第171話 風向き
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アイリスは自身のパンチの練習をしつつ、ヴィヴィアナとエミリウスには魔術を指導。二人は個々の感性で風の魔術を習得する。特にエミリウスは魔術をカミラとの剣術試合に使うことを意識し、訓練へと向かうのだった。
剣術の練習時間になる。
クラウス様がやってくる様子がなかったので、先に練習を始めることにした。
ウルフガーさんにも確認をとって、カミラさんに仕切ってもらうことにする。
ただ、ウルフガーさんとカミラさんのやり取りがぎこちない。
手紙でよからぬ連絡を取っていることがカミラさんに発覚したので、それを引きずっているのかも。
それを察してか、ヴィヴィアナさんも不安そうだ。
「お2人ともいつもと様子が違いますね。どうしたんですか?」
私は余計なお世話と思いながらも口を出すことにした。
カミラさんは明後日の午前中でウァレリウス家を去る。
ぎこちない関係のままは嫌だった。
「意見の違いがありました……」
カミラさんがウルフガーさんを見る。
彼は無言だ。
「カミラさんは明日までしか練習に参加できません。ウルフガーさんはよろしいのですか?」
≫アイリスがここまで踏み込むの珍しいな≫
≫なにか目的があるとか?≫
「よい訳はない」
「ウルフガーさんは、カミラさんとこれまで通り話したいと?」
「その意志はある。だが」
「何か事情があるとか」
「ああ」
「その事情をカミラさんに話すのはご都合が悪いでしょうか」
「迷っている。迷惑を掛ける恐れもある」
「私のことであれば、迷惑を掛けられても構いません。後ろ盾もあります」
キッパリとカミラさんが言った。
ウルフガーさんはあまり表情には出さないが驚いているようだ。
裏社会から迷惑を掛けられるかもしれないという意味だし、普通の人は嫌がるだろう。
「迷惑が掛からないように配慮して相談するというのは難しいですか?」
ウルフガーさんが少し考える。
「可能かもしれない」
「まずその範囲で話してみるのはいかがですか? 少なくとも、今の状況ではなくなる気がします」
「そうだな」
「話してもらえるのですね?」
カミラさんがウルフガーさんを向いた。
「貴女がよろしければ。しかし、同時にウァレリウス様にもお話したい」
「私は構いません。ここに居させてもらえる期日もそうありませんので、早い方が助かります」
「承知しました。ウァレリウス様次第ですが、今夜にでも」
「感謝いたします」
「カミラさんはウルフガーさんがどの程度お話すればギクシャクがなくなりますか?」
「ギクシャク……。態度に出ていますか」
「正直に申し上げると、出ております」
「お恥ずかしい」
「他人のことで憤るのは恥ずかしいことではないと思いますよ」
「心に留めておきます。どこまで話をすればということでしたね」
「はい。カミラさんの本心が聞きたいです」
カミラさんはウルフガーさんをみた。
彼はうなづく。
「分かりました。私としては、ウルフガー様の今後の方針が分かればどうであれ納得します。――外部の人間がおこがましいことを言っていますね」
「少なくとも私にとってカミラさんはすでに身内みたいな感覚です。私個人の意見としてはおこがましいとは思えません。今後の方針についてはどうですか、ウルフガーさん」
「――今回を最後に、2度と受けないつもりだ」
カミラさんが驚いたようだった。
「いいのですか?」
彼女は探るように訪ねる。
「決めたことです」
「承知しました。出来ることは限られますが、問題があれば私を頼ってください。私1人の力は弱いですが、全く伝手がない訳ではありません」
「私などになぜそこまで」
「弟弟子にもう悲しいことは起きて欲しくありません」
「感謝いたします」
ウルフガーさんの声がかすかに震えていた。
≫解決か?≫
≫裏社会相手にそんな簡単に行くかね≫
≫『蜂』みたいにアイリスが潰すとか≫
≫敵を作りすぎると足下すくわれるからなあ≫
少なくとも、2人の壁みたいなのは消えたみたいだった。
問題には都度対処していけばいいと思う。
何も起きない可能性もある訳だし。
とにかく。
「良かったです」
「私のために気を遣わせて申し訳ありません。剣術練習を始めましょう」
「はい」
「よろしいですか?」
エミリウス様が一歩踏み出た。
「僕との試合をお願いしたいです」
カミラさんに真剣な表情で言った。
集中しているのが分かる。
「もちろんです」
「魔術を使ってもいいですか?」
「エミリウス様は魔術を納めていらっしゃるのですね」
「はい。本日、使えるようになりました」
「本日? と、承知いたしました。コモド流は元々、魔術を持たないものでも対抗する術を研究している流派です。使用されても構いません」
カミラさんは驚いた様子を見せながらも快く承諾した。
まだ、彼女の気持ちの切り替えが済んでないような気がする。
エミリウス様は狙ってやってるんだろうか。
意外と策士なのかもしれない。
こうして、カミラさんとエミリウス様が木剣と楯で試合をすることになった。
2人が向き合う。
立ち合いはウルフガーさんだ。
「始め!」
エミリウス様がカミラさんに向かっていき、剣を振るう。
速くもなく剣筋も不安定。
ほとんど力が入ってない。
コンッ。
カミラさんに横へ移動され、楯で受けられる。
エミリウス様は後退しながら、もう1度同じ場所を攻撃。
さっきと同じように楯で防がれると思ったけど、彼は剣を途中で止めた。
同時にエミリウス様の風の魔術。
カミラさんが持つ楯の裏側に風を起こす。
えっ、そこの裏側?
