第145話 英雄への挑戦者
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鉄の巨人に女神ミネルウァが憑依する。激闘の末にアイリスは勝利し、笑顔で観客に応えるのだった。
歓声が続いていた。
最初はアイリスコールが多かったけど、すぐに女神コールも増えてくる。
あれ? 女神コールはマズいのでは?
すぐにミネルウァ様が居た場所を見る。
彼女は意識を取り戻していた。
――しかも目があう。
ど、どうしよう?
私は姿勢を正して深々とお辞儀をした。
特にミネルウァ様に反応はない。
怖い。
一方で、係の人たちは慌ただしそうにしていた。
このあとも対戦があったはず。
地面の惨状を見ると、対戦出来るかどうかは微妙なところだけど。
私は係の人に礼だけして、地下に行ける場所を見つけ、医務室へと向かった。
≫どこに行くんだ?≫
「医務室へ向かってます。セーラが居るかも知れないので」
薄暗い状況から暗くなっていく。
空間把握を使って進むことにした。
身体も痛くて膝に力が入らないので必死だ。
しばらく行くと、別の係の人たちが居た。
ランタンを持っている。
「お聞きしたいことがあるのですが……」
聞いてみると、医務室は無事らしい。
ただ、地下に居た人たちは全員が避難しているとのことだった。
幸いなことに死傷者はいないみたいだ。
「よかったです。ありがとうございました」
≫けが人も居ないってすげえな≫
≫崩れたのが狭い範囲だったからか?≫
ミネルウァ様が気を配った可能性もある。
事前に避難するように警告してたりして……。
あり得るのがミネルウァ様の怖いところだ。
とにかく安心した。
近くに階段があったのでそこまで行って座る。
コンクリートが冷たい。
「しばらく休みます」
≫お疲れ≫
≫あれだけの戦いの後だしな≫
≫怪我とかは大丈夫なのか?≫
「今のところは大丈夫そうです。ご心配ありがとうございます」
すると、大きな魔術の光を持った人物が地下に入ってきた。
この光の大きさは明らかに神だ。
円形闘技場に居て神の身体を持っているのはイリスさんとメガエラだけのはず。
イリスさんが地下に入ってくる理由もないだろうから、メガエラか。
恐らく私をどうにかしにきたんだろう。
「神の誰かがこの地下に入ってきたようです」
声が響くので小声で話す。
≫神? 誰だ≫
≫メガエラだろ≫
≫あれ? でも手を出さないって約束は?≫
≫約束は男装したラピウスの姿のときだろ>
≫じゃ、アイリスには何をしてもOKか……≫
≫何をしても……ごくり……≫
どう考えても面倒なことになるな……。
とはいえ、放置する訳にもいかない。
疲労で震える膝と、握力がなくなって伸びなくなった指を確かめながら立ち上がった。
「こちらから出向きます」
≫っょぃ≫
≫さすが≫
≫武器はあるのか?≫
「元々、神に武器を向けるつもりはないので……。手を出してくるようなら、暴風の魔術や必倒の理でなんとかしてみます」
≫必倒の理は使うとマズいのでは?≫
≫ラピウスと同一人物ってバレる?≫
≫鉄の巨人戦で使ったから今更だろ≫
≫そういやそうか≫
≫もう、バレてるってことか……≫
そ、その可能性があるのか。
少なくともイリスさんは気付いていそうだ。
軽率すぎたな……。
ミカエルの邸宅に戻れないし、皇帝の護衛も続けられないかも。
「ふー」
そのことはあとで考えよう。
とにかく、私はメガエラの元へと向かった。
歓声もすでに聞こえなくなっていて、私の足音がカツカツと響く。
靴の裏に鋲がついているからかな?
