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第174話 パンドゥーラの音

前回までのライブ配信


カミラたちとウァレリウス邸をあとにしたアイリスは、正体を明かし力の一端を見せる。その後、最終的に3人でコモド流本部道場へと向かうことになるのだった。

 私とカミラさんはコモド流の本部道場に向けて歩いていた。


 当然のようにソフィアも着いてきている。

 馬車は神殿へ帰したみたいだ。

 荷物はソフィア自身が持っていた。


 カミラさんは彼女に荷物を持たせてしまっていることを気にしている。

 一方のソフィアは何か待ちきれなさそうな表情だった。


「改めて総師範ってどんな方なんですか?」


 切り出してみる。


「なんというか、自由な方です。私の言葉では説明するのが難しいですね。こちらが真摯に接すれば悪い方ではないので、その辺りはご安心ください」


「ありがとうございます」


「また、記憶力がとても良い方です。何気ない言葉なども細かく覚えているので下手なことは言えません。武術をやっていると分かるとすぐに試合を求めてきますが、距離を縮めるにはそれが最適です」


「そ、そうなんですね」


「話の流れにもよりますが、フィリッパさんには私では敵わないようなお話をしてもよろしいでしょうか?」


「お任せします」


 私が答えるとカミラさんの手に力が入っていた。


 ≫結局試合になりそうだな≫

 ≫アイリスと達人の試合か≫

 ≫歳はいくつくらいなんだろうな≫


「総師範のご年齢はいくつくらいなんですか?」


「50歳を過ぎたと伺っております」


 思ったより上だ。

 元気だな。


 その後も歩きながらカミラさんと話をする。

 コモド流はローマだけでも6つの支部があるらしい。

 ローマ以外の都市にも支部があるとのことだ。

 最大流派というだけのことはある。


「ウァレリウス家について、この場で聞いておきたいことがあるのですが」


「どのような話でしょうか」


「お金の流れの話です。ウァレリウス家は農地などを持っているのに、経済的に余裕がありません。カミラさんは何か思いあたるところはありませんでしたか? 答えにくければ答えなくても構いません」


「気になるところはありました。しかし、具体的にはウァレリウス様の許可をいただいてからでないとお答えはできません」


「答えにくいのにすみません。ありがとうございます。それだけでも十分な情報です」


 気になるところがあったんだな。

 カミラさんはオプス神殿の事務的な経験もあるはずなので、他の貴族の農地経営についての事情もある程度は知っていそうな気がする。


 ≫ウァレリウスの友人が怪しいな≫

 ≫農地経営任せてる奴が怪しい≫

 ≫名前なんだっけ?≫

 ≫カミラは神殿でも経理やってたのかな?≫

 ≫農地経営を任せたのはホルテンシウスだな≫


 その後は、黙っていることに我慢できなくなったソフィアが会話に参加した。

 私を通して、コモド流本部道場の話だ。

 そうしているのもつかの間、その本部道場へとたどり着く。


「――お客様をお連れしました」


 カミラさんは入り口にいた青年に声を掛け、総師範がいるか、来客はいないか確認する。

 その彼は固まっていた。

 生唾を飲み込む。


「答えて」


「お、お、おりませにゅ!」


 せにゅ?


