第140話 最後の策
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アイリスは皇帝に毒を盛る犯人を誘い出す作戦を決行し、彼がウァレリウス議員の邸宅へ相談に入ったことを確認した。そして、護衛体制を考え、皇帝の邸宅の人員を全員入れ替える案を出すのだった。
闘技会が明日に迫っている。
私は郊外に建てられた石造りの倉庫に居た。
男装の姿だ。
私と戦った巨人の3人はここに住んでいた。
この倉庫はカトー議員が用意してくれたものなんだろう。
驚いたことに巨人用の大きなトイレもちゃんと用意されている。
しかも水洗トイレだった。
外壁の外とはいえ、街道沿いなので水道が来ているらしい。
3日前に初めてここに来たとき、巨人2人にかなり威嚇された。
言葉を話す1人が説得しようとしてくれたみたいだけど、簡単な単語しか通じないみたいで無理だった。
結局、私が実力行使することになってしまった。
今では2人とも大人しい。
「短い間ですがありがとうございました」
今日で練習は終わりだ。
私は『必倒の理』の練習に協力してくれた巨人に手を差し出した。
見上げると3メートル程度はある。
お尻から落ちると身体への負担は大きいはず。
それなのに不満も言わずに協力してくれた。
「アイリスには恩がある。まだ返し足りていない」
彼も手を差し出してくれた。
膝を折り、腰を屈めて。
「いえいえ。――充分すぎるほど助かりました」
彼の大きな手と握手する。
彼の名を呼んで感謝を伝えたいんだけど、名前がないらしい。
「なにかあるのか?」
「……名前のことを少し」
「我の名のことか」
「はい」
「では、アイリスが付けてくれないか?」
「え?」
「我の名を呼べずに困っているのはアイリスだけだ。その当人が付けるのが筋だろう」
「確かにそうですけど」
≫説得されたw≫
≫他の巨人と比べてもかなり頭良いよな≫
「分かりました。フィリップスさん、もう少しお待ちいただけますか? 忙しいのにすみません」
「私は提言者として視察に来てるだけだ。好きにしろ」
今日はフィリップスさんが来ている。
議会で提言した責任からわざわざ時間を取って来てくれたらしい。
「ではお言葉に甘えさせて貰います」
私は左目に手のひらをかざした。
「これから彼の名前を決めます。山に関連した土や岩、知恵などが由来のものから決めたいと考えています」
説明っぽい言い回しをしながらコメントを待った。
≫北欧神話の山の巨人なんだっけか?≫
≫北欧系が良いのか?≫
≫古英語? 古ノルド語?≫
≫『アスガルド』みたいな感じってことだよな≫
≫山と知恵ならフェルヴェドみたいになるな≫
そのあとも調べてくれているのか大量に候補が出てくる。
由来を書いてくれる人も居る。
山や知恵関係の単語を挙げてくれる人も居た。
私は巨人の彼を見ながら同時にコメントに集中する。
頭の中で彼のイメージに合う候補を選んでいく。
でも次から次に候補が出てきて覚えきれない。
山に関連した単語の中では『ベルグ』が響きとして良いと思った。
岩という意味もあるらしい。
私のもう1つの名前であるラピウスも岩の人という意味なので良いかも。
≫案出した奴は再度投稿してみて。由来込みで≫
≫さすがにアイリスも覚えられないわな≫
なんて気が利くコメントだ!
