第146話 休息と兆し
前回までのライブ配信。
アイリスは戦いに勝利し、地下でメガエラと遭遇するも、ミネルウァの介入で危機を脱する。その後、アイリスは閉会式で英雄として称えられるが、第三席『黄金』レオニスに次の挑戦者として名乗り上げられるのだった。
閉会式が終わった。
貴賓席のアーネス皇子やミカエル、貴族席のフィリップスさんに挨拶だけし、地下で着替えて外に出る。
――女神イリスさんが私のあとをつけてきている。
でも、こっちはイリスさんの場所が分かるけど、彼女からは私を目視で確認する必要がある。
私の方が有利だ。
すぐに人通りの多いところへと歩いていった。
彼女はすぐに私を見失ったようだ。
見えてる情報の差か……。
いろいろ考えさせられるな。
あと、イリスさんが尾行してきたということは、私がラピウスだと気付いていないのでは?
気付いてればミカエルの邸宅で待てば良いだけし。
尾行なんてリスクを冒す必要がない。
今日は養成所に戻ろうかと考えてたけど、ミカエルの邸宅に戻っても良いのかも知れないな。
その内、私がラピウスだと気付かれるとは思うけど。
「――ミカエルの邸宅に戻ろうと思います。理由は……」
私は視聴者たちに説明しながら皇宮へ急いだ。
急いだ理由は、皇宮に入るときに暴風の魔術を使って壁を超えるためだ。
風の感知能力は私よりイリスさんの方が上と思っている。
彼女が戻る前に皇宮に入っておきたい。
こうして、私はあっさりとミカエルの邸宅に戻ることが出来るのだった。
中庭からだけど。
お風呂に入ってから、執事長のリンダさんに襲撃の可能性があることだけ伝えた。
そのあとはベッドで横になる。
最初は目が冴えてたと思ったけど、いつの間にか意識を失っていた。
そして朝。
目が覚めたら動けなかった。
夜中には足が攣ったし散々だ。
少し動くと痛い、重い。
指の先まで全身筋肉痛だ……。
痛みをこらえ、首を回す。
マリカが髪を梳いていた。
「お、おはよぉ……」
横隔膜や鳩尾辺りすら筋肉痛だ。
「おはよう。な、なんか辛そうだけど大丈夫?」
「筋肉痛で……動けない、だけ……」
「昨日、すごかったもんね」
「もうちょっと、休ませて……」
「今日は1日ゆっくりしていいんだし、しっかり休んで?」
「ありがと……」
マリカが何か優しく微笑んでた。
筋肉痛の首を動かして天井を見る。
それから目を閉じる。
するとすぐに意識を失うのだった。
次に起きたときはかなり明るくなっていた。
養成所の部屋とは違って、ミカエルの邸宅には窓があるので分かりやすい。
相変わらず筋肉痛だったけど、疲れはかなりなくなってる。
起きれそうなので、痛みに耐えながらなんとかベッドに座った。
「あれ、おはようございます」
部屋の隅で何かを探していたラデュケが声を掛けてくる。
「おはよう、ラデュケ。ひょっとしてもうお昼?」
「はい。そろそろ食事の時間ですね」
立ち上がろうとしてみたけど、あらゆるところが痛かった。
少しずつ様子を見ながら身体を動かす。
「大丈夫ですかー? なんか昨日すごかったって話は聞いてますけど。あ、勝利おめでとうございます」
「ありがと。でも、無茶しすぎたみたい。いつものことだけどね」
「いつものことって……。ほんと無茶しないでくださいね」
「分かった。心配もありがと」
ドアの外に誰かが来る気配があった。
「入るよ」
マリカか。
小さな声で言いながら入ってきた。
「あっ、アイリスもう起きてたの?」
「起きたのはさっきだけどね。マリカは何してたの?」
「私? ちょっと練習してた」
「昨日の今日なのに?」
「アイリスの戦い見てたらね。じっとしてられなくて」
「そっか」
「――うん。ところで、第三席『黄金』の挑戦は受けるの?」
閉会式のあれか……。
「挑戦も何も私は訓練生だから。訓練生って簡単に戦っちゃいけない規則があるんじゃなかった?」
「あのー」
恐る恐るラデュケが手を上げる。
「どうしたの?」
「訓練生ってなんですか? アイリスさんってローマで2番目に強い人に勝ったって聞きましたけど」
「訓練生って本当は闘技場で戦っちゃダメなんだよね。アイリスは特例で何度も出てるけど」
「――こんがらかってきました」
