第159話 理解と不可解
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アイリスはクラウスの集会に侍女として同行し、ミカエルと対面。クラウスが美しいアイリスを誇示し囲おうとするも、ウルフガーの介入で阻止される。その後、不審者の発見やエミリウスへの魔術指導、祈祷の準備といった問題・課題が先に控えているのだった。
夕食前。
エミリウス様に魔術を教える時間になった。
「ヴィヴィアナさん、すみません。そろそろエミリウス様の部屋に行かないと」
「寂しいけど私が言い出したことだもんね」
一緒に掃除をしていたヴィヴィアナさんと別れ、メリサさんの居る場所へと向かった。
空間把握が出来ると、こういうとき便利なんだよな。
メリサさんに声を掛け、彼女と一緒にエミリウス様の部屋にやってくる。
「エミリウス様。すでにお伝えしていますが、本日から魔術についてフィリッパがお教えします」
メリサさんが私を紹介した。
エミリウス様はひどく緊張しているようで、ただ頷くだけだった。
「フィリッパです。よろしくお願いします」
一礼するも、彼は目を合わせず、うつむくばかりだった。
メリサさんが心配そうに見てくるが、私は力強く頷いた。
この年代の男の子のことは分かるはず!
「――お願いするわね」
「はい」
メリサさんが出ていった。
ここから私のターンだ。
「エミリウス様。離れてお話しますね。決して貴方を嫌っている訳ではないのでご安心を」
初手で私は彼から距離をとった。
ドアに背を付ける。
「どうですか? 声は聞こえますか?」
「――ど、どうして」
「私が近くにいると話しにくいと思いまして。遠くの方が少しは話しやすいのではないかと」
「そ、それは……。そうだけど」
≫思春期はなー。綺麗なお姉さんは緊張する≫
≫エミリウスくんになりたい!≫
「エミリウス様は、こういうアプローチってどうだと思います?」
彼は昔の私と同じく、内面の言葉をたくさん持っているタイプだと思ったので、それを引きだそうとしてみる。
「――ありがたい、けど」
「けど?」
「その……」
黙ってしまった。
「無理して話さなくても大丈夫です。人にはそれぞれペースがあると思っているので」
ひと呼吸入れる。
「そうですね。では、まず魔術についてお話しします。気になったことがあったらなんでも聞いてください」
彼は目が合うと頷いてくれてから目を伏せた。
「ありがとうございます。お話ししますね」
私はいきなり、風のない状態の空気とは小さな粒がすごい速さでぶつかり合って合計が0になっているものだと伝えた。
「え、そんなのどこにも書いてなかった……」
「原子論は知ってますか?」
ギリシア時代にすでに原子論があったと習った気がする。
「もちろん。原理論といえばデモクリトスの、はず」
≫よく知ってるな≫
≫ギリシア哲学はまだメジャーなのか≫
「その通りです」
デモクリトスという名前までは覚えてなかったが、視聴者のコメントを見て応える。
「これ以上分割できないと言われているのが原子ですね。その原子のようなもの同士がぶつかっているのが空気です」
「ぶつかっている?」
「正確にはぶつかって跳ね返ることを繰り返しています」
「どういう様子でぶつかっているの?」
「はい。例えば2つの硬貨同士をぶつけたらどうなりますか?」
「2つとも跳ね返る――そういうことか」
彼は思考に没頭し始めた。
「つまり、テーブルの上でぶつかっている硬貨のように、空中で無数の原子がぶつかり合ってる。目に見えないのは……透明だからか。水みたいに透明だから空気も当然見えない」
「はい。完璧です」
≫今のでそこまでたどり着くのか≫
≫マジ、頭良いな≫
≫急に饒舌になったなw≫
彼は嬉しそうに私を見たが、すぐに何かに気づいたように目を泳がせうつむいてしまった。
「――あの。その……」
声が小さくなっていく。
「無理しなくても良いですよ。話したくなくなったらそれで良いですし、質問したくなったら質問してください。いつでもよいです」
遠くだけど笑顔を向ける。
彼はチラッと私に視線を向けた。
「げ、原子と魔術がどういう関係……」
声が小さくなる。
「はい、実際にお見せします。その前に少し想像してみてください」
彼は上目遣いで私を見てから頷いた。
「今、目の前に空気がありますよね? この空気はたくさんの透明な原子がぶつかり合っています。硬貨だとするとものすごい数の硬貨が互いに何度も何度もぶつかり合って止まらないイメージですね」
彼は目を閉じた。
「このぶつかり合ってる硬貨は、今いろいろな方向に動いていますよね? この硬貨の全てを2方向にのみ移動するようコントロール出来るとしたらどうなりますか?」
「――最終的には硬貨が2つの固まりのようになって移動していく?」
「正解です。その固まりの先に何か物があればどうなります?」
「物が十分に軽ければ硬貨にぶつかって動く」
「その通りです。そのことを頭に入れておいてくださいね。では、実験をしましょう。こんな風に手を前に突き出して手のひら同士をお互い向け合ってください」
「こう?」
「はい。少し手が弾かれますが驚かないでくださいね?」
「――手?」
ポン!
