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第170話 二つの風

前回までのライブ配信


サオシュヤント、ミティウス、そしてミカエルがルキヴィスと共にウァレリウス邸を訪れる。ルキヴィスがサオシュヤントの護衛と戦い、圧倒的な勝利を収める。その後、アイリスはミカエルたちと密談し、ルキヴィスからパンチの指導を受けるのだった。

 サオシュヤントさんやミカエルたちが帰ったので、その片づけをした。


 夕食では給仕(きゅうじ)を行う。

 クラウス様は饒舌に話をしていた。

 ただ、ルキヴィス先生と護衛の試合の話になると、暗い表情を見せて話題を変えた。


「今日も皆でよく役目を果たしてくれた。家族と神々に感謝を」


 最後にウァレリウス様が家族を(ねぎら)った。

 彼自身は疲れているようだ。

 自派閥のトップと、ペルシャの王子を迎えた訳だから、プレッシャーはかなりのものだったろう。


 私たち侍女の夕食の席では、それぞれの立場での話をした。

 共通していたのは、先生と護衛の試合は衝撃だったということだ。


「あの試合がなぜ行われたのかを話してもよろしいですか?」


 私から提案してみる。


「そうね。私も知っておきたいし話してくれるかしら」


 まず、サオシュヤントさんがペルシャの貴族であることを話した。

 その上で、彼がわざとこちらの言葉を理解できない振りをしていて、挑発気味にルキヴィス先生が指摘したことであの試合に至ったことを説明する。


 カミラさん以外は皆、怖がっていた。

 試合と言いながら、実際は決闘に近いからかな。

 それとも暴力そのものが怖いのだろうか。

 私にはその辺の感覚がよく分からない。


 夕食を終え、自由時間になる。

 私は庭に出て、右手に革紐を巻き、パンチの練習をした。

 パンチの打ち方については、視聴者にも確認してみる。


「ルキヴィス先生に教わった尺骨(しゃっこつ)橈骨(とうこつ)を意識したパンチなんですが、今のところ私には合っています。このまま続けて良いのでしょうか?」


 ≫良いのでは?≫

 ≫アイリスの師匠な訳だしな≫

 ≫合ってるのが一番≫


「ありがとうございます」


 ≫尺骨橈骨の話はこちらも参考になった≫

 ≫ああいうコツの伝え方があったとは≫


 続けて、武術家さんらしき人の解説が始まった。

 骨格を元に解説してくれる。


 元々、前腕に2本の骨があるのは腕を回転させるためらしい。

 ドアノブなどはこの2本の骨があるから回せるそうだ。


 あと、橈骨の重要性についても教えて貰った。

 橈骨は親指側の骨とのことだ。


 ≫お父さん指側だから橈骨と覚える≫

 ≫お(とう)さん!≫

 ≫娘さんを私にください!≫


 橈骨は太く、手首とも深くつながり、肘、上腕に力を伝えるのに重要らしい。

 器用でもあるそうだ。


 パンチを打つときにも、橈骨を意識する。

 パンチをナックルパートで当てるものこのためだそうだ。

 特にフックは橈骨を意識して尺骨に被せるように打つとよいらしい。


 私だけだとたどり着けない話だ。


 何度かパンチしてみる。

 走る電気を元に神経を辿ってみると、確かにパンチに必要な筋肉は橈骨に集まっている気がする。


「貴重なお話ありがとうございます。理解は不十分かもしれませんが、すごく参考になりました」


 ≫それは良かった≫


「厚かましいお願いなのですが、これらを踏まえた練習方法のヒントを教えてもらえると嬉しいです。私自身だと素直にパンチの練習をするくらいしか思いつきません」


 ≫個人でやっていたことならある≫

 ≫腕を伸ばしたまま肘だけの向きを変える≫

 ≫この方法でパンチは行わず神経を鍛えた≫


「手首から先は動かさずにということでしょうか?」


 ≫そうだが、真似する必要はない≫

 ≫今は手首から先も動かした方がよい≫

 ≫手首から先ごと骨の平行・クロスを繰り返す≫

 ≫水を振るイメージを伴えばさらに練習になる≫


「例えば歩きながら、手も含めて腕を回すことだけを繰り返せばいいということでしょうか?」


 ≫それでいい。キレを意識するとよいだろう≫


「ありがとうございます。やってみます」