「だよね。アイリスのことは例外中の例外と見た方がいいかも」
「えっ、例外中の例外。なにそれ」
思わず口から出る。
「良い意味での例外だから。トーナメントで優勝する訓練生なんてローマで初めてだと思うよ。、たぶん、女性で優勝したのも初めてじゃないかな」
「ほんとに例外中の例外ですね……」
「アイリスは『黄金』レオニスのことはどう思ってるの?」
「どうと言われても。強そうだなということと、煽って盛り上げるのが得意そうという感想くらいしか」
「あ、レオニス様のことなら噂話をよく聞きますよ。貴族の奥様方にかなり人気ですね」
≫倒せ≫
≫イケメンは敵!≫
「うーん、私はちょっと苦手かな。挑戦してきたのだって、彼の人気上げの踏み台にされてるみたいな気がしたし」
「鉄の巨人との戦いのあとでアイリスに挑戦できるだけでもなかなかだと思うけどね」
「アイリスさん、そんなにすごかったんですか?」
「陛下があの戦いを神話っておっしゃられてたけど、まさにそんな感じ。地面とかぐちゃぐちゃになってたしね」
「地面がぐちゃぐちゃですか……」
ラデュケが私を見た。
「わ、私は何もしてないから」
「確かに何もしてないね。その地面をぐちゃぐちゃにした相手に勝っただけで」
「ほ、本当に神話ですね。そんな巨人? 相手にどうやって勝ったんですか……」
「説明が難しいけど、神話と同じかな。鉄の巨人にも神の血が流れてたから、それを外から破壊したら勝てた」
「本気の神話じゃないですか!」
≫良いツッコミだ!≫
≫ラデュケは貴重なツッコミ枠だからな≫
ラデュケはぜいぜい肩で息をしている。
「――はい、どうぞ」
マリカがガラスのコップに創水の魔術で水を入れて渡した。
ラデュケはありがとうございますと言って受け取って飲む。
「――ふぅ、ありがとうございます。落ち着きました。それにしてもアイリスさん、本当に英雄になったんですねえ。これは気合いを入れないと!」
拳を握り締めている。
「ラデュケさん? いったい何に気合いを?」
分かってるけど、恐る恐る聞いてみた。
「アイリスさんの装いに決まってるじゃないですか! そういえば、女性の英雄って居るんでしたっけ?」
「有名なのはアタランタかな。アルゴナウタエの英雄の1人」
マリカがさらっと話す。
さすが。
教養があって憧れるな。
「どんな姿だったんですか?」
「美人で質素な感じだったはず。狩人だしね」
「ありがとうございます。うーん、私の思い描くイメージとは少し違いますね」
「出来れば女神のイメージは止めてね。特にミネルウァ様とか」
釘を刺しておく。
「えー、なんでですかあ?」
「ここだけの話、ミネルウァ様がローマに来てるから。というか、今、たぶん皇帝の邸宅に居るから」
「はい?」
「ここで襲撃があったときに、部屋に綺麗な女性が来て私と話してたでしょ? 彼女がミネルウァ様だから」
思わず声が小さくなる。
「えー!」
「そういう訳なので、女神のイメージは避けたいからよろしく」
「――分かりました。私も蜘蛛にはなりたくないですからね」
≫考えたらラデュケはアラクネの立ち位置か≫
≫傲慢が原因で蜘蛛に変えられたんだっけ?≫
≫結果としてはな≫
≫ミネルウァ様って織物の神でもあるんだよな≫
「ありがと。話を戻すけど、レオニスさんって八席の中だとロンギヌスさん以外に誰と戦ったことあるの?」
マリカに聞いてみる。
「ないんじゃないかな? カクギスかロックスに聞いてみたら?」
確かにあの2人なら知ってそう。
「分かった、聞いてみる」
その前に皇帝の暗殺未遂の首謀者を見つけないと。
犯人が駆け込んだあの貴族については何か分かったのかな?
私は少しだけ考えたあと、彼女たちと他愛のない話を続けるのだった。
その内、ラデュケが呼ばれたのでマリカと話したり休んだりしながら昼過ぎまでゆっくりした。
お昼は果物をいただく。
しばらくすると、邸宅にお客さんがやってきたようだった。
空間把握で探ると、ビブルス長官とルキヴィス先生、それにメリクリウスさんっぽい。
このメンバーで私が呼ばれてない。
なんの話だろうか?
気になる。
今、顔出すのもなんだから、用事が終わる頃に行ってみよう。
一応、下に居た方がいいかな?
