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第163話 ウルフガーVSリギドゥス

前回までのライブ配信


オプス神殿からソフィアたちが訪問し、ウァレリウス家に対し試練と収穫の占いを告げる。ソフィアと再会したアイリスは2人で共に連絡に使われている箱を掘り出し、中の手紙の内容を読み取るのだった。

「彼女にも試合を見てもらいたいのですがいかがでしょうか?」


 ソフィアが私に揃えた指を向けた。


「フィリッパをですか?」


「はい」


 ウァレリウス様がソフィアに聞き直す。


「――フィリッパだと」


 もう1人の神官の人に見られた。

 リギドゥスさんとは違う(かた)だ。


「――フィリッパがなにか?」


「フィリップス家と関係があるのか?」


 間を置かずに私に直接聞いてくる。

 不機嫌そうだ。

 変な地雷を踏んでしまった?


「縁があり名をお借りしています」


「どのような関係だ?」


 関係か。

 どう表現したらいいのか難しいな。


「フィリップス様とは、偶然、仕事でお一緒した関係です。お仕事の手伝いを一時期した関係で、名をお借りすることを許されました」


「私的な関係やフィリップス家の奴隷だったわけではないのだな?」


「はい。偶然お仕事でご一緒しただけです」


 彼は何か考えている。


「――分かった」


 それだけ言って彼は私から目線を逸らした。

 何かフィリップスさんに思うところがあるんだろうか。


「それでは、これから試合を行うということでよろしいですかな?」


 リギドゥスさんが静かに言った。

 格のようなものを感じる。


「ご案内しましょう。メリサ、木剣と防具を用意しなさい」


「かしこまりました」


 私たちは広場に向かうのだった。


 その広場へは私が先導する。

 メリサさんは準備で居ないし、ウルフガーさんは試合を行う本人なので私しか居ない。

 庭も綺麗にしておいて良かった。


 誰も話さない微妙な空気のまま広場に到着する。

 そこへメリサさんが、プリメラさんとヴィヴィアナさんを連れてやってきた。


 木剣2本と、楯と皮のヘルメットと胸当てを持ってきている。


 私はプリメラさんから剣と防具を受け取り、リギドゥスさんに持って行った。

 装着も手伝う。

 近くで見ても独特の存在感があった。

 ウルフガーさんはヴィヴィアナさんに任せる。


 準備も終え、リギドゥスさんとウルフガーさんの2人が向かい合った。


 独特の緊張感がある。

 ニヤニヤしているのはクラウス様くらいだ。

 私は彼から遠いところに移動する。


「リギドゥス神官は41歳で退役したばかりだからね。ほとんど現役」


 いつの間にかソフィアが私の隣に居た。

 ヴィヴィアナさんも暗い表情でやってくる。


「あの執事の人はどう?」


「私は毎夜素振りをしてることしか知らないからなあ。あと、顔色一つ変えずに人の骨を折るところは見たよ。ヴィヴィアナさんはウルフガーさんの強さについて知ってます?」


 右隣に居たヴィヴィアナさんに聞いたけど、心配そうにウルフガーさんを見ているだけで私の声は届いてないみたいだった。


 ソフィアとアイコンタクトする。

 ヴィヴィアナさんはそのままにしておこうという意味のアイコンタクトだ。


「顔色1つ変えずに骨を折れるのはすごいね。フィリッパはできる?」


「私はどうだろ? そのときになってみないと分からないや」


 ただ、十分に強い敵相手なら出来る気がする。


「私は無理。そう考えると甘いね」


 審判はウァレリウス様が行うようだ。

