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第168話 それぞれの芯

前回までのライブ配信


エミリウスはアイリスの指導により気体分子を見ることに成功し、人を攻撃することへの恐怖も克服する。また、アイリスはウァレリウスに闘技会出場のため休暇を願い出ようと考え、約束だけを取り付ける。その後、クラウスの剣術訓練が始まるのだった。

 庭の広場で剣術訓練が始まった。

 カミラさんとウルフガーさんもすでにいる。

 2人とも挨拶を済ませたところだ。


 クラウス様は2人を歓迎していないようだった。


「エミリウス。今日は見物人が多い。ウァレリウス家として無様なところを見せないようにな」


「はい。クラウス兄様」


 エミリウス様は(おび)えてる様子が全くない。

 むしろ、抑えきれない表情だ。

 早く身につけたことを試してみたいのかな?

 2人はすでに木剣と楯を持っていた。

 楯のサイズは腕全体が隠れるくらいだ。


 まずは2人の軽い試合だ。

 立ち合いにはウルフガーさんが立っている。

 2人が少し離れた位置で向かい合った。

 エミリウス様が楯を構える。

 ウルフガーさんが2人を交互に確認した。


「始めてください」


「行くぞ」


 エミリウス様は、クラウス様が打ち込んでき剣を楯で受ける。

 落ち着いているな。


 ただ、どうしても受けた直後は筋肉を固めて硬直してしまっている。

 そのため、すぐに攻撃に移れない。


 それでも、エミリウス様は楯の使い方が上手くなってる。

 攻撃前に的確に楯を配置していた。

 膠着(こうちゃく)した状態になる。


「少しは攻撃しろ!」


 大降りの上からの攻撃をエミリウス様は楯で受けた。

 受けると同時に突き。

 突きはクラウス様のお腹に入る。


「ぐふ」


 突きの勢いは弱い。

 でも、木剣の先は尖っている。

 狙ったのかどうかは分からないけど、攻撃を上から受けたのでエミリウス様の見かけの体重も増えている。


 クラウス様は痛いはずだ。

 よろめき腰が引けている。

 が、苦しい表情を怒りに変えたのが分かった。


 一方でエミリウス様は戦いに集中している。

 大振りな攻撃を楯を使わずに避ける。


 クラウス様に隙が生まれる。

 そこにエミリウス様は攻撃。

 ――したと見せかけて空振った。


 楯で防ごうとしたクラウス様のお尻が動く。

 硬直。

 エミリウス様の剣が胴体に入る。

 一瞬、クラウス様の顔が歪んだ。


「勝負あり」


「は? 今のは浅いだろうが」


「危険防止のためです。ご了承ください」


「チッ。もう1本行くぞ」


 一方のエミリウス様は自分の剣と手を見ていた。

 手応えを感じてるんだろうか。


「では、再び構えて――」


 ウルフガーさんが交互に2人を見る。

 エミリウス様は少し雰囲気が変わった。

 目に力がある。


「始めてください」


 いきなりクラウス様が迫る。

 エミリウス様は楯を前に出して守る。

 その楯に蹴りを受けた。

 エミリウス様がよろめく。

 そこに斬撃。


 エミリウス様はそれをちゃんと見ている。

 振り下ろされた剣の根本に楯を延ばした。

 双方弾かれる。


 間合いが開く。


 エミリウス様は兄の様子を見ながら楯を構えている。

 一方でクラウス様は怒りの表情だ。


 再び、クラウス様がエミリウス様へ迫った。

 足へ攻撃がくる。

 下がって回避。

 続けて横から追撃の突きを受ける。

 これは楯で弾く。


 エミリウス様はよく見てるな。

 攻撃する直前の支点もちゃんと見ているのかもしれない。


「守ってばかりいないで少しは打ってこい」


 言われるが、エミリウス様はクラウス様に合わせない。

 身体を小さくして楯に隠れる。


 打ってこいと言ったのに、さらに守ったからか、クラウス様が怒った。


「貴様!」


 エミリウス様に大振りの剣が向かう。

 それを予想していたのか、向かってきた剣を弾く。


 コッ!


