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第21話 ゲート

 朝になった。

 今日、巨人と戦うことになる。

 夜は眠れなかった。

 結局、ライブ配信のコメントも停止したままで音沙汰がない。


 ルキヴィス先生もマリカも、「もう巨人には勝てる強さになってる」、「大丈夫」と言ってくれる。


 だけど、地下で見た巨人の、鉄格子を大きく鳴らす音や響き渡る咆哮が耳を離れない。


「急ぎの話があるんだがいいか?」


 部屋で準備をしてると外からルキヴィス先生の声がした。

 同じく準備をしているマリカと頷きあう。


「いいよ」


 マリカが鍵を開けて応える。

 挨拶を交わしてから、先生はすぐに本題に入った。


「アイリスが対戦する巨人の話だ。あまり良い情報じゃないんだが」


「わざわざ朝来るくらいだもんね。それでどういう話?」


「アイリスが戦うのはどうも普通の巨人じゃなくなった」


「え? どういうことですか?」


 そもそも巨人についてよく知らない。

 巨人にも種族みたいなものがある?

 それとも、力が強いとか身体が大きいとかそういう個体差のことだろうか?


「どうも皇妃がゴネたらしくてな。アイリスが強くなった情報を得たんだろう。今出せる巨人の中でも一番強い巨人にしろということになった」


「なにそれ!」


 マリカが怒ってくれる。

 でも、ボクはまだ状況を把握しきれていない。


「マリカが戦った巨人と、その一番強い巨人との比較情報みたいなのはあるんですか?」


「アイリスは案外冷静だな? 強さに関しては時間がなくて調べきれなかった。さっき入手した情報だからな。ただ、普通のゲルマニアの巨人は知能が低いんだが、その巨人は人よりも頭がいいという噂がある」


「人より? 魔術が使えるとかですか?」


 巨人は魔術を使えないという話だけど、最初に見たキマイラリベリみたいに炎を吐かれると対応しにくい。


「そういう噂はないな。ただ、それも念頭に置いておいた方がいい」


「ありがとうございます」


 何か、対戦相手が変わったということで恐怖自体も宙ぶらりんになった。

 不思議な感覚だ。


「まあ、攻撃を回避して膝を狙う戦略は変わらない。ただ、頭がいいということはその戦略を逆手に取られて罠を仕掛けられることもある。アイリスも頭を使うことだな。やることが分からなくなったら、とにかく基本を忠実にだ」


「珍しく焦ってる?」


 マリカが先生をのぞき込む。


「俺も愛弟子の不測の事態には弱いってことさ。油断してたぜ」


 先生は肩をすくめた。


 それにしても頭を使うか。

 ライブ配信のコメントがあれば心強いんだけど、それはもうない。


 急に不安になってくる。


 円形闘技場(コロッセウム)のアリーナじゃ先生やマリカの声も届かないだろう。

 殺し合いを楽しむ観衆の中、1人で得体の知れない巨人と戦う。


 1人。

 殺意の塊のような人の形をした怪物。

 逃げ場所はない。


 暗闇の中、円形闘技場(コロッセウム)の地下を思い出す。


「ちょ、ちょっとアイリス。顔色が悪いよ、大丈夫?」


「え、え、えーと、あ、れ?」


 なんかうまく話せない。


「浮かれたり過信したりよりはいい」


「どこがいいの? よくないって。ちょっとホントに大丈夫?」


 マリカの声が遠い上に頭に入ってこない。


 ただ、得体の知れない巨人の前に殺し合うためにたった1人で立ち向かうことが怖かった。

 殺し合うなんて自分より小さな生き物とだって考えたことすらない。


 誰も助けてくれない。

 もうあんなのは嫌だ。

 殺し合いなんて。

 1人だけで本当に勝てるのか。 


 ふよんむにょむにっ。


「うっわっ! な、なに?」


 突然、マリカに胸を揉まれてて驚く。


「あ、ホントに気が付いた」


「そ、そんなことしなくても気が付くって」


「さっきまで声掛けても全然反応なかったから」


「え?」


「何を考えてた? 素直に口に出してみろ」


 ルキヴィス先生が組んでいた腕を降ろす。

 ボクは何を考えてた?