これは予想できない。
彼女のお尻が動き、一瞬だけ動きも止まる。
そこへ、エミリウス様が低い体勢になっての横薙ぎ。
狙いは太股。
カンッ。
でも、カミラさんにギリギリ剣で防がれた。
エミリウス様はまた退き、楯側に回り込む。
その調子で何度か惜しい場面があったけど、エミリウス様は体力不足なのか息が上がり、カミラさんから首元に剣を突きつけられた。
「勝負あり」
ウルフガーさんが宣言する。
「参りました。もう少し健闘できるかと思ったのですが、何もできませんでした」
「いえ、いつ打撃を受けてもおかしくない状況でした。初めてみる風の魔術の使い方です。素晴らしい技術です」
「そう言われると自信になります」
「今の試合でエミリウス様は魔術を使用されていたのですか」
ウルフガーさんが独り言のようにつぶやく。
「端からみても分からない程度の魔術です。ウルフガー様も軽く試合をしてみませんか? 楯について学ぶ動機付けになるかもしれません。もちろん、エミリウス様がよろしければですが」
「僕は構いません。ただ、少し休ませてください」
肩で息をしながらも、エミリウス様の集中は途切れていない。
「ウルフガー様はいかがですか? 実際には当てない形式にしたいと考えておりますが」
「承知いたしました」
カミラさんとウルフガーさんの会話もいつも通りで安心した。
それにしても、こういう展開になるとは。
息こそ荒いがエミリウス様は集中している。
期待させる何かがある。
「エミリウス様の魔術は貴女が?」
カミラさんに聞かれた。
「はい。風の魔術の基本的なことをお話したのは私です。今の試合での使い方は、エミリウス様が自ら考案されたものです」
「そうでしたか。ヴィヴィアナ様も風の魔術を使えるようになっていましたね」
「フィリッパちゃんすごいんですよ。私はもうほとんど諦めてたのに、使えるようになるなんて! その、思っていませんでした」
「お2人の努力もさることながら、指導方法も優れているのでしょうね」
そのままカミラさんとヴィヴィアナさんが中心に話していた。
次第にエミリウス様の息も整ってくる。
「エミリウス様。お加減はいかがですか」
「問題ありません」
「では、試合を始めてもよろしいでしょうか」
「はい」
エミリウス様とウルフガーさんが木剣と楯を持って向かい合う。
「魔術使用可の試合です。始め!」
カミラさんの声で始まる。
エミリウス様はウルフガーさんの楯に向けていきなり剣を振るった。
かなり強めだ。
カンッと音が鳴り、木剣が跳ね返る。
エミリウス様はその跳ね返りを利用して、再度振った。
身体を固めて楯を構えるウルフガーさん。
でも、エミリウス様は剣を逆向きに持っていた。
刃が下だ。
楯に打撃がいかない。
ウルフガーさんのバランスが崩れ、お尻が動く。
そこへ、楯の裏側に風の魔術。
ストンとウルフガーさんが膝を着く。
そのまま倒れた。
エミリウス様は剣先をウルフガーさんに突き刺しにいった。
ウルフガーさんの楯は地面だ。
エミリウス様の突きを防げない。
寸止めの形で、両者が止まった。
静かになる。
「しょ、勝者、エミリウス様」
私も含め、全員が驚いていた。
当のエミリウス様も信じられないという顔で私を見ている。
魔術ありとはいえ、ウルフガーさんに勝つとは。
≫マジか≫
≫すげえな≫
≫倒したのは偶然だよな?≫
≫どうやって倒したんだ?≫
≫アイリスが風で倒してるやつだろ≫
≫必倒の理か……≫
≫ちゃんと寸止めまで決めてるのえらい≫
ウルフガーさんは目を閉じて長く息を吐いた。
「エミリウス様。完敗です」
「偶然で、その」
「失礼ながら、偶然などではないと思います。風の魔術の的確な使用と、気を抜かずに留めを刺しにいく姿勢。これらがエミリウス様に勝利を呼び込んだのでしょう。お見事でした」
エミリウス様はしばらくカミラさんを見ていた。
「ぼ、僕は……」
エミリウス様は感情が高ぶったようで言葉を詰まらせる。
「僕は」
必死で涙を堪えているのが伝わってくる。
私も胸が熱くなった。
ヴィヴィアナさんももらい涙なのか鼻をすすっている。
皆がその様子を優しく見守っていた。
「――失礼しました。いろいろ思い返してしまって」
落ち着いたエミリウス様が恥ずかしそうに語った。