歩いていくと、メガエラが音もなくスーと移動しているの分かった。
「――メガエラ様。私に何か御用ですか?」
遠くから声を掛ける。
彼女は動きを止めた。
暗い中で黒い姿なので、目視では全く見えない。
慌てる様子もなく、ただ私の方を向いている。
彼女から何か覚悟のようなものを感じた。
「ユーノ様から何か言われてきたんですか?」
私の問いかけにも身動き1つしない。
ただ、彼女の手のひらに魔術の光が集まっていく。
私を狂わせるつもりか。
なんとなく察せられた。
そんな害意が私に向けられていることが分かるのに、何も思わなかった。
慣れって怖いな。
彼女が一歩踏み出そうとする。
その真正面から暴風を当てた。
機先を制されたからか、彼女の動きが止まり、お尻が動く。
私は、それを利用して暴風を当て続け、ずっと身動きがとれない状況にする。
暴風はなるべく小さくしていった。
正体がすでにバレてる可能性が高くても、必倒の理は使いたくない。
この金縛りの魔術の応用でなんとかならないだろうか。
そこに誰かが近づいてくるのが分かった。
女性?
服装がひらひらしてるので、係の人ではなさそうだけど……。
こっちに来て欲しくないな、と思っていたけど、その人物の足取りには迷いがなかった。
暗闇でランタンも持ってなさそうなのに?
その人物がカツカツと足音を響かせながらやってくる。
私の足音と同じ?
剣闘士か、親衛隊?
暴風を止める。
「何をしているメガエラ」
その声色だけで誰か分かった。
ミネルウァ様だ。
メガエラはすぐに跪き、頭を下げる。
≫もしかしてミネルウァ様か?≫
≫だろうな……≫
≫やべえ≫
ミネルウァ様はしばらくメガエラを見下ろしているようだった。
その圧力。
見えないのに胃が痛い。
「あの戦いを汚すことは許さぬ」
何を言ったのか少し分からなかった。
彼女の言葉としては、意外なものだったんだと思う。
――あ。
でも、言葉の意味が分かって胸が熱くなった。
戦いで共有できた感情が蘇ってきた。
ミネルウァ様もあの戦いを大事に思ってくれていたのか。
「分かったら行け」
ミネルウァ様が言うと、頭を下げたままメガエラは去っていった。
ほとんど音もない。
器用だな。
≫どういう意味だ?≫
≫ツンデレってことだよ≫
≫良い戦いだったって誉めてるんでしょ≫
ミネルウァ様がカツカツと近づいてくる。
すぐに彼女の姿がぼんやりと目視できた。
「してアイリス」
「――はい」
「戦いの所感を述べよ」
しょ、所感か。
感想を言えば良いということだよね?
「では、述べさせて貰います。最初は鉄の巨人の身体能力に圧倒されました――」
戦いを思い出しながら素直に話していく。
何をしたかはともかく、感じたことは覚えている。
「――驚異的だったのは一度倒したと思ったあとです。先の分からない作戦の数々、こちらの行動を読む洞察力、死を覚悟したときもありました」
「興味深いな。勝利した理由を述べてみよ」
「あらゆる面で私より鉄の巨人が上でした。運としか言いようがありません」
「驕ってはいないようだな」
「私の力なんて大したことありませんので。周りの人たちには恵まれているかも知れません」
「女神と呼ばれていたか」
「それは……その。あまりにも恐れ多いので、なんとか呼ばないようにお願いしてみます」
「良い。その心がけがあればな」
「え? いえ、その。寛大なお言葉ありがとうございます」
私の言葉を聞き終えると、ミネルウァ様は背中を向けた。
「――久方ぶりに心が踊ったぞ」
去っていく。
来たときと同じようにカツカツと音を響かせて。
何を言われたか分からなかったけど、すぐにその真意を理解する。
「私も心が躍りました! その、なんていうか死にそうになりながらも幸せで、私にとって特別な時間でした。あの時間を共有できてとても光栄です!」
とにかく私も同じだと伝えたかった。
彼女はそれに応えることなく暗闇へと消えていった。
しばらくその消えた場所を見つめる。
それから私は地下で人がたくさん居る場所へと向かった。
何か聞けるかも知れない。
そこには、更衣室で着替えをしてくれた2人の女性も居た。
無事で良かったと伝える。