 ≫武術家さん、興味本位で聞いて良いか?≫

 ≫もちろんだ≫

 ≫肘の向きだけを変える目的は?≫

 ≫コークスクリューブローの一要素だ≫


 コークスクリューって聞いたことあるようなないような。

 難しそうなので私は知らなくてもいい気がする。


 ≫仮想の相手をイメージし戦うのも重要だ≫

 ≫いわゆるシャドーだな≫


「相手の動きを想像しながら、私自身は身体を実際に動かす。みたいな理解でいいんですか?」


 ≫その理解で問題ない≫


「了解です。周りに人がいないときにシャドーするようにします」


 私の場合、空間把握を使って戦っているから、イメージしやすい気がする。


「暗闇ですが、少しシャドーしてみます」


 緊張感はないけど、暗闇とかで空間把握のみで戦うのと似ている。

 私に合っていると思った。


「――ふぅ。思ったより疲れますね」


 ≫いつも全力でやる必要はない≫

 ≫力の抜き方を覚えるという側面もある≫


「そうなんですね。軽くなら隙間の時間で出来そうです」


 考えてみれば、ルキヴィス先生は戦うときも力が抜けてるな。

 先生の戦い方をイメージしてシャドーするのも良いかもしれない。


「いろいろやってみます。助かりました。また相談させてください」


 こうして、自由時間でのパンチの練習を終えるのだった。

 練習はともかく、方向性が決まったのでよしとしよう。

 

 翌朝。


 右腕に革紐を巻いて仕事をすることにした。

 先生のアドバイスを取り入れた形だ。

 手が空いているときは、左右の腕の骨の平行・クロスを繰り返す。


 平行・クロスは、普通の筋肉の使い方と、電気を直接送り込んで筋肉を操作する方法の2種類を行った。

 電気を直接送り込む方がやりやすいな。

 指を連動して動かすタイミングも分かってきた。


 無意識でも行うように癖にしてしまおう。


 私の方はこれ以上のことは出来ない。

 それよりも、ヴィヴィアナさんの風の魔術を進めないと。


「ヴィヴィアナさんは風を使った魔術ならどんなものが使いたいんですか?」


 拭き掃除をしながら聞いた。

 彼女の場合は、理屈よりもやりたいことをやってもらった方がいいように思う。


「やっぱり、指さすとビューって風が起こる魔術かな」


「こういう感じですか?」


 私は手を止めて、言われた通りにやってみる。

 指さして、その方向に緩やかな風が吹いた。


「そ、そうかな」


「違うなら素直に言ってくださいね。その方が私もありがたいので」


「そう? じゃあ、こう草原の雨の中で、手を出して風を操るイメージ?」


「ぐ、具体的ですね」


 しかも邸宅内では実現が難しいイメージだ。


「室内で使う魔術のイメージはありませんか?」


「室内だと手を広げた前にビューと風が出るイメージかなあ」


「あとでやってみます」


「ほんと? 楽しみ」


 部屋の拭き掃除を終えてから、広間に出る。


「では、ヴィヴィアナさんのイメージを再現してみますね」


 そこで、私の想像する彼女のイメージを実演してみせた。


「イメージと合ってますか? 遠慮しないで言ってみてください」


「もうちょっと風が吹いてる感じかなあ」


「これでどうですか?」


 風を強くし、上下左右にサイズを広げた。

 それでも彼女の顔を見ると納得いってないようだ。


「風が見えればいいんだけど……」


 ――そういうことか!


「今のヴィヴィアナさんって風が見えるんですよ」


「あっ!」


「これは見えます?」


「見えるよ!」


「では、もう1度やってみますね」


 私は手を前に突きだし、強めの風を出した。


「どうですか? まだイメージと違うのなら、出来る限り近づけますよ?」


「ほんと?」


「はい」


「じゃあね。もうちょっと真剣な表情で、両手で指は伸ばして……」


 もしかして、ポーズ中心?


「ヴィヴィアナさんにその様子をやってもらいたいのですが……」


「うん。こんな感じでビューと風を出す感じ」


「分かりました。そのままでいてくださいね」


 隣で真似をしてみる。

 そうか、両手のイメージなのか。

 足は前後に開いている。

 その上で、風を出す感じか。


 ――風を出す?