 リギドゥスさんもウルフガーさんも表情を変えずに向き合っている。

 気負いのない雰囲気から2人とも修羅場は経験してると分かる。


 場が静まりかえっていた。

 遠く、丘の下から喧噪がかすかに聞こえる。


「あくまで試合だ。不必要に相手を傷つけるような行為は(つつし)んで欲しい。始め!」


 ウルフガーさんがゆっくりと左周りに移動する。

 いつでも前に出られるように、支点を作っているようだ。


 その彼に合わせるようにリギドゥスさんも身体の向きだけ調整している。


 ウルフガーさんは回りながら少しずつ、間合いを詰めていった。

 攻撃を誘ってカウンターを狙う戦い方か。


 互いに剣が届く間合いに入る。


 まずリギドゥスさんが攻撃の気配を見せた。

 その数瞬後、リギドゥスさんの剣が振られる。

 同時にウルフガーさんも剣を振るった。

 淀みがない。


 ウルフガーさんの木剣がリギドゥスさんの木剣を弾く。

 弾きながら更に剣が向かう。

 剣が当たるかと思われたが、リギドゥスさんの胸当てを掠めるだけに止まった。


 ウルフガーさんは楯で殴りかかられる。

 殴られるより速く動き、体当たり。

 体当たりを受けリギドゥスさんは一歩下がる。

 そこへウルフガーさんが横薙ぎ。


 カッ!


 リギドゥスさんに木剣で防がれる。


 ――が、その防いだはずの剣が跳ね、リギドゥスさんのヘルメットに当たった。

 ウルフガーさんは跳ね返った木剣を、そのまま振りかぶりに変えて、真っ直ぐ振り下ろした。

 楯では防ぎにくい位置だ。


 速い。

 ブレがない。


 その剣の根元にリギドゥスさんの頭突き。

 更に楯で殴りかかってきた。

 ウルフガーさんは肩でその楯を受けながら、木剣で突く。

 突きは剣で逸らされ、楯を蹴られた。


 ウルフガーさんが一歩下がる。


 そこへリギドゥスさんの振りかぶった剣。

 ウルフガーさんは剣の軌道を避けながら、斜め下からのワキへのカウンター。


 そのカウンターは当たらなかった。

 リギドゥスさんが楯を広げることで重心を変えて避けていた。


 ウルフガーさんはラッシュを受ける。


 ラッシュ中、ウルフガーさんはカウンターを当てようとしていたが、押し込まれた。

 押し込まれながらも、カウンターを放つ。

 しかし、それは剣で防がれた。


 直後、ウルフガーさんは胸当てに正確に攻撃を受ける。

 攻撃を受け身体を曲げたところを足払いされた。

 ウルフガーさんは倒れ、剣を突きつけられる。


 一瞬の空白。


「リギドゥス神官の勝利とする!」


 ウァレリウス様が宣言した。


「強いね、あの執事の人」


「そうだね」


 リギドゥスさんはここで戦った『蜂』の1人くらいの強さな気がする。

 残念ながらウルフガーさんはそれに1、2歩及んでいない。


 リギドゥスさんはウルフガーさんに手を差し伸べた。

 ウルフガーさんは素直にその手を取る。


「――強いな」


「完敗です」


 それだけ聞こえた。

 何か話しているようだが聞き取れない。

 ヴィヴィアナさんがウルフガーさんの元へと向かった。

 タオルを持っている。


 私もリギドゥスさんにタオルを持って行くか。


「ちょっと行ってくるね」


 私はタオルを持っていないので、プリメラさんの元へと行った。

 タオルが少し乾いていたので、ウルフガーさんに見られてないことを確認してから創水の魔術を使う。


 多めに水を含ませて軽く絞った。


 それを見られていることに気づく。

 よりにもよってリギドゥスさんにだ。

 怪しまれたか?