「マリカ、着替えて下に行かない? ビブルス長官が来てるみたいで少し挨拶したいし」
「いいよ」
準備を始める。
途中でラデュケが帰ってきたので、2人ともローマの正装にさせられた。
「お二人が並ぶと神殿の巫女のようですね!」
その姿で下の広間に向かう。
リンダさんが居たので、事情を話して広間のイスに座って待たせて貰った。
マリカと小声で話しながら待っていると、誰かが近づいてくる。
――あ、彼女か。
お風呂の最中に、私の服を隠してきた女性だ。
明るいところで姿を見るのは初めてかも知れない。
「あら、あなたたち仕事はどうしたのかしら?」
私たちの前で足を止めるとそんなことを言ってきた。
少し、話し方にトゲがあるな。
「はい。本日はお休みをいただいています」
慌てて立ち上がり言った。
隣でマリカも立ち上がる。
ただ、なにか雰囲気が変わっていた。
「初めまして。わたくし、マリウス家の長女マリカ・マリウス・ホルテンシアと申します。このような姿での挨拶、心苦しいですが、ご容赦くださいませ」
立ち振る舞いに隙がない。
品の良いトーガを着ていることもあり、完全にお嬢様に見える。
しかも彼女に見えない圧を掛けている!?
「――ウァレリウス家の三女テルティア・ウァレリスウス・ガリアと申します。こちらこそ、ドレス姿でなくて残念ですわ」
探るようにマリカを見る。
テルティアさんと言うのか。
――ウァレリウス家ってどこかで聞いたような?
≫ウァレリウスってなんか聞き覚えあるな?≫
≫そうなのか?≫
≫こいつたぶんアイリスの服を隠した奴だな≫
視聴者も覚えがあるのか。
どこで聞いたんだろう?
「テルティア様。わたしくたちは、親衛隊長官ビブルス様をお待ちしている身なのですが、何か御用でしょうか?」
マリカは上品に微笑んでいる。
「いえね。少し世間話でもと思いまして」
「まあ、左様でございましたか。それでどのようなお話を?」
「昨日の闘技会、ご覧になりました? 私、興味がなかったのですが感動してしまいまして」
唐突な話題だな……。
その闘技会に出場した2人が目の前に居るとは思ってないのだろう。
「残念ながら……」
マリカが応える。
「そうでしたの。闘技会では殿下が私のために特別に席を設けてくださいましてね」
あ、これが言いたかったのか。
「まあ、素晴らしい。殿下のご配慮ですね」
「本当に。やはり、私のことを大切に思ってくださっているのだわ」
「テルティア様は感動されたとおっしゃっていましたけれど、どの対戦でそう思われたのですか?」
「もちろん、アイリス闘士です。戦いは夢でも見ているかのようでした。私、小さな頃は英雄の話が大好きでしたのよ。最後に彼女が陛下に跪く姿などは、まさに新たな神話に居合わせたと感動で震えました」
貴女はそのアイリス闘士をいじめようとしてましたけどね。
でも、そんな彼女も小さな頃は割と素直だったのかも知れないな。
なんとなくカトー議員の邸宅を思い出した。
――邸宅?
あ、ウァレリウス家って砒素を入れようとした犯人が駆け込んだ貴族の名前か!
唐突につながる。
ただ、テルティアさんが関わってる可能性はそれほど高くないように思える。
でも、もし皇帝暗殺未遂にウァレリウス家が関わっていたのなら、彼女もただでは済まないだろう。
ミカエルにも確認取ってみるか。
そのテルティアさんはマリカと話して満足したようだった。
マリカがそろそろと断りを入れることで、残念そうに帰っていく。
「ごめんね。彼女の相手、マリカ1人に押しつけちゃって」
彼女が去ってから話しかける。
「別に謝ることないよ。彼女と何かあったの?」
「まあ、ちょっとね。お風呂中に服を隠されたりはしたかな」
「――なにそれ」
「やり返したし大丈夫。手を出しにくくなったから、私への牽制にミカエル様に大事にして貰っていることをアピールしにきたんじゃないかな?」
「うーん」
立ったまま話していると、ちょうどビブルス長官たちが出てくるところだった。
ミカエルが出てきて私たちを見つける。
「あれ? 君たち素敵な服装でどうしたのかな?」
「はい。メリ――ラルバトゥス様とビブルス長官にご挨拶をと思いまして」
私が応える。
そこにビブルス長官が出てきた。
「長官。ご無沙汰しております」
と言っても数日ぶりくらいだろうか。
「ああ。――しかし君には本当に驚かされるな」
闘技会のことだろう。
「光栄です」
「身体はなんともないのか?」
「お陰さまで。筋肉痛は酷いですけど」
「はっは。あれだけのことをしたのだ。こうして相対すると同一人物と信じられないからな」
「やっ! 凄いものを見せて貰ったよ」
そこへメリクリウスさんが現れる。
「見てたんですか」