「風は手のひらから生み出されるイメージなんですか?」


「うん」


「風が生み出される長さはどのくらいですか?」


「ビューってくらい」


「ずっと風が吹いてる訳じゃないんですね?」


「うん。出てるのは少しの間だけだよ」


 それならいけるか。


「風も含め、見ていてください」


 私は、両手を平行に突きだし、指を広げて足を前後に開いた。

 その上で、風速10mくらいの強めの風を出す。

 『傘』がさせないくらいの風。


 ブオーッという音がした。

 強力な扇風機よりは柔らかい音。


「そんな感じ!」


「よかったです」


 魔術でいきなり強めの風を使うのは難しいはず。

 でも、結局のところはチカチカしている分子の衝突を大きく動かすだけだ。

 コツが掴めるのなら出来る。

 ヴィヴィアナさんならいけるという気もする。


「やってみますか?」


「――うん」


 ポーズは同じようにして、風を出そうとする。

 でも何も起きなかった。


「あ、あれ」


「いきなりは難しいと思います。1つずつ進めていきましょう」


 とにかく、ヴィヴィアナさんのイメージに近づけていけるように工夫しよう。


「まず、私がヴィヴィアナさんの手から風を出してみますね。ゆっくりやるのでよく見ててください」


 彼女が頷き、ポーズをとる。

 真剣な表情だ。


 私は彼女の手のひらから風が出るように魔術を使った。


「わっ! こんな感じなんだ」


「何度もやってみましょう。ヴィヴィアナさん自身が魔術を使ってるように合わせてください」


 最初は等間隔でリズミカルに魔術を使う。

 それを、少しずつ彼女の意識に合わせて発動するように変えていった。


「ほんとに使ってるみたい」


「はい。もっとその気になっちゃってください」


 声が大きくなる。

 風の音はそこまで大きくないんだけど。


 あるとき、魔術の発動をやめてみた。


「あれ?」


 彼女の手から風が出た。

 魔術を使えてる!