 考えても仕方ないので気にせず行こう。

 濡れたタオルを折りたたみ、私は小走りにリギドゥスさんの元へと向かった。


 私が彼に近づいていくと攻撃の気配を感じた。


 顔はこちらを向いていないけど、私が間合いに入った瞬間、攻撃できるように支点を用意してる。


 正気か。

 たぶん、彼はウルフガーさんでは『蜂』を倒せないと判断したんだろう。

 女性に倒されたと『蜂』が話し、それが伝わったのかも知れない。


 ただ、これまでリギドゥスさんが私に注目してる様子はなかった。

 ウルフガーさんの実力を判断するまでは信じてなかったのかも。

 ――創水の魔術が最後のきっかけになったか。


 その上で私を試すつもりか。

 覚悟が決まる。

 素直に攻撃を受けよう。


 小細工をするのは逆効果だ。

 さすがに本気で振り抜きはしないだろう。

 たぶん当ててくるだけだ。

 痛いと思うけど。


 近づく。

 ウルフガーさんを見ている雰囲気。

 間合いに入る。

 初動の分かりにくい動作で木剣が握られる。


 やはり力試しのつもりなのか、隙をつくような挙動じゃない。

 素直で速いだけの振り。


 木剣の先が私の上腕に向かってきた。

 寸止めする様子もない。

 リギドゥスさんもリスクあるだろうに覚悟が決まってるな。

 もちろん、私も覚悟が決まっている。


 頭真っ白の状態で、肘の少し上への攻撃受けた。


 バシッ。


 衝撃。


「くっ」


 痛ったー!