 クラウス様の体勢が崩れたところに、エミリウス様の剣。

 そのエミリウス様の攻撃は楯で防がれた――と誰もが思っただろう。


 エミリウス様の剣が空振る。


 完全に楯で攻撃を受けるつもりだったクラウス様のお尻が動く。

 硬直。


 エミリウス様は完全に隙になった胸当て部分に突きを打った。

 クラウス様が尻餅をつく。


「勝負あり!」


 クラウス様は呆然としていた。

 エミリウス様は肩で息をしている。


 ≫エミリウス様やるなあ≫

 ≫完璧にアイリスから教わったことをやったな≫

 ≫クラウスざまぁ≫

 ≫従軍経験あったのに子どもに……≫

 ≫無様なのはクラウス様だったな……≫


 場の空気が微妙に重い。


 パチパチパチパチ。


 その空気を破ったのはカミラさんの拍手だった。


「エミリウス様、見事でした。クラウス様も、地面が昨日の雨で凸凹になっていたのかもしれませんね」


「そ、そうだ。なにかに足が取られ動きが鈍った」


「お怪我などはございませんか?」


「たかがエミリウスの攻撃だ。なんともない」


 私もクラウス様が怪我してないだろうかと見る。

 出血してるようなところはない。


 一方でエミリウス様は自身の木剣と手を見つめている。


「この後、いかがいたしますか?」


 ウルフガーさんがクラウス様に手を差しのべた。

 クラウス様は急に怒りの表情を見せ、手を軽く払った。


「私を馬鹿にしているんだろう?」


「――いえ。そのようなことは」


「言い訳するな」


「失礼しました」


 クラウス様は立ち上がり、そのまま背を向ける。


「クラウス様、どちらへ?」


「汚れた。戻る」


 彼はそう言うと、歩いていってしまった。


 ≫え、終わり?≫

 ≫お坊ちゃまはこれだから≫

 ≫ウルフガーが不憫に思えるな……≫

 ≫良い薬になったのでは?≫

 ≫気になる女の前で恥をさらすのはキツい≫


 また場の雰囲気が重くなってる。


「クラウス様もまだお若いですからね。いろいろ思うところもあるのでしょう。気を取り直して私たちは剣術を再開しましょうか」


 場を取りなすことに慣れてるのか、カミラさんが明るい声で言った。

 さすが指導者。

 見習いたい。


 その後、カミルさんがエミリウス様と軽く手合わせすることになった。

 途中、クラウス様の部屋から何かを殴ったような大きな音がしたけど、彼も男の子ってことだろう。


 カミルさんの指導しながらの試合のようなものは、完全に彼女が上回っていた。


 エミリウス様が直前で空振りしても、姿勢があまり乱れない。

 お尻は動いているんだけど、エミリウス様のタイミングが彼女に対しては少し間に合ってない。

 鍛錬の成果なんだろうな。


「攻撃の読みがすばらしいですね。どこかでお習いになったのですか?」


 試合が終わるとカミラさんがエミリウス様を褒めた。


「特別、剣術を習ったということはありません」


 さすがエミリウス様。

 私のことは伏せてくれたっぽい。


「それでは剣の才能がおありなのかもしれません。攻撃が読めると戦い方の幅が広がりますので」


「ありがとうございます。(はげ)みになります」


 エミリウス様は才能があると思う。

 性格的に戦いに向いているかどうかは分からないけど。


「謙虚でいらっしゃるのですね。この後、ウルフガー様と私とで軽い試合を行います。ご覧になりますか?」


「はい」


「しかし困りましたね。立ち合いをクラウス様にお願いしようと考えていたのですが……」


「あの、それなら私がやりましょうか? 試合の邪魔にはならないようになら動けると思います」


「立ち合いの経験は?」


「ありません」


 実際にもないはず。

 どちらにしてもここでは「ない」と答えるのが正解だと思うけど。


「彼女は賊に(おく)せず立ち向かいました。恐らく大丈夫かと」


 ウルフガーさんのフォローだ。

 好感度が上がってしまうな。


「分かりました。ではフィリッパ様にお願いしましょう」


「はい。ありがとうございます」


「お礼を言うのはこちらですよ。それでは早速始めます」


 彼女は気負うことなく、剣と楯を持ち直した。

 ウルフガーさんも合わせるように持ち直す。


「試合ですが、1つ提案があるのですが、よろしいでしょうか?」


 カミラさんが言った。


「どのような提案でしょうか?」


「3本勝負にしませんか? 勝ち負けにはこだわっている訳ではありませんがその方が得るものも多いでしょう」


「承知いたしました」


「分かりました。3本勝負ですね。それではお2人とも位置についてください」


 私は交互に2人を見た。

 2人とも気負ってはいないけど、独特の緊張感はある。


「1本目です。構えて――」


 互いに構えは似ている。

 楯を少し前に、その楯に剣をくっつけて突き出す形だ。


「始め」


 最初に動いたのはカミラさんだった。

 ウルフガーさんの剣の方に回り込む。

 彼女は間合いを取りながら、剣で牽制していく。

 ただ、当てるつもりはないような攻撃だ。


 彼女は楯をうまく置いている。

 移動のたびに隠れている頭が少し出る。

 恐らくわざと隙を作っている。


 その隙に対して、ウルフガーさんが正確に斬撃を打ち込んでくる。

 吸い込まれるような綺麗な軌跡だ。


 ガツ。


 鈍い音がすると、彼女はウルフガーさんの剣を横に飛ばした。

 楯と剣で挟んで、ウルフガーさんの剣を投げた?

 そのまま流れるようにウルフガーさんの右太股に打撃が入る。


 バシッと音がした。

 ただ勢いはそれほどない。


「勝負ありです!」


 あまりに見事に決まったので、私は手を挙げて宣言していた。


 ウルフガーさんも驚いている。


「コモド流の技です。上手く決まってくれましたね」


 カミルさんが3本勝負にした意図が読めてきた。

 実戦でコモド流を紹介したいんだろう。


 ≫このおば……お姉さん強いな≫

 ≫いくつくらいなんだ?≫

 ≫先代巫女の侍女ならアラフォーくらいか≫


 ウルフガーさんは打たれた左股を見ていた。


「続行できますか?」


 念のため、彼に聞く。


「ああ。問題ない」


「分かりました。それでは、構えてください。二本目――、始め」


 次は2人とも動かない。

 カミラさんは受けに回るつもりか。

 ウルフガーさんも剣をあんな形で奪われたら、安易に攻められない。


 カミラさんが動いた。

 さっきと同じようにウルフガーさんが剣を持ってる方向に回り込んでいく。

 慎重なウルフガーの攻撃。

 カミラさんは危なげなく彼の攻撃を楯で防ぐ。


 ウルフガーさんに楯で迫られ、力任せに押されようとしても、身体の向きを変えていなし、その隙を打つ。

 上手いな。

 力のなさをカバーした戦い方だ。


 そのままではいけないと思ったのか、ウルフガーさんは剣を横に寝かして構えた。


 カミラさんも姿勢を伸ばす。

 ウルフガーさんの激しい攻撃が始まった。

 横薙ぎの攻撃が多い。

 剣を挟み取られないためか。


 カミラさんは楯と剣でさばいていく。

 まともには受けずに、少しずらしているようだ。


 ただ、彼女は押されていた。

 何かは狙っているようだ。

 楯の下からウルフガーさんの足元を見て、何かを狙っている。


 っと、彼の斜めからの斬撃に対して低い姿勢で前に出た。

 私がルキヴィス先生に習った戦い方に似てるな。

 ウルフガーさんの剣が彼女の楯に当たる。

 剣は弾かれる。


 カッ!