 勢いはあるが距離が短い。

 それでも確かに風の魔術は発動していた。


「距離が短いです。今はブォって感じなので、ブオーてイメージでいきましょう! 声も出しましょう!」


 ≫ブォとブオー!≫

 ≫感覚派の天才みたいな表現だな≫

 ≫アイリスがヴィヴィアナに合わせてるのか≫


「うん。ブオー!」


 声にすることで、実際に意識している距離も伸びたみたいだ。

 イメージを声にするというのも有用なのかもしれない。


 それから数分。

 魔術の発動をやめてみる。


 ヴィヴィアナさんは問題なく魔術を使えてる。

 大きさ――半径は少し狭いけど、風速も発動時間も私の使っていたものとあまり変わらない。


 そのままブオーと言いながら魔術を使い続けていた。

 私はその様子を見ていた。


「――あれ? フィリッパちゃんどうしたの?」


 私の様子に気づいたヴィヴィアナさんが、手を止めて私を見る。


「ヴィヴィアナさんが魔術を使うところを見ていました」


「どういうこと?」


「すみません。また再開してください」


「う、うん」


 私は何事もなかったように両手をつきだして風の魔術を使う振りをした。


「ブオー!」


 距離が短かったので、私は声だけサポートする。


「ブオー!」


 ヴィヴィアナさんが言うと、風の魔術の距離が伸びた。

 その後も風の魔術を使えていた。

 私は最初にブオーと言っただけで何もしてない。


 彼女は魔術を使えるようになってしまった。


 私が腕を組んで見ていると、ヴィヴィアナさんが気づく。


「あれ?」


「気づいてましたか? 今、ヴィヴィアナさんだけで風の魔術を使ってたんですよ?」


「え?」


「ブオーて言いながら、風の魔術を使ってみてください」


「え、うん……」


 彼女はポーズをとって、私を見た。

 私は大きく頷く。

 意を決したように正面を見て息を吸う。


「ブオー!」


 同時に強い風が出た。


「わっ!」


「おめでとうございます。風の魔術が使えましたね」


「――そ、そうなんだ。なんか、変な感じ……」


「変な感じですか?」


「信じられないっていうか、ほんとのことに思えないっていうか……」


「では、どんどん使っていきましょう。私も最初はそんな感じでしたけど、今は自分が使えるって実感してます」


「フィリッパちゃんもそうだったんだ」


「はい。使えば使うほど魔術が当たり前になっていきました。ヴィヴィアナさんも魔術をたくさん使った方がいいかもしれません」


「どういうことに使ったらいい?」


「そうですね。壁に向かって使って(ほこり)を払ってもらえますか」


「うん!」


 ≫ノセていくのが上手いな≫

 ≫さすがお姉ちゃん!≫

 ≫お姉ちゃん?≫

 ≫アイリスには妹がいるから≫


 彼女は両手を前方上に構えて、魔術を発動しようとした。

 でも、風の威力が明らかに低い。


「あ、あれ?」


「まずは目の前の壁からやっていきましょう」


 彼女は頷いて、恐る恐る正面の壁に手をかざす。


「さっき使えたときを思い出してください。声も出してください」


「うん」


 集中する。


「ブオー!」


 声と一緒に風が出た。

 振り返って私を見、嬉しそうな表情を浮かべる。


「よかったです。この調子でたくさん使っていきましょう」


 ヴィヴィアナさんの場合、今のやり方だけを徹底的に練習した方がいいのかも。

 確か脚立(きゃたつ)があったはずだから、届く範囲で掃除をしてもらおう。


 私たちはこうして、午前中の掃除を終えた。


 途中、ウルフガーさんやカミラさん、プリメラさんが通りがかる。

 魔術を使うヴィヴィアナさんに驚いていたけど、「ブオー」と言っているのを聞いて優しい顔になっていた。


 ≫風の魔術使える奴隷だと価値上がらないか?≫

 ≫どうなんだろうな≫

 ≫夏とかは扇風機代わりになりそう≫

 ≫働く場所を変えると給料上がりそうだな≫


 ヴィヴィアナさんは雇われなので、そういうこともあるのか。

 彼女のご主人様の考え次第なんだろうけど。

 どんな人なんだろうか?


 昼食の時間になる。


 私は昼食の準備としてワインを冷やした。

 冷やしながら、この魔術はヴィヴィアナさんには難しそうだなと思う。


 エミリウス様は『温度』の正体を知ればすぐに使えそうだ。

 分子の動きを他に移すだけだし。


 あ、でもヴィヴィアナさんもワイン冷やせるかもしれないな。


 ペルシャでは気化熱とかを使って氷を作ってるとの話だから。

 気化熱って、水が蒸発するときに熱を奪うとかだったはず。


 ワインを飲むときの適温は比較的高いし、そこまでなら冷やせるかも。


 あと魔術でもう1つ考えていることがある。


 エミリウス様とヴィヴィアナさんを一緒に教えられないかということだ。

 全く考え方が違うから良い刺激になる気がする。

 ヴィヴィアナさんはウァレリアス家の奴隷じゃないし、さすがに難しいかな。


 その後、侍女の皆との昼食でミカエルのことを聞かれた。


「あまり話しませんでしたし、殿下のことはよく分かりませんでした」


「あの強い人は怖くなかった?」


 ヴィヴィアナさんに聞かれる。


「話しやすい人でした」


「え、どんなことを話したの?」


「戦いのこととか……」


「私が見てもすごかったもんねえ」


「あの戦いのことは、どのように話していましたか?」


 カミラさんが真剣な表情をしてくる。


「サオシュヤント様の護衛との戦いですね。あの戦いについては、話していませんでした」


「そうですか。では、どのようなことを?」


「闘技会のことですね。レオニス様のことを少し」


「レオニス様のことはなんと?」


「話された内容をそのまま伝えると、『勝負にならないな』とおっしゃっていました」


「勝負にならない?」


「話の流れからすると、レオニス様が負けるということのようです」


「レオニス様が? 相手の方はそれほど強いということなのですか?」


「そこまでは分かりません」


「申し訳ありません。尋ねすぎてしまいましたね」


「いえ、そのようなことはありません。メリサさん、私がいないときのミティウス様やサオシュヤント様方の様子はいかがでしたか? 応接室の方から音楽が聞こえてきましたが」