 我慢せずにしゃがみ込む。

 持っていたタオルも落としてしまった。


 ≫なんだ?≫

 ≫攻撃を受けたように見えたが……≫

 ≫マジで?≫

 ≫なんで?≫


 思わず打たれたあとに手を当てる。

 内出血しないように、体内で広がる血を押さえた。


 リギドゥスさんは驚いている。


「フィリッパ!」


 すぐに気づき、駆けつけてきたのはソフィアだった。


「何事だ?」


「どうした!」


 場が騒然となる。

 一瞬のことだった。

 皆、何が起きたか訳が分からないだろうな。


「大丈夫?」


「うん、大丈夫。ありがと」


 ソフィアがしゃがんで私に声を掛けてくれたあと、すっと立ち上がった。

 リギドゥスさんを真正面から見据える。


「リギドゥス神官。説明できるんでしょうね?」


 薄く笑いながらのぞき込むように見る。

 死線を潜っていそうなリギドゥスさんにこの様子で迫れるのはすごい。

 彼も特に動じてないけど。


「激しい戦いの直後だからでしょうか。死角から近づかれたため、反応してしまいました」


「神殿に来てから、試合ですら誰にも怪我させてないのに?」


「それだけ彼が強かったということです」


 リギドゥスさんはウルフガーさんに視線を向けた。


「もちろん非は私にあります。賠償などは私財により行いましょう。フィリッパだったか。済まなかったな」


 私に視線を向けて謝ってきた。


「――恐縮です」


 立ち上がり、なんとかそれだけ言った。


「何があったのですか?」


 ウァレリウス様がソフィアに聞く。


「リギドゥス神官が近づいてきたフィリッパを木剣で打ちました」


「そんなことが……」


「女の身で戦いの場をうろちょろしている方が悪い。それに奴隷に謝る必要はないであろう」


 ノビリス神官と言ったか。

 彼は私に対して当たりがきついな。


「ノビリス神官。フィリッパは奴隷ではないですよ」


「なに?」


「恐れながら私は解放奴隷です」


 視線を向けられてたので答えておく。


「フィリッパちゃん、叩かれた場所、見せて!」


 ヴィヴィアナさんがやってきて、心配してくれた。

 袖をまくり見ると赤くなっている。

 さすがに打たれた瞬間の内出血は止めれなかったからな。


「痛くない?」


「我慢できるくらいです」


 神経を麻痺させて痛くなくすることもできる。

 でも、痛がる演技をできる気がしない。

 今は我慢しよう。


 周囲を伺うと、リウィア様はオロオロした様子だ。

 クラウス様は迷って何もできない感じだった。


 エミリウス様はリギドゥスさんを見ながら何か考えている。

 たぶん私を攻撃した理由が気になるんだろう。


 誰も何も話さない。

 皆どう動いていいか分からず場が硬直してるな。


「ソフィア。私のことは後回しでいいから」


 小さな声でソフィアに伝える。

 彼女はコクッと頷いた。


「リギドゥス神官の傷害についてはウァレリウス家の皆様で話し合い、後に神殿へお伝えください。仕事に差し障りがあるようでしたら、こちらから人を派遣します」


「フィリッパちゃん、どう? 利き腕だし仕事は難しいよね?」


 ヴィヴィアナさんが聞いてくる。

 ダメージはそれほどない。

 リギドゥスさんも剣を振り切らなかったし。

 数日で痛みも消えそうだ。


「今は分かりません。明日には仕事に影響するかどうかは分かると思います」


「もう。フィリッパちゃんたら怪我してるのに冷静なんだから」


「分かりました。怪我をしたフィリッパさんのお手伝いのため、こちらから侍女を1人派遣したいと考えています。ウァレリウス様、いかがでしょう?」


 ソフィアが話を進める。

 ノビリス神官やリギドゥスさんより彼女の方が立場が上なんだろうか。

 それにしても堂々としてるな。

 同じ歳とは思えない。


「あ、ああ。お気遣い、感謝いたします。是非」


 ウァレリウス様が姿勢を正して答えた。


「承知いたしました。明日朝、私とリギドゥス神官でまたお伺いしますね」


 言いながら私にウインクする。

 私に合図するということは、何かをたくらんでいるんだろうか。

 ――彼女に任せよう。

 目を見てゆっくりと頷いておいた。


「ところでリギドゥス神官。ウルフガー殿の実力はどうでしたか? 力を試すためだったのでしょう」


 彼女は声を明るくして話を変えた。


「――実力はあると判断しました」


「貴殿に負けたのだから賊は倒せないだろう」


 ノビリス神官だ。

 この口振りからすると、この人も『蜂』が加わっていたことを知ってそうだな。


「戦いとはそんな簡単なものではありません」


「では彼1人で退けたと?」


「可能性はあります」


 リギドゥスさんは動じない。

 不満そうなノビリス神官だったけど、それ以上何も言わなかった。


「ところで、あなたたちはなぜ賊の力量をご存じなのですか?」


 うわっ。

 ソフィアが直球で聞いた。


「力量とは?」


 ノビリス神官が静かに言う。


「リギドゥス神官に勝てなければ賊を退けられないのでしょう? つまり、賊の力量は神官より上ということです。ノビリス神官がおっしゃられたことですよ」


「――親衛隊に聞いたのですよ」


「そうなのですか? 賊は養育院の職員だったと聞きましたが、リギドゥス神官とまともに戦える力量だったと?」


「さあ。親衛隊が言っていたことなので私には分かりかねますな」


「そうでしたか」


 ソフィアは笑顔を返す。

 引き際と判断したっぽいな。


