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第167話 半歩

前回までのライブ配信


アイリスはクラウスの政治集会に同行しサオシュヤントと再会する。ミカエルに同行してきたセーラにより、彼がペルシャの王子カイハーンだと判明する。闘技会とペルシャ使節団の会談の日程も明らかになる。さらに明後日、彼らがウァレリウス邸を訪問することにもなるのだった。

 政治集会をしていた広場から離れた。

 昼食の準備の前には間に合いそうだ。

 クラウス様と私は馬車に揺られてウァレリウス邸に戻っている途中だった。


「あのペルシャの者、サオシュヤントと言ったか。なかなか見込みがあるな」


 クラウス様の機嫌が良い。

 演説を褒められたらしく、それで喜んでいるようだった。

 私はその褒められたときの様子を知らない。


 でも、あの獰猛に笑ったサオシュヤントさんが、クラウス様の演説を褒めた?

 違和感があるんだよな。


 勘だけど、クラウス様の演説を褒めたのはミティウス様な気がする。

 通訳と言いながら、彼が勝手に褒めたんじゃないだろうか。


 クラウス様の話に相づちを打っていると、馬車は邸宅に着いた。


 ウルフガーさんがすでに門の前に出迎えに来ている。

 荷物を持ち、クラウス様を先導していった。

 私もその後をついていく。


 さてと……。

 私は闘技会と護衛で休暇を取ることに関して、ミカエルの後ろ盾は借りないことにした。

 単独でウァレリウス様を説得するつもりだ。


 ミカエルはウァレリウス様の説得に協力してくれるみたいだったけど、私が彼にどんな損得があるか聞くとすぐに手を引いた。


 理由は少し理解しがたいものだった。


『ウァレリウスの説得は容易(たやす)いんだよね。彼は優柔不断だから押せばいいし、口止めすれば破る勇気もない。

 僕は居ても居なくてもいい。

 それでも、僕が君の発言を保証すれば君は恩を感じるだろう。これまでと同一線上の恩をね。

 それじゃ何も進まない。

 結局、君の成長を見守る理解者の方がいいんだよね。

 なあに、説得に失敗したらフォローするから』


 視聴者はミカエルの言葉にいろいろな意味で賛否両論だった。


 私としては、彼に見抜かれてる気がした。

 確かに私は理解者でいられる方が心を許す気がする。

 それを認識できてるだけでも良しとするか。


 でも、ウァレリウス様の説得に失敗したら、ミカエルに頼らずソフィアに相談しよう。


 失敗したときのことを考えても仕方ない。

 まずはウァレリウス様に時間をとってもらわないと。


 彼は今、自室にいるようだ。

 部屋から出ていらっしゃったら話をしに行こうか。

 食事の準備は始まっていないので、ヴィヴィアナさんの居る2階へ向かった。


「お疲れさまです。ただいま戻りました」


「あ、フィリッパちゃん。おかえり」


「手すりの掃除ですか? どこまで終わってます?」


「もうほとんど終わり。着替えたらフィリッパちゃんは部屋で休んでて!」


「いいんですか?」


「すぐ食事の準備も始まるし、疲れてるでしょ」


「ありがとうございます。お言葉に甘えます」


 私は着替えるために侍女部屋に戻った。

 着替えを済ませ、ウァレリウス様が部屋から出ていらっしゃりそうなタイミングを見計らう。


 少しすると、彼は自室から出てきた。

 トイレに向かうようだ。

 私はそのトイレから戻る頃に合わせて彼の元へと向かった。


「ウァレリウス様。お疲れさまです」


「フィリッパか。どうした?」


 私が彼を待ちかまえていたからだろう。

 そんな風に声を掛けられた。

 周りに人がいないことは確認している。


「はい。政治集会の席で、ミカエル殿下と貴族のミティウス様、ペルシャの貴族の(かた)が当家にいらっしゃることになりました。明後日の予定のようです」


「なに? 共に参られるのか?」


「そのようです」


「どうしてそのようなことに……」