「もちろん。見ないわけにはいかないでしょ。でも、そんなこと関係なしに楽しめたよ。いやあ長生きはするもんだなあ」
何か年寄りみたいなことを言ってる。
何千年と生きてはいるんだろうけど。
「昨日は頑張ったな」
最後に出てきたのはルキヴィス先生だ。
「マリカもよく頑張ったな。練習の動きが出来てたぞ」
「あのルキヴィスもすっかり先生だね」
「なんだ。俺の新しい魅力にまた気付いたのか」
「そんなとこ」
マリカは俯き表情を砕けさせてる。
ミカエルがその表情を見て私を見た。
マリカがルキヴィス先生に好意があること気づかれたかな。
「あの人は激怒していたよ」
「どっちのあの人ですか?」
「さあね。貴賓席にいらっしゃった方だよ」
ユーノの方か。
「面倒事はまだまだ続きそうですね。面倒事と言えば、今後、私の正体がバレるかも知れないのでお伝えしておきます」
「どうしてそうなったの?」
「割り込んですまないが、私にも分かるように順を追って説明して欲しい」
長官が本当にすまなそうな顔で話す。
「分かりました。お手数ですけど、再度、応接室に入ってくださいますか?」
マリカも含めて応接室に入ってもらい、防音の魔術を使ってメガエラを10回ほど地面に転がしたことから闘技会終了後の話までを説明した。
メリクリウスさんがずっと黙っていたのが怖い。
気を遣ってくれてただけかも知れないけど。
「なるほど。よく分かった」
長官が頷く。
「ルキヴィス。その必倒の理という技が使えるというだけで同一人物と分かるものなの?」
「俺ならな。ただ、他の人間――いや、神か。が気付くかどうかは分からん」
「仮にレンなら気付くと思う?」
「どうだろうな。可能性は半々と言ったところか」
「了解。準備しておくよ」
「襲撃に備えて私はどうすれば良いですか?」
準備するなら私の立ち位置も変わるはずだ。
「ここの地下室で暮らしてくれれば良いよ」
「ち、地下室なんてあったんですか……」
「脱出経路付きのね。秘密裏に作らせたものだからあの人は知らないと思うよ」
「――私たちにそんなこと話して良いんですか?」
「もちろん」
この人は相変わらず読めない。
「分かりました。ご配慮ありがとうございます」
「細かいところはリンダに聞いておいて」
「はい」
「皇子。私からもアイリスに話しておきたいことがある。よろしいかな?」
ビブルス長官が聞いてきた。
「もちろん」
長官の話によると、皇帝の快復をアピールするために近々、ペルシアの外交使節団を呼ぶらしい。
そこへ護衛として私にも参加して欲しいという話だ。
皇帝直々のお願いらしい。
ペルシアってペルシャだよね?
なんとなくのイメージしかないからあとで視聴者に聞いてみよう。
もしかしたらセーラが知っているかな?
従兄のシャザードさんは名前も見た目も中東系っぽかったし。
その後、メリクリウスさんとは別の場所で今回の闘技会のことを話す約束をした。
ルキヴィス先生も一緒だ。
「長官」
「――なんだね?」
「近い内にセーラと面会したいのですが、難しいですか?」
「……ううむ」
「難しそうなら大丈夫です」
「いや、なんとかしよう。メガエラ様へ親衛隊に手を出さないようにお願いして貰ったようだしな」
「あ、ありがとうございます」
「しかし、姿はどうするのかね? ラピウスの姿でも不味いのではないか?」
確かに今は、ラピウスの姿でも皇宮内を動くのは止めておいた方が良い。
「いえ、いつもとは違う装いでいきます。――そうですね、お忍びの貴族風ではどうでしょうか?」
頭に浮かんだのはフィリッパさんのことだった。
フィリップスさんの妹で、昔名前を使わせて貰ったことがある。
「なるほど、分かった。では今日ではどうだろう? 夕方頃になるが」
夕方か。
服装は前みたいにラデュケにやって貰いたいけど、大丈夫かな?
ちらっとミカエルを見ると彼は立ち上がった。
「防音の魔術、一時的に解いてくれない?」
「は、はい」
言われるままに魔術を解く。
彼はすぐにリンダさんを呼び、ラデュケを連れてくるように言った。
ラデュケが入ってくる。
緊張はしていないようだ。
彼女に服装のことを話すと、すぐに「お任せください! 最初のときはまだアイリスさんに似合うものとかしっかりと考えてなかったので悔いが残ってたんですよね。男性の方々も楽しみにしててください」などと言う。
神や皇子を前にして、物怖じしないのすごいな。
こうして、私は夕方までに貴族のお嬢様に扮することになった。
ラデュケは2人ほど人員を貸してくれませんかとお願いしている。
――これは本気だ。
外に出ると、リンダさんも馬車の手配をするように指示していた。
なにか大事になっている。
私の思いつきで申し訳ないと思いながらも、動き始めた事態に流されるままになるのだった。