 トンッ!


 弾かれた瞬間に彼女の剣先が右腹部に刺さった。

 綺麗な流れだ。

 しかし、ウルフガーさんが弾かれた剣を再度振り下ろす。


 ガンッ。


 その攻撃も防がれた。


「くっ」


 っと攻撃を仕掛けたウルフガーさんの顔が歪む。

 さっきの攻撃か。

 しかし、更に攻撃をしようとしていた。


「勝負ありです。カミラさんの1本となります」


 剣を振りかぶったウルフガーさんだったけど、私の声を聞いて、剣を降ろしお腹を押さえてしゃがんだ。


「だ、大丈夫ですか?」


「ああ、痛みだけだ」


「さすがですね。肝臓に突きが当たっても動ける精神力をお持ちとは……」


 ≫レバーブローってやつか≫

 ≫悶絶するって噂の……≫


 ふとウルフガーさんを見ると呼吸が浅かった。

 よくなさそうな汗も浮いている。


「試合を止めた方がいいですか?」


「いや、問題ない」


 ウルフガーさんが答えた。

 カミラさんに聞いたつもりだったんだけど。


 ウルフガーさんは明らかに無理をしてる。

 でも、本人がやると言っているのなら止める訳にもいかない。


「お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 ウルフガーさんがカミラさんに聞いた。


「はい」


「今の技もコモド流のものでよろしいのですか?」


「ええ。その通りです」


 楯が剣を弾く状況に持ち込んで、人体の弱点に突きを打つ。

 防具をつけてる相手の場合は、足を狙うことになるんだろうか。


「それでは、3本目を始めたいと思います。勝負としては、2本先取でカミラさんが勝っていますがよろしいですよね?」


「元々そのつもりです」


「分かりました。それでは構えて――。3本目、始め」


 今度はウルフガーさんが最初から攻めた。

 見てると自力はウルフガーさんの方が上なんだよな。

 年齢差も体格差もあるから当然なんだけど。


 3本目はコモド流の技が出ることはなく、打ち合いを続けた末、カミラさんが楯を捨て降参した。


「勝負ありです。ウルフガーさんの勝利となります」


 2人とも手を止める。


「さすがに基本だけでは勝てませんね」


「いえ、勉強になりました」


「ウルフガー様は、試合でもコモド流の基本通りの動きで素晴らしかったです。しっかりと学んでいても、試合となると生来の癖が出てしまうものなのですが」


「勿体ない言葉です」


「その上で実戦的でもある。どのようにしたら貴方のようになれるのか後学のためにお聞きしたいですね」


「私の場合、置かれた環境が特殊で、後学のために役に立つとは思えませんが……」


 申し訳なさそうにウルフガーさんが言った。


「レオニスさんを見たという『あの場所』というのが関係しているんですか?」


 聞くなら今しかないと思い、突っ込んでみる。


 ≫お、いったか!≫

 ≫踏み込んだな≫


「レオニス様というと、あの剣闘士第三席の?」


 カミラさんの言葉を受けて、私はウルフガーさんを見た。


「――そのレオニスです。彼は非合法の闘技興行(とうぎこうぎょう)のトップに上り詰めた男です」


「そうなのですね。ウルフガー様もそちらに参加したことがあると」


「何度かですが」


「全勝したということですね」


「はい」


「でしたら、それだけの強さを身につけているというもの納得できます。私たちの元門下生も何人か参加したという噂を聞いていますが、いずれも悪い結果だけが残ったようです」


「どうなったのですか?」


 聞いてみる。


「全員、亡くなったと聞きます」


「――もしかして」


「ええ。出場すれば死ぬまで戦わされるということです」


「そんな恐ろしい場所が……」


 同時にウルフガーさんも人を殺した経験があることだ。

 文字通り修羅場を潜ってきたのか。

 賊の腕を表情1つ変えず折れたのもそういう経験があってのことなのだろう。


「よくそのような世界から抜けられましたね」


「勝てば報酬として抜けるということを条件にしました。さらに2度戦うことになりましたが」


「大変だったでしょう。よく無事だったものです」


「私たちに話して良かったのですか?」


 ウルフガーさんに聞いてみる。


「私自身だけのことなら聞かれたら極力話すことにしている。結果、拒絶されても仕方がないだけのことはしている」


 不器用な生き方だ。

 ただ、嫌いじゃない。


「少なくとも私はその姿勢を好ましく思います。同じ状況だったとして、同じことが出来るとは思えません」


 素直に伝えた。


「そうですね。大切なのは今です」


「僕もウルフガーは家族だと思っているから」


「皆様……」


「剣術訓練に戻りましょう。最後の1本は貴方に取られてしまいましたが、まだコモド流を学ぶ気持ちは残っていますか?」


「残るなどととんでもありません。願ってもいないことです。その前に1つ、お聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」