流れていく中でベルグが入っていて良さそうなのを追いかける。
≫ルノベルグ。岩の知恵者。ルノはルーンの意≫
そんなコメントが目に入った。
ルーンという単語はそれだけでくすぐられるし、ルノという優しげで紳士的な響きはこの巨人の人に合っている気がした。
「ルノベルグ。この名前はいかがでしょうか? 岩の知恵者というような意味を想像して決めました」
おそるおそる彼の顔を覗き込む。
「――ルノベルグ。岩の知恵者か」
低い声が響いた。
「良い名だ」
そうして彼は笑った。
素直な喜び方にほっとする。
「言葉的には正しいですか? そちらの言葉にはあまり詳しくないのですが」
「問題ない。我の故郷のことを考えてくれた。それがなによりも嬉しい」
「よかったです」
「しかしよくゲルマニアの言葉を知っていたな?」
腕を組んだフィリップスさんが私を見る。
「私の故郷では、劇のような物語の題材でそちらの神話が使われることが多いんです」
「故郷に神話はないのか?」
「ありますが、どちらかというとローマで言うゲルマニアの神話が人気です」
「妙な故郷だな」
「それは否定しません」
「我は単純に嬉しいがな」
「ありがとうございます。ルノベルグさん」
「名があり、呼ばれるというのはなんとも嬉しいものだ」
「良かったです」
それから、闘技会が終わったらまた来るとルノベルグさんと約束して元倉庫の外に出る。
フィリップスさんは馬車で来ていたので、それに乗せて貰うことになった。
ゆっくりと街道を進んでいく。
振動を防ぐ仕組みはないので振動はあるけど、歩くくらいのスピードだからかうるさくはない。
「しかし、その男装の姿には慣れんな」
「いつもの姿の方が良かったですか?」
「――そんなことは言っていないだろう」
「はい」
「全く。それで、明日の鉄の巨人には勝てそうなのか?」
「やってみなければ分かりません。ただ、勝てるように準備はしてきたつもりです」
「しかし未だに信じられんな。まるで神話だ」
「ビブルス長官も同じようなことをおっしゃられていました」
「長官殿も苦労人と聞く。我々のような凡人は皆、同じような感想を抱くのだろうな」
「私も神話とはいかないまでも現実とは思えないのですが……」
「ふん。自分が凡人とでも言いたいのか? 凡人は神話の巨人と戦って勝てるなどとは言わんぞ」
「う……」
≫相変わらず貶してる風に褒めるのが上手いw≫
≫高度なツンデレ≫
≫ツンデレ貴族≫
「ところで最近、アーネス殿下とは顔を合わせたりしているのか?」
「いえ、全くと言って良いほど接点はないですね」
「そうか。陛下の護衛でそれどころではないか」
「ですね。ただ、護衛についてはメテルス様のお陰で楽にはなってます」
皇帝の事情のことは、フィリップスさんに提言をお願いしに行ったときに話してある。
「私も何か出来れば良いのだがな」
「フィリップス様は第一皇子派なので……」
「分かっている。私が妃陛下に悪印象をもたれる訳にもいかないからな。今回の提言すら危ういところだろう」
「難しい立場なのにありがとうございました。改めてお礼を言わせてください」
頭を下げた。
「気にするな。私とお前は『戦友』なのだろう?」
「はい。フィリップス様が戦友で良かったです」
≫フィリップス、『戦友』気に入ってるよな≫
≫提言のお願いのときに嬉しそうだったからな≫
≫初陣で出来た戦友は特別なんだろう≫
「まあ、なんだ。とにかく明日だな」
「はい。なんとか生き残れるように頑張ります」
それから、メテルスさんのことを話していると、外壁の門にたどり着いた。
彼にお礼を言って別れる。
私の対戦には時間があれば来てくれるらしい。
その後、歩きながら皇宮へと向かった。
皇帝の護衛に関しては、しばらく休みを貰っている。
休みを貰えるようになったのは、皇帝の周りの人員を全て交替して貰ったことが大きい。
ただ、この交替劇ではかなり反省する点があった。
独断で決めてしまったこともそうだし、全員を交替なんて大がかりなことを策なく決めてしまったことも問題だ。
こんな大がかりになことをすれば当然、警戒されたり余計なリアクションを取られたりする。
ちゃんと考えてから決めないとダメだったのに。
それでも、視聴者や皇帝が協力してくれたお陰でなんとか問題点をフォローできた。
皇帝が不安だから全員交替させてしまうという評判に影響してしまう方法だったけど……。
次はこういう失敗をしないようにしよう。
あと、心残りは全力で『真空の投擲』が試せてないことだった。
真空の投擲は、鉄の巨人に止めを刺すために考えた魔術だ。
上空から落とした剣を真空の力で加速させ、鋼鉄の板を貫く。
全力で試してないだけでかなり練習はした。
ゆっくりと歩いていた私は皇宮にたどり着く。
皇帝の部屋に寄っていこうか。
私は挨拶も兼ねて、部屋に行くことにした。
「ラピウスです」
