第169話 手筋
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アイリスの指導でエミリウスがクラウスとの剣術試合に勝利。夜、アイリスはウァレリウスに剣闘士としての正体を明かして休暇許可を得る。その後、カミラがウルフガーの外部とのやり取りを目撃するのだった。
ミカエルやサオシュヤントさんたちがやってくる訪問日になった。
彼らは午前中に来る予定になっている。
私は昨日の昼から給仕に戻っていた。
カミラさんに見てもらいながら、皇族相手でも問題ないとお墨付きをもらってる。
剣術訓練は、訪問日の前に怪我をするといけなので昨日は行われていない。
食事が終わると、皆そわそわしはじめた。
サオシュヤントさんというより、第二皇子のミカエルが来ることに浮き足立っているようだ。
――と、そんなときに魔術の光を感知した。
身体全体ではない。
この感じは、義手に宿る魔術の光だ。
ミカエルがルキヴィス先生を連れてきたのか。
私に配慮して連れてきてくれた?
いや、サオシュヤントさん側の護衛が強そうだったので、そのためでもあるのかも。
馬車が到着した。
ミカエルのものらしい。
私たちはウァレリウス家の全員で並んだ。
まずルキヴィス先生が出てくる。
≫ルキヴィス? ルキヴィスじゃないか!≫
≫うぉぉぉ!≫
≫久しぶりに見たな≫
≫ルキヴィスー! 俺だー!≫
人気だな……。
私に気づいた先生が手を振ろうとして慌てて自重する姿が面白い。
続けてミカエルが出てきた。
「ようこそお越しくださいました」
「急に悪いね」
ウァレリウス様が出迎える。
ミカエルはいつもの通りだ。
私がすぐに彼の元へ行き、「ご案内します」と声を掛けた。
立場が上の者は序列の高い者が案内するらしいけど、ミカエル相手の場合は若い女性が案内しないといけないらしい。
ローマでは異例なことだそうだ。
伝統的なオプス神殿で侍女をしていたカミラさんが驚いていた。
ミカエルは私に合図を送ってきたりはしない。
私の後ろに付いてくる。
こういう徹底しているところはさすがだな。
首筋辺りをじろじろ見られてるけど。
扉を開け、ミカエルを招き入れ、応接室まで案内する。
応接室に入って、私がイスを引く。
ミカエルは興味なさそうに座った。
ルキヴィス先生もすぐにミカエルの背後の壁にもたれかかって腕を組んだ。
立ち振る舞いが自由だな。
私は冷やしたワインをコップに入れ、テーブルに置いた。
ワインは水で薄めたものだ。
「コップを見てると喉が乾いてくるな」
「ほら」
先生がミカエルに、ワインをおねだりして手渡される。
自由すぎると思ってしまうのは、私もローマの貴族文化に馴染んできた証拠か。
先生がもたれ掛かっていた壁から離れる。
その直後、サオシュヤントさんとミティウス様がウルフガーさんに連れられてやってきた。
サオシュヤントさんの護衛は3人だ。
強そうな雰囲気の1人と、大きな身体の男性と、私より2、3個上だと思われる青年だ。
強そうな雰囲気の人がリーダー格だろうか。
邸宅の周辺にもさらに5人いる。
厳重な護衛体制だな。
一方のミティウス様には従者も護衛もいない。
サオシュヤントさんは私を見ると笑いかけてきた。
一礼だけしておく。
最後にクラウス様やウァレリウス様が入ってくる。
挨拶は主催ということでクラウス様が行った。
堂々としている。
一方のウァレリウス様は過度に緊張していた。
自国の第二皇子と大国の第一王子が自分の家に同席してればそうなるか。
サオシュヤントさんが何かを話した。
たぶんペルシャ語なので分からない。
「ワインが冷たく素晴らしいですね。どのように用意されているのですか?」
ミティウス様がクラウス様に聞く。
「魔術で冷やしております」
良い顔でクラウス様が答えた。
「それはそれは羨ましいですね。魔術を使える奴隷が必要なのでしょう?」
ミティウス様が驚いたように話す。
「ええ、まあ」
クラウス様は濁すように笑った。
サオシュヤントさんのコップが空になったので、すぐに注ぐ。
彼は飲むと冷たさに感心している様子だった。
「クラウス様は、魔術の有効利用についても何か考えているとか」
「もちろんです。魔術には素晴らしい可能性が秘められております。便利に使うだけではなく、ローマ全体として考えていかなくてはなりません」
「これまでのローマにはない考えですね。魔術革命といったところでしょうか」
「はっはっは。そのような大げさなものではありませんよ。これまで個人間でのみ継承されてきた魔術の価値というものに位置づけを与え、社会に組み込んでいきたいだけです」
「それならば、魔術を持つもののために教育などを行う必要がありますね」
「当然です。選任の家庭教師を用意していく必要があるでしょう」
内容はミティウス様が上手く誘導しているようにも思える。
それに乗ることのできるクラウス様も、会話能力が高いのだろう。
「今の内容を訳してサオシュヤントに話しますが、問題ございませんか?」
「もちろんありません。質問等あれば遠慮なく」
「ご配慮、感謝いたします」
「殿下は何かございますか?」
「僕? そうだねえ。魔術は女の方が得意とかあるのかな?」
「と、申しますと?」
「僕の周りだと魔術使うのが得意なのって女が多いんだよね。なにかあるのかなって思ってさ」
「殿下の周りには美しい女性が多いですから」
「まあね。ペルシャはどうなの?」
「サオシュヤントに聞いてみます」
ミティウス様がサオシュヤントさんに話しかける。
「女の方が魔術を得意とするような話は、聞いたことがないそうです」
「面白いと思ったんだけどねえ。クラウス君はどう思う?」
ミカエルがクラウスに聞く。
「事実であれば、魔術の組合などを作り教育する価値はありそうです」
「素晴らしい考えだ! さすがだよ、クラウス君!」
ミカエルは手を叩いて誉めた。
「光栄にございます」
「クラウス様、さすがですね。サオシュヤントも素晴らしいと申しております」
そんな様子はなかったけど本当かな?