 気になったので聞いてみる。


「クラウス様との友好の証として、演奏していただけたみたいね」


「それはクラウス様も嬉しかったでしょうね」


「ペルシャに友人ができたと喜ばれていたわ」


 その後は、ヴィヴィアナさんが魔術を使えるようになった話題で盛り上がった。


 午後は私1人で掃除をする。

 庭の掃除をすることになった。

 ヴィヴィアナさんが掃除の合間に魔術を発動しているのが分かる。

 思わず笑みがこぼれてしまう。


 掃除が終わり、エミリウス様の魔術訓練の時間になった。

 今日は、空間把握について話す予定だ。

 部屋に入ると彼はそわそわしていた。


 昨日も一昨日も魔術訓練の時間がなかったからだろうか。


「エミリウス様、こんばんは」


「こんばんは、フィリッパ先生」


「今日は『空間把握』と呼んでいる魔術を説明します。私が使ってる魔術の中でも特に重要な魔術です」


「名前からすると、周りを認識するような魔術なのでしょうか?」


「その通りです。原理についてはエミリウス様なら、説明だけですぐに分かると思います」


「そうだと良いのですが」


「気軽に聞いてください。今、空気の分子が衝突してチカチカしているのは分かりますよね?」


「はい」


「例えば私の身体はチカチカしていますか?」


「していません。あ、そういうことですか」


「そうです。理屈に関しては今、エミリウス様が閃いたことで良いかと。私の知識とすり合わせたいので、分かっている範囲で説明してもらえますか?」


「はい。先生の身体は気体ではないので、分子が衝突する様子が確認できないからです。衝突が見える範囲に限りますが、『空間把握』は気体と気体以外を区別することが出来る魔術、ということでしょうか?」


 相変わらず理解力が高い。


 ≫抽象化する能力がすごいな≫

 ≫IQ高そう≫

 ≫言語化能力も高いぞ≫


「私の理解とほぼ同じですね。素晴らしい理解力だと思います。実践に移りましょう。今、分子の衝突が見える範囲はどの程度ですか?」


「この程度です」


 彼は目の前に右手で大きな円を描いた。

 半径1メートルくらいか。


「空間把握で使うには、この部屋全体くらいに範囲を広げる方が良いです」


「先生はどのくらいの範囲なんですか?」


「この邸宅内なら全体が分かります」


 正確に言うともっと把握できるけど、説明を省くためにそう言った。


「そんなに広いのですか……」


「私の知人には、周辺の邸宅の庭まで含めてすべて確認できる方もいます」


 カクギスさんのことだ。

 私ももう少し範囲を広げられるようにした方がいいかも。

 エミリウス様は絶句してる。


「慌てる必要はありません。私もサポートするので、一歩一歩着実にいきましょう」


「はい」


 ≫ここだけはヴィヴィアナ相手と同じだな≫

 ≫相手によって語彙も変えてるのがすごいな≫

 ≫俺も教えて欲しい!≫


 いくつか方法を試してもらう。

 私は、目を閉じて把握するのが得意なので、それを試してもらった。

 1.5倍くらいに広がったみたいだけど、思ったより広がらない。


 精神的な疲労が見える。

 かなり集中力を使っているようだ。


「集中しているようですが、どこを見ていますか?」


「全てです。全体を同時に見るのが大変で、量に圧倒されています」


 全体? 量?