「私がお答えできることであれば」


「はい。楯と剣で挟んだあの技についてです。あれはコモド流独自のものなのでしょうか?」


「いえ、他の流派にも似た技が存在すると思いますよ。ただし、コツなどは違うとは思います」


「それでは、剣だけで剣を奪うような技はいかがでしょう?」


「剣だけで剣を奪う?」


「こう巻き込むように剣を奪い弾き飛ばします」


「いえ、見たこともありません。どなたかが使っていた技なのですか?」


「レオニスが使っていました。剣と盾で挟むやり方も、剣だけで奪うやり方も」


 レオニスさんが使っていたのか。

 私が戦うときの参考になるかもしれない。


「流派だけでも分かれば調べようもあるのですが」


「申し訳ありません。レオニスの流派に関しては存じておりません」


「そうですか。お役に立てず申し訳ありません」


「いえ。丁寧にありがとうございます。お話を続けてください」


「はい。では、1つ貴方の弱点になってしまっている点を話したいのですがよろしいですか?」


「もちろんです。どのような点でしょうか?」


「――はい。貴方の剣はコモド流の初級の振りです。見よう見まねなのが原因でしょうが、それは練習用の振りであって実戦向きではありません」


 ウルフガーさんは表情には出さないものの、ショックを受けているようだった。


「楯をしっかりと構えてください。貴方ほど上手く振れませんが初級の振りを実演します」


 ウルフガーさんが楯を構える。


「失礼します」


 言って、カミラさんは真っ直ぐ剣を振りかぶってから降ろした。


 ゴンッ。


 割と力が籠もっている感じがするな。

 身体も被さるようにしている。


「次に中級以降の振りです」


 ウルフガーさんが構えた。


 コンッ!


 そこにキレのある振りが当たる。

 力みもなければ体勢もほとんど崩れていない。

 力を入れたのは振り始めだけだ。

 初級のものは楯に当たるまでずっと力を入れていた。


 隙が大きいということだろうか?


「いかがですか?」


「中級以降の振りは芯があります」


 そうなのか。

 意外だ。


「良い感覚をお持ちですね。もちろん、貴方のような洗練された振りであれば私より芯はあると思います。貴方が中級の振りを覚えたら、さらに芯のある攻撃が出来ますよ。また、これ以外にも利点があります」


「どのような利点なのでしょうか」


「隙が小さくなります。貴方の場合、この利点が大きいでしょうね。防御や回避された際に、体勢が崩れることがなくなります」


「実際に試してみてもよろしいですか?」


「もちろんです」


 それからはカミラさんとウルフガーさんで試したり話したりしていた。

 カミラさんは、自分がウァレリアス家にいる間に中級の振りだけでも教えようとしているようだ。


「フィリッパ先生。力を入れなくても斬れるものなのですか?」


 エミリウス様が聞いてくる。


「残念ですが、私は剣術のことをよく知らないのです」


 カミラさんとウルフガーさんを見ながら話す。


「そうなのですか?」


「はい。剣に初めて触れたのもローマに来てからで、まだ1年も経っていません。その上での話ならできますが、あまり役に立たないと思います」


「聞きたいです」


「分かりました。では、お話します。簡単に言うと、力を入れなくても切れます。ナイフなどを投げて突き刺すのと同じですね。剣の場合は、投げないで手で持ったままなので飛んではいきませんが」


 ≫円運動だな≫

 ≫飛んでいく=遠心力、手に持つ=向心力(こうしんりょく)

 ≫遠心力と向心力が釣り合うと円運動になる≫

 ≫軌道に沿って動く運動≫


「これを私の故郷では円運動と言うらしいです」


 左目に親指を立てておく。


「その円運動というのはどのようなものなのですか?」


「はい。木剣を貸していただけますか? エミリウス様は楯を構えてください」


 私は自分の腕も最大限に伸ばして、大きく剣を振り回した。


 ガンッ。


 大きな音がする。


「私にはほとんど力がありませんが、なるべく()を長くして振り回せばこのくらいの攻撃はできます。これは筋肉の力ではなく、円運動を使っているからできることです」


「柄が長い方が力が強いのですか?」


「そのはずです」


 エミリウス様は剣を振って試し始めた。

 もっと説明したいけど、私は文系だったから物理的になにが起きてるのか分からないんだよなあ。


 ≫速度V=rωで、rが柄の長さだからな≫

 ≫ωが同じでも柄が長いと剣先の速度Vは増す≫

 ≫ω(オメガ)は角速度な≫


 角速度?


 ≫角速度ってよく聞くけどどんな速度なんだ?≫

 ≫普通の速度は距離がベースだが≫

 ≫角速度は角度がベースになる≫

 ≫アナログ時計の秒針1秒の角速度は皆同じ≫


 なんとなくイメージできた。


 100mを10秒で走れば速度は10m/sだ。

 こっちは私でも分かる。


 時計の秒針だと1秒は360度÷60だ。

 つまり、6度/sみたいなのが角速度ってことか。

 そんな単位見たことないので、物理学だと別の単位なのかもしれないけど。


 とにかく、秒針が長ければ、針の先の速度は早くなるということだろう。

 直感的にはよく理解できる。


 方程式って苦手だったけど、どこかが変化したときにどうなるかを明確に示せるから便利なんだな。


「確かに、腕を伸ばした方が、剣を振ったときの攻撃は強そうですね。一瞬だけ、力を込めた方が『芯』があるというのは、どういうことなんでしょう?」


 エミリウス様が息を切らせながら言った。


「残念ながら私にも分かりません」


「先生にも分からないことがあるんですね」


「分からないことだらけです」


 視聴者のコメントに頼ってるからなあ。

 何も知らないと言ってもいいくらいだ。


 ≫芯というか貫通力の話なら弓が参考になる≫

 ≫矢は発射直後より0.1秒後の貫通力が高い≫

 ≫発射直後には矢自体が不安定だからな≫

 ≫矢の羽根がそれを安定させ貫通力を高める≫


 なるほど。

 なんとなく理解できる。

 自転車なんかもそうだ。

 スピードとかもあるので少し違うかもしれないけど、漕ぎ始めよりも数秒後の方が安定する。


 ローマにある矢以外の何かでも例えられないだろうか?