≫何、この気持ち悪い雰囲気≫
≫ちやほや≫
≫没落寸前の貴族を誉めてメリットあるのか?≫
≫単に悪ノリしてるだけの可能性もある≫
確かにちやほやしてるムードが漂っている。
クラウス様も気分が良さそうだ。
ウァレリウス夫妻は驚いている。
盛り上がっている中でも、私はミティウス様のコップが空になったのでワインを注いだ。
ミティウス様はワインを一口飲み、サオシュヤントさんと何かを話す。
サオシュヤントさんが驚いて私をみる。
な、なんだろう?
「クラウス様。もしかして、彼女がワインを冷やしているのですか?」
「お気づきになられてしまいましたか」
自慢げだ。
「驚きました。クラウス様はご自身の侍女も優秀なのですね」
クラウス様は何も言わずに笑っている。
ミティウス様とサオシュヤントさんが何か話した。
私を何度か見ている。
「彼女はいつからウァレリウス家に?」
「まだ日は経っておりません」
「競争が激しかったのでは?」
「はっはっは。運に恵まれましてね」
「ご謙遜を。ウァレリウス様。彼女はどのような立場で、ウァレリウス家にいるのでしょう」
ミティウス様がウァレリウス様に聞いた。
クラウス様では埒があかないと思ったんだろうな。
サオシュヤントさんもウァレリウス様を見ている。
そのウァレリウス様は緊張していた。
サオシュヤントさんのことをペルシャの第一王子だと話さない方がよかったのかもしれない。
「――彼女は当家の侍女見習いとなります」
「侍女見習い? どのような伝手で?」
「はい。フラウィウス・サビヌスに紹介されました」
「彼でしたか」
名前に聞き覚えはない。
第二皇子派で、侍女を仲介している人物なんだろう。
仲介者の名前を出すことで、私がミカエル経由でウァレリウス家に紹介されたことはバレないのだろうか?
ミカエルを空間把握で確認したけど、特に反応はない。
サビヌスさんの口は堅いってことか。
いや、ミカエルだからな。
どんな状況でも反応を表には出さないか。
「立ち入ったことを聞いてしまい、失礼しました。彼女のような侍女を得た背景が気になりまして」
「思いがけない縁に恵まれました」
「左様でしたか」
ミティウス様は言って、サオシュヤントさんに伝える。
ペルシャ語で何か説明しているようだった。
「彼女に関して幾度も聞いてしまい申し訳ありません。ペルシャでは、冷やすことへの価値が我々の想像する以上に高いのです」
「それはそれは。私でお答えできることであればなんなりと」
「では遠慮なく。彼女は奴隷でしょうか?」
「解放奴隷です」
「元主人についてはご存じですか?」
「ローマ市と聞いております」
「ローマ市ですか。なぜ、冷やす魔術の使い手を欲するのかというと、ペルシャでは氷を医療に使うのです」
「氷を医療にですか。氷の入手はアルプスのような山で行うのですか?」
「ペルシャには氷を作り出す施設があるのです」
「なんと」
≫マジかよ≫
≫ペルシャって砂漠だよな?≫
≫夜の砂漠は冷えるからその状況使ってとか?≫
≫紀元前400年から多数あるらしいぞ≫
≫ヤフチャールという名前らしい≫
そんな前からあるのか。
ローマもそうだけど古代文明って侮れないな。
≫気化冷却・放射冷却・断熱材を使ったらしい≫
≫電気なしでそんなことできるのか≫
製氷施設の話から、政治体制の話になり、ローマの政治との比較の話になっている。
ペルシャは部族の代表者によって議会が行われているらしい。
空になったクラウス様のコップにワインを注ぐ。
ミカエルは露骨に退屈そうにしはじめた。
「殿下はペルシャのどのようなところに興味がございますか?」
ミティウス様が話を振る。
「女だね。扇情的な踊りもあると聞いている。家にはペルシャの女がいなくてね。友好の証に魅力的な女を1人よこすように言ってくれないか?」
うわぁ……。
ただ、そこで2人反応があった。
表には一切でてない反応。
僅かな表情筋の硬直。
サオシュヤントさんと、護衛のリーダー格と思われる1人だ。
「さすがは殿下。一貫していらっしゃいますね。サオシュヤントに伝えてみましょう」
ミティウス様はミティウス様で楽しそうだ。
「茶番でしたか」
そこに浴びせられる冷や水。
声を掛けたのは意外な人物だった。
ルキヴィス先生。
壁に背を着けたまま、言い放った。
今度は護衛の1人だけが反応した。
「殿下。失礼ですが、彼の立場はどのようなものなのでしょうか?」
ミティウス様が先生を見ずに言った。
「僕の友人だよ。ただのローマ市民だね」
護衛のリーダー格が殺気立つ。
あ、本当にこっちの言葉分かるんだ。
「楽しい友人をお持ちのようですね。いえ、皮肉ではなく」
ミティウス様の言葉は本心に思えた。
「分かるかい?」
「ええ。殿下の友人の君。茶番とはどういう意味なのでしょうか?」
「こちらの言葉が分からないフリをしているのでしょう? そのことを称して茶番だと申し上げております」
ルキヴィス先生が歩いて行き、真正面からサオシュヤントさんを見た。
笑顔だ。
でも、微妙に棒読みだし、この挑発の仕方はなんとなく先生らしくない。
ミカエルが計画したんじゃないかと表情を盗み見てみるが、特に含みを持たせてはいない。
一方で、クラウス様は驚いたまま硬直し、ウァレリウス様は慌てていた。
私も慌てたいけど、そういう演技は苦手だ。
少し隠れるようにして顔を背ける。
サオシュヤントさんは慌てる様子はなく、何かを考えているようだった。
「よく分かるな」
そのサオシュヤントさんが感心したように言う。
ルキヴィス先生は歩いていき、座っているサオシュヤントさんを見下ろしながら直視した。