「そういう想いがあった方が人は強くなれます。剣術だけではなく、人としても」
「はい」
「失礼しました。差し出がましいことを申し訳ありません。それにしても、楯の裏に風の魔術を当てるというのは初めてみました。一般的に、風の魔術は見えている範囲にしか使えないものだと言われているのですが」
「僕も風の魔術はそのようなものだと聞いていました。ただ、フィリッパ先生に教わった風の魔術は全く違う体系のようです」
「興味深い話をありがとうございます」
私は口を挟まないことにした。
ヴィヴィアナさんは何かウズウズした様子だ。
風の魔術のことを話したくてたまらないのかもしれない。
食事のときに話を振ってみよう。
「エミリウス様。本当にお見事でした」
ウルフガーさんが丁寧に礼をする。
「ウルフガーがちゃんと向き合ってくれたお陰だから。それに今回は本当にいろいろな運に恵まれた。もちろん、実力ではウルフガーに全く及んでないと理解してる」
「勿体ないお言葉です」
「フィリッパさん」
「はい」
カミラさんに声を掛けられる。
「1つ、勝手なお願いがあるのですが話だけでも聞いていただけますか?」
「はい。なんでしょう」
「私と勝負のようなことをしてもらえますか」
「勝負ですか?」
「はい。私が貴女に木剣で触れられるかどうかを試みたいのです。風の魔術で対抗してください」
「構いません。私が剣で触れられた負けということですよね。私の勝利条件はどうしましょう」
「私が少しでも後退したらフィリッパさんの勝利ということではいかがですか」
「それはちょっと私に有利すぎます。カミラさんが倒れたら勝ちということでいかがでしょうか?」
「承知いたしました」
私はなぜかカミラさんと勝負することになってしまった。
準備をする。
といっても、私は場所を移動するだけだ。
剣と楯は持たない。
カミラさんと向き合う。
彼女の姿勢は低い。
ほとんどしゃがんだ状態で、楯を地面につき、剣を後方に伸ばしている。
間にはウルフガーさん。
「勝利条件を確認します――」
彼がそれぞれの勝利条件を語る。
私たちは頷いた。
緊迫した空気。
私はウルフガーさんの横隔膜の動きの予兆を観察する。
「始め!」
掛け声と完全に同時に、私は風速50mになるような暴風の魔術を放った。
真正面から何の工夫もない強い風。
彼女は何も出来ずに並行に吹き飛ばされてから倒れ転がる。
「勝負あり」
カミラさんは呆然としていた。
「大丈夫ですか?」
駆け寄る。
「え、ええ。今のがフィリッパさんの風の魔術ですか?」
「はい」
「驚きました。本当に私の知る風の魔術と全く違うものなのですね」
「故郷の知識が元になっています」
「貴重な技術をありがとうございます」
彼女は立ち上がって私に頭を下げた。
「参考になったのならよかったです」
その後は、カミラさんがウルフガーさんに楯を使う感覚について教えていた。
身体を固めるのではなく、楯に弾かせる感覚。
ウルフガーさんは身体を固めて、対抗しようとしていた。
その違いが、隙の大きさに繋がっていたんだな。
エミリウス様の剣の振りについては、ウルフガーさんが教えることになった。
聞いていると、ウルフガーさんの教え方は分かりやすい。
振りかぶったときに刃の重さを感じることで、刃筋を真っ直ぐにするのだという。
なので素振りをするときには、背後に垂らすようにすることでその感覚を磨くと教えていた。
また、振るときには柄が手の中を自由に滑ることが可能な力で握るとも教えていた。
完全に自由という訳ではなく、彼の場合は中指を中心にしているらしい。
中指中心なのは片手だからかな。
私は両手で持つことが多いので少し違うのかも。
どちらにしても、彼がよく考えて毎日の素振りをしていることがよく分かる教え方だ。
「お教えしているコツはご自身で得たものですか?」
カミラさんがウルフガーさんに話しかける。
「正式なコモド流と異なっているかもしれません」
「いえ、素晴らしいです。私も学ぶところが大いにあります」
和やかな雰囲気で、剣術練習が進む。
と、そこに来客があった。
遠目に見ると親衛隊のようだ。
「私がお出迎えしてきます」
宣言してすぐに移動した。
今のこの雰囲気をあまり壊したくない。
門まで歩いていくと、その親衛隊員は私に向けて手を挙げている。
知り合いかな?