 ――思いつかない。

 結局、弓が一番例えとして適切な気がする。


「エミリウス様。弓を見たことがありますか?」


「あります。昔、レメス兄様が練習していたのを見ました」


 レメス兄様?

 クラウス様とは別の兄がいたのか。

 今は関係ないので保留しておこう。


「では、剣の『芯』についての仮説を弓で説明しましょう」


「え、分からなかったのでは?」


「剣については分かりませんけど、もっともらしい仮説の説明はできます」


「さすがです!」


 私は、発射直後の矢の不安定なことを話した。

 その上で、羽根などで安定した矢の貫通力が上がることを説明した。


 続けて、剣の振りもノイズの混じりやすい筋力を入れるのは一瞬で、あとは円の運動だけの方が安定するため芯があるのでは? という仮説を話す。


「円運動は筋力よりも安定しているのですか?」


「矢と同じで、風が吹かなければ発射した後は安定しているはずです」


「矢と同じですか。なんとなくは分かります」


「――驚きました」


 いつの間にかカミラさんがいた。

 説明に集中しすぎてて気づかなかった。


「フィリッパさんの今の『弓』のお話は、私どもの総師範もされていることです。中級になると実際に弓の見学へも行きます」


「そうなのですね。仮説が正しそうでよかったです」


「総師範はこのことを悟るのに数十年掛かったと申しておりました」


 は、反応がとりにくい。


「そうなのですね。私は故郷の知識の受け売りです」


弓術(きゅうじゅつ)が盛んなのですか?」


「そこまで盛んという訳ではありません。ただ、様々なことの理由を見つけるための機関があるので、そういうところで研究されています」


「不思議な故郷なのですね」


「そうかもしれません」


「話を(さえぎ)ってしまいましたね。続けてください」


 カミラさんが一歩引いた。


「はい。エミリウス様、円運動以外に何かご質問はありますか?」


「いえ、今のところはありません」


「気になったらいつでも質問してくださいね。カミルさんたちは終わったのですか?」


「はい。フィリッパ様のお話もとても参考になりました」


「少しでもお役に立てたのならよかったです」


 ウルフガーさんは今晩から生かした素振りをするとのことだった。

 そんな感じで剣術訓練は終わるのだった。


 食事も終わり、いよいよウァレリウス様と話をすることになる。

 私は先に中庭で待っていた。


 すでに暗いが、灯りがほのかに周辺を照らしている。

 真上を見ると星が見えた。


 しばらくするとウァレリウス様がやってくる。

 あまり気乗りしない様子だ。


「時間をとっていただいて申し訳ありません」


「良い。あまり時間はとれない。休暇の理由を話したまえ」


「はい。では、まずは防音の魔術を使います。これで周辺に音は漏れなくなります」


「――何を言っている?」


 私は四方を真空に近い状態にして、中庭を防音状態にした。


「風の魔術の応用です。これで話は外に聞こえません」


「――君はいったい何者なのだ?」


「お昼にも話したとおり、あくまで現在は当家の侍女見習いです。ただ、魔術が少し使えます。そのことが、これからお話することに関係します」


「早く話したまえ。気になって仕方ない」


「はい。まず、休暇を希望している11月25日には、陛下とペルシャの使節団との会談があります。26日には闘技会があります」


「ペルシャの使節団の話はともかく、なぜ闘技会の話を? まさか関係があるのか?」


 頷く。


 ウァレリウス様は考え込んだ。


「聞くのが怖くなってくるな」


「私の階級は解放奴隷なので、怖くなるようなことはございません。ただ、陛下と少し交流があり、闘技会に出場しているだけです」


「陛下と? それに闘技会に出場だと? そういえば、いや……まさか」


「恐らくお察しの通りです。フィリッパは偽名。私の本当の名前はアイリスと申します」


 ウァレリウス様は口をパクパクしたのち、ぐったりとした。


「――そういうことか」


「何か心当たりがございましたか」


「そうだな。賊のときに妙に落ち着いているなと不思議だったのだ」


「申し訳ありません」


「いや、君が居てくれて助かった。まさか、かの『女神』アイリスとは思ってもみなかったが……」


「あの、質問をしてもよろしいですか?」


「この場では自由にしたまえ」


「ありがとうございます。ウァレリウス様は、実際に闘技会へ行かれたりするのですか?」


「最近は行っておらぬな。ただ、君の噂はクラウスからはもちろんのこと他でもよく聞く。前回は円形闘技場(コロッセウム)が壊れるほどの前代未聞の戦いだったとか」


「お恥ずかしい限りです」


「そのように僅かな失敗をしたように言われると何か混乱する。君の見た目が剣闘士らしくないというのもあるかもしれないが」


「信じてくださるということでよろしいのでしょうか?」


「嘘ならもっと簡単なものを選ぶだろう。賊の侵入もあったが、君が来てからというもの当家は良い方に向かっている。信じよう」


「ありがとうございます」


「少し落ち着いてきたよ。ところで君がただ当家へ侍女に来たとは思えない。何か別の目的があるのではないかね?」


 聞かれてしまったか。

 素直に話すしかないな。


「――その通りです。簡単に説明すると、陛下に害を為した事件が発生しました。その犯人が事件直後にウルフガーさんに接触しています」


「な……」


「ウルフガーさんの関与についてはよく分かっていません」


 ウァレリウス様はかなりショックを受けている様子だった。

 私はしばらく黙って待つ。


「――関与していた場合、ウルフガーはどうなるのだ?」


「分かりません。それにまだ関与があると決まった訳ではありません」


「君は当家を疑ってないのか?」


「疑っておりません」


「財政事情など動機はあると思うが……」


「率直に話してもよろしいでしょうか?」


「話してくれ」


「私はウァレリウス家の方々が、金銭で陛下に危害を加えることなどは行わないと考えております」


「――そうか」


 クラウス様も、私と価値観が大きく違うだけで、ローマにおける犯罪行為を起こすような方ではないように思う。


「話をウルフガーさんに戻しますが、ウァレリウス様は彼についてどの程度のところまで知っているのですか? 賊が彼を裏切り者と言ったときにも、特に驚いていませんでしたよね?」


「気づいていたか。ウルフガーについては、おおよそのことを聞いている。裏社会に身を置いていたことなどな。基本的には関係なくなったらしいが、恩人からの頼みは断れないと話していた」


「恩人ですか?」


「詳しくは聞いていない」


「彼はどういった経緯で当家の使用人として採用されたのでしょうか?」


「紹介されたのだ」


「どなたに?」


「話すことはできない」


「理由を(うかが)っても?」


「――理由を話すと誰かということが分かってしまう」


「そうでしたか」


 元々の知り合いということだろうか。

 リウィア様に聞けばすぐに分かりそうな気がするな。

 ただ、本人の了解なしに聞くというのも違う気がする。


「――どうしても話さないとダメだろうか?」


 しばらく考えていると、私の無言が圧になったのだろうか、そんなことをおっしゃられた。

 ミカエルが言っていたように押されると弱いのかも……。


「いえ、話す必要はございません。私の無言が圧力になっていたのなら申し訳ありません。そのような意図はございませんでした。ウァレリウス様の意志を優先します」


「そ、そうか」


 こう圧力に弱いと、聞かれたら私のことも話してしまうのではないかと心配になる。

 でも、ミカエルは話す勇気もないと言っていた。

 口止めすれば頑なに守り通してくれる人なのかもしれない。


「1つだけ教えてください。ウルフガーさんを紹介した人物は皇妃派の属する(かた)でしょうか?」


「あ、ああ、その通りだ」


「ありがとうございます。十分です」


 その人物がウルフガーさんをウァレリウス家に紹介した意図はなんだろうか?