「護衛ですので」
見下ろしながら言い放つ。
向こうの護衛3人は全員目が据わった。
怒りの様子だ。
リーダー格の1人は剣に手を掛けている。
私の感覚でも座っている王族を見下ろして直視する態度は失礼な気がするからな。
ペルシャではかなり失礼な行為なのかもしれない。
ウルフガーさんは張りつめている。
いつでもウァレリウス様とクラウス様を守れるような体勢を取っている。
「ローマの護衛はそのような指摘まで行うのだな」
楽しむようにサオシュヤントさんが言った。
「もちろんでございます。ペルシャの護衛はしないのですか。ずいぶんと立派な装備のようですが、主人への失礼を指摘することもできないのですね」
リーダー格の1人が短剣を抜いた。
怒りの表情を隠そうともしない。
「ヒィッ」
声を上げたのはクラウス様だ。
ルキヴィス先生は微笑みながらサオシュヤントさんを見下ろしたままだ。
ミカエルとミティウス様の態度は変わらない。
ウルフガーさんが素早くウァレリウス様とクラウス様を庇うように出てくる。
「失礼いたします」
私もウルフガーさんに習って2人を守るように身体を盾にした。
風を分からない程度にゆるやかに動かしてみる。
魔術無効は使われてないな。
いつでも暴風の魔術を使えるようにした。
私と目が合うとウァレリウス様だけは少し落ち着きを取り戻したようだ。
正体を明かしておいてよかった。
「サオシュヤント。さすがに止めた方が良いのでは?」
ミティウス様が小声で言う。
「彼らにも誇りがあるのでな」
サオシュヤントさんはこちらの言葉で話す。
「にらみ合っていても仕方ないし、戦ったら? 庭とかでさ」
退屈そうにミカエルが言った。
「用意はできるんでしょ? ウァレリウス」
「――は、はい」
ウァレリウス様が返事をした。
「どう? サオシュヤントくん」
「君の友人の無事は保証できないぞ」
サオシュヤントさんは、完全にミカエルと対等の言葉遣いだ。
第一王子とバレてるしいいのか。
「いいね。こいつ偉そうだから叩きのめしてやってよ」
ミカエルが先生を指さす。
「私も問題ありません。死んだとしても、ミカエル殿下の名の元に責任は問いません。もちろん、そちらの安全は万全を期し、保証いたします」
丁寧な物腰で先生が言った。
相手の安全は保証しちゃうんだ。
煽るなあ。
リーダー格の1人が剣を仕舞う。
怒りの表情ではなくなり、据わった視線をルキヴィス先生に向けていた。
「――対処を行える者を呼んでまいります」
私は言ってこの場を後にした。
こんなのはカミラさんに頼むしかない。
応接室を出ると、心配そうにするメリサさんが扉の前にいた。
話を聞いていたのだろう。
「少し離れましょう」
私はメリサさんに言葉を掛け、キッチンへと向かった。
カミラさんはそこに居る。
キッチンにつくと、すぐに皆に何が起きたのかを説明した。
その上で、メリサさんに判断を仰ぐ。
どうすればいいのか、私に聞いてきたので、カミラさんに立ち合いをお願いすることを提案した。
「――承知いたしました。難しい状況ですが、出来うる限りのことはいたします」
「助かります」
こうして、なんとかカミラさんに立ち合いを任せることに決まり、彼女を連れて応接室に戻った。
応接室では緊張した状況が続いていた。
カミラさんがウァレリウス様に方針を伝え、私も彼の目を見て大丈夫ですと強く言い含める。
もしもの場合は、暴風の魔術を使って無力化するつもりだ。
そこまではいかないと思うけど。
「――庭へ参りましょう。幸い、この者が剣術の指導者です。彼女に立ち合わせます」
ウァレリウス様が先導する。
迷ったけどエミリウス様にも来て貰った。
リウィア様は戦いが苦手らしく、プリメラさんについて貰って部屋で待機することになった。
庭に着いても、引き続いて緊張した状況だった。
「侍女の君。君はどんな剣を使ってるんだ?」
突然、ルキヴィス先生が私に聞いてくる。
「いえ――、いえ。剣は持ちません」
今の私の練習方法を聞いているのだと分かったのでそれを踏まえて答えた。
「盾はどうだ?」
「前腕が隠れる程度の小さなものを左腕に」
「了解」
私に剣対素手の戦い方を見せてくれるつもりなのか。
これはありがたい。
戦う2人が準備を進める。
「ルキヴィス様。剣は?」
立ち合い役のカミラさんが先生に聞く。
「家に忘れてきてね。枕と剣は気に入ったものじゃないと許せない性質なんだ」
相変わらずだ。
盾と胸当てだけで兜も着けてない。
私の隣には、ウァレリウス様とエミリウス様が居る。
さすがにミカエルを1人にしておく訳にはいかないので、彼にはウルフガーさんがついている。
ペルシャにとっては第二皇子を害することは利益になる可能性がある。
皇子に比べるとウァレリウス様を守る優先順位は低いだろう。
実のところ、ウルフガーさんをミカエルに近づけてる方が危険なんだけどな。
彼は皇妃の命令を受けてる可能性がある訳だし。
ミカエルは特に気にせず彼に話しかけているようだ。
「君はずいぶん落ち着いているな」
ウァレリウス様が私に聞いてくる。
「殿下の護衛なので安心しております」
「そうか」
先生と試合をするリーダー格の護衛の彼は、今にも戦いを始めそうな雰囲気だった。
歳は先生と同じ30歳を過ぎたあたりかな。
雰囲気がある。
先生は雲を見て風を感じている。
カミラさんが心配そうに声を掛けた。
先生はそれに手を挙げて笑顔で答える。
「――始め」
護衛がダッシュして、突きを放ってきた。
完全に殺す気だ。
先生はそのダッシュよりも速く、懐に入り込んでいた。
電気を使ったのか?