「残念ながら私は存じ上げておりません。クラリス様が事情をご存じのはずです」


「分かった」


「それともう1つあるのですが、よろしいでしょうか?」


「――どのような話だ?」


 探るような警戒感がある。


「はい。2週間後の11月25日と26日に休暇をいただきたいのです。理由を説明しますので、どこかでウァレリウス様のお時間をいただけないでしょうか?」


「ここではダメなのか?」


「申し訳ありません。政治に関わる内密な話です。場をご用意していただきたく思います。メリサさんにも話を通しておりません」


 ウァレリウス様はそのまま固まった。

 言葉を探そうと、口を開いたり閉じたりするが言葉にならない。


「このようなことを突然、申し訳ありません」


「フィリッパ……。君は……」


「私が当家の侍女見習いではあることに間違いはありません。ただ、どうしても外せない用事ができてしまいました。そのために休暇をいただきたいのです」


「25日と26日に政治的な何かがあるのか?」


「ペルシャの使節団が参ります。私はペルシャと無関係ですが、いくつかの行事に参加することになっています」


「そうか」


 彼は私の姿を見た。


「いろいろな疑問があると思います。詳しくは、場を用意してくださればそこでお話するつもりです」


「君はミカエル殿下と何か関係あるのか?」


「失礼を承知でお話しすると、私にとって殿下は知り合いにすぎません。ただ、今回の予定のことを私に伝えてくださったのは殿下です」


「テルティアのことは知っているか?」


「はい。こちらで働かせていただく少し前に殿下の邸宅でお会いしたことはあります。お元気そうでした」


「――分かった」


 彼は少し長いため息を吐いた。


「では、夕食後に……そうだな、中庭が良いだろう。あの場所であれば座る席もある」


「ありがとうございます。承知いたしました」


 私は丁寧に礼をした。

 ふぅ。

 こういう緊張感は慣れないな。

 彼が去るのを見届けてから私も移動した。


 ≫なんとかなりそうだな≫

 ≫中庭は良いチョイスかもな≫

 ≫変なことできないし疑われもしないからな≫

 ≫柱だけで壁ないんだもんなあ≫


 防音の魔術を使えば話も漏れないだろう。

 とにかく、これで半歩は踏み出せた。

 あとは内容を話すだけなので、少しだけ気が楽だ。


 私は少し早いけどキッチンに向かうのだった。


 それから食事を終え、午後は明後日の来客に備えて私も庭の掃除を行うことにした。

 明後日のミカエルやサオシュヤントさんの来訪が知らされ慌ただしくなってる。


 昨日のエミリウス様への教え方を生かして、今日はヴィヴィアナさんに魔術を教えたかったんだけどなあ。


 代わりと言ってはなんだけど、掃除しながら視聴者にいろいろ聞いてみる。


「サオシュヤントさんがここに来る目的ってなんだと思います?」


 ≫そりゃアイリスが目的だろ≫

 ≫セーラも言ってたしな≫

 ≫奴にとって他に価値のあるものはなさそう≫


「ペルシャの王子なんですよね。外交に来た他国で軽率すぎませんか?」


 ≫我が儘なのかもな≫

 ≫俺様な波動は感じるな≫

 ≫本名はカイハーンなんだっけ?≫

 ≫ペルシャ語で宇宙とか世界って意味らしいな≫

 ≫でけえ!≫


「ミカエルも参加してくるし、あのミティウスって人も訳分からないしで頭が痛いです」


 ≫アイリスはどう振る舞うんだ?≫


「ここの侍女として振る舞います。こちらからは何も話しません」


 ≫何かとんでもないこと言い出すかもよ≫


「……とんでもないことですか?」


 ≫アイリスを多額で買い取るとか≫


「解放奴隷なので売買できませんと事実を突きつけます」


 ≫実力行使してくるかもよ?≫


「外交が終わるまではさすがに大丈夫だと思いたいです」


 ≫終わったら可能性はある訳か≫

 ≫アサシンみたいなのもいたな≫

 ≫アサシンってペルシャ原産なんだっけ?≫

 ≫野菜みたいに言うな!≫

 ≫ハシャーシン→アサシン≫