 あ、そういうことか。


「状況は分かりました。全てを見る必要はないです。全体を感じるというか……。少々お待ちくださいね。何か良い例えを考えます」


 ≫考えるな! 感じろ!≫

 ≫あれじゃないか? 中心視野と周辺視野≫

 ≫戦闘行為と戦略?≫

 ≫目視と地図みたいな?≫


 なるほど。

 ただ、エミリウス様には少し伝わりにくいかも。

 ここは、ことわざを使わせてもらうか。


「森はご覧になったことがありますか?」


「はい」


「『森』を認識するとき、どうやって見ました?」


「遠くから眺めました」


「『木』を確認するときは?」


「近づいてじっくり見ます。なるほど、そのような違いですか」


 ≫木を見て森を見ずか!≫

 ≫まぁ、分かりやすくはあるな≫


「はい。必ずしも目は閉じる必要はありません。エミリウス様のやりやすいように、チカチカとそれ以外を認識してください」


 彼は目を開けたまま、焦点を合わさずに空間そのものを見た。

 腕を少し動かしながら半眼になる。

 迷っている人のようだ。

 彼の意識が部屋に広がっているのが分かった。


 その迷う姿はまるで霧の中にいるようだ。

 面白いイメージだな。

 ただ、前方にしか意識が届いていない。


「後ろに霧を作ります」


 私は霧の魔術をエミリウス様の後ろで発動させた。

 彼の意識がそちらにも向く。


「消しますね」


 意識は残ったままだ。

 それどころか広がる。

 しばらく彼の好きにさせた。


 結果として、彼は霧のイメージで空間を見ていることが分かった。

 最初に見たのが氷ということもあり、水由来のイメージが彼の感覚に合っているのだろう。

 森が霧のイメージを後押ししたと話してくれた。


 そういうことならと、私は霧を作り、彼にその霧を動かして貰った。

 簡単に動かすことができた。

 少しずつ霧を薄くしていくことで、最終的には普通の空気で緩やかな風を起こせるようにもなる。


「僕が魔術を使えるようになるなんて、信じられません。本当に」


 エミリウス様は手を見つめながら言った。


「本当のことです。おめでとうございます」


「この機会を逃したくありません。独りのときは、どのように練習すればいいですか?」


 声を震わせながら拳を握りしめてる。

 やる気が満ちあふれてるな。


「風の魔術はたまに使って感覚に慣れるのが良いと思います。空間把握はそうですね、移動するときに、目を閉じて歩いたりしてみてください。ただ、階段のような危ない場所では避けてくださいね」