 ≫緊張しまくりだな≫

 ≫美女2人に緊張したか≫


「分かりました」


 カミラさんは苦笑した。

 少し雰囲気が違うな。

 指導者的なオーラがある。


 次にソフィアが見学の申し込みをしていた。


 ≫慣れてるな≫

 ≫父親が道場やってるのかねえ≫


 なるほど。

 お父さんの関係で、そういうことに慣れているのかもしれない。

 その手際の良さに、カミラさんも複雑な表情をしていた。


 受付の青年が緊張していたので時間は掛かったけど、無事私たちは道場の中に入ることができた。


 道場の作りは養成所と似ている。

 建物に囲まれ、内側に屋根のない練習場があった。


 雰囲気はあまり良くない。

 和気あいあいといった感じでもなく、練習に打ち込んでいる訳でもない。


 ふざけて剣を振ったり、練習グループによってはいじめのような雰囲気もあった。

 ソフィアは興味深そうに見ている。

 私は無言でカミラさんについていった。


 練習生のグループの近くを通り過ぎると、声を掛けられたりもした。


「失礼は許しませんよ」


 カミラさんが殺気を出して彼らを黙らせる。

 見たことのない様子だったので驚いた。

 ソフィアもそう思ったらしく、目が合う。


 しばらくすると楽器の演奏が聞こえてきた。

 ギターのような弦楽器っぽい。

 ただ、柔らかい音ではなく、少し高音成分が多い気がした。


 階段を登り屋上にでる。


 楽器の演奏が大きくなった。

 屋上で誰かがその楽器を弾いているようだ。


 音の元を見ると、目に飛び込んできたのは大きな青いマント姿だった。


 彼は白髪で空を見ながら楽器をかき鳴らしている。

 マントは空と同じ色で、白髪がまるで雲のように見えた。

 演奏が上手い。


 その傍らに2人の青年がいた。

 1人はブツブツ何かをつぶやいている。

 もう1人は背筋を伸ばし、青いマントの人を見ている。


 カミラさんはつかつかとマントの人の元へ近づいていった。


「カミラか。どうした」


 彼は背中を向けたまま言った。

 演奏の音が緩やかなリズムになる。

 声も掛けてないのに気づくとは。

 どうやってカミラさんだと判別したんだろう。

 空間把握だろうか。


「誠に勝手ながらお客様をお連れしました」


「珍しいな」


 総師範は演奏を止め、立ち上がった。

 大男という訳じゃないけど背が高い。

 身なりは清潔。

 年相応だけど顔は整っている。


 ≫あら、イケオジ≫

 ≫枯れた色気があるな≫


 持っているのはギターを大きくしたような、見たことのない楽器だ。


 ≫パンドゥーラですね≫

 ≫知っているのか丁寧語!≫

 ≫形状を知っているだけで詳しくは知りません≫

 ≫ウクライナの楽器?≫

 ≫それはバンドゥーラで、起源が異なります≫

 ≫PaとBaの違いなのに異なるのか≫


 楽器がパンドゥーラという名前なことだけは分かった。


「客はその美しいお嬢さん2名か」


 総師範は私とソフィアを見てきた。

 言葉では誉めながら、視線は感情なく物のように見てくる。


「はい。総師範とお話をさせていただければと」


「いいぜ。下へ行くか。お前らはイスと飲み物を用意しておけ」


 従者っぽい2人に声を掛ける。

 彼は青いマントを翻してドアへと向かった。

 私たちは彼に着いていくのだった。


 屋上に上がるときにも通ったけど、下の1階は割と広い。

 基本的には何もなく木製の武器や楯だけが壁に掛かっている。


 剣道場のようだと思った。

 あまり見たことはないけど。


「1名はソフィア様でよかったか」


「はい」


「そちらの方か。もう1名は新しい巫女――が赴任したという話は聞いたことがないな」


 ソフィアを見たあとに私をみる。


「紹介いたしましょうか」


「いや、せっかくだ。もう少し考えさせてくれ。申し遅れたな。私はネブロと申す。ただのローマ市民でございます。コモド流の総師範なるものもやらされております」