初動もほとんど分からなかった。
ガンッ。
右ストレートで護衛の兜を殴っている。
「飛びかかってくる相手にはカウンターが有効だ。当たったあとのことしか考えてないから、当たるまでは意識が空白になってる」
護衛がふらついている間に説明する。
私に説明してくれてるのか。
≫本人による解説付き、だと?≫
≫まさかの展開≫
≫アイリスに教えてるのか!≫
本来なら今ので倒せたんだろう。
私だったら、今の先生の攻撃を回避できただろうか?
先生のあまりの強さに身体が震える。
護衛は気を取り直しながらも、近くにいる先生に剣を振るってきた。
先生は頭を低くして避け、被せるように兜へカウンターを当てる。
「こういう雑な攻撃にもカウンターは効く。相手を遠ざけることしか考えてないから、意識が空白になっている」
先生は言いながら離れた。
「なあ、君。二度と中途半端な攻撃はしないでくれ。同じ説明はしたくない。普段の訓練通りに戦ってほしい。戦士なんだろう?」
護衛に向かって話す。
そのアドバイスを受けてか、彼は集中して構えた。
半身で、相手から剣を隠すような構えだ
すぐに全身をバネにした速い突き。
でも、私たちにとっては初動がよく見える。
ガンッ。
先生は盾で受ける。
「突きの防御は盾で受けるのが簡単だ。だが、素手だと追撃が難しい。盾で払ってもよいが、その場合も攻撃するのに一拍遅れる」
護衛が一旦離れる。
今度は突きを見せかけての斜め下からの斬撃。
彼が狙うのは先生の腕だ。
ただ、先生はすでに彼の懐にいた。
腕を抑えながら、胸当てに強い打撃を与えている。
「素手同士の戦いでは内側に入らない方がいいが、相手が剣を振り回している場合は内側は有効だ。これは剣の軌道を考えるとよく分かる。内側とは相手の両足の間ということだ」
確かに剣を自分の内側に振るうのは難しい。
護衛は胸を叩かれたからか咳をした。
咳をしながら一旦退き、突きを撃ってくる。
ただ、先生はほぼ真っ直ぐ避けると、再び胸当てに強烈な右ストレートを撃った。
「突きは前に出ながら身体の捻りで避ける。これで素手で当たる場所まで近づくことができる。予想して避けるのではなく、相手の攻撃が発動してから避けるので慣れは必要だけどな。慣れるには繰り返し練習するしかない」
淡々と説明しながら戦う先生に、ミカエル以外は呆然としていた。
殺し合い寸前の雰囲気からこんな展開になるとは普通思わないからな。
再び咳をしていた護衛は今度はなかなか攻めてこない。
「相手が攻めてこない場合は、相手の行動が制限される場所に圧を掛けるのが基本だ」
言って護衛の足元の外側に踏み込みながら攻撃の間合いに入る。
たまらず攻撃してくる護衛の剣を盾で弾き、兜を殴った。
「圧を掛けて攻撃を誘発する。盾があるなら、こちら攻撃の準備体勢で、誘発した攻撃を弾いてしまう。得意な型を作るのがいい」
カミラさんの使ったコモド流の技の本質部分だな。
準備体勢と防ぐのを一度に行い、攻撃に繋げるのか。
「最後に倒し方だが、これはいつもと同じでいいだろう。パンチの精度は求められるがな」
護衛は、ジリジリ迫ってくる。
彼は少し身体が固いな。
先生はどこにも力を入れずにリズムを刻んでいる。
先生はすっと間合いのギリギリに入り、身体を前後に揺する。
それを繰り返していた。
護衛は先生の動きを予測して胴体へ斜め下からの突き。
皆、剣先が先生の胴体を貫いたと思っただろう。
護衛の彼が強かったからタイミングも完璧に読める。
強いが故に狙う場所も正確だ。
それをすべて読み切った上でのカウンター。
護衛がカクンと崩れ落ちる。
≫何が起きた?≫
≫つええ≫
≫勝負になってないな……≫
決まり手は右ストレートか。
完全にぐるんと首の根本を中心に回った。
見事すぎる。
先生は倒れる彼を足で受け止め、地面にゆっくり転がした。
彼の剣を奪い、先生の服を貫いた剣先を引き抜く。
布一枚の精度で避けられるのか。
「――ルキヴィス様の勝利といたします」
誰もが反応できなかった。
何が起こったのか分からないと思う。
倒れた護衛を確認しようと近づいていくカミラさん。
「おっと、倒れてる奴に近づかない方がいいな」
瞬間、先生が高速で移動した。
足払いを行った護衛の低い蹴りを足裏で受け止める。
「戦いで生きてる人間は、目を覚ましたばかりでも即座に攻撃を行う。指導する立場なら覚えておいて損はない」
護衛はペルシャ語で何かつぶやいた。
すぐにサオシュヤントさんの元へ向かい、ひざまづく。
サオシュヤントさんはペルシャ語で何か言った。
護衛は彼の背後に回った。
青年の護衛が先生を睨んでいた。
「そちらの者。見事だった」
サオシュヤントさんが先生に声を掛ける。
「もったいないお言葉です」
先生は顔だけ向けた。
「是非、お前を手に入れたい。何が必要だ?」
先生を口説き始めたぞ……。
「そうですね。必要なのは、私が手に入らないことを受け入れること。でしょうか」
「面白いことを言う。しかし、冗談を言っている訳ではない」
「では、手に入らないことを受け入れてくださいませ。本気で」