小さく空気の破裂音が鳴り、エミリウス様の両手が外に僅かに動いた。
「な、なに? あっ、これが……」
「はい。風の魔術です」
「風の魔術」
彼はそう言ったきり動かなくなった。
何かを考えている。
私はその姿をあまり目視しないようにして、空間把握で観察した。
変に注目すると緊張してしまうかも知れないからだ。
「自然の風とは違うの?」
「今使った魔術は自然の風とは違います。魔術だから出来る風の起こし方です」
「フィリッパは、自然の風がどうやって起きるのか知ってるということ?」
「ある程度は分かります。分かりやすい例だと、地上では暖かい方に冷たい風が流れます」
「なぜ?」
「冷たい空気の方重いからです。なぜ重いのかというと説明が難しいのですが、冷たい方がギュッと詰まってます」
「――ギュ? ああ、硬貨に例えると、同じテーブルに存在できる数が違うということか。冷たい方が数が多くなる。硬貨の数が多い。つまり原子の数が多いから重い」
「その通りです!」
「ところで、『ギュッと詰まる』のように急に説明が雑になったのはどうして?」
気づかれたか。
「申し訳ございません。こちらで使われている言葉に置き換えるのが大変そうなので雑になってしまいました」
「こちらの言葉?」
「はい。私の居た国では、こういう説明のときに使える言葉がたくさんあります。例えば今回のことは『重さが違うのは体積中の分子数が違うから』といえば、説明になるんです。それをこちらの言葉に置き換えると、かなり長くなる上に、適切な例えをすることにも頭を使いそうで、つい」
「それもちゃんと説明してくれるんだ」
「――どういうことでしょう?」
≫『雑』の理由説明なんて普通しないからな≫
≫怒るか誤魔化すかが多いか≫
≫普通なぜ『雑』になったかとか説明できない≫
コメントのお陰でなんとくエミリウス様の言いたいことは分かった。
ただ、彼が何か発言しようとしてくれているのでそれを待つ。
「これまでは僕が質問しても誰も答えてくれなかったから……」
「そうでしたか。今までの方たちとは相性が悪かったのかも知れませんね。私で良ければ分かる範囲でお答えします」
「そう? それなら――」
いくつか質問された。
私の使える魔術の種類とか、その全てに説明できる理由があるのかとか。
「少なくとも私が使える魔術は全部説明できます」
「全部? 全部にこれほどの理由があるの?」
「基本的な理由は1つですけどね」
量子論の辻褄合わせのことだ。
「その基本的な理由の1つも説明できる?」
「はい、たぶん説明できます。これは世界そのものの原理の1つでもあります。まず原子を1人の人間と考えてください」
「人間だね。分かった」
「原子のような小さな物質は、他人に存在を気づかれるまで、どうなってるか分かりません。気づかれたときに彼は初めてそれまでの行動を辻褄合わせします」
「――原子さんは完璧な嘘つきってこと?」
「そうですね。今の説明だとそうとも言えます。ただ、説明しきれてなかった面もあります」
≫エミリウスくんの返しがやべえ≫
≫頭の回転早いな≫
「説明しきれてないというのは?」
「実際の行動の痕跡が、他人に気づかれた瞬間に現れます」
彼は腕を組んだ。