 愛嬌のある笑顔を浮かべる。

 総師範をやらされているんだ。


「私はソフィア。オプス神殿の巫女をしています。どうして私がソフィアだと分かったの?」


「その前に言葉遣いは普通で良いでしょうか?」


「ええ。お好きにどうぞ」


「話が分かる方でよかったぜ。巫女様はパンクラチオンをやっていると聞いていたからな。立ち振る舞いが長年やってる者のそれだ」


「なるほどね。私を見分けたのはそこか」


「もう1名の美人さんは荒事と縁がなさそうに見えるんでな」


 総師範は剣で攻撃するそぶりを見せた。


 ≫アイリスってそう見えるのか≫

 ≫弱そうなのに実は強い!≫

 ≫美味しい役どころだな≫


「よかった。そう考えるのって私やカミラだけじゃなかったんだ。ではそろそろ彼女の紹介をしても?」


「うーん、分かりそうにないな。いいぜ」


「カミラ、フィリッパを紹介して」


「承知いたしました」


 彼女は言ってからソフィアの顔を見てうなづく。


「彼女はフィリッパと申します。貴族の元で侍女をしております。彼女は少なくとも私では敵わない強さですよ」


 総師範は私を見た。


「初めてお目に掛かります。フィリッパと名乗っております」


 一応、自己紹介した。


「カミラより強いってか。面白いな! 得意な武器は?」


「得意といえるほどの武器はありません。武器と言えるかどうかは分かりませんが、あえて挙げるのであれば魔術でしょうか?」


「魔術か。どうなんだ、カミラ」


「試合をされるなら他をおすすめします」


「よし、分かった。やるか。服はどうする?」


「私が総師範と試合をするということですか?」


「カミラが勧めてくるとか珍しくってな。応えない訳にはいかないだろう」


「分かりました。服はこのままで大丈夫です」


 このウェディングドレスのような巫女服はそれなりに動きやすい。

 着替えもないので、汚さないようにすれば問題ないと思う。


 あとはネブロ師範次第だ。


「汚したら汚したでこっちで費用は持つさ」


「お気遣いありがとうございます。頑張ります」


「武器は壁にあるのを選んでくれ。俺は木剣でいくぜ」


「はい。では私も木剣で」


「付き人2人には出て行ってもらった方がいいんじゃない?」


 ソフィアが言うと、真面目そうな付き人は抗議をするような表情を見せた。


「承知しました。2人には誰も入ってこれないよう外で見張ってもらいます」


 カミラさんが言うと、真面目そうな付き人が一礼する。

 ブツブツ言っている付き人はその場を動こうとしなかったが真面目そうな付き人に連れていかれた。


 私の近くを通ったとき、ブツブツの内容が「コロスコロス……」で怖かった。


 私たちはそれぞれ木剣を選ぶ。

 ネブロ師範は少し重そうな木剣だ。

 私は軽く細い木剣。

 2人とも楯は持たない。


「勝負は何本にする?」


「3本でお願いします」


 私は答えた。

 立ち合い人はカミラさんが行うことになる。


「構えて」


 ネブロ師範は驚いたことに構えなし。

 真正面で右手に剣をぶら下げている。

 私は剣を右手に下げたまま半身だ。

 胸の重みを意識する。


「――そうか」


 総師範が言った直後に雰囲気が変わった。

 目付きが人殺しのそれになる。


「始め!」


 総師範が音もなく動いた。

 出だしが分からない。

 剣の重みを利用して、体軸を倒すだけで動いているようだ。

 床は蹴らない。


 剣を右手から左手に落とし、方向転換する。


 再び剣を落として左手から右手に。

 更に投げると見せかけて下からの斬り上げ。


 私は身体に任せていたおかげで、なんとか対応できたようだった。

 彼のお腹に木剣を軽く突き刺していた。


 そのまま総師範が床に落ちる。

 自ら、「く」の字に曲げて突きの威力を弱めたようだ。