さらに近づくとエレディアスさんだった。
「やあ」
門番の2人がいる前で気安く挨拶された。
私と知り合いなことを隠す気はなさそうだ。
ローマ市の元奴隷とは皆にも言ってあるし、親衛隊長と知り合いでもおかしなことではないか。
「フィリッパです。本日はどのようなご用件ですか、エレディアス様」
「直接確認してくるように長官に頼まれてね」
「彼は親衛隊のエレディアス隊長です。お通ししてください」
門を開けてもらい、入ってもらった。
「骨折のその後はいかがですか?」
腕は固定してない。
「本調子ではないけど、痛くはないな」
「それはよかったです。ウァレリウス様とお話しするということでよろしかったですか?」
「そうだな」
「お時間をとれるか聞いて参ります」
「よろしく。俺はキミに話を聞ければそれでいいんだけど。ところであれは何をやってるんだ?」
「剣術練習をしております」
「へぇ、女性もか」
「彼女はコモド流の師範補佐と伺っております」
「コモド流か。それにしても女性の指導者とは珍しい。相当努力したんだろうな」
「恐らくそうだと思います。待っている間、見ていかれますか?」
「それもいいな」
私はエレディアスさんを剣術練習の場所に連れていった。
皆、こちらを意識する。
「そのままで聞いてください。彼は親衛隊の隊長を務めるエレディアス様です。見学するだけなので、気にせず練習を続けてください。彼は気さくな方なので、剣術で聞きたいことがあれば答えてくださると思います。ですよね?」
「そんなに答えられることはないけど、それでもいいのなら」
「エレディアス様は私の知人でもあります。特に質問等なければ話しかけなくても構いません」
「いや、質問がなくても話しかけては欲しいな」
私の少し失礼な言い回しに彼が乗ってくれたからだろうか、漂っていた緊張が和らぐ。
「私はウァレリウス様の元へ参りますので、しばらく外します」
それから私はメリサさんに取り次いでもらい、ウァレリウス様にお客様が来ていると伝えた。
彼はエレディアスさんが私の知り合いというと安心していた。
「しかし、隊長が直々にか。何を話せばいいのだろうか」
「彼はビブルス長官が信頼をおく数少ない人物です。そのため、直々来たのだと思います。あの日以来、変わったことはないと、率直に申し上げればよろしいかと存じます」
「分かった」
≫当主様、結構依存体質だな≫
≫アイリスの正体分かってから頼ってるもんな≫
「あと、今夜、ウルフガーさんから『手紙』について話があるかもしれません。心のご準備をしていただけますと幸いです」
「そうか」
「それではエレディアス様を応接室にご案内しますね」
「親衛隊の隊長は、その、君のことを知っているのかね」
私の正体を知っているかどうかということだろう。
「はい」
「では、君も同席したまえ」
「承知いたしました。給仕の名目で同席いたします。それでは、彼を応接室にご案内します」
「ああ」
私はメリサさんに客人を応接室にご案内し、給仕を行うと伝えてから庭へ向かった。
応接室の準備はメリサさんが行ってくれるらしい。
急なこともあり、飲み物は薄めたワインになるそうだ。
少し時間を潰すように言われる。
私は剣術練習の場に戻った。
たどり着くと、エレディアスさんが楯を持って何かを話していた。
「お待たせいたしました。エレディアス様。何をされているのですか?」
「親衛隊の楯の使い方を話していた」
「教えても良いのですか?」
「まあ」
ばつの悪そうな表情をする。
あ、よくないんだな。
「承知いたしました。まだ、時間はあるので続けてください」
話を聞いていると、楯をかち上げることで相手の重心を浮かすというようなことを話していた。
このとき、楯を少し斜めにして腕で押すのではなく身体ごと低い体勢で当たる。
壁があれば相手をそのまま押しつけてしまう。
街中で制圧するのには向いているかもしれない。
しばらくすると、メリサさんが玄関から出たみたいなのでエレディアスさんに声を掛けた。
「時間のようだ。良い時間を過ごせたよ」
彼は爽やかにいって、あとにした。
カミラさん、ウルフガーさんはかなり恐縮していたな。
練習していた場所を離れてから彼に話しかける。
「どうして教えることになったんですか?」
「侍女にキミとの関係を聞かれてさ。不要なことを話してしまいそうだから切り替えた」