「――自意識過剰なのもなんなので、あまり考えないようにします」


 ≫大事(おおごと)になる気がするな≫

 ≫欲しいものは手段を選ばず手に入れる、か≫

 ≫しかも、闘技会のあとだろ?≫

 ≫アイリスの実力がバレたあとか……≫

 ≫アサシンみたいなの何人連れてきてるんだろ≫


「――情報だけは集めておいた方がいいかもしれませんね」


 ≫戦略家っぽくなってきたな!≫

 ≫敵を知り己を知れば百戦危うからず≫


 気が重くなりながら掃除をしていると、日が傾き始め、エミリウス様の魔術訓練の時間になる。

 気持ちを切り替えよう。


 昼食中にメリサさんが話していたけど、今日だけは剣術の訓練にウルフガーさんとカミラさんも参加することになったらしい。

 明日は来客前なので、剣術訓練そのものがなしとのことだ。


 カミラさんは午前中から事務仕事をかなり手伝い、時間が出来たとのことだった。

 今日だけというのは、その頑張りに報いたということな気がする。


 エミリウス様の部屋に入って挨拶を済ませる。


「水分子の動きはどの程度見えてきましたか?」


「はい。意識すればおおよそ見えるようにはなりました」


 おおよそとは言っているけど、彼のことだから確実に見えるようになってる気がする。


「かなり良い調子ですね。今日は気体に挑戦してみましょう。気体を見ることができれば、いろいろな魔術への道が開けます」


「分かりました。フィリッパ先生」


 彼の目が輝いていた。


「今から霧を出現させます。『霧』という天候の現象はご存じですか?」


「はい。テヴェレ川で見たことがあります」


「それなら話は早いですね。霧は水の細かな粒でできています。まずは見てみましょう。今から魔術で霧を作ります」


「霧を?」


 エミリウス様が言うより早く、私は霧の魔術を展開した。

 白いもやが展開される。


「水分子を見てください」


 彼はしばらくその霧を凝視していた。


「――見えます!」


「もう見えるなんてさすがですね。では、霧を少しずつ空気に近づけていきます。水分子が見えなくなったら言ってください」


「はい」


 集中したままエミリウス様が答えた。

 彼が水分子を見ているのが分かる。

 私は最近、人の意識、というか注目している箇所が分かるようになってきた。


 この世界では魔術と意識に繋がりがある。

 私は元々、魔術そのものが見える。

 そのことと何か関係があるのかもと思った。


 霧の濃さを薄くしていっても、エミリウス様は水分子が見えているようだ。

 丁寧に霧を薄くしていく。

 彼の意識に合わせるように、ゆっくりとゆっくりと空気に近づけていった。


 これは簡単ではなく、私もかなり集中力を使う。

 そして、ついには完全に透明な水蒸気になる。

 この状態になっても、彼の意識は水分子を見ていた。


 そのまま保つ。


「今の水分子の状況を説明してください」


「は……い。激しく衝突のようなことを繰り返している気がします。移動の様子は分かりません。あれ、でも衝突の様子が何かおかしいです」


「どうおかしいですか? 間違っていてもいいので様子を説明してみてください」


「水分子が何もないところで衝突ではないんですが、何かに影響されているように見えます」


「本当に何もないですか?」


「少なくとも私には見えません、いえ――」


 水分子以外の気体とぶつかっているのを見ているんだろう。

 そのことは言わずに黙っていた。


 水分子(H2O)と窒素分子(N2)は形こそ違うけど、分子の大きさはほとんど変わらない。

 窒素分子と酸素分子に至っては、今の私では見分けることができないくらい同じ大きさと形だ。


「何か水以外の何かがあるように見えます。これは、なんでしょう?」


 アドバイスするなら、彼にピッタリと合う言葉が良いはずだ。

 私はふと、視聴者のコメントを思い出した。

 イデア論のプラトンは、正多面体を元素と結びつけていたんだっけ。


 水分子は三角形で構成された正四面体に見えなくもない。

