第150話 潜入捜査
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アイリスはタナトゥスと共にゼルディウスの道場を訪れ、ナルキサスからウァレリウス家の執事ウルフガーの話を聞く。その後、ゼルディウスが介入しタナトゥスと対立。最終的にはアイリスがゼルディウスの息子マルティウスとの試合に圧勝、ライバル視されるのだった。
私がマルティウスさんに勝ってからが大変だった。
彼がゼルディウスさんの長男だからだろうか?
道場の人たちから、勝ったまま帰すなというプレッシャーを受けた。
コメントで知ったけど、道場みたいな場所には、舐められたら終わり的な風潮があるらしい。
気をつけよう。
結局、その件はナルキサスさんがゼルディウスさんを巻き込んで有耶無耶にしてくれたので助かった。
借りが出来てしまったな。
その後、皇宮まではタナトゥスさんと一緒に帰り、別れる。
彼もナルキサスさんに対して憎まれ口を叩きながらも、姿を見て安心したみたいだった。
あと、ルフスさんに完敗したことをかなり悔しがっていた。
男の子だな。
そのタナトゥスさんと別れてからミカエルの邸宅までは1人で向かう。
私はすぐに視聴者に相談を始めた。
「――ナルキサスさんの言っていた、ウルフガーさんについてどう思います?」
≫怪しいな≫
≫経歴が全く不明なんだっけ?≫
≫貴族がなんでそんなの雇ってるんだ?≫
≫誰かがねじ込んだのかもな≫
≫ねじ込んだ奴が怪しいってことか≫
≫いや、まだその貴族が犯人の可能性もあるぞ≫
コメントが一気に流れていく。
≫貴族の名前なんだっけ?≫
「ウァレリウスです」
発声しにくいな。
≫没落寸前なんだっけ?≫
≫服を隠したテルティア嬢は娘なんだよな≫
≫じゃ、その貴族も性格悪そうだなw≫
「テルティアさんとはもう少し話してみないと分かりません。精神的に追いつめられてるだけかも知れないですし」
≫追いつめられてても、いじめは論外≫
≫ないな≫
≫まあ、話すくらいは良いのでは?≫
≫優先順位は低そうだけどな≫
「ウルフガーさんのことは誰に聞くのが良いでしょう? 本人に伝わらないように関わりのない人から話を聞くのが良いと思うのですが……」
≫ミカエルとか?≫
≫まあ、聞くなら奴が妥当か≫
≫ミカエル派を束ねる有力者とかいないのか?≫
≫それも含めてミカエルに聞くしかないな≫
ミカエルか……。
「あまり頼りたくないですけど、仕方ないですね」
≫なんでそんなに嫌うんだ?≫
≫昔、襲われたからな。未遂で終わったけど≫
≫マジか……≫
「当時はこっちに来たばかりで非力でした。今なら大丈夫だと思いますけど」
≫逆によく一緒に住めるな……≫
「ミカエルに助けられたこともありますしね。分かる範囲だと、ルキヴィス先生とかレンさんは彼の頼みで助けてくれたんだと思います。それに今は皇妃という共通の敵も居ますし」
≫敵の敵は味方か≫
≫ミカエルに気は許さない方が良いだろうな≫
≫正直、触れてすまんかった≫
「いえ、初心に返ることができてよかったです。ウルフガーさんについては、ミカエルに相談することにします」
≫敵といえば闘神の息子にライバルにされたな≫
≫マルティウスだっけ?≫
≫どうするんだ?≫
「今はスルーですね。パンクラチオン自体、よく知らないですし」
≫興味はないのか?≫
「全くないという訳じゃないですけど……」
≫へぇ、興味はあるのか≫
「技術的な話ですけどね。パンチの打ち方とかは身につけておいた方が良いかもと思ってます」
≫パンチ?≫
≫拳の握り方が分からないんだっけ?≫
「はい。握り方も打ち方も分かりません」
≫それでよく試合に勝てたな≫
≫握って殴れば良いのでは?≫
≫そんな簡単じゃねえよw≫
≫流派によって違うからなあ≫
≫空手とボクシングでも全然違うし≫
「そうなんですね……」
≫パンチはルキヴィス氏に教わった方が良い≫
≫お、武術家か≫
「ルキヴィス先生にですか? 確かにボクシングが得意だとは聞いていますけど」
≫パンチや突きは癖がつくのを避けたい≫
≫細かくチェックして貰えることが優先だ≫
「なるほど……」
≫そもそもパンチを覚える必要があるのか?≫
「覚える必要はないんですけどね。使う機会も何度かありましたし、ゼルディウスさんとの対戦以降はかなり気になっています」
≫気になってるなら仕方ない≫
≫マジで格闘技との接点なかったんだな……≫
「こっちに来るまではそうですね。とにかく、助かりました。また相談させてください」
そのまま雑談しながら、ミカエルの邸宅へと歩くのだった。
ミカエルの邸宅に着き、素早く入る。
それから着替え、髪をほどき、顔を洗った。
結局、私たちの部屋を変えるって話はどうなったんだろう?
