第152話 埃と魔術
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アイリスは貴族のウァレリウス家に潜入し、侍女として働き始める。家族や他の侍女たちと出会い、リウィア夫人と養育院を訪問する中で不審な点を感じ取る。その解決のためにウァレリウス議員の信頼を得ようと、魔術を駆使して仕事に励むことを決意するのだった。
今日から本格的に侍女として働くことになる。
お湯を沸かす手伝いを頼まれた私は早速、キッチンへと向かった。
「おはようございます。ヴィヴィアナさん」
「おはよう、フィリッパ!」
ヴィヴィアナさんは好奇心旺盛で30歳くらいの女性だ。
私は彼女の手伝いをすることになっている。
「何をすれば良いんでしょう?」
「そこにある吹い子を使って、薪の中に風を入れて貰って良い? 使い方は分かる?」
言われた吹い子をみる。
アコーディオンみたいに片側を挟み込むと空気が出る道具だ。
「はい。なんとなく分かります。魔術を一緒に使っても良いですか?」
「え? フィリッパって魔術使えるの?」
「はい。簡単なものな――」
「見せて!」
食い気味に来られた。
目をキラキラさせて見つめてくる。
「分かりました。吹い子なしで風を送り込むので見ててください」
彼女は素早い動きで顔を、火元に向けた。
私は気持ちを切り替えて集中する。
細く緩やかに風を送った。
炎が揺れた。
揺れながら少し大きくなったように感じる。
「あ! 揺れてる! 揺れてるよ!」
ヴィヴィアナさんが声を上げて、私の肩を揺らしてきた。
「は、はい」
反応に困りながら応える。
じっと見られた。
「ごめんね。何かはしゃいじゃって」
「いえ、大丈夫です。ヴィヴィアナさんって魔術のことが好きなんですか?」
「好き! 大好き! 小さい頃、魔法使いに憧れててね! 魔術のことを知ってからいろいろ試してみたんだけど全然できなくて……」
「そうだったんですか」
「良い歳してみっともないよね」
「そんなことはないと思いますよ。素敵です」
「ほんと! フィリッパちゃん良い子だね!」
≫テ、テンション高いな≫
≫良い歳っていくつなんだろうな?≫
「――あの。ヴィヴィアナさんって魔術をいろいろ試してみたって言ってましたけど、どんなことをしたんですか?」
「私のしたこと? そうだねえ。小さい頃に魔術が使える人に頭下げて少し教えて貰ったんだ。最初に水に垂らした色を動かすように言われて動かなかったな。次に細い煙を揺らしてみてって言われて揺れることもあったんだけど、揺れないことも多くてだんだん揺れなくなっちゃった」
「揺れたことはあったんですね?」
「うん。手で口を押さえてたし、息とかは吹きかけてないよ?」
様子を思い浮かべると何かかわいい。
「余計なお節介だとは思うんですけど、ヴィヴィアナさんも魔術が使えるかも知れない、と言ったらどうします?」
「――え?」
彼女は半笑いのまま固まっている。
火元とお湯の具合を横目で確認しながら少し待った。
「や――、やるやる! どうするの? フィリッパちゃんが教えてくれるの!?」
爆発したように詰め寄られた。
「私でよければアドバイスくらいは出来ると思います。ただ、使えるようになるとは限りませんが大丈夫ですか?」
「――ごめんね。なんか嬉しくなっちゃって。もちろん、大丈夫。もう諦めかけてたからチャンス貰えるだけでも大感激だよ」
「分かりました。仕事しながらそういうことしても大丈夫なんでしょうか?」
「仕事の役に立てば大丈夫!」
自信満々の笑顔に少し心配になってきた。
機会を見て、メリサさんに確認してみよう。
「分かりました。あ、お湯が沸き始めましたね。これをどうするんですか?」
「うん。移し替えて奥様の元に運ぶよ。重いし熱いから気をつけて」
「ありがとうございます。どの容器に入れるのでしょうか?」
「そこに並んでる容器に入れて」
彼女が指を指した先にはバケツのような形の容器が並んでいた。
金属製だし、大きさも形状も日本の学校にあったものに似ている。
ただ、金属の厚みが少しあって重そうだ。
≫ローマにも金属製のバケツがあるのか……≫
≫すげえな、ローマ≫
「直接お湯を入れて運んでも良いですか?」
「もちろん」
私はそのバケツ状の道具を持った。
重い。
ずっしりとくる。
そのバケツでお湯をすくった。
――重い。
「重いでしょ? フィリッパちゃんみたいな細い腕じゃ、ちょっと辛いかな?」
「そ、そうですね。魔術を使ってもいいですか?」
「え? 魔術! もちろんいいよ!」