サオシュヤントさんは威圧を掛けるが、先生は涼しい顔だ。
「いったいなんの話?」
ミカエルが話に入った。
「サオシュヤント様が、俺を配下にしてくださるという話だ」
「良い話じゃないか! 美女も多いんだろ?」
「言葉の届かない美女なんて、飲めないワインと同じさ」
「酔えないって? 言葉なんて通じなくても大丈夫だって。あ、僕好みの美女もよろしく」
「それが目的か」
「――皇子は彼を手放しても良いのか?」
サオシュヤントさんが腕を組む。
「手放すも何もただの友人だからね。強さだけなら他にも似たことできる者がいるし」
「他にもいるのか?」
「答えてあげて」
ミカエルがルキヴィス先生に振った。
「ああ。陛下の護衛や、アーネス殿下の剣の教師などであれば先ほどと同様のことは可能かと」
「――興味深いな」
陛下の護衛って私なんだろうなあ。
さっきの先生と同じことが出来るだろうか?
「そんな訳だから好きにすればいいんじゃない?」
「――ローマは面白いことが多い。いいだろう。再度確認するが、俺が彼を手に入れても構わないのだな?」
「男は好きにすればいい。でも、女は譲らないよ」
≫ミカエルはブレないな≫
≫どこまで本気か分からないのがまたすごい≫
≫ある意味、アイリスは渡さないともとれる≫
どこまで本気か分からないのは同意。
「それは困るな。しかし、ローマの皇子が民の行動を制限することはできないだろう」
「え? そうなの? でもなんとかなるでしょ」
サオシュヤントさんは不思議そうな顔をしている。
「いいのか?」
そのサオシュヤントさんがルキヴィス先生に聞いた。
「ええ。ローマでは法律的に許されていないので何もできません。彼は無害ですよ」
先生が良い笑顔で答える。
「――そうか」
少し間があった。
「さ、さて。そろそろ戻ることにいたしましょう。サオシュヤント様の護衛の方に怪我などはございませんか?」
ウァレリウス様が慌てるように話す。
サオシュヤントさんが護衛を見ると、先生と戦った彼は頷いた。
「問題ない」
「承知いたしました。喉も乾いたでしょう。こちらへどうぞ」
こうして、私たちはまた応接室へと戻った。
エミリアス様や私以外の侍女も、それぞれ元いた場所へ戻ったようだった。
戻る途中、先生と会話していたミカエル様の機嫌が悪くなる。
そうして頭が痛いと言って、急遽休憩させるように要求しはじめた。
挙げ句に私に看病しろと言ってくる。
ウァレリウス様の判断は、ミカエルの看病を私に行わせるというものだった。
ミカエルは派閥のトップだから仕方ないんだろうな。
うつけキャラだとこういうとき便利だ。
私はキッチンで水を氷にしてワインをそれで冷やすようにお願いする。
ミカエルは客室で休ませることになった。
皆が慌てて、ミカエルを出迎える準備をしている。
代わりの給仕はメリサさんが行うようだ。
私が応接室に戻ると、ルキヴィス先生とサオシュヤントさんとで話をしていた。
最後に給仕を行い、頭を下げて退出する。
その後に、ミカエルと先生が出てきた。
「こちらです」
私は2人を客室へと案内する。
部屋に入ると、ミカエルがベッドへ腰掛けた。
周辺をくるりと指さす。
「どう?」
「この部屋の周りには誰もいません。話をしても聞かれる心配はないでしょう。サオシュヤントさんの護衛は、彼に付いてる3人以外にも他に5人いると思われます」
「俺の方でも感知してみたが、話を聞かれる距離に人はいないな」
「護衛は8人か。さすが第一王子、結構いるね。それにしても君たち便利だね。その上、防音の魔術も使えるんだから悪だくみには最適だよ」
「悪だくみ言わないでください。それでどのようなお話ですか? 先生を連れてきたということは闘技会関係の話とか?」
「あちらについての情報共有と闘技会だね。あの護衛についてはどう思った?」
「人を殺すことに慣れていますね。一切躊躇なく剣で先生を突いてきたので。プライドが高そうなのでペルシャではエリートなのかもしれません。強さ自体はこちらの親衛隊の上位陣と同じくらいでしょうか」
「ルキヴィスの見立ては?」
「そこそこ強いな。レンでは敵わないだろう。あの剣闘士9位のと似たようなものか。正確なところは分からないがな」
「誰?」
「セレムさんという反乱を起こしたシャザードさんの従者っぽい人ですね。反乱には参加してないので、まだローマで剣闘士をしています」
「へぇ」
ミカエルは興味なさそうに返事をする。
「じゃあ、会談でも君がいればあの護衛たちは驚異じゃないかな?」
「先生との試合内容が実力のすべてなら『蜂』よりは対処しやすそうです。8人いてもなんとかなります。皇帝を守りながらだと少し辛いかもしれません」
「それは魔術なしの場合だろ? 魔術が使えるならどうだ?」
先生が聞いてくる。
「――対処にあまり時間はかからないと思います」
「だろうな」
「君ら怖いね。武力に対する警備体制は問題ないかな」
「会談に皇子は参加しないんですよね?」
「うん。僕が父上を心配するのは意外かい?」
「ええ、まあ」
