた」
「すぐに医者に診て貰った方がいいかも」
「医者?」
「養成所に居るから何かあったらすぐに診て貰った方がいいよ。ちょっと待ってて、顔だけ洗ってくるから」
ここには医者が常駐してるのか。
確かに怪我することは多いと思うけど、剣奴のために専任の医者までいるとは。
「あ、腕使えないんじゃアイリスも顔洗えないね。立てる?」
「立つのは大丈夫」
「そう。じゃ、行こう」
そうして、ボクたちは他人の顔を洗うのがどれほど難しいかを思い知るのだった。
あと、ボクの歯もマリカが磨いてくれたんだけど、とても間抜けな姿だったらしい。
マリカがツボに入って「ごめんごめん。ぷっ」とか言いながらしばらく笑い転げていた。
ライブ配信の視聴者もマリカから貰い笑いをして楽しそうだった。
楽しんでいただけたのなら何よりです……。
そして医務室にやってきた。
医務室にはなぜかカブトガニのような生物が砂の入った大きな桶にいた。
医療器具の棚と並んでいるその桶を思わず凝視してしまう。
≫変な生物飼ってるのな?≫
≫医者には変人が多いとか?w≫
「おはようございます。怪我でもされましたか?」
壮年の男性が腰低く対応してくれた。
「この子の腕が動かないみたいで。ちょっと診て欲しいんだけど」
マリカが気安い感じで言う。
お医者さんにそんな風でいいのかなと心配になる。
「承知いたしました。そちらのベッドにお座りください」
ボクは言われた通りベッドに座った。
≫これがお医者さんゴッコか!≫
≫たくし上げる? たくし上げる?≫
≫医者がやけに低姿勢だなw≫
まだ起きたばかりだからかコメントが少ない。
これくらいがちょうどいいんだけどな。
内容はともかく。
「失礼いたします。痛みがあれば言ってください」
医者はそう言ってボクの腕を触診していった。
そして、肩辺りのところに来たときに集中的に触診される。
「ここに凹みがありますね。痛くありませんか?」
「はい。触られて痛いということはありません」
「承知いたしました。真横に腕を上げてみていただけますか?」
言われた通りに座ったまま腕を上げようとしてみる。
15度くらいは動いたけど、それ以上は上がらなかった。
「なるほど。恐らくは、肩の腱が傷んでいますね。まずは2週間程度、安静にしてみてください」
「2週間? 練習も出来ないんですか?」
「練習なんてもってのほかです。無理に動かそうとすると、治りが遅くなります」
2週間か。
今のボクには長いな。
ため息が出る。
ボクは巨人から抜け出すときに聞いた、体内のブチブチ音を思い出した。
あれはその腱が切れてる音だったのかも知れない。
とはいえ、あれをしなければあの押さえ込みから抜け出せたとは思えないしな。
必要な犠牲だったと思っておく。
「とりあえず動くようになるには、どのくらい時間が掛かりますか?」
「傷み具合にもよりますが、動くだけなら1週間もあれば動くと思います」
「ありがとうございます」
動くだけで1週間も掛かるのか。
次の闘技会は6日後だから間に合わないな。
ボクの出場が免除されるとか。
いや、今までの皇妃の行動からいって出場免除はあり得ない。
≫筋傷めたのなら電気治療とかは?≫
電気治療なんてあるのか。
どのくらい効果あるんだろう?
でも適切な電流の強さとかが分からないしな。
強さが分かればルキヴィス先生なら出来るかも知れないけど。
その後、明日またこの医務室に来ることになって、外に出た。
ルキヴィス先生は今日は来てくれるんだろうか?