「あ、行動だからその解釈もできるのか。でも、そんなことってあるの?」
「私の故郷では現実世界でも起きていると言われています。ただ、それが起きるのは原子レベルの小さな領域だけです」
「そうか。空気すら激しく衝突しているんだったな。孤独でいられる時間なんてほとんどないか」
≫相変わらず理解力がやばいな≫
≫兄のクラウス様との差よ……≫
≫いや、突然変異だろ、この子≫
≫兄より優れた弟など居ない!≫
確実に私より頭が良い。
「その原子さんの僅かな孤独な時間を人の意志でコントロールする。それが魔術の根底です」
私の口から出たのは今まで考えたこともないような内容だった。
でも、発言してみればそうだと納得できる。
思考のみのことと誰かに話すことというのは、別の脳の領域を使うのかも知れない。
ふと、遠くにいるエミリウス様を見ると、目を見開いて固まっていた。
声を掛けそうになったけど、我慢して彼の反応を待つ。
「――もしかして、僕、とんでもないことを聞いてない?」
「エミリアス様は信じてくださるんですか?」
「今の話は創作する方が難しい。嘘の場合はもっと誰もが理解しやすいストーリーで作る可能性が高いと思う。矛盾はなさそうだし、信じてみる価値はある」
なにこの少年。
怖いんですけど。
「今の話を比較的分かりやすい形で使った魔術は使える?」
「はい、使えます。さっきの2方向の風の魔術の発展系です。僅かな孤独の時間を1方向にコントロールすることで、瞬間的に強烈な風を生み出せます」
彼は手のひらを動かそうとした。
私はそれを予測し、その上で「実演して欲しい」と発言するところまで読む。
彼が手を開いて上げた。
パンッ!
その手のひらを弾く。
強めに手のひろを弾かれた彼は驚いた。
「もしかして今のが強烈な風……? 貴女は人の思考も読めるの?」
「さすがに思考までは読めません。ただ、行動はある程度予測できます。その上でエミリウス様の言葉を予測しました。失礼しました」
「それは大丈夫。魔術に関しては分かった。ただ、疑問もある」
「疑問ですか?」
「なぜ、これほどの魔術を僕に? 簡単に教えて貰えないものだということは僕にでも分かる」
警戒心が強まったようにも見える。
「昨日の昼食でのクラウス様との会話で、エミリウス様の理解力が優れていると感じたからです」
「理解力?」
「はい。ここでは物事の本質を見極める力の意味ですね。魔術が出来るようになるにはそれが優れていると有利です。魔術は理解と言えます」
また、エミリウス様の動きが止まった。
真っ直ぐに私の方を見ている。
衝撃を受けているように見えた。
それも短い時間ですぐに思考し始める。
「僕に魔術を教えるメリットは?」
「メリットはあまり考えていませんでした。失礼な言い方だと思いますが、面白そうだからです」
「面白そうは個人にとって十分なメリットだと思う。僕だって本を読むのは面白そう以外の理由はないから」
「その通りかも知れませんね」
廊下に誰か来た。
恐らくメリサさんだろう。
「――失礼いたします」
「――ど、どうぞ」
さっきまでとは違うおどおどした雰囲気のエミリウス様が声を出す。
まさか、ミカエルみたいに無能を演じてる訳じゃないよね?