 それが凄まじい勢いで回転している。

 扇風機のモーター部分が酸素原子だとすると、2つの水素原子が羽のように回っている。


 一方で、窒素分子や酸素分子は球に見える。

 構造的にはたぶん分子同士が互いを周りあってるんだろうけど、球としてみえる。


 この方向でイメージを話してみよう。


「エミリウス様。水分子はどのような形に見えますか?」


「球体のようですが、少しいびつな形にも見えます」


「水分子を三角形で構成された正四面体として捉えることができませんか? それが回転しているイメージです」


「正四面体、ですか?」


「はい。プラトン先生が言っていたと言う正四面体です」


「水は正二十面体だったのでは?」


「そのことは忘れてください。重要なのは、水分子を無理矢理にでも正四面体として見る、ということです」


「無理矢理でいいのですね?」


「はい。実際にそうであるかは重要ではありません。エミリウス様が、水分子と正四面体を結びつけて見ることが重要です」


「分かりました」


 彼が意識を変えて水分子をみようとしていることが分かる。

 それから数分が経った。


「なんとか正四面体として見ることができました」


「はい。さすがですね。ここからが本題です。水分子と衝突している別の何かは同じ大きさの『球』ではないですか?」


「球――? あ」


 彼の意識が窒素と酸素を捉えたのなんとなく分かる。


「見えます! 先生、見えます! 水分子と比べても数が驚くほど多いです」


「別の場所を見てもらえますか?」


「はい。えーと、水分子の数が減ったように見えます。半分くらいでしょうか? 『球』の数がとても多いです」


「正解です。私が見てもそのくらい減っています。集中を解いて少し休みましょうか。ここまではとても良い調子です」


「はい」


 疲れているように見えたけど、興奮もしているようだった。

 新しいことが出来たときの気持ちはよく分かる。


 私も他人に教えるということについて、何か掴んだ気がした。


 相手の知識や性質、興味あることに寄り添って1歩でも半歩でも導いて自覚させることが重要なんじゃないだろうか。

 それには、場の状況に応じた発想が要る。

 戦いと似ている。


 それに、別の視点で自分のやってることを見ることで理解度というか解像度が上がる。

 私のためにもなる。

 教えることが新しい発見に繋がるかもしれない。


「今の空気の見え方が、私の魔術の基本となります。エミリウス様は魔術をもっと知りたいですか? 私のやり方での魔術になってしまいますが」


「はい」


「それでは、空気が見えるよう普段から練習しておくのが良いかも知れませんね。今のところは集中力が必要なので疲れるかも知れませんが、慣れると意識を切り替えるだけで見ることができるようになります」


「分かりました」


「無理をしないで、とは言いません。ただ、何か身体とか精神的に何か気になることがあれば、遠慮なく私に言ってください」


 最後にもう1度だけ、空気を見てもらって魔術の訓練は終了した。

 穏やかな風の魔術くらいならすぐに使えそうだけど、まずはじっくりと気体のブラウン運動を見て欲しい。


 彼なら気体の分子同士を2方向に反発させる突風の魔術も使えるようになると思う。


「魔術に関してはこのくらいで、剣術訓練に備えましょうか」


「――剣術ですね。せっかく教えていただいたのに何もできなくてすみません」


 クラウス様を木剣(ぼっけん)で打てなかったことだろう。


「人には苦手なことがあって当たり前なので、大丈夫ですよ。それをなんとかするのか導く私の役割ですので」


 私の発言に驚いたようだが、彼はすぐに照れた。


「――はい。お願いします。と言いたいところなんですが、どうしても人を打つのが怖くて」


「そこをクリアすれば打てるレベルまで来ているとは言えます。悩みのレベルが1つ贅沢になったという(とら)え方もできますね。私も最初は怖かったんですが、今は人を突き刺すくらいなら大丈夫です」