ヴィヴィアナさんか。
「そういうことでしたか。でも、教えていただけて感謝されてると思いますよ」
「なら良かったか」
彼が周囲を確認しはじめる。
「どうかしましたか? 周りには誰もいないので、私に伝えることがあるのなら言ってください」
「――怖いなキミは。まさか人の心を読める魔術とか言い出さないよな」
「そんな魔術はありません。エレディアスさんが周りを気にされていたので、その理由を考えて予想したことがたまたま当たってだけです」
これまでアクション・リアクションについて考えていた効果なのかも。
「そ、そうか。実のところ、今から話すことが俺がここに来た理由だ」
「はい」
「何者かがキミのことを探っている。キミの師匠が養成所でそういう話を耳にしたそうだ。マリカのことも探っていたらしい」
「ルキヴィス先生が……。先生からどんな人物が探っていたか聞いていますか?」
「そういえば、あの養成所の剣闘士の何人かが探っていると話していたな」
「ありがとうございます。養成所所属の剣闘士ですか。割と雑な感じで探られてるんですね」
「雑?」
「養成所所属の剣闘士で複数人なら、口の軽い方もいるでしょうし、背後関係がすぐ分かりそうなものなので。たぶん、何者かに頼まれて私やマリカを探ってるんでしょうね」
「確かに雑だな」
マリカのことまで探ってるとなると皇妃派ではなさそうだ。
『蜂』の残党だろうか。
情報が少ないな。
「念のため、マリカのことをお願いします」
「ああ」
しばらく立ち止まっていたので、歩き始めた。
邸宅に入る。
入ると、メリサさんとプリメラさんがいた。
「こちらの方はエレディアス様です。親衛隊の隊長を務めておられます」
彼を軽く紹介する。
「エレディアス様。このような形での出迎えとなり申し訳ございません。ようこそおいでくださいました。こちらへどうぞ」
彼を応接室に案内する。
私は案内から外れ、キッチンへと向かった。
それから私は薄めたワインを冷やし、持ってくる。
ウァレリウス様とエレディアスさんは、ちょうど挨拶を済ませたところらしかった。
「失礼します」
私は言って、防音の魔術を使った。
「防音の魔術を使いました。ご自由にお話ください。お二方とも、私の正体を知っていますので、それを前提としてお話ください」
「そうか」
ウァレリウス様は言い、エレディアスさんも頷く。
「この邸宅であの夜の襲撃以降、変わったことはございますか?」
エレディアスさんが聞いた。
「話してよいものだろうか?」
迷ってるのは、サオシュヤントさんとミカエルの来たことを話すかどうかかな?
「意見をよろしいですか?」
「許可する」
「思案なされているのは、私が給仕を務めていた件でしょうか?」
「その件だ」
「口止めされていなければ、お話しても構わないと存じます」
「そうだな」
ウァレリウス様はサオシュヤントさんとミカエルが来たことを話した。
彼らの目的がクラウス様との交友で、途中、決闘のようなことが行われたことまで話す。
「決闘ですか」
「被害はなく、当家に対して今後影響のあることはなかったと思う」
「承知しました」
あとはエレディアスさんから、近々、ウァレリウス邸襲撃犯の裁判が行われることが伝えられた。
話としてはそれで終わる。
本当に私への連絡がメインだったのか。
ありがたい。
庭では剣術の練習は終わっていたので、エレディアスさんが帰ることになると練習メンバーが挨拶をしにくる。
「また、機会があれば」
彼は爽やかに去っていった。
「良い人だったね」
「ですね。カミラさんは剣術については参考になりましたか?」
「はい。隊長の方に指導していただけるなんて貴重な経験でした」
「よかったです」
それから、夕食を終えた。
侍女の夕食ではヴィヴィアナさんが魔術について嬉しそうに話していてほっこりした。
そして、いよいよウルフガーさんが手紙について話すことになる。
なぜか、私も同席することになっている。
私の同席は、ウァレリウス様の要望ということだった。
応接室にいるのは、ウァレリウス様、ウルフガーさん、カミラさん、そして私の計4人だ。
応接室に入ってから少し経つけど、挨拶をしたあとは緊迫した空気となっていた。
座っているのはウァレリウス様だけ。
ここでの私の振る舞いはどうしよう。
アイリスとしての正体は隠しつつも、考えは本音で話す、でいいかな?