「そろそろ剣術のお時間です。え? フィリッパさん? なにをしてるの?」
彼女は私が入り口で立っているのことに気づいた。
「いろいろ事情ありまして……」
「き、危険だから離れた状態で魔術を見せて貰っていただけ」
エミリウス様の言葉に、メリサさんは意外そうな表情を見せた。
「承知いたしました。それでは、この服装にお着替えください。着替え終わったら庭へお願いします」
「服はイスに置いておいて」
「かしこまりました」
「フィリッパさん。行きましょう」
「はい。それではエミリウス様。一旦失礼しますね」
「――明日からもよろしくお願いします。フィリッパ先生」
見ると、エミリウス様は直立して私に一礼していた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私も礼を返した。
少しは心を開いてくれたのだろうか。
胸が熱くなる。
「フィリッパさん。貴女すごいわね」
ドアを閉じ、少し歩いたのちにメリサさんが話しかけてくる。
「エミリウス様のことですか?」
「そう。あのようなご様子は初めて見たわ」
「そうなんですか? メリサさんはエミリウス様が小さな頃から見てきたんですよね」
「それこそ、誕生された頃からね。私が言うのも変な話だけど、これからもエミリウス様をよろしくね」
「はい」
「はぁ……」
さっきまで嬉しそうだったメリサさんが、急にため息をついた。
「ど、どうしたんですか」
「次の剣術の時間のことを考えたら心配で」
エミリウス様に剣術を教えるのが、あのクラウス様だからな。
「ウルフガーさんはご一緒できないんですか?」
「彼も忙しいから」
「そうですか……。エミリウス様が危ない状態になったらなんとか助けに入ってみます」
「危ないことはしないでね。さすがに怪我するようなことはしないと思うけど……」
「分かりました。出来る範囲で気をつけます」
「お願いね」
メリサさんと別れ、玄関を出た。
探る範囲に不審者は居ないな。
庭で1人、軽く木剣を降っている人物が居る。
おそらくはクラウス様だ。
2人きりになるのは嫌なので、邸宅を逆から周り込んでいくか。
ついでにと考え柵の方に歩いていく。
ウルフガーさんが掘り出した例の箱が埋めてある柵だ。
視線は向けないで、金属が感知できるギリギリまで近づく。
あれ、箱がない?
鉄で出来てるであろう柵は感知できるのに、箱が地面の中になかった。
――しかも、地面が掘られたままだ。
ゾクッと鳥肌が立った。
まさか、今、この時間に箱に手紙が入れられてる最中なのか?
周りを探る。
近くに人が居る様子はない。
もしかして一旦持ち帰って手紙を入れてる?
判断ができない。
「皆さん、少し相談に乗って貰えますか?」
私は左目に手のひらを見せた。
≫おうよ≫
≫なんだ?≫
「ありがとうございます。昨日、ウルフガーさんが取り出していた箱ですが、それが地面から掘り起こされて無くなっています。地面は掘られたままです」
≫地面が掘られたまま?≫
≫マジかよ≫
≫箱を今、誰かが持ってるということか≫
≫近くに誰かいないの?≫
「誰もいません。持ち帰ってるんでしょうか?」
≫可能性としてはなくはないが……≫
≫二度手間だから可能性は低いんじゃないか?≫
≫もっと離れた場所に居るのでは?≫
「離れた場所ですか。確かにその可能性の方が高そうですね。ただ、探すには時間が足りません……」
≫まあ下手に動くとバレるしな≫
≫見つけたところで何もできん≫
確かにそうか。
「明日、またこの時間に来るかも知れません。感覚的には午後4時くらいだと思いますが、今の正確な時間だけ教えて貰えますか?」
≫こっちは深夜0時20分くらいだな≫
≫時差8時間だからローマは午後4時20分だ≫