「あはは。僕としてはまだ父上には元気でいて貰わないと困るのさ。カイハーンは強行派だと言われてるからそこが心配でね。実際にそうなのかは今日話してみてもいまいち掴めなかった。君とルキヴィスを欲しがってるのは本気だということは分かったけどね」
「――皇帝に何かあればどうなるんですか?」
「どうなるか読めないね」
「カイハーン王子が何か仕掛けてる可能性は?」
「ほとんどなくなったよ。ルキヴィスのおかげでね」
「あの戦いが牽制になったということですね」
「さすがに第一王子は生きたままペルシャへ帰したいだろうしね」
そこまで考えて、先生に挑発させたのか。
アクション・リアクションで考えると、相手に情報を与えて行動を縛ったんだな。
――誰か近づいてくる。
男性?
ウルフガーさんではなさそうだ。
私は軽く片手を上げた。
目線だけで入り口を見る。
2人は頷いた。
彼が近づいてくると、ルキヴィス先生が部屋の外へ出て行く。
近づいてきた彼と何か小声で会話していた。
先生が戻ってくる。
「ミティウスとか言ったか。奴だったよ。すぐに戻っていった」
「予想以上に勘が良いね」
「トイレの帰りで迷ったとか言ってたな」
「慌ててたかい?」
「いや、全く」
「見込みあるね」
ミティウスさんを自分たち側に引き入れることを考えているのだろうか。
確かに、密談を予想して盗み聞きしようとしたのなら勘が良い。
私たちの関係性も知らないだろうに。
単に様子を探りに来ただけの可能性もある。
私には彼がどちらの目的で来たのかの判断はつかないな。
「あとは君たちで話していいよ」
「ありがとうございます。あと、お礼を言わせてください。闘技会出場のための休暇について、無事ウァレリウス様から許可をいただけました。皇子のおっしゃる通りでした。感謝いたします」
「別に僕の助言がなくても説得できただろうから礼はいいよ」
「はい」
「お前の次の相手は第三席だったか。どうなんだ?」
ルキヴィス先生が聞いてくる。
「『黄金』と呼ばれているレオニスさんですね。裏社会の闘技興業というのでチャンピオンだったらしいです」
「経歴だけみると面白そうだね」
「裏社会にそんなのがあるんだな」
先生は知らなかったみたいだ。
「死ぬまで戦うらしいですよ」
「貴族とか商人が大金を賭けてるらしいね。いくつか開催してる場所があるってことまでは知ってるよ」
「楽しそうだな」
先生が怖いことを言う。
「ここの執事もそこ出身だそうです」
「訳ありってことか」
「背後関係はまだ分からないんですよね。ただ、彼の性格は分かってきました」
「妬けちゃうなあ」
「義理堅く、職人的なところもありながら柔軟で頭も回ります。ただ、これまでの生き方のせいか社会的なモラルを軽視している気がします。有能な割に自己評価は低そうですね」
「利用するには便利なタイプだね」
「そういう評価ですか。間違ってはいないと思うのですが……」
「君も気をつけなよ」
≫確かに≫
≫今のところは大丈夫な気がする≫
≫舐められてる兆候があったら指摘すればOK≫
「はい。気をつけます……」
「あはは。自覚はあるんだ」
「一応は。闘技会の話に戻りますが、皇子はレオニスさんの戦いを見たことありますか?」
「たぶん見たことあるよ。闘技会には顔を出してるからね」
「相手の剣を奪うような戦い方はしていましたか?」
「覚えてないけど、剣を奪ったことはないんじゃないかな」
「ありがとうございます」
「剣を奪うってのが、そのレオニスの得意な技なのか?」
「はい。ここの執事が話していました」
「なるほどな。それで素手か」
「剣を奪われたあとも戦えるのと、奪われた直後が彼の隙になるかもしれないですからね」
「方向性は悪くない。そうだな、実際にお前のパンチを見せてくれるか」
「分かりました。どうすればいいでしょう?」
「そうだな。俺は動かないから、この辺から左でも右でも好きに打ってくれ。あと、拳を痛めないように布があるといいな。拳に巻くものだから細く長いものだ。持ってきてくれ」
「分かりました。飲み物も持ってきますね。麦茶で良いですか?」
「ああ」
「よろしく」
私はキッチンに向かい、拳に巻けるような細く長い布と麦茶を3つ持ってきた。
「持ってきました」
「ああ、助かる。巻くから手を出してくれ」
「はい」
先生は私の拳の左右に少しキツめに布を巻いた。
特に骨の部分に多く布があるような感じだ。
「握ったり開いたりしてみろ。緩くないか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃ、この辺から好きに動いて当ててみろ。俺は移動はしないが、どこを殴ってもいいぞ」
先生は半身になり、リズムを取り始めた。
左肩が前だ。
集中する。
私はソフィアに使った方法を試すことにした。
安定した状態から、肘先のみでパンチを打つやり方。
イメージは手洗い後の水を払う感じ。
タイミングは先生のまばたきだ。
拳は回す。
――まばたき。
左拳を先生の顔に振るう。
――顔を捻られ避けられた?