「では、話を聞こう」
ウァレリウス様が言うと、ウルフガーさんが目線を少し上げる。
「私が当家でお世話になってから4年になります。その間、私は犯罪を行う組織と通じ、連絡役を担っていました。当家に傷を付け、裏切る行為です。どのような処分も受け入れる所存です」
頭を下げる。
「そうか。現在も行っているのか?」
ウァレリウス様の声は落ち着いている。
ウルフガーさんが意外そうな表情を浮かべた。
「はい」
「現在行っている内容は話せるか?」
「詳細は知らされておりませんが、要人の暗殺をもくろんでいると見受けられます。そのための暗殺者を手配しました」
ということは、暗殺者がどんな人かは分かっているのか。
聞いておきたいな。
「これまでも似たような仲介はしたことがあるのか?」
「はい。以前も暗殺の連絡役を行ったことがございます。失敗したようです」
「分かった。その組織との関係は断てないのか?」
「関係を断とうと試みましたが、反故にされております」
「ふぅ、そうか。連絡はどのような方法で行っているのだ?」
「庭に鍵付きの箱を埋め、手紙を入れて連絡を行っております」
「鍵はウルフガーが持っているのだな?」
「はい」
「その手紙は保管しているのか?」
「いえ、読み終わったら処分しております。しかし、本日のものであればお見せできるかと」
「持ってきなさい」
覚悟を決めた表情でウァレリウス様が言った。
「かしこまりました」
「フィリッパ。彼についていってくれ」
「承知しました」
私はウルフガーさんについて、箱を空けて手紙を取り出すところを見ていた。
箱を埋める手順を隠すつもりはないらしい。
周りを警戒していたけど、特に誰もいない。
行きも帰りも特に会話はなかった。
私が話したのは、「手を洗ってから戻りましょう」だけだ。
「戻りました」
手紙は私が預かっていたので、ウァレリウス様に手渡す。
彼は手紙を読むと、険しい顔を浮かべ、私を上目で見た。
「ウァレリウス様。お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
私から声を掛ける。
「尋ねたいのは手紙の内容かね?」
「はい。おっしゃる通り、内容をお教えいただければな、と」
「ウルフガー。この手紙の内容は確認したのか?」
「いえ」
「内容を話す。女剣闘士のアイリスとマリカの居場所と情報を探れとある」
全く想像してない内容だった。
こうきたかという思いだ。
養成所で私やマリカを探っている話と同じなんだろうな。
組織か個人が大がかりで私たちを探している。
なぜ探しているのか理由は思い当たらない。
特に、なぜマリカまで探しているのがよく分からない。
『蜂』関係くらいしか思い当たらないけど、ほとんど壊滅してるからなあ。
「発言をよろしいでしょうか?」
カミラさんが半歩前にでる。
「この場では、各々自由に意見や質問をしてよいものとする」
「かしこまりました。剣闘士のアイリスに関しては名だけは聞いております。彼女はウァレリウス家と関係があるのですか?」
ウァレリウス様が私を見る。
私はその視線に対して気づかない振りをした。
≫ウァレリウス様は軽率だな……≫
≫はーい! 関係ありありでーす!≫
「直接的な関係はない。クラウスがよく名を口にしている程度だ」
「お答えいただき、感謝いたします。ウルフガー様には何か心当たりがありますか?」
「いえ、その2人の剣闘士についても詳しくは存じておりません。ただ、アイリスという剣闘士はレオニスと次の闘技会で戦うことになっております」
ウルフガーさんはウァレリウス様に向けて言った。
なんとなく引っかかる。
まさかとは思うけど聞いてみようか。
「レオニス様がアイリス様の情報を集めようとしているという可能性はないですか?」
ウルフガーさんに聞いてみる。
私自身がアイリスの名前を出すのは変な気持ちになるな。
「可能性としてはある。彼は用意周到な人物と聞いている」
大胆に見えて、準備はちゃんとするタイプなのか。
「ありがとうございます。ウルフガーさんに不愉快な思いをさせてしまうかもしれませんが、彼の用意周到さはどのレベルだと考えていますか?」
「レベル……。どういう? いや、なるほど。手段を選ぶか選ばないかということか」
「その通りです」
カミラさんは驚いた。
何について驚いたのかは分からない。
「どういうことだ?」
ウァレリウス様が聞いてきた。
ウルフガーさんと私がアイコンタクトする。
彼は私に説明を譲った。
「今から話すことはあくまで例です。例えばマリカ様の居場所を特定し、彼女を人質にとります。レオニス様がアイリス様に、人質を解放して欲しかったら勝利を譲るように持ちかけます。これが手段を選ばないということです」