「アイリス闘士、どうしてここに? ちょうど良かった。実は最終の闘技が中止となり困っていたのだ。閉会式に出て貰えないだろうか? 陛下からお言葉を賜るという名誉もある」
貫禄のある係の人が私に聞いてきた。
閉会式か。
皇帝の健在っぷりのアピールもあるし、盛り上げるためにも参加した方が良いだろうな。
「分かりました。参加します」
「助かる。では、準備を頼む」
「承りました。アイリス様、こちらへ」
女性2人がお辞儀をした。
そして、離れた部屋に連れて行かれる。
更衣室にあった鏡や服が置かれた部屋だった。
そこで、身体を拭かれ、髪を整えられ、化粧や着替えをした。
ビキニアーマーも再度付け替えられ、上着として絹のカーディガンのようなものを身に着けられる。
肘とかの防具が外されたままなので、露出度は上がってる。
カーディガンも透けてるし、肩まで大きく開いていた。
丈が短くてちらちら太ももが見えてる気もする。
≫はよ!≫
≫鏡!≫
≫言われてから鏡の前に立てて二流≫
≫言われる前に立ててようやく一流≫
≫いつになればアイリスは一流になるのじゃ?≫
≫麻呂ー!w≫
≫老人多いな、ここw≫
こういうときのコメントが流れる速度は異常だ。
気持ちは分からないでもないけど。
私も自分の姿が気になるし仕方ないか。
鏡の前に立って姿をチェックした。
≫うおー!≫
≫ふとももふとももふともも≫
≫これはよいものだ……≫
≫ローマ人とは良い酒が飲めそう≫
コメントが更に加速した。
これでも禁止ワードとかがフィルタリングされてるんだよな……。
この人たちって……。
その後、鏡の前に椅子を持ってこられてしまったので、そこに仕方なく座る。
激しくコメントが流れる中、彼女たちに腕や足をマッサージされるのだった。
なにこの罰ゲーム。
気持ちよかったし、全く動かなかった指も少しは動くようになったのだけれど。
「アイリス闘士」
30分くらい経っただろうか。
名前が呼ばれた。
閉会式が始まるのか。
円形闘技場のあの惨状はどうなっているんだろう。
思いながら、係の人に無事な通路を案内されて、闘技場へと向かった。
闘技場に入ると、地面の剥き出し部分は板が乗せられて、その上に土が敷き詰められていた。
さすがに天幕は外れたままだったけど。
それでも、この短時間で見た目だけでも修理してしまうなんて。
さすがは土木チートのローマ帝国。
私が入ると、歓声が大きくなる。
すでに剣闘士と思われる2人が並んでいた。
この2人が最後の剣闘をするはずだったんだろう。
2人とも強そうだった。
特に1人が強そうで、整った顔と彫刻のような肉体を持ち、貴族の奥様方に手を振っていた。
でも、それだけではない凄みみたいなものもある。
それから皇帝が壇上までやってきた。
足取りは確かで、普段ベッドの上で生活しているなんて感じさせない。
目が合ったので軽く頷いておく。
皇帝は壇上へと上がった。
ゆっくりと観客席を見渡してから演説を始める。
「SPQR! この素晴らしい日に来てくれたことを――」
声にも覇気があり、身振り手振りも力強い。
部屋に居るときとは別人のようだ。
驚いたことに魔術を使わずに円形闘技場に肉声を響かせていた。
なるほど、これが健在っぷりのアピールか。
十分に効果あったと思う。
演説では私の戦いについての話もでた。
最後に、最終の剣闘が行われなかったことが詫びられる。
近々、リドニアス皇帝の名の元に闘技会が行われることも宣言された。
宣言が終わると同時に盛大な拍手と歓声が巻き起こる。
拍手と歓声が小さくなってきた頃に、壇上へ上がるように私の名前が呼ばれた。
皇帝からアイコンタクトで横に来るように誘導された気がしたので近づく。
「手を借りても良いか」
「はい」
返事をすると腕を取られ、手を上げられる。
歓声や拍手が倍以上になった。
すごい。
手はすぐに下ろされる。
歓声は次第に収まり始めた。
皇帝は、手のひらを下に向けて、音を抑えるようにジャスチャーしてみせた。
歓声が一気に小さくなる。
一歩、皇帝が前に進む。
それで皆、彼に注目した。
「今日、1人の英雄が誕生した。同時に神話となった。
皆も見たであろう。強大な鉄の巨人の力を!