この距離で。
位置を戻す。
まばたきに合わせて左拳。
避けられたので続けざまに右拳。
逆側に避けられた。
さらに左拳。
これも同じように避けられる。
先生の位置は動いていない。
上半身と首の捻りだけで避けられてる。
軽くリズムをとり続けている先生。
読まれているということは、私の攻撃に予兆があるんだろう。
私は腕の筋肉を直接電気で動かすことにした。
腕の外側を動かせばパンチになる。
先生のまばたきに合わせて、筋肉に電気を送る。
足はその後に動かす。
先生は顔を逸らして私の拳をやりすごした。
触れているのに届かない。
この感じは、前にマクシミリアスさんに避けられたのと同じだ。
元に位置に戻る。
もう1度、今度は連続攻撃で試してみる。
それでもパンチに合わせて左右に顔を逸らされた。
触れているの当たってない。
胸辺りに放ったパンチは左肩で逸らされる。
――なんだこの人。
改めて先生のすごさを思い知る。
「この辺が限界か?」
「――はい」
「最初にしては相当なレベルだな」
「そうなんですか?」
「顔逸らしなんて10年ぶりに使ったぞ。お前のレベルなら、今でもほとんどの奴にパンチは当たるな。当たらないのは知りうる限り、俺とマクシミリアスくらいだ。人間ではな」
「10年ぶりでも使えるものなんですね」
「イメージで練習はしてるからな」
「聞いてもいいか分かりませんが、どんな練習なんでしょうか?」
「興味あるのか?」
「はい」
「難しいことじゃない。例えば人通りの多い道でイメージでの練習が行える。通行人とすれ違うときに、拳の届く間合いへ来たら小さく顔を背けるだけだ」
「そんな練習方法が……」
「ああ。これを繰り返していればお前なら自然に出来るだろう。身体が勝手に動くようになる。考えてたら間に合わないからな。あとは実戦で成功を繰り返せば自信もついてくる。それで完成だ」
「先生もそれで出来るようになったんですか?」
「俺は師匠に殴られていたら自然と出来た。まぁ、弟はこれで出来るようになったから実績に関して問題ない。数年掛かったがな」
「数年……」
弟――マクシミリアスさんで数年か。
「お前なら数週間も掛からず出来るようになるだろうさ」
「分かりました。ありがとうございます。他の課題はありますか?」
「他の課題か。その場でパンチを打ってみろ」
「はい」
筋肉に電気を使って左手でパンチを打つ。
「かなり良いな。ただ、拳を回すことに意識を取られすぎだ。それだと威力が低くなる」
「どうすればいいんでしょう?」
「前腕に2本の骨があることは知ってるか?」
「はい」
尺骨と橈骨だっけ。
どっちがどっちかは分からないけど。
「さすがだな。なら話は早い。手のひらを自分に向けてみろ」
左の手のひらを向ける。
「それが2本の骨が平行なときだ。打つときはこれがこうクロスになるようにする」
先生は自分の左右の腕を平行にして私に見せた。
それから、左腕を右腕の上にしてX状にする。
「クロスになった瞬間に突き刺すイメージだ。やってみろ」
「はい」
さっきと同じように拳を突き出した。
ただし、回すイメージを尺骨橈骨をクロスするイメージ置き換える。
バシッとした感覚が前に突き抜ける。
確かにこっちの方が貫通力が上がったように思う。
「いいな。フックはできるか?」
「左だけですができます」
左フックを行う。
叩きつけるイメージだ。
「これも最初にしては悪くない。ただ、今のイメージじゃなくて2本の骨を平行からクロスにして刺すイメージにしてみろ」
「分かりました」
叩きつけるイメージを止め、肘の方向と角度だけに気をつけて尺骨橈骨を平行からクロスにする。
――が、難しい。
「さすがにいきなりは無理か。手本を見せるから練習するといい」
先生は左手で何度かフックを打つ。
コンパクトだけど、存在感なく突き刺すようなイメージだ。
「何度かやってみろ」
「はい」
先生の動作を思い浮かべながら何度かやってみる。
「方向性はいいな。お前には言う必要はないと思うが、とにかく身体を固めないことだ。骨をクロスさせることを意識して、今の形を守れば効くようにはなるだろう」
「ありがとうございます。練習します」
「アッパーはどうだ?」
「打ち方がよく分からないので練習していません」
「まぁ、素手同士で戦うわけじゃないし必要ないか。アッパーの場合は骨の動かし方が逆になる。クロスから平行にする訳だな。死角から打てるから攻め方のバリエーションは増える」
何度か見せてくれる。
フックと違い、かなり離れた場所に打ったり、拳1つ分くらいの隙間で打つやり方を見せてくれた。
「一応、真似してやってみろ」
アッパーを真似してみるけど、やっぱり難しかった。
どうしてもぎこちなくなってしまう。
「難しそうだな。アッパーの前段階を練習してみるか?」
「是非」
「じゃあ、動作の手順だけはアッパーを意識して、真正面のボディに真っ直ぐ突き刺すイメージでやってみろ。手本はこうだ」
手の甲を上にした状態から、肘を伸ばし手を返す。