「なっ」
ウァレリウス様は絶句している。
カミラさんは私を見ていた。
話しながら口角が上がり、戦闘モードになっていくのを感じたので、落ち着くように心がける。
「レオニス様がそのようなことをしている可能性がある、と」
カミラさんが独り言のようにつぶやく。
「ウルフガーさん。裏社会経由で探していると見てよいのですか?」
「ああ」
「であれば、非合法的な戦いの準備の可能性もあるのではないかと存じます。人質をとるようなことをするかどうかはともかく、少なくとも彼女たちに対して幅広く捜索依頼を出していそうですね」
「ウルフガーはどうするつもりだ?」
「知己のある何人かに確認し、彼女らについて知っている者がいなければそのように伝えます」
仕事が出来る人間の答えな気がする。
「分かった。その件はいいだろう。手紙でやり取りしていることも分かった。問題は今後のウルフガーだ」
「ウルフガーさんに依頼をしてくる組織との関係を断ちたいということですね」
「ああ」
「断ってダメだったなら、どなたかに間に入ってもらうか、決定権のある人物と直接交渉するしか手はなさそうですね……」
私が言うと皆が黙る。
交渉するには敷居が高いからなあ。
「――話を私どもの総師範にすることはできます。あまり期待はできませんが」
「当家のことでそこまでしてもらう訳にもいくまい」
「総師範のことであれば、お気にされることはございません。彼は人物が気に入るか気に入らないかで行動を決める人物です」
「ウルフガーさんがコモド流の総師範に気に入られれば、彼が間に入ってくれるかもしれないということですね」
「はい」
剣術の最大流派のトップだからな。
裏社会といっても無視はできないか。
仮に、ゼルディウスさんとかなら、本気で組織ごと潰しかねない。
「ウァレリウス様、いかがでしょうか?」
「分かった。勝手なお願いだが、ウルフガーを紹介してもらえるだろうか」
「かしこまりました。できる限り早く実現できますよう努めさせていただきます」
「総師範への紹介までは実現の可能性が高いのですか?」
「彼はそれほど忙しくもありませんし、人と会うのが好きな方ですので」
「ありがとうございます。日によりますが、私にも同行の許可をいただけませんか?」
この際だから申し出る。
「私は許可する。カミラはどうだ?」
「差し支えございません」
「そうか。それでは、ウルフガーの話は一端ここまでとしたいが他にあるか?」
誰も発言しなかった。
「分かった。ここまでとしよう。他に聞いておきたいことはあるかね?」
「はい! ウルフガーさんに聞きたいんですけど、要人の暗殺者ってどんな人なんですか?」
「興味本位なら聞かない方がいい」
「いえ、敵になるかもしれないので」
私が言うと場が凍った。
「そうか。元怪物ハンターの男だ」
怪物ハンター?
あ、昔クルストゥス先生が言ってた闘技場で戦う怪物を捕まえる人たちのことかな?
「怪物って闘技場で戦わせるためのですか?」
「その通りだ」
「強そうですね」
「実際かなり強いとの噂だ。実績もある。間違っても手を出そうとはしないことだ」
クルストゥス先生に聞けば、何か分かるかもしれないな。
「はい。ありがとうございました。気をつけます。参考になりました」
そのような感じで、話し合いは終わった。
ウルフガーさんには不信感を与えたかもしれないな。
2人が去ったところで、私はウァレリウス様にアイコンタクトして別の話し合いをするように促した。
ウルフガーさんは素振りのために外に向かい、カミラさんは侍女部屋に入った。
私たちのいる場所は中庭だ。
防音の魔術を使う。
「ある程度状況は分かりましたね」
「ああ、ウルフガーが話してくれてよかった」
「茶化すわけではありませんが、ウァレリウス様ってウルフガーさんのこと大事にしていますよね」
「こう言ってはなんだが、没落している我々に尽くしてくれているからな」
「ウァレリウス様の想いがウルフガーさんにも伝わっているのかもしれませんね」
「当家は彼に支えられているといってよい。想い以外でも伝えたいところなのだが」
金銭的なものだろうか。
「とても失礼なことを聞いておきたいのですが、よろしいですか?」
「何だね、改まって。もちろんよいが」
「ありがとうございます。大変申し上げにくいのですが、没落の理由です」
「それはまた聞きにくいことを」
彼は苦笑いする。
「失礼は承知ですが、何が原因かなと疑問に思っていまして」
「――土地経営がうまくいっていなくてね」