 正直なところ、あまりメリットがあるとは思えない。

 ただの善意かもしれない。


 どちらにしても情報が少なすぎるな。 


「ふー。君は普段とあまり変わらないな」


「はい。(いつわ)れるほど器用ではないので、アイリスのときもフィリッパのときも、態度は()で接しています」


「そうか。安心した。ところで剣闘士としての練習はしなくて良いのかね?」


「練習したいところなんですが、こちらで剣を振るう訳にもいかず……。他の方法でなんとかします」


「大丈夫なのか」


「ウルフガーさんが次の私の相手を知っているようです。聞ける範囲で聞いてみます。私の相手は彼を闘技興行から脱退すると決意させた人物らしいので」


「そこまで話したのか」


「カミラさんがコモド流の指導者なので、そういう彼の背景にも踏み込むことになりました。ウァレリウス様もご存じだったのですね」


「その相手の名までは聞いていなかったがな。誰なのだ?」


「剣闘士第三席『黄金』レオニスさんです」


「あぁ、クラウスが昼に話していたな。それ以前にも名だけは聞いたことがある」


「派手な(かた)のようなので有名なのかもしれませんね」


「君の名の方が良く聞く」


 ウァレリウス様が笑う。


「目立たないようにしてるつもりなのですが……」


「はっはっは」


 声を上げて笑われた。


「勝てそうなのか?」


「勝つつもりですが、勝負は終わるまで分かりません」


「案外、そのような態度が強さの秘訣なのかもしれないな。――分かった。25日から2日間は休暇としよう。皆に話す理由はどのようなものが考えられる?」


「素直にペルシャの使節団の接待を頼まれたことにしたいのですがいかがでしょう? 私は元々、ローマ市の奴隷ですので、無理な話ではないかと思います」


「確かに。その話でいこうか」


「ありがとうございます。助かりました。あ、もう1つ言っておかないといけないことが……」


「――嫌な予感しかしないな。なにかね?」


「はい。お昼にペルシャの貴族の(かた)がいらっしゃるという話をしたと思いますが、彼は貴族ではありません」


「――貴族ではないというと?」


「王族の方です。第一王子との話です。パラスターナの元王族が話していました。偽名としてサオシュヤントと名乗っています」


 友人のセーラとは話さずに元王族とだけ伝える。

 ウァレリウス様は頭を抱えた。


「なぜそのようなことになった」


「表向きはクラウス様の演説を聞いてお気に召したという話です」


「本当の目的は?」


「自意識過剰なことを承知で言いますが、私が目当てなのではないかと」


「そちらの方がよほど納得できる。ペルシャにはハーレムというものがあるのだろう?」


「詳しくは存じておりません」


 ハーレムってペルシャの言葉だったのか。

 言われてみると音の響きとか一夫多妻制とかから見てもあの辺りの文化っぽい。


「君はどうするつもりなのだ?」


「彼の目的がはっきりしたときには明確にお断りします。もちろん、明後日の給仕(きゅうじ)は頑張って行います」


「全く君は……。私では()(はか)れないな」


 好意的な感じではある。


「思ったより時間が掛かってしまったな。おおよそ話は終わったか」


「はい。長い間お時間をいただいてしまい、申し訳ありませんでした」


「問題ない。それでは終わりとしようか。家族には君の休暇のことを理由も含めて伝えておこう。メリサを通さなかったことの理由も含めてな」


「助かります。あと、ずうずうしいお願いですが、私の正体や目的は話さないでいてもらえるとありがたいです」


「――承知した」


「ありがとうございます」


 私は静かに防音の魔術を解き、解散した。

 ウァレリウス様ってやっぱり物わかりいいな。

 没落寸前なのは何故なのだろうか?

 元々なのか、運が悪かったのか、誰かにだまされたのか。


 私はその後、玄関から外の庭に出た。


 闘技会に向けて少し考えたいのと、視聴者に相談したいからだった。

 先に、ウルフガーさんが素振りをしている。

 空間把握で、彼の様子を監視をしたまま私は裏口の方へ向かった。


「みなさん、こんにちは。闘技会に向けて相談があるんですけどいいですか?」


 ≫OK≫

 ≫カモン!≫

 ≫どんな相談だ?≫


「闘技会に向けて何を練習したらいいか? ですね。侍女が木剣を持って出歩くのも変な話なので、どうしようかと」