「先生にそんな経験が?」


「生きるために必要でしたので。遠い目……」


「遠い目?」


「いえ、なんでもありません。エミリウス様は他人を叩いたことがありませんよね?」


「――はい」


「では、叩いてみましょう。木剣で」


「木剣で叩く? 何をですか?」


「私を、です」


 さすがに驚いたようでフリーズしていた。


「せ、先生を? 僕より細いですよね?」


「人は意外と丈夫なんですよ。私は第一軍団の元副官という肩書きを持つリギドゥス様に思いっきり叩かれても平気でした」


「いえいえ、痛がっていましたよね?」


「半分演技です。半分は痛かったです」


「痛かったってことじゃないですか!」


 ≫エミリウス様、突っ込みの才能があるな≫

 ≫貴重な突っ込み枠!≫


「ふふ、そうなんですけどね。まずは試してみましょう。少しお待ちいただけますか? 木剣を借りてきます」


 私はメリサさんを空間把握で探して、木剣を借りてきた。


「この剣で私の――そうですね、太股を打撃してください」


 エミリウス様は迷っているようで、木剣を受け取ってくれなかった。


「最初は軽く当てるだけでも構いませんよ」


 そう言うと受け取ってくれた。


「止めるのはいつでもできます。挑戦は今しかできないかもしれません」


 私は彼の木剣の先を持ち、軽く太股に当てた。

 トゥニカは裾が長いので、太股は見えない。


「触れるくらいの力でやってみましょう」


 彼は意を決したように、木剣を太股に当てた。


「ほら、大丈夫です」


「この程度ならそうだと思います」


「エミリウス様の考える、大丈夫な力加減でやってみましょう」


 彼は何か集中しはじめたようだった。

 彼に何かをやってもらうときは、課題を示すのが良いのかもしれない。


「このくらいですか?」


 トン。


 勢いはある。

 でも、痛くない程度の力だ。


「エミリウス様としては打った手応えはどうでしたか? 思ったよりありました?」


「いえ、思ったよりはありませんでした」


「想像と実際が違うことはよくあります。何度も繰り返して、差を埋めていきましょう。もう1度、大丈夫だと思う力加減でやってみてください」


「はい」


 彼は完全に集中モードに入っているようだった。

 さっきの倍程度の力で剣を振る。


 トンッ。


 まだ余裕はある。

 ちょっと強い肩たたきくらいの威力だ。


「まだ想像と実際のズレがあるのではないですか?」


「はい。ありそうです」


「では、自分の身体で試してから、私を打ってもらえますか?」


「分かりました」


 彼は木剣で自分の太股を叩き始めた。

 驚いているようだ。

 音も、トンからドンに代わり、そのドンの音も大きくなっていく。

 何度か試していた。


「そろそろいけそうですね」


 彼は真剣な表情で力加減を素振りで調整した。


「失礼します」


 ドン。


 割と強い。

 ただ、まだ痛みはない。


「痛くはありません。衝撃は感じました。今の倍の力でやってみてもらえますか?」


 そろそろ痛くなってきそうだから、密かに暴風の魔術で見かけの体重を増やすことにした。


「――いきます」


 バシッ!


 彼はもう完全に実験モードに入っているようで、結構力を込めて打ってきた。

 タイミングを合わせて一瞬だけ暴風を使う。


「強くなってきましたがまだ痛くありません。更に倍の力でお願いします」


 内出血しないように当たる一瞬に合わせて血流を待避させてみよう。

 リギドゥスさんのときには失敗したので、良い練習になりそうだ。


 バシッ!