 カミラさんは手を挙げ、その後私に指先を向けた。


 ≫何が起きたのかさっぱり分からん≫

 ≫勝ったってことでいいの?≫

 ≫なんで勝利宣言しないんだ?≫

 ≫外にいるのに聞かせないためだろうな≫


 強い。

 動きを追っていたら混乱していたかもしれない。

 瞬間的にはロンギヌスさんより上なのかも。


「あっはっはっはっは!」


 ネブロ師範は床にお尻をつけたまま豪快に笑っていた。


「対戦も近いだろうに、こんなところで年寄りを相手にしてくれるとはな」


 意味ありげな笑みを向けられる。

 私がアイリスだと気づかれたか。


 いや、そもそも彼は殺す勢いできていた。 

 試合の直前に「そうか」と言ったとき、私の正体に気づいてたのかもしれない。


 ただ、名前を言わないところを見ると、気を遣ってくれているのか。


「2本目お願いします」


「任せろ」


 総師範は上機嫌で立ち上がり、開始位置まで歩いていった。

 私はほとんど動いてないので、数歩で開始位置だ。


「構えてください」


 2人とも先ほどと同じ。

 総師範は無構え、私は半身の自然体。


「始め!」


 今度は総師範は動かなかった。

 受けに回るということか。


 私は身体を傾けながら移動して、彼の間合いに身体を差し出す。

 思わず突きを撃ってきたとこにカウンター。

 しかし、彼の突きの動きは途中で止まりカウンターを受けようとする。


 それも察知できていたので、私は柄の部分で彼の胸部を強打した。

 よろめき後退したところに、私の横薙ぎが吸い込まれる。


 バシッ。


 お尻でバランスを取ろうとしていたからか、彼は身動きできずに私の攻撃をまともに受けた。

 カミラさんが手を挙げる。

 続けて私に揃えた指先を向けた。


「これは驚かされる」


 ネブロ総師範がつぶやいた。


「3本目はどうしますか?」


「最後の1回はとっとこうぜ」


 とっとくって保留ってことか。

 その発想はなかった。


「とっておくって勝負はついておりますが」


「細けぇことはいいだろうよ」


「私はとっておいてもらっても大丈夫ですよ」


 一応、意見を言っておく。


「話がわかるな」


「その方が面白そうなので」


「いける口か」


「いける口? ですか?」


「道理より面白さを優先しちまう人種のことだよ」


 あー。

 ふと、カトー議員のことを思い出した。

 私があれと同類ってこと――?


「フィリッパさんを悪の道に誘わないでください」


「そういえばそんな名を名乗っていたな。事情持ちか」


「はい」


「話があると言っていたのもその事情絡みか?」


「少し違います」


「なんでも言ってみろ。3本目をとっておいてもらってる礼だ。大抵のことは聞いてやるぜ」


「それはありがたいです」


「うあ~」


 この部屋の入り口が開き、何人かが倒れて入ってきた。


 真面目っぽい付き人がずっとドアに聞き耳立ててて、更に練習生が集まっていたので驚かない。


「なにやってんだ、お前ら」


「も、申し訳ありません!」


「すまねぇな。この道場、女っ気ないから美女2人で舞い上がっちまってるんだろうぜ。許してやってくれ」


 ソフィアと目があった。


「許すもなにもお邪魔しているのは私たちなので大丈夫です」


「お前らよかったな! 分かったらドア閉めてとっとと出てけ」


「1つお聞きしたいことが」


 真面目っぽい付き人が前に出た。

 彼だけは違う空気をまとっている。


「言ってみろ」


「はい。総師範は先ほど、2人のどちらかと戦って負けていませんでしたか?」


 殺気のようなものが声や動作から漏れる。

 挙動がおかしく、何か震えていた。

 雪崩入ってきた3人も驚いているようだ。


「負けてねぇぜ?」


「――そうですか。では、失礼します」


 もしかして、ネブロ師範はこの展開を予想して3本目を保留にしたのだろうか?