「分かりました」


 今日はヴィヴィアナさんもエミリウス様も風の魔術が使えるようになって良い日だ。

 それにしても2人は本当にタイプが違うな。

 どうなっていくかが楽しみだ。


「魔術に関してはこのくらいにしておきましょうか」


 私が言うと彼は絶望した顔を見せた。

 しかし、拳を握ると気持ちを飲み込んだようで、真剣な表情で「はい」と答える。


「今日も剣術について行うのですか?」


 彼は言葉を続けた。


「エミリウス様がお望みなら分かる範囲でお答えします」


「是非、お願いしたいです」


「どのようなことを聞きたいですか?」


「昨日の護衛同士の戦いについて聞きたいです。あれはなんだったのでしょう」


「私にも分かりません。素手で剣に勝つ方法や、意識の隙を狙うことについてを説明していることは分かりましたが」


「先生でもそうなのですね」


「私は剣術に関しては全くの素人です。分かったのはそうですね、最後のやり方くらいです」


「最後のというと、相手を倒したときのものですね。殿下の護衛に攻撃が当たったかと思ったのですが、倒れていたのは相手でした。どのようにしたのでしょうか?」


「実演してみた方が分かりやすいと思います。試してみますか?」


「是非」


「では、私に攻撃してみてください。どこでもいいので」


「先生をですか?」


「大丈夫です。本気で攻撃してください。エミリウス様がお優しいことは知っていますが、覚悟をもって本気で攻撃してください」


「でも」


「私を攻撃することだけを目標にしてください。思いっきりです。私が攻撃されてもなんともないことはご存じでしょう。目標に集中してください」


「分かりました」


 彼の覚悟が決まる。

 といっても攻撃するのは私の太股にしたようだ。

 彼は平手打ちの体勢をとる。


「どうぞ」


 彼が振りかぶった手のひらを私の太股にぶつけようとする。


「あっ」


 彼が当たったと確信した瞬間に、わずかに太股を移動させ空振らせた。

 そのまま少しよろける。


 その不安定な状態をお尻でバランスをとろうとした。

 私は彼の腕だけを暴風の魔術で弾く。


 必倒の理。

 彼はストンと尻餅をついた。


 やっぱりこのタイミングか。

 レオニスさんも、このタイミングで顎へフックして倒すのが良さそうだ。


 ただ、どこからでもフックを正確に当てる技術が必要になるな。


「い、今のは」


「当たったと確信したときの隙を狙った攻撃です。殿下の護衛の方もこのやり方を使っていました。エミリウス様は私への攻撃が当たったと思いませんでしたか?」


「その通りです。当たったと思って慌てました。こんな方法があるのですね」


「攻撃はお尻でバランスをとった瞬間を狙いました」


「あ、そこに繋がるのですね。ただ、攻撃が当たったと確信させるのはかなり難しそうですね」


「攻撃を完全に見切る必要があります」


「本当に難しそうですね。でも」


 言って、彼は考え込んだ。

 応用の余地はあるので、それに気づいたんだろう。


 この技術の核心は、相手の認識と現実で起きる現象をずらすことだと思う。


 認識をずらし、現実とのずれで身体のバランスを崩し、お尻を動かさせる。

 彼がクラウス様に使った、攻撃のフェイントもそのやり方の1つでしかない。


「僕がカミラさんに攻撃を当てるとしたらどのような方法がありますか?」


 エミリウス様がカミラさんに攻撃を当てるか。

 風の魔術を使ったり、攻撃の準備で防ぎつつフェイントの攻撃を使ったりといくつかはすぐに思いつく。


「本日、カミラさんに攻撃を当てるつもりなら自分で考えた方が後々(のちのち)の身になるはずです。課題としては今のエミリウス様にちょうど見合ってると考えています」


「分かりました」


「一緒には考えましょう。ただし、あくまでエミリウス様が主導して考え、私が出てくる疑問点にお答えする形です」


 私は副官モードの立ち位置で接するつもりだった。

 ただ、疑問は挟まない。


「では早速、質問があります。魔術は使っていいのでしょうか?」


「試合で禁止にされている訳ではないので、使ってもよいと考えています。ただ、その旨、カミラさんには伝えた方が良いかもしれませんね」


 彼は剣術のみで戦うことに固執はしてないか。

 個人的には良い傾向だと思う。


「僕の風の魔術は弱いです。強い風を起こす方法はありますか?」


 今のエミリウス様の風の魔術はそよ風程度だ。


「エミリウス様が出来るかどうかは分かりませんが、一般的には2通りあります。単純にベースを今より強い風にするか、一カ所に集めて開放することでより強い風にできます」


 真空にしたり、逆拡声器のような三角錐にすることで強くする方法もあるけどそれは応用だ。


「そうですか。魔術は保留にしておきます」


 視線を動かしながら言った。

 切り替えが早いな。

 それからいくつか彼の質問に答えていった。


 連続攻撃や、相手の選択肢を限定する方法、攻撃が効いた振りをして追撃に来たところを避けるなどいろいろな方法が彼から出た。


 発想力はあるけど、おそらくカミラさん相手には通じない。

 彼にそのことを伝える。


「僕には何もかも足りていないみたいですね。間に合わないかもしれませんが、残り時間は魔術の強化に絞ります」


「承知いたしました」


 良い判断だなと思う。

 ただ、私の責任が重大な気もする。

 強化か……。


 それから、メリサさんに許可をとってヴィヴィアナさんを呼んだ。


 使えるようになったばかりの彼女の魔術をエミリウス様に見て欲しかったからだ。

 近い立場の人間が出来ることで、刺激を受けたり、自分にも出来ると思ってもらいたかった。


「ヴィヴィアナは弱い風を使えない?」


「はい。風の魔術はビュー? ブオーって吹くものだと思っています!」


「そ、そうなんだ。風の強さは全く変えられないの?」


「もっと強い風を使おうと思いましたが、難しかったみたいです」


「どのように使ったのか話してほしい」


「ゴー! というように使ってみました」


「な、なるほど」


 会話がすごい。

 ただ、彼はその会話で、下手な理屈より勢いが大事ってことを学んだみたいだった。

 そうしてヴィヴィアナさんの半分くらいの勢いの風の魔術が使えるようになる。


 強さとしては、帽子が飛ばされるくらい。


 エミリウス様が風を起こせる領域は、ヴィヴィアナさんよりも広い。

 ヴィヴィアナさんに彼の風の魔術を受けてもらったけど、不意だと十分にお尻が動く。


「そろそろ剣術訓練の時間です」


「分かりました。行きましょう」


「私も行っていい?」


「では、またメリサさんに許可を貰ってから行きましょうか。濡れたタオルも用意して」


「さすがフィリッパちゃん!」


 メリサさんには我が儘を聞いてもらいすぎな気もするな。

 仕事は一応してるつもりだけど、どこかで話をした方がよいかも。


 こうして、私たちは剣術訓練に向かうのだった。

 エミリウス様があのカミラさんに一矢報いることが出来るのか、少しわくわくする。


 前を歩く彼の顔が少し大人びてみえた。

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