地をも持ち上げる圧倒的な力を!
かの巨人こそ、神話の巨人である。
そして、その神話の存在を倒したのが彼女、アイリスだ」
私を紹介するように伸ばした指先を向けられる。
「我々は神話の生き証人となったのある!
証人たちよ!
新たな英雄に、我々の英雄に、拍手を送ろうではないか!」
怒声のような声と、拍手の音が空間を埋め尽くした。
え、英雄……?
困惑した顔を皇帝に向けると、いたずらっぽく笑われた。
くっ、やられた。
でも今そんな顔をする訳にもいかないから、笑顔を保つ。
私もいたずらをしてやろう。
もうどうにでもなれだ。
私は皇帝の足下に跪き、頭を下げた。
どよめきが起き、歓声になる。
英雄が皇帝につくというのを見せたかったんだけど、上手くいったかな?
あー、でも。
この流れは完全にカトー議員の望み通りだな。
早く暗殺未遂事件を解決して文句の1つでも言わないと気が済まない。
歓声も収まり、壇上から皇帝も降りた。
閉会式は終わりに向かっている。
その壇上に1人の男性が歩いていき、立った。
係の人たちは困惑している。
顔立ちの整った彫刻みたいな身体の男性だ。
自然と目が引きつけられる。
彼は両手を大きく広げた。
更に目が引きつけられ、観客も彼に注目し始めたことが分かる。
係の人が困惑したまま近づいてくるが、彼はそれを視線だけで制した。
上げていた両手が下ろされ、右手が天を指さした。
その指がゆっくりと私に向けられる。
――わ、私?
皆が彼の指を見ていたので、当然、次の注目は私へと向いた。
観客席がざわめき始める。
「挑戦を申し込みたい。どうだろう?」
静かに聞こえるけど、声自体は大きい。
低くて良く通る声だった。
貴族の席からは、女性の「レオニスぅー」みたいな甲高い声が聞こえる。
男性からも人気みたいで、「黄金」という二つ名っぽい声も聞こえた。
彼はレオニスと言うのか。
二つ名で呼ばれているということは八席の1人?
なんかどこかで聞いたような……。
筆頭が『不殺』マクシミリアスさん。
次席が『闘神』ゼルディウスさん。
第四席がロンギヌスさんで、元第五席が『切断』シャザードさん、第六席が『剣鬼』カクギスさん、第八席が『魔術師』メッサーラさんだったはずだ。
ロンギヌスさんは『蜂』の事件で少し関わった。
今は留置所に居る。
あ、そういえば半年前にロンギヌスさんを倒したのがレオニスさんと聞いた覚えがあるな。
ということは第三席か。
「申し訳ありません。対戦に関して私では決めることが出来ないので」
丁重にお断りしたい。
「心配するな、すぐに決まる」
え、どうして?
「皆! 聞いてくれ! 俺は筆頭の座を奪うためにここに居る!」
知ってるーみたいな声が聞こえてきた。
「だが、その前に倒さなければいけない相手が居る! 英雄となったアイリス! この英雄を倒さなければ俺は先へ進めない!」
そんな女倒してーという声が聞こえた。
「皆! 力を貸してくれ!」
ファンと思われる観客たちが騒いでいた。
役者だな。
天然で人を惹きつけるゼルディウスさんとはまた違ったタイプだ。
そういえば、今日の対戦って中止になったんだよね。
相手の人はどうするんだろう?
隣に居る相手の人を見てみると、なんとも言えない顔をしていた。
こちらは30代半ばくらいか。
歴戦の戦士っぽいので、あまり拘りがないんだろうか。
「レオニスさん。今日、行われなかった対戦の再戦はどうなるんでしょう?」
「彼とは戦わなきゃいけない理由があった訳じゃあない。君とは今、戦う理由ができた」
歯を見せて笑う。
続けて私にだけ分かるように薄く笑った。
悪い表情だ。
今日の相手だった人を見ると、両手のひらを上に向けている。
「お答えいただき、ありがとうございます」
私も笑って返す。
こうして、閉会式は意外な幕切れで終わるのだった。
私はいろいろありすぎて疲れたので、早く帰って休みたいと思った。