「ありがとうございます」
私は、バケツの下から調整した暴風の魔術を当てた。
片手で持てるくらいになった。
風で髪が多少乱れるけど重いよりはいい。
「そんなことも出来るの? 聞いたことないよ!?」
「はい。ちょっとコツが要ります。運びますね」
ヴィヴィアナさんは興味深そうにバケツを見つめながら私のあとをついてきた。
リウィアさんの部屋の前にたどり着く。
扉を開けてくれたので、入っていく。
さすがに入る前に魔術は停止した。
「おはようございます、奥様」
ヴィヴィアナさんが慣れた様子で挨拶する。
「――おはようございます、奥様。昨日は貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました」
私も彼女に続けて挨拶した。
「いいのよ。今日からよろしくね」
「はい」
その後は、リウィアさんの身体を拭いたり、服の着替えを手伝ったり、髪を梳いたりした。
視聴者に見せないように左目は閉じておく。
リウィアさんとヴィヴィアナさんは気が合うようで、噂話のようなことをずっと話していた。
たまに私に話を振ってくれるので、それに応じる。
一通り終えて、次は朝食の準備を手伝うらしい。
朝食は簡単なものなので、すでにメリサさんたちによって準備されていたので運ぶことになる。
飲み物は麦茶なんだけど、煮出したからか中途半端にぬるそうだ。
「このお茶、今日に限って冷やしてみて良いですか?」
確か食事する部屋は暖かかった。
火鉢があったからかな?
「冷やす?」
「ふふーん。たぶん、魔術ですよ」
誇らしげにヴィヴィアナさんがメリサさんに言った。
「はい。魔術です」
「危なくはないんだよね?」
「冷やすだけなので」
「はーい! 私、毒味役やりまーす!」
ヴィヴィアナさんが元気に手を挙げた。
「毒味ってあんたねえ。飲んでみたいだけでしょ」
ガッチリとした侍女の人が呆れてみせる。
「えへへ」
「どうする、メリサ」
「私も飲んでみたいので、皆で飲みましょう」
「やったー」
「フィリッパさん、皆の分は用意できるのよね?」
メリサさんがコップを手に取ろうとした。
「できます。あ、冷やすのはどちらかと言うと鍋に入れたままの方がやりやすいです」
金属の方が熱を奪いやすい。
「鍋のままね。分かったわ」
「では、冷やします」
一気に熱を取り去る。
ただ、鍋から接地されてるキッチンテーブルへ熱を逃がしにくい。
セーラは地面によく使えるな。
「包丁はありますか?」
「何に使うの? はい」
「包丁に熱を移します」
「熱を移す?」
鍋の熱を搾り取るように包丁へと移した。
さらに麦茶そのものからも熱を奪おうと試みる。
水分子のランダムな動きを捉えて、中心から外に動きを絞りだしていく。
その状態で、金属の熱を次から次へと奪っていった。
熱は最終的に包丁へと集める。
掛かった時間は2分くらいだろうか。
集中してたので、時間の感覚はあまりない。
「冷えたはずです。コップに注いでみてください」
私の分も合わせて4人分用意された。
「――わっ、コップが冷たい」
ヴィヴィアナさんが言った。
「――飲みまーす」
彼女の宣言に他の2人が頷く。
ゴクッと彼女の喉が鳴った。
目が見開かれる。
そのまま、ゴキュゴキュと一気に飲み干した。
「ふぅふぅ、これ美味しい! 飲みやすい! なんかすっごく良い!」
彼女の声に他の2人も口をつけた。
ゴクッと飲んだ彼女たちの目が見開かれる。
「確かに飲みやすいね、これ」
「同じ飲み物とは思えないわね」
「私も飲んで良いですか?」
「もちろんよ」
「はい。いただきます」
飲んでみる。
うん、普通の濃いめの麦茶だ。
冷蔵庫に入ってる麦茶より温度は低いな。
「懐かしい味です」
「どういうこと?」
「故郷で『麦茶』といえば、この冷えたものだったんです」
「良いとこのお嬢様だったの?」
ヴィヴィアナさんが目を細めて私を見る。
「いえ、一般的な家庭でした。故郷には冷やす道具というのがありまして……」
「なにそれ! 聞きたい!」
「はいはい。今は朝食の準備だよ」
「――はーい」
その後、朝食になり、私とヴィヴィアナさんはそのままキッチンで食事をいただいた。
飲み物は水だったけど、冷やしてと頼まれて冷水にしたりもした。
冷蔵後のことをいろいろ聞かれるのだった。
食事が終わり後片づけをする。
冷たい麦茶は好評だったらしい。
昼食には水で薄めたワインを飲むらしいので、これを冷やして欲しいと頼まれている。
ただ、コメントでは今の季節なら外に置いておけばワインは適温なのでは? と言われた。