 いや、憶測が過ぎるか。


 真面目そうな彼はドアから出て行って、他の3人も慌てて出て行った。

 ドアは開けっ放しだったが、慌てて1人来て閉める。


 私は、あの真面目そうな彼が空間把握を使えるのではないかと考えた。

 外に出た彼はあのブツブツ言っていたもう1人の付き人と何か話している様子だ。


「付き人の彼は部屋などの様子が分かるのですか?」


「よく分かるな」


「目視できない箇所を把握できるのは珍しいですね」


「みてぇだな」


 そうなると、防音の魔術は使わない方がいいか。

 あれは真空に近いから違和感がすごい。

 防音の魔術は空間把握できる人にはすぐに気づかれるのが難点だよなあ。


「外は落ち着いたみてぇだな。じゃ、『話がある』の内容を聞かせてくれ。気になってしょうがない」


「分かりました。カミラさん、『話』はどちらが行います?」


「私がいたしましょう」


「お願いします」


 カミラさんは、一歩前に出た。

 私は下がる。


 彼女は自身が侍女手伝いとして貴族の元で1週間働いていたことを話し、ウルフガーさんについても闇闘技に出ていたことまで話す。


「面白い経歴だな。しかし、お前さんが男の弟子をとると言い出すとは思わなかったぜ」


「恐縮です」


「その男がウチの構えと振りだったのはなんでなんだ?」


「伝え忘れていました。彼は幼少の時期に当流を見学していたようです。どなたかに連れられてきたようですね」


「おっ? 何か知っている話の気がするな。いつ頃の話だ?」


「恐らく20年ほど前の話だと思われます。私が来る前の話かと」


「20年前か。心当たりがあるな。ゲルマン系でぼろぼろの服だったか。理知的な瞳で真剣に見ていたのでよく覚えている」


 ≫ゲルマン系?≫

 ≫金髪ってことか≫

 ≫一応、外れてはいないな≫

 ≫ウルフガーっていくつくらいだ?≫

 ≫ウルフガーは見た目だと28歳くらいか?≫


「こちらに来ていたのですか?」


「ああ。結構遠くから来てたんじゃないか? 毎日朝早く来て、遅くに帰っていってたぜ。掃除なんかもしてたな。腹鳴らしてたから何度かパンも渡した記憶がある。懐かしいぜ」


 この本部道場は割とローマの中心部にある。

 住んでいるのは貴族が多いはず。


「こちらでは大変だったでしょうね」


「小さな子どもが隅でじっと見てただけだ。相手にしようとする酔狂なのはいなかったな」


「それはよかったです」


「先代の頃は厳しかったしな。しかし、あの子どもがコモド流でカミラを上回るか」


 親指で顎をなぞる。

 嬉しそうだ。


「練習不足を痛感いたしました」


「面白そうではあるな」


 ネブロ師範もウルフガーさんに興味は持ってくれたみたいだ。


「質問をよろしいですか?」


 私は流れで聞いてみることにした。


「なんだ?」


「その子を連れてきたのがどなたなのか覚えていらっしゃいますか?」


 その子がウルフガーさんなら、彼を連れてきたのは恩人の1人のはずだ。

 その恩人は裏社会に通じている可能性がある。


「ああ」


 私は名前を覚えようと身構えた。


「ユミル先輩だな」


 ユ、ミルさん?