リンダさんに聞いたところ、ルキヴィス先生は養成所に行ったらしく居なかった。
ミカエルは居るみたいなので、時間が空いたら話があると伝えて貰う。
それまではお風呂に入ることにした。
肌寒いくらいだし、それほど汗もかいてないけど私がゆっくり入れるのは昼くらいしかない。
湯船に肩まで使って天井を見ながら長く息を吐く。
湯気が私の息で乱れる。
ここは石鹸も使えるし豪華だし贅沢だよなあ。
昨日の公衆浴場も良かったけど、広いお風呂で1人で入るかマリカたちと入る方が好きかも。
手足も伸ばせるし。
ただ、コメントが騒がしいんだよなあ。
これは仕方ないけど。
ゆったりと湯船に浸かっているとビブルス長官がやって来たみたいだった。
タナトゥスさんに話を聞いて確認しに来たかな?
私は急いでお風呂からでると、すぐに着替えて出て行った。
広間に出ると、ちょうどミカエルが長官を出迎えたところだった。
「こんにちは、ビブルス長官。このような姿で申し訳ありません。私に何かご用ですか?」
今、着ている服はこの邸宅で女性が着ているドレスだ。
それに髪がまだ乾いていない。
「ああ、タナトゥスから聞いてな。話が進んだらしいな」
「はい。僅かですが。――ミカエル様」
「応接室だね。僕も参加するよ」
「もちろんです」
それからこのメンバーで会議をした。
さすがに何度も会議しているためか、互いの性格も分かっている。
基本的には、私やミカエルが話を進めていく。
ビブルス長官は、必要になる根回し等への配慮によく気が回る。
「長官って1人居ると助かる人材だよね。ウチの派閥に入らない?」
「ご冗談を。私がどちらかの派閥に表だって入るとバランスが崩れることは分かっておいででしょう」
「まあね。でも、本音でもある」
「身に余る評価です」
「堅苦しいとこも実は嫌いじゃないんだ」
和やかに会話は進む。
軽く冗談も言える関係になっている。
話し合いで出た内容は主に2つ。
1つはウルフガーさんのことだ。
今度どういう手を打っていくか。
基本的には、私がウァレリウス家に侍女として潜入捜査をすることになった。
作戦を立てたのはミカエルだ。
筋書きは難しくない。
まず、ミカエルが派閥の貴族を視察するから若い侍女に給士――お茶の用意をさせろと指示を出す。
この場合、ウァレリウス家には、中年の侍女が3人居るだけなので若い女性を雇う必要が出てくる。
そこで、私を紹介するという流れらしい。
普通なら私のような経験のない侍女は必要ない。
でも、今回は別だ。
予算が厳しいウァレリウス家へ、安い給与で私が紹介される。
なお、貴族は派閥ごとにある斡旋所から、人を雇うのが一般的だそうだ。
奴隷を買う場合は、斡旋所を通す必要はないけど値が高い。
ミカエルが起こすアクションが、相手のリアクションを生み、それが彼の思惑通りになってるという作戦だ。
やっぱりミカエルは侮れないな。
もう1つの話し合いの内容は、私が試験をした特殊部隊の話だ。
これは私がウァレリウス家に行く前に最低限の訓練を行うことにした。
「ミカエル様はウァレリウス家についてどこまで知っているのでしょうか?」
「ウチの派閥に入るときに調べさせたけど、皇帝の暗殺をするような家とは思えなかったね」
「調査したんですね。当主の性格とかの情報もあります?」
「一言で言うとお人好しで無能」
興味なさげにミカエルは言った。
「お人好しですか……」
ナルキサスさんから聞く印象とは違うな。
「潰れそうなのもお人好しが原因だからね」
聞いてみたいけど、あまり深く突っ込まない方が良さそうだ。
ただ、お人好しというのには違和感がある。
「お人好しならテルティア様をここに寄越すなんてことはしないんじゃないですか?」
長官が「ぶっ」と吹き出している。
――ミカエル当人に向かって、お人好しなら貴方に娘の身体を差し出さないのでは? と聞いてるのと同じだからな。
「誰かの入れ知恵じゃない? 浅はかだとは思うけど。いずれにしても興味ないね。ぜんぶ僕の好みじゃない」
「ご意見ありがとうございます。ウルフガーさんについては何かありますか?」
「有能ではあるらしいね」
「彼については裏の情報網を使っても、経歴が分からなかったらしいです。その情報網だとローマの資料すら閲覧できるらしいですよ。その上で経歴が分からなかったんです」
「――あの女か」
「あの女ですか?」
「皇妃だよ。経歴のない人物を貴族にねじ込めるなんて人物、限られるだろ」
「確かにそうですね」
ウァレリウス家は元々、第一皇子派だ。
皇妃の影響下にある。
派閥の人材紹介なら、皇妃も絡める。
今回の砒素の件を考えても、ウルフガーさんを皇妃が紹介したというのなら辻褄が合う。
もちろん、証拠もないのに決めつけるのは良くないけど。
「お陰様で少し見えてきました。私が潜入する価値はありそうですね」
それから3日経ち、私がウァレリウス家に面接に行くことになった。
面接といっても、顔を見せる程度の話だ。
侍女になるのはほぼ決まっていることらしい。
以前、ウァレリウス家の邸宅に来たときのように坂を上る。
私の服装は裾の長いTシャツだ。
トゥニカだっけ?