「ありがとうございます」
≫また明日この時間に近くなったら教える≫
「助かります。明日は外壁の掃除をするので、離れた場所から監視してみようと思います」
≫手紙を入れてる奴を見つけたらどうする?≫
「監視だけするつもりです。こちらがアクションを取ることで、変にリアクションされても困ります」
≫確かにそうか≫
≫解明に向けてはどういう計画?≫
「可能なら箱の中の手紙を読みたいです。あとは、手紙を入れた人物の尾行ですね」
目的地へと向かいながら話をする。
十分に近づいたところで、「相談に乗ってもらって助かりました」と声を掛けて、クラウス様の元へと向かった。
エミリウス様もちょうどヴィヴィアナさんと思われる女性に付き添われて外に出てきたところだ。
クラウス様は木剣を2本担いで立っている。
先に挨拶だけでもしておこう。
「お待たせいたしました」
私が彼に声を掛ける。
「フィリッパ。今日は、よく見ておけ」
「承知いたしました」
そこへエミリウス様が現れる。
「遅い」
その声に慌てて走るエミリウス様。
クラウス様の元にたどり着く頃には息を切らしていた。
「お、お願いします。兄上」
「これを持て」
エミリウス様がたどり着くと、すぐに木剣を渡された。
「まずは振ってみろ」
「は、はい……」
腰が引けたまま、木剣を振る。
振りかぶって振り下ろしたところまでは良かったけど、少しふらついた。
「剣すらまともに振れないのか? これだから魔術だなんだと言ってる奴は。見ていろ、こうだ」
クラウス様が剣を振る。
タメが大きく、太刀筋も安定していない。
――あまり、強いとは思えなかった。
もちろん、素振りだけじゃ分からないけど。
そのクラウス様が私をチラッと見る。
私は笑顔でいた。
「もう1度やってみろ」
エミリウス様は不安そうだ。
剣を振る。
ふらつく。
ただ、何度か素振りをしているとふらつくことはなくなった。
「打ち込んできてみろ」
「は、はい」
苦しそうな表情をしながら、エミリウス様はなんとか返事をする。
「打ち込んでこい!」
木剣を真横に構えたクラウス様が声を上げる。
「あの……」
「鈍い! この剣を叩くんだ。はやくしろ!」
「は、はい」
カンッ!
エミリアス様が剣を振る。
ぶつかる瞬間に目を閉じていた。
カランカラン……。
エミリウス様の手から木剣が落ちる。
「痛……」
その彼にクラウス様が剣先を突きつける。
「剣を落とすとは……。戦場なら殺されているぞ」
「ごめんなさい」
「すぐに拾え」
いじめてるようにしか見えない。
ただ、教育の範疇にも思える。
軍隊ってこんな感じなんだろうか?
――考えたら私も軍隊経験者か。
こんな状況はなかったな。
エミリウス様が剣に剣をぶつけても落とさなくなった頃、クラウス様が実戦形式で行うと言い始めた。
ルールは、エミリウス様は剣を当てても良いが、クラウス様は木剣にしか攻撃しないという感じだ。
さすがに早い気もするけど、侍女の私が口を出せるはずもない。
ヴィヴィアナさんが心配そうに見ている中、その実戦形式での練習が始まった。
エミリウス様は完全に腰が引けていた。
向かってくる剣も目を閉じて身体を固めて守っている。
「ほら、ちゃんと受けろ」
厳しい攻撃がエミリウス様の剣に当たる。
左右に身体が振られ、完全に翻弄されていた。
「ひっ」
「少しは打ち返してこい!」
結局、エミリウス様は1度も剣を振るうことなく、この実戦形式の練習は終わった。
「今日のところはこのくらいか。明日もやるからな。フィリッパ、来い」
「はい」
私はクラウス様についていくことになった。
エミリウス様にはヴィヴィアナさんが駆け寄っている。
身体はともかく精神的に大丈夫だろうか?