手の甲が下になり、それについていくように足を踏み出し完全な半身になる。
「ミカエル。その布をくれ」
「――そらっ」
ミカエルが投げてよこしたのはウールの生地だった。
掛け布団とは違い、ただの一枚の大きな布だ。
ミカエルの邸宅にいたときに使っていたけど、割と厚みがある。
「これでお腹辺りを防御しておけ。威力を体感してもらう」
「分かりました」
ウールの生地を受け取り、畳んでお腹に当てる。
厚みは5cmくらいだ。
耐えられる気がしないぞ……。
見かけの体重を増やしたいけど、風はペルシャ側の人間に察知される可能性があるか。
「いいか」
「――はい」
左右にリズムと取りながらスッと入ってきた。
仕方なく膝の力を一瞬抜いて見かけの体重を増やす。
ブランコの立ち漕ぎのイメージだ。
ズンッ。
宙に浮かされ、30cmくらい後ろに動かされる。
着地し、身体の力を抜いた。
「落下の力を使ったのか。面白いことするな」
「はい。先生のパンチは耐えられないかもしれないと思って少しだけ見かけの体重を増やしました」
「確かに重い方が打撃は効きにくいからな。そういえば、以前、風を使って似たようなことしてたな」
「はい」
「で、威力はどうだ?」
「準備動作が全くないのに威力はかなりありますね」
「次は実際にやってみろ」
「はい」
私は、身体の力を抜き、左手の甲を上にした。
高さはおへそくらい。
指はだらんとして、親指と小指を少し伸ばす。
この段階では、尺骨と橈骨はクロス状になっている。
そこから肘を伸ばす。
同時に尺骨橈骨を平行に、水を振るように手を振りながら指を畳むように拳にする。
足を進めると、自然と半身になっていた。
バシッと勢いよく拳が突き刺さるように決まった。
「いい感じだな。実戦で使う必要はないが、たまには練習しておくといいかもな」
「ありがとうございます。アッパーはダメなのに、どうしてこの動きはできるんでしょう?」
「お前のアッパーがダメなのは、腕の力で振り回して上げようとしていたからだ。まぁ、難しいからな。必要になったときに教えるから今の動きに慣れておくんだな。威力面で役に立つ」
「分かりました。ありがとうございます」
「あとはそうだな。左でフックを打つなら、盾は右に着けた方がいいくらいか」
「盾は右に着けて、剣は両手で持つことにします」
「それならいけるか」
「練習する時間がないのが少し不安なくらいですね」
「本気で工夫すればなんとでもなるもんさ。常日頃から右腕に布巻いて盾を着けていると思い込むだけでも練習になる」
「なるほど、やってみます。ありがとうございました」
「今日はこんなところか。そのレオニスってのは魔術の光は宿してるのか?」
「いえ。特に宿してはいませんでした」
「ミカエル。奴の対戦見てるんだろ?」
「興味ないから覚えてないよ」
「誰か戦った奴がいればな」
「ロンギヌスさんが戦ってるはずです。レオニスさんに負けたとの話ですが」
「誰だ?」
「第四席で、今は捕まっている方です。以前、スピンクスに殺されそうになっていました。あと、トーナメントでメリクリウスさんにも負けています」
「お前はメリクリウスに勝ったんだったな」
「はい」
「僕も思い出したよ。そのロンギヌスとレオニスってのは結構接戦だったと思う」
「そうなんですね」
「じゃあ、勝負にならないな。いっそのこと素手で戦ったらどうだ?」
「レオニスさんの強さは実際に手を合わせてみないと。仮に勝負にならないとしても、最初から素手はさすがに失礼だと思うので剣を使います」
「面白そうなんだがな」
なぜ、皆、私を素手で戦わせたがるのだろうか。
その方が面白いからだろうけど。
「養成所の練習メンバーだと、誰が闘技会に出場する予定なんですか?」
「マリカとゲオルギウスだな。あのセーラってのは今回は枠に入ってないらしい」
「マリカの調子はどうです?」
「調子はいいな。強くもなってる。練習しすぎなところが気になるくらいだ。お前に追いつくそうだぞ」
「マリカ――」
気合いが入る。
「ゲオルギウスは直接見てないが、フゴに触発されてるから大丈夫だろう」
「フゴさんはそんなに強くなってるんですか。闘技会で見たとき、確かに安定はしていましたか」
「最近は養成所に全く行けてないからな。そこまで詳しい訳じゃない。そろそろ顔を出したいが、皇宮もゴタゴタしてるからな」
「――神々はまだいらっしゃるんですか?」
「メリクリウスの話だといるらしい。それ以上のことは分からんだとさ」
「なんとなく状況は分かりました。ありがとうございます」
話を終えると音楽と歌が聞こえてきた。
正確に言うと少し前から何か歌っぽいものが聞こえるなと思っていたけど、認識したのが今だ。
男性の声だった。
空間把握で見てみると、サオシュヤントさんが歌っているようだ。
ミティウス様もギターっぽい楽器を弾いている。
ペルシャでは音楽が盛んなんだろうか。
「歌が聞こえるね」
「サオシュヤントさんが歌ってるみたいです」
「へぇ」
私たちはその歌声をなんとなく聞いて過ごすのだった。