「リギドゥス神官。ウルフガー殿に何かありますか?」


 彼女が話題を変えた。


「――そうですね。執事でいるのが勿体ないというのが率直な感想です。力量差を認めながら最後まで諦めなかった気持ちの強さも評価できます。部下に欲しいくらいです」


 かなり高評価だ。

 言われたウルフガーさんも驚いている。


「あなたにしてはかなりの評価ですね。部下に欲しいというのは本音ですか?」


「お世辞を言えるほど器用ではありません」


 言いながらウルフガーさんを見る。

 不思議な展開だな。


「ウルフガー殿。神官はこう言ってるけど、どう?」


「せっかくのご評価ですが、私は戦いには向いておりません」


「鍛えているのだろう?」


「素振りを行っているのみです」


「流派は?」


「見よう見真似でコモド流を」


「日々の素振りの数は?」


「――千回となります」


 千回。

 結構短い時間なのにすごいな。


 ≫素振り千回ってどのくらい時間掛かるんだ?≫

 ≫15分から1時間だ≫

 ≫意外と幅あるな≫ 

 ≫1秒1回としても17分くらいか≫


「なんのために千回もの素振りをしている」


「――私自身、分かっておりません。ただ、しなければ落ち着きません」


「そうか」


 リギドゥスさんが笑った。

 ウルフガーさんも嬉しそうだ。

 なんだこの2人の世界。


「神官はウルフガー殿を気に入られた様子ですね」


「――相手が欲しければオプス神殿に来なさい」


「お気遣いありがとうございます」


「神官はあなたに興味があるようなので、是非来てあげて」


 ソフィアがフォローする。

 何が起こっているのか分からない。

 私は、リギドゥスさんがウルフガーさんを気に入ったことだけを頭に入れておくことにした。


 ふと見ると、ソフィア以外の皆は何が起きているのか分からない表情をしている。

 私だけじゃなかったんだ。

 よかった。


 ソフィアの機転なのか、リギドゥスさんとウルフガーさんの関係性なのかで場が穏やかになった。

 その後は締めの流れになり、神殿の方々を送り出すことになる。


 そして、皆、馬車の前に居る。


「本日はありがとうございました」


「明日は午前中にまたお伺いさせてもらいますね」


「お待ちしております」


「ところでフィリッパさんの話ですが、彼女から休みが決まっていないと聞きました。怪我もありますし、明日の午後、彼女を休みにするのはどうでしょう?」


 つよい。


「そうですねえ。メリサ、どうかしら?」


「怪我も心配ですし、念のための意味も込めて休んでいただくのも良いかと愚考します」


「そう。承知いたしましたわ。フィリッパさん、明日の午後は休みとします」


「お気遣い感謝いたします」


 明日、腕が普通に動くといいなあ。

 そういえば、次の闘技会はいつなんだろ。

 まだ話は聞こえてこないけど。


「良かったです。それでは本日はこれで失礼します」


 こうして、オプス神殿の一行は馬車で去っていった。

 アクシデントもあったし盛りだくさんだったな。


「リウィア様。フィリッパさんに関してですが、本日は安静にしてもらうというのはどうでしょうか?」


 メリサさんが私を気遣って進言してくれた。


「そうね」


「私は悪くないからな」


 そう言って、クラウス様は去っていく。

 気にしていたのか。

 でも、私の怪我って誰も悪くない気はしてる。

 避けなかったのは私の事情だし。


「安静させてもらえるのであれば、お願いがあります」


「なにかしら?」


「本日、午後からエミリウス様に魔術を教えてもよろしいですか?」


「もちろんだ」


 発言はウァレリウス様だった。


「いいな、エミリウス」


「はい」


 エミリウス様の表情が少し暗くなる。

 まだ魔術が使えないからだろうな……。


 こうして、私はエミリウス様の魔術の訓練をすることになったのだった。


 昼食を終える。

 給仕もメリサさん1人で行った。

 ワインを冷やすくらいしかしてないので落ち着かない。


 食事を終え、エミリウス様の部屋へ向かう。


「先生、怪我は大丈夫なのですか?」


「ご心配ありがとうございます。大丈夫です」


 彼に今日は外で魔術を訓練しましょうと話した。

 分子を見ることがまだ難しいみたいなので、アプローチを変えるつもりだ。


「今日は、固体の分子を見てみましょう」


「はい」


 分子が何かというのは、私のつたない説明ですぐに理解してしまった。

 電子を共有する『共有結合』も、理解している。


 ただ、分子を『見る』ところで苦戦している状況だ。

 気体と液体の分子は見えなかった。


 土を見てもらおうと思ったのは、ソフィアの存在もある。

 彼女は現状、土しか見えないっぽい。

 それなら、エミリウス様も土なら見える可能性がある。


「再確認しましょう。土――固体は、細かく震えながら動けない状況です。動いていないので見やすいはずです」


 私も土全体としては全く分からないけど、集中すれば分子としての存在は分かる。

 土の分子は、窒素とか酸素よりも百倍くらいは大きいけど。

 まずはそれを捉えて欲しかった。


「はい」


 エミリウス様は集中した。

 目は開いているけど、集中していっているのが分かる。


「前にも言いましたが、分子の大きさは想像以上に小さいです。ローマ市全体からみた砂粒と、砂粒からみた分子が同じくらいに思ってください」


 何度かチャレンジするけど、見えないみたいだった。

 何が原因なんだろうか?