邸宅に入る。
そこには待ちかまえていたようにメリサさんが居た。
「お疲れさまでした。あの、エミリウス様は大丈夫でしょうか?」
「手加減はした」
その言葉でメリサさんが心配そうにアイコンタクトしてくる。
エミリウス様が大丈夫か気になるんだろう。
私は彼女に頷いておいた。
怪我はしてないはず。
ただ、精神的にはケアした方がいいかも知れない。
「さすがはクラウス様ですね。では、フィリッパさんは食事の準備をお願いね」
さりげなく私を仕事に戻らせてくれた。
クラウス様はあからさまに不機嫌になる。
「クラウス様。お食事の時間になればお呼びします」
彼は何も言わずにメリサさんだけを一度だけ見て去っていった。
「さ、いきましょう」
「はい」
それから食事の準備を行った。
まずはウァレリウス家の食事の時間になる。
私はいつものように給仕を担当するのだった。
クラウス様は不機嫌なままで、エミリウス様はうつむいていた。
侍女のみんなで食事を摂り、片づけを済ませ自由時間になる。
食事の時間、彼女たちは陰口を言わないので、クラウス様の話題もほとんど出なかった。
ただ、今後、私が彼に「部屋についてこい」と言われたときは、すぐ誰かに話すようにと言われた。
さてと、ようやく自由な時間だ。
自由時間はまずエミリアス様のフォローにいくことに決めている。
一応、メリサさんにも話は通しておいた。
「エミリウス様、起きていらっしゃいますか? フィリッパです」
「は、はい」
「少しお話させてもらっても良いでしょうか?」
「ど、どうぞ」
エミリウス様がドアを開けてくれる。
やっぱり元気がなさそうだった。
「お怪我はされていませんか?」
「大丈夫です」
「――剣術はお嫌いですか?」
迷ったけど素直に聞いてみる。
時間も限られているし。
「まだよく分からない、です」
「魔術はどうですか?」
「面白そうだと思います」
「丁寧な言葉じゃなくてもいいですよ?」
「フィリッパ先生のことは『先生』と決めたので敬意をもって接するつもりです」
「承知いたしました。期待に応えられるようがんばります」
私が応えると彼は頷いた。
「それでどのような用事ですか?」
エミリウス様が聞いてくる。
「はい。明日の剣術を楽しいものに出来るかなと考えていまして。――この話に興味ありますか?」
彼は顔を上げた。
明らかに興味を持っている目だ。
話を続ける。
「魔術ほどじゃないですが、剣術も『理解』によって成り立っています。基本的には理解に従う方が強くなります」
「――剣術が理解ですか?」
「剣術の理解がどういうものかは、やってみせた方が早いですね。まずは、少し近づいてきて貰えますか?」
「はい」
「私は避けるので、どこでも良いので触れようとしてみてください」
「ど、どこでも……」
≫俺はエスパーだから何を考えたか分かった≫
≫思春期よのお≫
しまった。
その辺の配慮の意識がまだ甘いな。
「はい。では、どうぞ」
「え、えっと」
急に言われて焦るエミリウス様。
しかし、すぐに切り替えて真剣な目つきになった。
やるべきことに集中したか。
右手を私の腕に伸ばしてくる。
避ける。
そのまま右手で私を追いかける。
避ける。
「足でもなんでも使って構いません。触れたら勝ちです」
彼の応用力も見てみようと思った。
今度は左手を伸ばしてくる。
直後、両手を広げて突進してこようとするのが分かった。
彼が手を広げた頃に、私はもう彼の広げた手の外側に逃げていた。
「――え」
すぐに切り替え、手を広げたまま方向転換してくる。
私はそれに合わせて逃げていた。
彼は一度、広げた腕を閉じる。
それから私に突進しながら手を広げようとした。
でも、狙いは別のところにあることが分かる。
彼は手を広げた瞬間、横に足を出してきた。
私は足を出された場所の逆に移動している。
もう1度、同じことが繰り返されたけど結果は同じ。
次に彼はなんと、灯りを消した。
部屋が真っ暗闇になる。
消すと同時に両手を広げたままバタつかせて突っ込んでくる。
空間把握が使える私には関係ないので普通に避ける。
彼はちゃんと目算を立てていたのか、壁の前で立ち止まった。
「――降参です」
「はい。では、ここで終わりとします。お疲れさまでした」
一応、終わりと宣言しておく。
さて、灯りはどうしよう。
メリサさんに頼んで点けてもらうしかないか。
「灯りを点けてもらえるよう、メリサさんに頼んできますね。ここで待っていてください」
私はメリサさんの元へと行き、灯りを点けて貰えるようにお願いした。
彼女は快く、ランプの火を持ってきて分けてくれる。
特に何も言われない。