来なかったら対策が打てない。
「よお、昨日は2人とも大活躍だったな!」
部屋の前に戻るとルキヴィス先生が居た。
助かる。
ほっとしてる場合じゃないけど良かった。
なんのかんの言っても、ボクはやっぱり先生のことを頼りにしてるだなと思う。
「先生おはようございます。朝早くにどうしたんですか?」
「ん? アイリスとマリカの健闘を称えに来たに決まってるだろ」
そう言って顎に手を置いた。
「ちょっといい? アイリスが大変なことになってるんだけど」
「どうかしたのか?」
先生がボクを見た。
「はい。起きたら両腕が動かなくて、医務室に行ってきたんですけど肩の腱を傷めたみたいで」
「腱か。最後に巨人の手から抜け出したときか?」
「はい」
「まいったな。ちょっと待ってろ。今、方策を考える」
ボクも考えてみよう。
と言っても、ダメ元で闘技会の出場をキャンセルするか、盾は腕にくくりつけて蹴りだけで倒すとかしか思いつかない。
≫ドクターストップとかないの?≫
≫あるなら使ってるだろ?≫
「――これしかないか」
結論出すの早いな。
たぶん、考え始めて2分も経ってない。
「アイリス。お前、あの巨人から抜け出したとき魔術使ったよな?」
「はい。使ったから腱を傷めたんだと思います」
「え? アイリス魔術使ったの?」
「うん。電気の魔術。自分の筋肉に使って先生みたいに筋肉を強化した。そうでもしないと、巨人に押さえ込まれてて抜け出せなかったし」
≫マジか≫
≫魔術キター≫
「――相変わらず、信じられないことするね、アイリスって。魔術使ったことなかったんでしょ?」
「うん。そのときのことは自分でもよく覚えてないけど、先生のイメージをなぞったら使えた」
「それには俺も苦笑いするしかないが、今は使えたのならそれでいい。次の闘技までに魔術を鍛える方向でいくぞ」
「魔術? 6日しかないのに?」
マリカが驚きの声を上げた。
それはそうだろう。
魔術はどう考えても剣よりも難しそうだ。
「魔術の訓練以外も打てるだけの手は打つさ。アイリスの参加を止めさせるとかな。女神の幸運も数打ちゃ当たる。ただし、アイリスが今出来るのは魔術の訓練くらいだ」
「そう言われると、そうかも知れないけど」
マリカが言いながらボクを見る。
「ただな、俺じゃ普通の魔術教えるのには向いてない。教えられる奴がいなきゃ自動的に俺になるけどな。その前に伝手を当たってみる」
「そんな時間あるの?」
「午後までには探してみるさ。今日中に顔合わせすることが出来れば、アイリスの魔術もギリギリモノになるだろ」
先生は軽くそんな風に言うけど、たった6日でモノになるんだろうか?
それに、先生の顔が珍しく焦っているように見える。
次に先生が現れたのは、昼過ぎた頃だった。
お昼ご飯はマリカに食べさせて貰った。
ライブ配信の視聴者は自ら口を開けてバーチャルあーんを楽しんでいたらしい。
さすがですお前ら。
そのときにトイレにも行ったんだけど、耳を塞ぐことができなくて参った。
水流の音が大きいので配信には聞こえてないと思いたい。
でも、トイレはなんとか自分で出来るからいいけど、お風呂はどうなるんだろうと今から不安になる。
「思ったよりすんなり決まったぞ。今、訓練士の登録手続きしてるから待っててくれ」
「アイリスはその魔術の訓練士に教わるんだよね?」
「そのために連れてきたんだ。当然そうなるな」
マリカがチラッと先生を盗み見る。
「じゃさ、ルキヴィスはどうするの?」
「俺か? 俺も一緒に教わることにした。ほら、魔術が使えた方が何かと便利だろ?」
「――え?」
「――え?」
2人して固まってる。
何やってるんだろうこの2人。
ルキヴィス先生の方は絶対わざとだろうけど。
「先生。それで手続きにはどのくらい掛かります?」
「そんなに掛からない。ほら、言ってる傍から来たな」
ボクは先生が向けてる視線を追った。
「え?」
通路を静かに歩いている男には見覚えがあった。
黒髪の長髪。
そして、切れ長の目。
あの皇居の詰め所のときと同じく、穏やかな顔で、周りを見渡しながら近づいてくる。
ボクを円形闘技場の地下で捕らえた男。
「つい先日ぶりですねアイリスさん。クルストゥスと申します」
彼はそう言うと穏やかに笑みを浮かべた。
次話は、明後日13日(金)の午前6時頃に投稿する予定です。