私の肩書きは、解放奴隷になったばかりの侍女見習いで、名前はフィリッパを名乗らせて貰うことにした。
フィリップスさんの妹の名前なので、許可はとってある。
今日の化粧は自分でした。
この3日間、簡単なメイクをラデュケに教わった。
目元と眉くらいだけど。
髪は後ろで1本に結っている。
最初はポニーテールみたいにしようと思ったけど、1人だと難しすぎて断念した。
私は入り口の護衛に声を掛け、邸宅の中に入っていった。
邸宅は結構古い感じがした。
広いのに掃除が行き届いているし、大切にしている感じが伝わってくる。
邸宅内の人は4人、外の護衛が1人だ。
話によると、護衛除いて8人のはずだから4人少ない。
応接室には3人居る。
1人は直立姿勢だ。
この1人はたぶん、ウルフガーさんだろう。
彼とも面接で接することになりそうだった。
案内してくれたのは、40代半ばくらいの女性だ。
私が緊張していると思っているのか、やさしく微笑み掛けてくれる。
緊張といっても、警戒から来てるんだけどな。
それでも、気遣ってくれるというだけで安心感を覚える。
応接室に通されると、40代くらいの男性と女性が座っていた。
その後ろに30歳前後くらいの男性が居る。
座っている2人が、ウァレリウス家の当主と奥さんか。
後ろで立っているのがウルフガーさんだろう。
私が動いてもすぐに攻撃できる位置に居る。
頬が少し痩け、精悍な顔立ちだ。
「はじめまして。フィリッパと申します。この度は、私のために貴重な時間を割いていただきありがとうございます」
一礼してから挨拶した。
「私がウァレリウス、妻のリウィア、後ろに控えているのが執事のウルフガーだ。これほどかわいらしい女性が来てくれるとはな。どう思うウルフガー」
「――どうしてウァレリウス家に?」
ウルフガーさんの目が私に向けられている。
修羅場を潜っていそうな感情のない目だ。
「はい。私は解放奴隷となったばかりなのですが、侍女の経験がありません。知り合いに相談したところ、こちらへのご縁をいただきました」
嘘は言ってない。
言ってないけど、相手の誤解を利用している。
最近、本当にこういうのが多いな……。
「他の貴族からは?」
「お話はいただいてません」
「給金は少ないが良いのかな?」
変わってウァレリウスさんが私に聞いてくる。
「私は未経験ですし、多くをいただく訳にはいきません」
「給仕などの経験は?」
「こちらへ来る前に訓練は受けています。実際に飲み物をお出したこともありますが、作法に関しては不安が残ります」
「じゃあ、問題ないんじゃない? ねえ、あなた」
「そうだな。ウルフガー、どうだろうか?」
感情のない目で見られている。
堂々と受け止めるのも違和感があると思い、下に目線をずらした。
「ウルフガー?」
「――失礼しました。問題はないかと」
疑われている?
いや、疑われるほどの失敗はしてないはず。
砒素の発覚から、私の出現までの出来すぎた流れに違和感を抱いているのだろうか?
――油断はできない。
修羅場も潜ってそうだし、経歴不明なのに執事として信頼されていることから見ても相当やっかいな相手だ。
私の下手な偽装なんて見抜かれそうだ。
任務のことは忘れて、侍女見習いとしてだけ頑張った方が良さそうだと思った。
一方のウァレリウス夫妻は人が良さそうな方たちだ。
初めて会う私を前にしても隙だらけだし、皇帝の暗殺に関係してるとはとても思えない。
先入観はなくした方が良いんだろうけど。
「では、実際に働いて貰うかどうかは後ほど伝えさせよう」
「はい。よろしくお願いします」
こうして面接が終わる。
その後、連絡が来て、私はウァレリウス家に住み込みで働くことになった。
どのくらいの期間、働くかは分からない。
でも、元々はミカエルの給仕要員だし、私も潜入捜査のためだし短い期間だと思う。
とにかくウルフガーさんの周辺を探ることが目的だ。
それにしても、初めての就職がこんな形になるとは思ってもみなかったな。
私は翌日から働くことになったので、その準備に追われるのだった。