 かなりの力だ。

 でも痛みはない。

 体重を増やしたことと、その一瞬で血流を待避させたからだろう。


「まだ痛みはありません」


「――本当ですか?」


 赤くなってないと証明するために太股を見せるつもりだったけど、寸前のところで思いとどまった。

 青少年を惑わしてはいけない。

 危なかった。


「申し訳ありません。痛くないと信じて貰うしかないです」


「いえ、疑ってすみません。先生を信じます」


「ありがとうございます。では、さらに倍くらいの力で打ってみましょう」


「倍ですか。もう全力に近いですが……」


「ここまで痛くないので大丈夫ですよ」


 彼の目が据わる。


「――いきます」


 勢いをつけて木剣を振る。

 狙いがずれたら修正するつもりだったけど、思いの外、打つ場所が正確だ。


 バシッ!


 ふぅ。

 一瞬の体重の増加と血流の移動で全く問題なかった。


「まだ大丈夫ですね」


「まだ、ですか。僕の手の方が痛いのですが……」


「反動がありますからね。どうですか? 意外と人を打ってもなんともないと思いませんでしたか?」


「そうですね。ただ、先生が特別のような気がします」


「人は見えてる攻撃なら、多かれ少なかれ似たようなことをしています。1対1の戦いでは、見えない攻撃をすることは難しいです。今くらいの力でなら打っても大丈夫だと思いますよ」


「――分かりました。では、僕にも攻撃をしてみてもらえますか?」


 そうきたか。

 さすがエミリウス様。


「承知しました。左腕で失礼しますね。よく攻撃を見て受けてください。上から風を起こすので耐えてくださいね」


「風ですか? どういう?」


 私は質問に答える前にエミリウス様の真上から調整した暴風の魔術を吹き付ける。

 この一瞬、3倍の体重くらいにはなったはず。


「失礼します」


 風とほぼ同時に言って、支点が見えやすいように剣を振るった。

 彼が踏ん張った瞬間を木剣を振るう。


 バシッ!


 太股の筋肉に剣が当たった。

 少し弾力のある何かを叩いたような手応えだ。

 自転車のタイヤをバットで叩いた感じだろうか。


 場が静かになる。


「――思っていたより痛くありませんね。風に秘密があるのですか? そういえば、僕が攻撃してたときも風が吹いてました」


「その通りです。エミリウス様は体重が軽そうなので風によって見かけの体重を一瞬だけ増やしました」


「体重と痛みに関係があるんですか?」


「はい。直感的に考えてみてください。邸宅くらい石と、人の大きさくらいの石を剣で叩くとします。どちらの石に、よりダメージが入りそうですか?」


「人の大きさの石の方がダメージが大きそうです」


「はい。そのイメージであっています」


 私は言いつつ、物理的に何が起きているのか説明できないと気づく。

 作用・反作用の法則――は反対向きの同じ力が返ってくるだけのはずだから関係なさそうだ。

 視聴者にお願いして聞いてみるしかないか。


「――いろいろと納得できました。ダメージという1つの事象から見ても大きな身体の方が有利ということですね」


「理解が早くて助かります」


 それから、何度か太股や肩など私の筋肉のついている箇所を叩いてもらう。

 終わりの頃には、人を叩くということにエミリウス様はかなり慣れたようだった。


 最後に実戦形式でも行い、彼は問題なく私を打つことができた。

 人を打つという行為が彼にとって興味の対象になったのかもしれない。


 そして、いよいよ、ウルフガーさんやカミラさんも交えたクラウス様との剣術訓練の時間が始まるのだった。

 エミリウス様の集中はまだ続いているみたいで、待ちきれなさそうな表情をしていた。

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傍から見たら叩き合っててちょっと変態チックな構図
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