 私は左目に手のひらを見せる。


 ≫イメージの問題なんじゃないか?≫

 ≫思いこみでイメージがずれてるとかあるかも≫

 ≫絵とか描けない?≫


 なるほど。

 でも、パピルスって安くはないらしいからな。

 地面に描いてみようか。


 彼が集中している間に、良さそうな枝を2本見つけて拾ってきた。

 でも、よく考えたら私は右手が使えない。


「いかがですか?」


 エミリウス様に確認する。


「いえ、全く見えません」


「別のアプローチを試してみましょう。エミリウス様が想像している土の分子の動きがどうなっているか、絵にしてもらえますか?」


「はい」


 枝を渡すと、それで器用に描き始めた。

 慣れてるな。

 見ると等間隔に丸い分子が揃っていた。

 なるほど。


「振動がどうなってるか、矢印を書いてもらえますか?」


「矢印ですね」


 矢印も上下左右とかなり規則正しい。


「1つ聞いていいですか?」


「はい」


「規則正しいように見えますが、これはエミリウス様がこうなっていると意図して描いたものですか?」


「――違っていましたか?」


 不安そうな表情。


「正しいか間違いというよりはすり合わせですね。なぜ規則正しい絵にしたのか、意図が聞きたいです。参考のため聞かせてもらえますか?」


「……プラトンの影響だと思います」


 ≫イデア論か≫

 ≫厨二病的ではあるな≫

 ≫エミリウス様14歳だっけか≫

 ≫正多面体(せいためんたい)を元素に結びつけちゃった人≫

 ≫正多面体って?≫

 ≫立方体みたいな同じ形の面だけでできた立体≫


 プラトンとイデア論は一応習ったことを覚えてる。

 コメントを見る限りは、規則正しさが世界を作ってるって哲学の持ち主だったんだろう。


「気体を見ようとしたときのイメージを描いてみてください。これもテストではなくて、お互いのすり合わせです」


「――はい」


 やっぱり規則正しい。

 整列した分子がまっすぐぶつかってる感じだ。

 このイメージだと合わないのも当然と言える。


 ただ、彼に間違いを指摘するのは良くない教え方な気がする。

 いっそのこと、規則正しいもので分子を見てもらえないだろうか。


 規則正しいといえば結晶。

 宝石は――さすがに持ってないので無理か。

 氷はどうだろう?


「申し訳ないのですが、枝で地面を掘って、水が染み込みにくいように周りを固めてもらえますか?」


「分かりました」


 エミリウス様は疑問を挟むことなく、素直に地面を掘って、丁寧に周りも固めてくれた。


「ありがとうございます」


 私は創水の魔術でその穴に水をため、すぐに熱を逃がして氷にした。

 よし、土はほとんど混じってないな。


「今まで通り、この氷を見てもらえますか?」


「……はい」


 自信なさげながらも見始めるとすぐに集中する。

 不思議とエミリウス様の意識の位置が分かった。

 気配というかなんというか。


「もっと深くです。解像度を高めてください」


 彼の意識が深く沈んでいく。


「その先です」


 彼の意識が分子に到達した。

 目が見開かれる。

 口も開いた。

 光景に見とれているのか、感動しているのか。

 感情までは分からない。


 彼の意識が分子をなぞる。


 私は、氷に対して逆に熱を集めてみた。

 氷は液体に代わり、自由な動きを取り戻す。


「え!」


 エミリウス様は驚いたようだった。


「先生? 分子がなにか動いて……?」


「申し訳ありません。分子が見えていたようなので、いたずらしてしまいました。目で見てください」


「――あ、水になってます。さっきまで氷だったのに」


「はい。おめでとうございます。ついに分子が見えましたね。しかも、固体と液体両方です!」


「――ッ」


 彼は息を飲んだ。

 顔が紅潮するのが見ていても分かった。


「僕が……」


 エミリウス様は何かを噛みしめるように、それでも喜びをあまり外に出さないようにしていた。


 私も嬉しかった。

 能力は高いのに自信を失っているこの少年に、魔術を身につけてもらいたいと願うのだった。

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― 新着の感想 ―
結晶と、その相転移を見せることで分子を捉えさせるとは…… エミリウスくんに必要なのは成功体験。 それが自信に繋がれば、積極性も培われますよね。 一話辺りが長く、読み応えがあるのに一気読みしてしまいま…
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