 何だろ?


 ついさっきのことを忘れてる自分にもびっくりだけど、なんとか思い出そうとする。


 確か、怖いと思ってた。

 何を怖いと思ってた?

 殺し合うこと?

 1人?


 いや、1人というよりはもっと何の助けもアドバイスもない状態が怖いと考えていた気がする。


「完全に孤立した状態で見たこともない怪物と殺し合いをするのが怖いと思ってたみたいです」


「2人なら大丈夫なのか?」


「少しは怖くないと思います」


「なるほどな」


 先生が壁にもたれる。


「今まで完全に孤立した状態で何かに立ち向かったことはあるか?」


 立ち向かう。

 どこまでの意味か分からないけど、受験とかはその中に入るだろうか?

 でも、立ち向かうというほど真剣じゃなかった気がする。


「本気で、というのはなかったと思います」


「そうか。マリカ、お前はどうだ?」


「んー、お父様とお母様がいなくなってから大体立ち向かってるかな」


 重い内容なのに、事もなげに言う。


「なるほど。マリカは乗り越えてそうだな」


 先生はニッと笑ってから話を続ける。


「そんなマリカも最初は大変だったんじゃないか?」


「そりゃあね。誰も守ってくれない何にも知らない15の女の子、しかも奴隷の立場だから大変なんてもんじゃなかった。何度か絶望しかけたけど、歯を食いしばってなんとか剣奴には()れた。成れてからも大変だったけどね」


 ボクがこっちに来たときのことを合わせて考えると、想像以上に大変だったと思う。


「そういえば、アイリスはローマに来たとき1人で逃げてたんだよな?」


「はい」


「それも立ち向かった内にカウントしていいんだぞ?」


「ええと、それは」


 コメントもあったし、娼館ではルキヴィス先生に助けてもらったし。

 でも、それを先生に話すのはためらってしまった。


 あれに触れるとミカエルのことについても触れることになってしまう。

 それは今の師弟関係が変わってしまうことに繋がるんじゃないだろうか?


「そのときのことは私も聞いたけど、完全に孤立してたわけじゃなかったみたいだよ」


 ボクのその様子に気付いたからか、マリカがフォローしてくれる。

 孤立してないというのは、ライブ配信のコメントに助けられたということを言ってるんだろう。


「ほう? じゃ、本当に今回が初めてな訳だ」


「そうだと思います」


「これは弟に教わったことなんだが」


 弟?

 先生って兄弟がいたのか。


「不安に押しつぶされそうになったときは、それを塗りつぶしてしまえる感情を思い出すといいらしいぞ」


「塗りつぶしてしまえる感情?」


「ああ。例えば皇妃への怒りとかな。ローマ来てから今まで何されたか思い出してみろ」


 先生の言葉を聞いた瞬間、毛穴が開くような変化があった。

 そうだ。

 よく考えたら、ほとんどあの皇妃のせいだ。


「どうだ? 一瞬、不安は飛んだだろ?」


 先生はまたニヤリと笑った。

 言われてみると、不安はどこかに行ってしまった。


「ただ、怒りって感情はごくごく短い間しか持続しないから、すぐに不安が戻ってくる」


「ダメじゃん」


 マリカが呆れたような声を出した。


「怒りを恨みまで昇華できれば長い持続が可能だが、後の人生を考えるとお勧めはしないな。下手すると一生引きずる」


「それはちょっと。じゃ、どうするのがいいの?」


「皇妃が無様に怒る姿を見たいとかだな。乗り越えたあとの出来事を楽しみにする方法だ。この例だと性格悪くないと本気では楽しめないが」


「ふふ、ルキヴィスは楽しめるんだ」


「しばらくワインが美味くなる程度にはな。まあ、この辺は自分にあったものを考えることが大事だ」


 ボクにあった感情。

 皇妃が悔しがる姿とか特に見たいと思わないし、なんだろう?