 思わず周りを空間把握で探ってしまう。

 考えてみたら、今の会話の流れからユミルさんが出てきても怪しいところはない。


 ユミルさん。

 私が知っている中でその名前の持ち主は1人だけだ。

 皇妃の付き人であり、彼女の暗部についても担っている人物。


 本人の性格はともかく、皇妃の命令は絶対的に聞くようなところがある。


「どうした。そんなに警戒して」


 ここで話していいものか。


 いや、総師範が皇妃に関わっていたらそもそもユミルさんの名前を出さないだろう。

 それよりは確定させてしまうのが重要だ。

 ここはリスクを取る。


「小声でお願いします」


「秘密の話か! 大好きだぜ!」


 総師範は嬉しそうに小声でテンションを上げた。

 器用だな。


「ありがとうございます。ユミルさんというのは、皇妃の付き人のユミルさんのことですか?」


「そうだ。知り合いか?」


「ええ、まあ」


 やっぱりそうか。


「コモド流には魔術以外で暗闇で戦うようなやり方もありますか?」


「あるな。ユミル先輩なら出来るだろう」


 以前、暗闇で剣を振るわれたことがあったけど、あれはコモド流由来か。


「暗闇で斬られたか」


「どうでしょう」


 明言はしないでおいた。

 ソフィアとカミラさんの表情が険しい。

 ウルフガーさんの恩師が皇妃の付き人ということに嫌な予感があるんだろう。


 カミラさんにはこの件と絶対に関わらないように言っておいた方が良いかもしれない。

 更に、これまでのことをユミルさんが関わっていた前提で考え直す必要がある。


「ソフィア様は暗闇で戦ったことはあるか?」


「いえ」


「では、カミラ。お見せしてあげろ」


「私が、ですか?」


「カミラが魔術が使えないことはソフィア様もご存じだろう」


「しかし――」


「では、命令な」


「命令なら仕方ないよね」


 総師範とソフィアがカミラさんに詰め寄った。


「……承知しました」


 しぶしぶといった様子で受ける。

 一方のソフィアはかなり嬉しそうだ。


「ソフィア様は素手で攻撃。カミラは目隠してそれを避ける。それだけだ。遊びみてぇなもんだな」


「カミラはいつもどこで着替えてるの?」


「出て右隣の部屋が女性用の更衣室兼、使ってない道具置きとなっています」


「使わせて」


 彼女は笑顔で持ってきた荷物を掲げた。

 何を持ってきてるかと思えば着替えだったのか。

 なんて準備がいいんだ。


「更衣室の内側には鍵が付いているぜ。覗きには注意な。あと、目を隠すための色の濃い布を頼む」


「了解!」


 彼女は指を伸ばして返事をすると去っていった。

 外にでると、練習生たちに驚かれている。

 彼女に話しかけられる強者はいなかったようだ。


 少しソフィアについて話していると彼女は戻ってきた。


「お待たせ」


 長い丈のTシャツ姿。

 チュニックだ。

 動きやすいようにスリットが入っているため、太股がまぶしい。


 ソフィアの場合、健康的で堂々としているので不健全な感じはしない。

 と私は思ってたけど、太股に関する熱いコメントが飛び交っていた。


「カミラはこれで目を隠せ」


「承知いたしました」


 カミラさんは覚悟を決めたみたいで、布を受け取り、目に当てて頭の後ろで結んだ。


「よし。では、やるか。2人とも少し離れろ」


 1.5mくらいの距離になる。

 2人とも素手。


「そこでいい。構えろ」


 両者が構える。


「始め」


 ソフィアが静かに移動する。

 カミラさんは集中して彼女の動きに顔を向ける。


 ソフィアは少し戸惑っていたようだったが、踏み込んで、腰からの突きを撃った。


 カミラさんにその突きを避けられる。


 ソフィアの回し蹴り。

 カミラさんに腕と足を上げて受けられる。

 そのままソフィアは足を抱え込まれた。


 ソフィアは片足で立ったままバランスよく突きを放つ。

 カミラさんに身体を捻って避けられる。


「そこまでだ」


 ネブロ師範が制した。


「この辺りが限界だろう」


 見るとカミラさんは息を荒くしていた。

 そこへソフィアが手を差し出す。

 カミラさんは少し苦笑しながら握手した。


「目隠ししてあそこまで攻撃を防ぐなんてすごいね。びっくりした」


「恐縮です」


「カミラは魔術使えないのにどうやってるの」


 ソフィアは総師範に声を掛けた。


「本来は秘密だが特別だぞ。音だな」


「音?」


「床を蹴る、捻る、踏ん張る。そういった音で予測する」


「あー、なるほどね。床が板だと音はしやすいか」


「そこに気づくとはなかなか才能がある」