ワインのことはよく分からないので、雇い主から言われたことだけやろう。
昼食までは掃除をすることになっている。
掃除についてもヴィヴィアナさんのお手伝いだ。
彼女は私の故郷の掃除道具のことを聞いてきたので、掃除機のことを話した。
ローマでの掃除は基本的にほうきと雑巾を使うスタイルだ。
「ねえねえ。掃除に何か魔術使えないの?」
≫また、無茶ぶりを……≫
≫本当に魔術好きなんだな≫
「使えると思いますよ。ほうきが届かない場所とかあります?」
≫出来るのかよ!≫
≫マジカル清掃はっじまるよー≫
「広間の天井とか?」
「それはちょっと時間が掛かるというか……」
「え、出来るの?」
「雑巾はかけられませんが、ほうきで掃くレベルのことなら出来ると思います」
「――やっぱり魔術って便利なんだね! ちなみに天井やるとしたらどのくらい時間掛かりそう?」
「さすがに半日は掛かると見ておいた方がいいと思います。あと、広間が使えなくなるのでその調整も必要かと」
「フィリッパちゃんってしっかりしてるねえ。そう、半日ね」
「天井の掃除を気にしてるみたいですけど、何かあったんですか?」
「うん。メリサさんが天井を綺麗にできないことを気にしてたんだよね。前まではお金出して頼んでたんだけど」
「専門の方に頼んでたってことですか?」
「そうだね。結構お金掛かるらしいよ」
「なるほど。天井の掃除は分かりました。メリサさんに相談しましょう。それで、天井以外の魔術を使った掃除ですが……」
少し考える。
使うなら真空の魔術か。
手やほうきが届かない場所なら最適だろう。
埃を舞わないようにするのが難しそうだ。
「大きな布の袋みたいなのはありますか?」
「あると思うけど何に使うの?」
「魔術で集めたゴミをその中に入れようかと」
「面白そう!」
そのあと、空気を通す大きな袋を持ってきて貰った。
袋の口を広げるのを手伝って貰って、隅や高い位置にある埃などを掃除していく。
真空を作る位置の試行錯誤に時間が掛かった。
最初は袋の口とか中とかに真空を作っていたけど、上手くいかずに結局は袋の外に真空を作る。
そこから袋の口まで細く真空を伸ばした。
難しいけど、部屋の4隅に真空を設置するよりは簡単だ。
真空を解放するのは直径で5cm程度の穴だ。
これでかなりの吸引力となる。
音もすごい。
掃除機より強いんじゃないだろうか?
気持ち良く埃が吸い込まれていく。
たまに小物などが出てきたりもした。
「はー、魔術って便利なんだねえ」
≫おい、それは罠だ≫
≫アイリスが特別なだけだから≫
「あなたたち何してるの?」
掃除した2階の部屋から出たところで、メリサさんに会った。
「メリサさん、聞いて。フィリッパちゃん、すごいよ」
「落ち着いて。その大きな袋はなに?」
「これは埃とかゴミを入れる袋。高いとことか隙間の掃除をしててね。すごいよ」
「すごいのは分かったから。それにしても隙間の掃除って、魔術でそんなことできるの? 風の魔術かしら?」
「はい。そんな感じです」
≫説明を放棄した!≫
≫真空の概念の説明とか無理だろ≫
≫掃除だけにほうきか!≫
「あ! そうだ、メリサさん、天井の掃除していい?」
「天井の掃除? あ、魔術を使うのね」
「その通り! フィリッパちゃんなら半日あれば出来るって」
「そうなの?」
メリサさんが私に聞いてきた。
「はい。拭き掃除までは出来ませんけど、溜まった埃を掃除することなら出来ます」
「ここ数年、天井の掃除を頼んでないから助かるのは助かるんだけど……」
「不安なら少し魔術で掃除してみせましょうか? 埃が舞っちゃうと思いますが」
「――不安という訳じゃないんだけど、見せて貰おうかしら」
「分かりました。使う場所はどこが良いですか?」
「うーん。じゃ、広間の床に使ってみせてくれるかしら? 掃除はまだよね?」
「はい」
天井が外と繋がっている広間は割と汚れているはず。
ほうきで掃くのも時間も掛かるだろう。
課題としては最適か。
「少し時間が掛かるかも知れません。見ててください」
まずは、空間把握で誰も広間に入って来る様子がないことを確認した。
次に隅から順番に風を送り、床のゴミを舞い上がらせて集めていく。
意外と難しい。
でも、テンポよく風を送っては止めと繰り返すことでコントロールできるようになってきた。
最初は強めで、ゴミが集まってきたら弱めにしていくのもポイントだ。
5分くらいで1通りは終わった。
ゴミは2階からギリギリ分かるくらいには積もっている。
――っと、しまった。
集中しすぎてメリサさんが居るの完全に忘れてた!