「思いつかなかったら、都度怒りを思い出すでもいい。アイリスも一時的には不安を消せたみたいだし、戦うまではそれで乗り切れるだろ」


「分かりました」


 確かに皇妃に対しては思うところがある。

 娼館から逃げたけど、向こうも騙したわけだし、そんなに恨まれるようなことしたかなという思いもある。


 なぜ恨まれてるのかは聞いてみないと分からないか。


 ――あれ?

 ひょっとしてこれが後の楽しみってやつかな?


「どうしたの?」


 マリカがのぞき込んでくる。


「少し気が楽になったかも。いろいろありがと。先生もありがとうございます」


 言ってからフラグっぽいセリフだなと思った。


 その後、ルキヴィス先生は部屋から出て行った。


「向かい合ったら、最初の攻撃だけ避けることだけ考えてればいい。じゃ、観客席にいるから見つけたら手でも振ってくれ」


 最後にそんなことを言っていた。


 その後、ボクとマリカは円形闘技場(コロッセウム)に向かう。

 剣闘士として出場するための準備と、自分の出場まで待機していないといけないらしい。


「まさか、これを着ろ、と?」


 マリカと一緒に闘技場にやってきて、女性専用の更衣室に通される。


 更衣室はどういう仕組みか分からないけど暖かかった。

 しかし、並んでいたのは、どう見ても水着にしか見えない鎧だ。

 造りが凝ってて金属の面積が少ない。


 そういえば、こっちに来たときにもマリカが着てたっけ。

 コメントで伝説のビキニアーマーとか言われてた気がする。

 まさか、ボクも着ることになるとは。


 更衣室にいた2人の女性に服を脱がされ、その鎧と言っていいのかどうか分からない防具を付けられる。


 サイズがどうの言われている。


 微妙にサイズが合わないのか、付けたり外したりを繰り返された。

 気分は着せかえ人形だ。


 目を開けたい衝動にかられるが、配信だけが行われている可能性を考えて閉じたままでいる。

 我ながら諦めが悪い。


 防具の付け心地は悪くない。

 金属の冷たさもないし、痛いところはなかった。

 たぶん、裏地に布が貼ってあるんだろう。

 締め付けがかなりキツいけど、胸もしっかり固定されている感じで、動いても大丈夫そうだ。


 ただし、肌の露出が激しくそれが気になる。

 特に二の腕、お腹、背中、太股はほぼ丸見えの状態だった。


 お尻もかなり際どい。

 後ろだけならほとんど紐パンだこれ。


 あと、着ている防具が全体的に細くてキツいので縛られてるような感覚にもなる。


 自分が男のための性の対象として露出していることが信じられない。


「くぅ」


 なんか恥ずかしくて、声が出た。


 屈辱的なときに「くっ」とか言う気持ちがよく分かる。

 分かりたくないのに分かってしまった。

 人生で一番、くっころな女騎士に近づいた瞬間かも知れない。


「昔は裸同然みたいだったからそれよりはマシでしょ」


 マリカが声を掛けてきた。


 そのマリカもボクと同じような格好をしている。

 すらりと延びた手足と、ほどよい筋肉の付き具合が相まってよく似合っている。

 胸の谷間も見えていて、胸当てによって変形した様子が生々しい。


 あれ? 待て?

 何かとんでもない言葉が聞こえたような。


「裸同然?」


「胸とかお尻とか全部出して戦ってたとか聞いたけど?」


「なにそれ!?」


「それに比べるとよくない?」


「比べる対象がすごすぎてコメントに困る」


 でも、今がその時代じゃなくてよかった。

 ――話題を変えよう。


「そういえばここで待つって話だけど、他の人の対戦は見られないの?」


 他の剣闘士がどんな戦いをしてるのか興味がある。


「自分の対戦が終わって怪我とかなければ見られるけど、それまでは待機してないとダメ」


 逃げたりされないためだろうか?