 ≫魔術はどうだ?≫


「レオニスさんが魔術無効(アンチマジック)を使ってくるだろうと予測してるのと、地面に使う場合は加減が難しいのであまり考えていません」


 ≫難しいな≫

 ≫無策でも勝てそうだけどな≫

 ≫それも勿体ないな≫

 ≫素手で戦うとか?≫


「素手で戦うのはさすがにレオニスさんを下に見過ぎで失礼な気が……」


 ≫そりゃそうか≫

 ≫でも、剣を巻き取る技使うんだろ?≫

 ≫剣がなくなったとき想定の素手か≫


「確かにレオニスさんがもし剣を奪う技を使ってくるなら、そのとき隙になるかもしれませんね」


 ≫隙?≫


「技が成功したあと、特に相手から剣を奪った瞬間って隙が出来ると思います」


 ≫出来るかもな≫

 ≫今までそういう相手がいなければな≫


「情報は集める必要はあるかもしれませんね」


 ≫結局、素手を練習するってこと?≫

 ≫奪われた直後からなら舐めプにはならないな≫

 ≫まあ小馬鹿したプレイにはならないか≫


「そうですね。剣が取られた直後を想定して練習してみます」


 ≫パンチを練習するってことだな≫


「はい。そうです」


 私はパンチの練習を始めた。

 肘から先だけを洗った直後のように手を振るうやり方だ。


「このパンチの打ち方で何かコツみたいなのはありませんか?」


 ≫貫通力が欲しいなら拳を回すことだな≫

 ≫銃弾も銃身の中で回して発射するだろう≫


「聞いたことはあります。なるほど。そういう貫通力の持たせ方もあるんですね」


 弓の場合は羽根だけど、銃弾の場合は回転で貫通力を上げる訳か。

 あ、あとパンチは打ち始めだけ力を込めるというのも貫通力に繋がりそうだな。


 ≫回すとき手を開いた状態から閉じるといい≫

 ≫スケートで腕を畳むと回転が早くなるだろう≫

 ≫あれと同じ原理だ≫

 ≫角運動量保存則か≫


 角運動量保存則は分からないけど、なんとなく雰囲気は分かる。


 例えばスケートだと、腕が長いと回すだけでもそれなりに力が使われるんだろう。

 腕が折り畳まれると、腕を回すために使ってた力が、単純に回すために使われるようになるのかな。


「はい。なんとなく分かります。パンチっていろいろコツがあるんですね」


 パンチを打つとき、小指と親指を伸ばした状態から回しつつ畳む。

 もちろん、濡れた手を振るうイメージと手に合わせて足先も地面に着く。

 確かにブレが収束している感覚がある。


「当てるのは人差し指と中指の付け根なので、ここを中心に回す感じでいいんですよね?」


 ≫そうだ≫


 左手も右手も同じように回しながら畳む。

 結構キレがあるな。

 腕を伸ばすだけのパンチとは明らかに違う。


「良い感じです。パンチで倒すときってジャブとストレートだけでいいんでしょうか?」


 ≫気絶させたいのなら左フックだな≫

 ≫KO率のもっとも高いパンチでもある≫

 ≫アイリスさんが持ってる盾が邪魔になるか?≫


「そうですね。素手で戦うときだけ、右手を前に構えて右フックというのはアリですか?」


 ≫悪くない≫

 ≫右利きでサウスポーのボクサーもいる≫


「分かりました。その方向でいきます。サウスポーのときの右フックの打ち方って教えてもらえるのでしょうか?」


 ≫もちろんだ。基本は同じでいくことにしよう≫

 ≫前腕を上に向けて立てて欲しい≫


「はい」


 ≫そのまま、前腕全体で地面を叩くイメージだ≫

 ≫手の甲は上≫

 ≫肘は下向きから前に≫


 左目に映るようにやってみる。

 ――なるほど、フックっぽい。

 腕を振り回して殴る感じではないんだな。


 ≫肘は左と右の肩と共に三角形を作る≫

 ≫肘の角度は大体100°がいいだろう≫

 ≫濡れた手を振るい、足先を前腕と同じ方向へ≫


 やってみるとバシッと決まる。

 殴るというよりは、鍵を回すイメージに近い。


 ≫少し練習してみてほしい≫

 ≫明るいところに戻ったらチェックさせてくれ≫


「分かりました。ありがとうございます」


 しばらく練習する。

 思ったのは、最小限の力で突き刺す感じということだ。

 死角からこれを顎に打つのか。

 確かに効きそうな気がする。


 ただ、実際に使うにはかなり接近する必要があるな。

 右フックだと相手の盾も邪魔になる気がする。

 アッパーの方がいいか?