「い、忙しいのにすみません。お待たせしました。これで1通りは終わりました。綺麗にするにはもう1通りくらいしてから雑巾を掛けた方が良いと思います」
「どう?」
ヴィヴィアナさんがメリサさんを見る。
≫なんでお前が偉そうなんだよw≫
≫ドヤ顔キター≫
「――びっくりしすぎてなんて言えばいいのか。まさかここから1階の掃除するなんて思わなかったし」
「私も出来るようになるらしいよ! そしたらメリサさんを楽させてあげるね」
≫良い奴≫
≫出来るようになるのか?≫
≫アイリスにプレッシャーを掛けていくぅ≫
≫魔術もだがアイリスの応用力がすごい≫
「天井の掃除方法とは違いますが、いかがでしょうか?」
「十分すぎるくらい。でもいいの? それだけ魔術が使えるならウチよりも良い条件で働けるんじゃ?」
「そうなんですか?」
「メリサさん! せっかく来てくれたフィリッパちゃんになんてこと言うの!」
「ややこしくなるからヴィヴィアナは静かに。ね?」
「――うぅ、はい」
「えーと、よく分かってないんですけど、魔術を使って働けるところがあるのですか?」
「あるらしいわよ。私も詳しくはないんだけどね。例えばこの邸宅の外側を掃除するのに5金貨は必要なのよ。フィリッパさんなら出来るんじゃない?」
「そうですね。1日もあれば出来ると思います。さすがに専門の方みたいに、ちゃんと綺麗に出来ないとは思いますが」
≫また5金貨か≫
≫親衛隊員の年収なんだっけ?≫
≫日本円でどれくらいの価値なんだろうな≫
「フィリッパちゃん、すごい!」
「――あなたは教える立場なの忘れないでね」
「はーい」
「分からないことだらけなのでいろいろ教えてくださいね。ヴィヴィアナさん」
「任せて!」
「調子ばかりいいんだから。それじゃ、私仕事あるから」
「お忙しいところ、ありがとうございました」
「あら、いいのよ。すごいものも見せて貰っちゃったしね」
メリサさんは微笑みながら小さく手を振り去っていった。
「このあとは広間の床を掃除すれば良いでしょうか?」
「うん、そうだね。また魔術使うんだよね?」
「はい」
「やったぁ、早く掃除しよう!」
私は元気なヴィヴィアナさんの後ろをついていくのだった。
広間の掃除が終わった頃に、お昼ご飯の時間になる。
朝よりは本格的だ。
炎に空気を魔術で送り込みながら、キュウリを切ったり洋ナシの皮を剥いたりする。
「ナイフ使うの上手だね」
一緒に作業していたヴィヴィアナさんがのぞき込んできた。
「家で使ってましたから」
母さんは看護師だったので、夜勤のときとかは私が食事を作ったりもした。
そんなことを考えながら言われた作業も進めていく。
そうしていると、キッチンに誰かが入ってきた。
メリサさんだ。
「ごめんなさい。フィリッパさん。お昼に私と一緒に給仕して貰えない?」
「もちろんお手伝いさせて貰います。――食事のときの給仕ってどうすれば良いんですか?」
「ワインがなくなったらあの器から注げば良いの。最初に私が手本を見せるから、それを真似して。急ぐ必要はないからね。ただ、エミリウス様はワインが薄めなので私が担当します」
「承知いたしました」
器から水分を移すならこぼれないように魔術が使える。
態度はともかく、こぼしたりすることはないだろう。
「それと、言いにくいことなんだけど……」
メリサさんが前置きしながら小声になる。
「フィリッパさんに給仕するようにおっしゃられたのはクラウス様なので気をつけて。私も1度お断りしたのだけど、どうしてもという話だったから」
「はい」
気をつけてってどういう意味だろう?
≫かわいい女の子に給仕させたいのか≫
≫それなら「気をつけて」とは言わないだろ≫
≫何かしてくるってことか≫
≫セクハラ的な?≫
セクハラ……。
気をつけよう。
「あんまり近づかない方がいいよ」
小声で心配そうに言ってくるヴィヴィアナさん。
彼女も何かされたのだろうか?
「ありがとうございます」
こうして、私はウァレリウス家のお昼ご飯で給仕をすることになった。
最後に水で薄めたワインを冷やす作業を行うのだった。