 ボクとしては、マリカと話せるからいいんだけど。


 たまに闘技場の大歓声がここまで響いてきたり、盛り上がりを見せている。

 そのたびにボク自身が出場することを思い出して手が震える。


 手が震えるのを皇妃への怒りで振り払おうとするけど、何度も試している内に怒りの感情が上滑りしてる気がする。


 そうしている内に、ボクが呼ばれた。

 マリカに見つめられて、「また一緒に練習するからそのことを忘れないで」と言われる。

 ボクは頷いて係の人について行く。

 係の人はボクの身体をチラチラと見ていた。


 着いて行った先は個室のような場所だった。

 控え室だろうか?

 暗いし少し寒い。

 ランタンのような灯りが1つあるだけだ。


 闘技場の歓声が聞こえる。

 更衣室よりも音が近い。

 ボクの出番も近いんだろうか?


 こうして1人でいると思考は嫌でも巨人のことに向かう。


 あの牢をガチャガチャと鳴り響かせる恐ろしい姿のことはよく覚えている。

 勝てるだろうか?

 勝って意味はあるだろうか?


 ひょっとしたらライブ配信はもう繋がってないのかも知れない。

 それでも、ボクはこの世界で存在し続けるために戦う。


 あ、でも死んだら日本に戻れるという可能性もあるか。

 もちろん、どうなるか分からないから積極的に死にたくはないけど。


 一際大きな歓声が聞こえた。


 観客、そうか。

 もし承認欲求がボクのモチベーションになるのなら、ライブ配信の視聴者に見て貰う代わりに、闘技場の観客に見て貰うことでも補えるのかも知れない。


 この感じだと皇妃の怒りに頼らなくてもよさそうな気がする。

 ただ、皇妃の思い通りになるのは気に入らない。


 ボクは目を細めて息を吐く。

 そして、巨人に対して何をすべきかを1つ1つ再確認する思考に没頭していった。


「アイリス闘士」


 声を掛けられ埋没していた思考から目覚める。


「はい」


 ボクは立ち上がり、その係の人に着いていった。


 狭い通路を通る。

 そういえば、初日の夜にここに来たんだよな。


 先にエレベーターが見える。

 動力源と思われる大きな円盤の周りには、奴隷と思われる男たちがいた。


 ボクはエレベーターに1人で乗った。

 しばらくして上に動き始める。


 七飯町(ななえちょう)のビルを思い出す。

 目を開けたら元に戻っていたりして。

 でもそうすると、お世話になったマリカたちが心配するだろうな、と思う。


 いつの間にか、こっちにも大事なものが出来ていたんだな。


 ゴリゴリと石が擦れるような音の中、次第にエレベーターの上部から光が見えてくる。


 初めてここに来たときと同じだ。

 ――当然のように日本には戻れなかったな。

 それでもあまり残念という気持ちはない。


 エレベーターが止まる。

 ガコンという音と共に振動があった。


 反対側に何かいる。


 怖い。

 同時にこの露出した姿で大勢の観客の前に出るのは恥ずかしい。

 だって本当にほとんど裸だし。


「くぅ」


 この防具ってずれてポロリとかしないかな?

 こっちに来たばかりでこの身体に違和感のあるときにこの露出ならここまで思わないんだけど、今じゃすっかりボクの身体って感じだからなあ。


 そんなことを考えてると、ふと気づいた。


 いつの間にかあまり怖さがない。

 まさか、怖いを塗りつぶした?

 羞恥心で?

 それがボクにあってる感情?

 恐怖への対抗手段?


 ボクは苦笑してから顔を上げた。

 そして、一歩を踏み出した。

次話は、明日の午前10時頃に投稿する予定です。

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