「土地経営ですか? 利益を得る手段としては安定しているように思えますが」
「君の知識は実に幅広いな」
「光栄です。いつからうまくいっていないのですか?」
「15年ほど前になるか。私は土地経営に詳しくないため、友人に任せているのだが芳しくないようでね。特に6年前の干ばつ以降は収入が途絶えてしまった」
「ご友人ですか」
「彼は信頼できる男だ。長年の友人でもあり、恩人でもある」
「ウァレリウス様は素敵なご友人をお持ちなのですね」
「ああ」
手のひらを左目に見せる。
≫質問?≫
≫意見が欲しいんじゃないか?≫
≫友人が怪しいとしか≫
私もその友人を怪しんでいる。
ウァレリウス様は、1度信頼すると盲目的なところがあるような気もする。
≫友人の背景を聞くか?≫
≫いや聞くと友人を怪しんでると気づかれるぞ≫
≫ウァレリウス様は鈍いから平気では?≫
≫リスクは取らない方がいいだろうな≫
私も直接聞くのは避けた方がいい気がした。
「第二皇子派の方なのでしょうか」
「いや、皇妃派だ」
「では、私は存じ上げないかもしれません。」
「名をホルテンシウス・コルヴォという」
「ありがとうございます。やはり、伺ったことのない方のようです」
この場合、ホルテンシウスが貴族として呼ばれる名前なんだっけ。
名前のルールはどこかでちゃんと聞いた方がいいかも。
それはいいとしてホルテンシウス様か。
調べてみようと心に刻む。
「話を戻しますが、今、当家はウルフガーさんを中心に維持している状況ということで良いのですか?」
「その通りだ」
「ウルフガーさんがいなかった頃はどうしていたのでしょうか」
「4年前以前は、長男のレメスと私がなんとかこなしていた」
「レメス様は今どうされているのですか?」
「一旦議員となり、現在は第一軍団で副官についている」
「お教えくださり、ありがとうございます」
ローマ最強の第一軍団か。
皇妃の従兄弟が司令官なんだよな。
あと、リギドゥス神官も第一軍団の元副官だったはず。
「現在はウァレリウス様とウルフガーさんで行っている訳ですよね」
「いや、ウルフガーが1人でこなしている。当主の私にそのような雑務をさせる訳にはいかないと譲らなくてな。ただ、カミラが手伝っているのを見ると、やはり助けはあった方がよさそうだ」
2人体制の方が何かあったときにもいいだろうしな。
≫不正はないのか?≫
≫経理関係が1人だと不正をしやすいからな≫
≫ウルフガーはその辺真面目そう≫
確かにウルフガーさんが不正をするとは思えない。
その辺の信頼は不思議とある。
自発的にウァレリウス様を裏切らないというか。
「では、エミリウス様に手伝ってもらうのはいかがでしょうか? 魔術を教えていると、彼の知識、頭の良さや学習能力の高さに驚かされます。すでに簡単な風の魔術を使えるようになりました」
「なに! 聞いていないぞ」
彼はかなり驚いたようだった。
「本日使えるようになったばかりですから」
「夕食時に話してもよさそうなものだが……」
「クラウス様もいますし、遠慮したのかもしれませんね」
「そうか」
少し寂しそうだ。
「しかもその魔術を使って、ウルフガーさんとの剣術試合で勝利しました。もちろん、実力的にはウルフガーさんの方が遙かに上です」
「そ、それほどか。あのウルフガーに勝つとは。いや、確かにウルフガーもエミリウスには隠れた賢さがあると話していたが」
「エミリウス様はあまりご自身の考えを主張されないので、誤解されやすいかもしれません。私が見てきた方々の中でも才能だけなら上位に入るかと」
性格が素直なので、セーラが一番近いだろうか。
カトー議員やミカエルのようにはなって欲しくないな。
「ううむ」
「話を戻します。剣術練習の様子を見た限りでは、ウルフガーさんとの相性も良さそうです。最初はお仕事の邪魔にならないようにしながら、徐々に手伝っていくという形を提案したいのですが、いかがでしょうか?」
「なるほど。それならば影響は少なそうだな。様子を見て試すのも悪くないかもしれぬ」
「できれば明日からが良いのですが……」
「明日? 何か理由があるのかね」
「はい。カミラさんが明日最終日だからです。ウルフガーさんに余裕がある最後のチャンスなことと、彼女ならではの教え方があるかもしれません」
「そうか。分かった。明日の朝、3人に確認しよう」
「ありがとうございます」
問題はたくさんあるけど、良い方向に向かっている気がする。
ウルフガーさんが裏社会との縁を切ることに前向きになったことも大きい。
私は密かにウァレリウス家を良い軌道に乗せるように努力することを誓うのだった。