ドアの外に出て、感謝を述べると「エミリウス様のことお願いね」とだけ言われた。
よほど心配なんだろうな。
エミリウス様の元に戻る。
彼は何かを考えていた。
「以上が、理解によって避けるということです」
「どういう理屈なんですか?」
「人は動作する直前に、電気というものを発生させます。それが分かれば、避けることは難しくありません。電気が見える必要がありますが」
「電気ですか?」
「静電気はご存じですか?」
「いえ、知りません」
「では、雷は?」
「知っています」
「その雷のすごく小さいものが電気です」
「あんなに恐ろしいものが身体の中に……」
「それもまた理解です。一つの例にすぎませんけど。この理解があって実践できれば攻撃も当たりにくくなるとは思いませんか?」
「有利になることは分かります」
「剣術もそういう有利になる理解を少しずつ集めていったものです」
私は話しながら自分でなるほどと思っていた。
相手に理解して貰おうと話してると、こういうことが多くなるのか。
ヴィヴィアナさんにも、魔術のことをもう少し細かく話した方が私のためにもなるかも知れない。
「――今日は先生から衝撃的なことばかり聞かされています」
言いながら彼の声は震えていた。
少し笑っている。
「エミリウス様の刺激になってるなら嬉しいです」
「とても刺激になっています。剣術って力があって運動が出来る人が強いのだと思っていました」
「強いだけなら間違ってないと思いますが、それを理解で覆すことが出来るのが剣術です。だから面白いです」
「確かに面白そうですね」
元気になったみたいだ。
「だから明日の剣術も面白くなります」
「――先生の言うことはよく分かりました。その上で聞きます。具体的にはどうすればいいんですか?」
「目標を決めましょう。まずはクラウス様に剣を当ててしまうことですね」
「兄上に剣を当てる? 僕に出来るのですか?」
「絶対とは言いませんが、理解することで可能性は高くなります」
私は、人間が自身への衝撃を予測しながらバランスがとれるように動いていると説明した。
予測が外れた場合には、バランスをとるために一瞬動けなくなることも話す。
「試してみましょう」
実際に両手のひらを前に突き出して貰った。
「今から私の手でエミリアス様を押します。後退しないようにしてください」
「はい」
言って近づき、寸前で押すのを止める。
彼のお尻がバランスを探すために動き、硬直した。
彼の胸を少し押す。
よろよろと後退した。
「エミリアス様。今の現象を説明できますか?」
「――はい。まず先生が僕の両手を押してくると予想しました。ところが、押す直前で止められ予測が外れます。それで僕は動けなくなり、その隙に胸を押され後退しました」
「さすがです。明日の剣術に生かすことが出来そうですか?」
「――出来そうです」
「良かったです。では、少し練習しましょう。腕を剣に見立てる感じになってしまいますが」
私がクラウス様の役になって、しばらく練習した。
彼が腕を剣に見立てて、私に振る。
それを私が腕で受ける感じだ。
当たると思わせて、当てない練習をする。
それで硬直を誘う。
たまには実際に当てることで、予測させないようにもする。
彼は運動能力こそ普通くらいだけど、頭が良いからか指摘すると次から的確に修正してくる。
練習が終わる頃には、神経の電子が見えない人なら、当てる当てないの見分けがつかないくらいになったと思う。
「明日が楽しみになってきました?」
「はい」
好奇心の隠せない良い表情だった。
「良かったです。それでは夜も遅いので、失礼しますね。おやすみなさい」
「先生、ありがとうございました」
エミリウス様の部屋から出て、広間に出る。
結構、遅い時間だ。
どのくらい居たんだろう?
ウルフガーさんは今日も素振りをして、あの箱を取り出したんだろうか。
さすがに今日は外に出る時間はなさそうだ。
いや、昼間に邸宅を伺っていた『彼ら』のことがあったな。
「居るかどうか分かりませんが、不審者を確認しに外へ出ます」
小声で視聴者に伝えて、外に出る。
曇っているので月も雲も見えない。
真っ暗闇の中、遠くで聞こえる喧噪に不思議な感覚を覚える。
私は身を屈めながら、敷地の外を探っていった。
風を起こさないタイプの空間把握で、丁寧に人の形がないか見ていく。
――あ、居る。
ただ、1人だけだ。
邸宅と周りの様子を探っている。
私は息を潜めた。
目的はなんだ?
昼間に多人数で偵察にきて、今は1人?
先行で様子を探らさせて、あとからたくさん来るパターンか?
私は息を潜めたまま、いろいろな可能性と、自身がとるべき行動を考えるのだった。