「ふふ。思いつきが当たってよかった」


 ストレッチしながらソフィアが話す。


「ソフィア様はまだ元気そうだな」


「巫女のお役目は嫌いじゃないけど、身体は鈍るからね」


「ちょうどいい。では、俺と軽く手合わせしていくか。もちろん素手でな」


「いいの?」


「せっかく来てくれたんだ。格好いいところも見せておかないとな」


 カミラさんは何か言いたげだったが黙っていた。

 立ち合いも彼女が行う。


 その後、ソフィアとネブロ師範は楽しそうに戦っていた。

 彼が素手でソフィアを翻弄していたのはさすがだ。


 ソフィアはお父さんより強いかもと驚いていた。


 それから、総師範は疲れたと言って休み、私の隣に座った。

 代わりにカミラさんとソフィアが勝敗のない手合わせを行うことになる。


 ソフィアは嬉しそうだ。

 手合わせしながらずっとにやけている。

 ずっと待ち望んでいたことなんだろうな。


 そんなとき、総師範が突然風の魔術を使った。

 思わず身構えてしまう。


「驚かせたか? 重要な話をするぜ?」


「はい。すみません。大丈夫です」


「例の男と会うのは明後日の午後1時な。話す時間は1時間としよう」


 彼は彼女たちの戦いを見ながら呟いた。

 風の魔術は、この話を聞こえなくするためか。


「ありがとうございます。承知しました」


 ウルフガーさんにはなんとか仕事を頑張ってもらって2時間程度空けてもらおう。


「場所もここじゃない方がいいか。家はどの辺だ」


「えーと」


 ≫エスクイリヌスの丘と言ってください≫


「あ、はい。エスクイ、リヌスの丘です」


 言いにくい。


「では、ティトゥスの凱旋門で待ち合わせにしておくか」


 ティトゥスの凱旋門を頭の中で何度も繰り返す。


「承知しました。明後日の午後1時にティトゥスの凱旋門ですね」


「だな。目印にパンドゥーラを持って待ってるぜ」


「私が来たときに弾いていたあの楽器ですね。承知しました」


「しかし、あの子どもがどう育ったか見るのは楽しみだな。向こうは覚えてないだろうが」


「その子どもにパンを渡した方は他にもいたんですか?」


「どうだろうな。知ってる範囲では俺だけだったが」


「覚えてもらえてるといいですね」


 ウルフガーさんは義理堅いから覚えている可能性はあると思う。


「ああ。あとな、あの2人には決まったとだけ伝えるに(とど)めておいて欲しい」


「はい。理由はユミルさん絡みですか?」


 それ以外に思いつかない。


「話が早くて助かるぜ。いかんな。歳取ると余計な気を回したくなっちまう」


 彼は笑顔を見せた。


 私と話すためにこの状況を作り出した訳か。

 ソフィアも、カミラさんと手合わせできてよかったのかもしれないけど。


 あと、何者かが私やマリカを探している件についても確認しようと考えたけど止めておいた。


 ネブロ師範が風の魔術を止める。


「この辺で終わりにしようか」


 彼は立ち上がって彼女たちに声を掛けた。


 2人の手合わせだけど、さすがに攻撃の多彩さではソフィアが上回っていた。

 ただし、防御という意味ではカミラさんも負けてはいなかった。


「どうだった?」


 思わずソフィアに聞いてみる。


「驚いた。カミラってば武器なくても十分に戦えるんだもの」


「恐れ入ります」


「ウチは競技だけじゃないからな。カミラも得るものがあっただろう」


「はい。それはもちろん」


「私は最初で最後のチャンスかもしれないし、楽しかったよ。新しいカミラも知れたしね」


「勿体ないお言葉です」


 ここに来て、初めてカミラさんが嬉しそうにした。

 ずっと罪悪感とかありそうだったからな。


 こうして、ウルフガーさんについての約束も取り付けた私たちはコモド流の本部道場をあとにするのだった。

 ウルフガーさんの恩人がユミルさんという情報は思わぬ収穫だったな。


 日はまだ高い。


 私は道場を出て周りに人が居なくなったところで、2人にこの件には一切触れて欲しくないとお願いした。

 もしも何かが起きたときは、とにかく助けるので原因とか関係なくすぐに頼って欲しいとも伝える。


「フィリッパはこのあと、どうするの?」


 外に出ると、ソフィアが聞いてきた。


「着替えたあとはゼルディウスさんの道場に行こうと思ってる」


「ゼルディウス道場に?」


「次の対戦のために、少し仕掛けておかないと」


「そっか。残念」


 私はオプス神殿で着替えを済ませたあと、1人でゼルディウスさんの道場へ向かうのだった。

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