 それとも左フックにする?


 試しにアッパーを同じ要領で打ってみたが、全く打てなかった。

 想像以上に難しいのかもしれない。


 右フックだけじゃなく、左フックも試してみる。

 問題はなさそうだった。

 ただ、左フックにすると、盾を持ち替える必要が出てくるんだよな。


「すみません。せっかく教えて貰ったのですが、また相談に乗ってもらいたいです」


 再び視聴者、たぶん武術家さんとやりとりする。

 相談の結果、右フックは止め、左フックを練習する方針に切り替えた。


 アッパーは2週間で身につくようなものではないらしい。

 小型の盾なら着けたまま左フックを打つこともできるだろうし、剣を受けた直後にも使える。


 っと、完全に夢中でウルフガーさんの動向を見ることを忘れていた。


 慌ててみると、まだ素振りをしているようだ。

 今日はいつもより時間が長い気がするな。

 カミラさんに言われたやり方を練習しているのだろうか。


 ふと、彼の傍に女性が立っていることに気づく。

 月明かりの中、ウルフガーさんを見ているようだ。

 姿形からいってカミラさんだろうか?


 私は左フックの練習をしながら、様子を見ていた。


 ウルフガーさんの素振りが終わる。

 カミラさんが彼の近くに歩み寄ろうと近づくが、ウルフガーさんは例の箱に近づき、掘り起こし始めた。


 あれ? まずくないか。


 私は気持ちを引き締めて、彼らに近づいていった。

 ウルフガーさんは、箱を掘り起こし、鍵で開けて手紙を取り出す。


「――何を?」


 そのタイミングでカミラさんの声が響いた。

 ウルフガーさんが振り返る。


 カミラさんは武器を持ってない。

 ウルフガーさんは剣を持っている。

 いくらカミラさんが強くても、素手では不利だ。


 私は暴風の魔術をいつでも使えるように気持ちを切り替えた。


 緊迫した空気。


 ウルフガーさんは手紙と箱を持ったまま、何かを考えているようだった。

 当たり前だけど、表情は見えない。


「手紙、と箱?」


 カミラさんの声。

 ほのかな月明かりが照らしている。

 私はあまり近づかないようにして影化の魔術を使った。


「――この手紙は、ウァレリウス家とは何の関係もございません」


 ウルフガーさんの発言は意外にも、ウァレリウス家を庇うものだった。

 いや、意外ではないのか。

 彼はこの家に恩義を感じているように見える。


「――まだ繋がりがあるのですか?」


「いえ、非合法な組織との関係は切れております」


「ではいったい何と連絡をとっているのですか?」


「申し訳ございません」


 言えない相手か。


「説明できないのですね? 聞かれたことに極力話すようにしていると言った貴方が」


「――はい」


「では1つだけ。それは胸を張れる行為ですか」


「分かりません」


「分からないのなら、貴方が恩を感じてる人たちに対して胸を張れるかどうかでも構いません」


 ウルフガーさんは口を閉じる。

 そもそも、彼が皇帝の暗殺に関わってるとして、どこまで知っているんだろうか?

 個人的には中継ぎだけやらされているのではないかと思うけど、


「――いいでしょう。もし、その行為に疑問があれば私に相談してください。解決することまでは難しいと思いますが、何かお役に立てるかもしれません」


「――なぜ、私などにそこまで」


「貴方がコモド流を真摯に修練する同門だからです。私にとっては十分な理由です」

 

「同門――」


 ウルフガーさんはそれだけ言葉にして黙ってしまった。


「難しいことかもしれませんが十分に考えてくださいませ。それでは、お休みなさい」


 カミラさんはそう言って背を向けた。

 ウルフガーさんはそのまま立ちすくんでいた。


 私は動かずに、3メートルくらいの距離を歩いていく彼女をやり過ごす。


 彼女が十分に離れたところで、思考を開始した。


 まず、意外だったのはウルフガーさんの言動だ。

 カミラさんに対して、攻撃どころか口止めもしなかった。

 それどころか、悪いことをした子どものような態度だった。


 カミラさんもまさか首を突っ込んでくるとは思わなかった。

 見つけたらすぐに当主へ報告するのが普通の侍女だろう。

 なんというか私の考える侍女っぽくない。


 ウルフガーさんが箱を埋め始めた。


 私は、彼が最初にウァレリウス家を庇ったことについて考える。

 咄嗟にああいう態度をとるのは難しい気がする。

 普通は行為を隠すか、自己弁護する。


 彼はカミラさんに対しても、危害を与えるような素振りもみせずに、彼女を尊重していた。


 過去はどうあれ、彼のような人には健やかに暮らして貰いたいと思ってしまっている。

 もしも、彼を悪意で利用しようとしている人がいるなら手を切らせたい。


 私は、ウァレリウス家にもウルフガーさんにも良い方向で決着させたいと考えている自分に気づくのだった。

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