少なくなった親衛隊を見ながら、私は皇帝の部屋へとたどり着いた。
出迎えてくれたのはエレディアスさんだ。
相変わらず、片手は固定されている。
部屋に入ると同時に防音の魔術を使う。
「防音の魔術を使いました。皇帝。お加減はいかがですが?」
「良く来たアイリス。リハビリのお陰か調子は悪くない」
皇帝の部屋には、リハビリ用の両手すりのついた歩行練習機がある。
職人に作らせたみたいだけど、皇帝用というだけあってかなり頑丈そうだ。
外面的には、部屋での歩行補助のための器具ということになっている。
快復してるという情報はなるべく隠したい。
「良かったです。エレディアスさん。タナトゥスさんはどうですか?」
「皇帝への言葉遣いがね」
「そんなこと言ってもな。俺はそういうの苦手なんだよ」
「いきなり出来るというものではない。徐々に覚えていけば良い」
「さすが皇帝。話が分かるぜ」
私とマリカに替わる皇帝の護衛には、エレディアスさんとタナトゥスさんが選ばれた。
タナトゥスさんは特殊部隊の候補の中で、簡単なトーナメント戦を行って勝ち抜いた。
タナトゥスさんは皇帝と話が合うようだ。
裏表のない彼の性格が皇帝にとっても安心できるのだろう。
元暗殺集団の跡継ぎが皇帝の護衛というのも面白い。
「明日の闘技会は大丈夫そうですね」
「私の心配は良い。アイリス、お前は大丈夫なのか?」
「皆さんのお陰で練習も出来ました。あとは全力を尽くすだけです。私自身も未知の強敵との戦いを楽しみにしてますし、皆さんも楽しんでください。本当にどうなるか分からないので」
最後の言葉で私の手が震えていた。
どうしようもなく笑みも漏れてしまう。
上唇だけがめくれそうになる感じだ。
「さすがアイリスだぜ。応援してっからな。頑張れよ」
「ありがとうございます」
皇帝とエレディアスさんは少し引いているようだった。
そんなに私の笑みが邪悪だったのだろうか……。
「――なんというか、そうだな。私も楽しみにしている」
「私もまた君の戦いが見られると思うと心が躍るよ」
慌ててフォローする2人。
気を遣わせてしまったか。
「――ありがとうございます。高ぶって怖い笑みを浮かべてしまい恥ずかしい限りです」
「高ぶりか。そのようでもなければあれほどの戦いのは出来ぬのであろうな」
「神話の巨人と戦うのが嫌々という訳でもないみたいで安心したよ」
「はい――」
「なんの話してんだ?」
タナトゥスさんが首を傾げた。
「――君が羨ましいよ。あとで説明するから」
「お、なんだか知らねえが頼むわ」
「――はぁ」
エレディアスさんも苦労人なんだな。
ビブルス長官といい、親衛隊にはそういう人が多いのかも知れない。
あと、説明はしなくていいです。
「では、私はこれで。今日は挨拶に来ただけですので」
私は皇帝の部屋をあとにした。
仲良くやってるみたいで安心かな。
私は切り替えて、邸宅の中に居る神々や皇妃の同行を探った。
私と勝負をしてからメガエラも大人しい。
ユーノやミネルウァ様も別々の部屋でくつろいでいるようだった。
イリスさんは飛び回っているようだけど。
気になるのは皇妃やスピンクスの静けさだった。
2人とも全く動きがない。
ユーノの前では動けないのだろうか?
不気味だ。
私は一通り確認しながら邸宅の外に出た。
今日は部屋にマリカも居るはずだし、久々にいっぱい話そうかな。
そう考えると私は小走りでミカエルの邸宅に向かってしまうのだった。
それから、マリカやラデュケと一緒にお風呂に入ったり、話したりして過ごした。
今までほとんど話せなかったマリカとは特にたくさん話した。
「こっちに来てからの練習はどうだった? ルキヴィス先生に教えて貰ってたんだよね?」
私の明日の対戦のことを聞かれたあと、今度はマリカに質問する。
「養成所より丁寧に教えて貰えたよ。特に盾の使い方とかね」
「へぇ、教わったことないな。どんな感じ?」
「私の場合、受けるとき身体を固めちゃうから力を抜いたまま受ける方法とか教わった」
「力を抜くか。なるほど」
剣を重心の前で受けるのと似た感じなんだろうか。
「なかなか力が抜けなくて大変だったけど、枝から初めて段々重いものに変えていって大丈夫になったよ」
「相変わらず先生って教え方上手いよね」
「ルキヴィスって一見、感覚派なんだけどね。人に合わせて教えるの的確だと思う」
マリカはなんだか嬉しそうだった。
「それでルキヴィスさんとの関係は進展したんですかあ?」
ラデュケが話に入ってきた。
「か、関係ってなんの話?」
マリカは小声になる。
「またまたー」
「う……」
「で、どうなんです?」
「……進展してないから」
「はい?」
「進展してないから! そんな雰囲気でもなかったし仕方ないでしょ」
「うーん。早くしないと誰かに取られちゃいますよ? 前にここが襲撃されたとき、アイリスさんに言われてルキヴィスさんのところに言ったんですけど、『俺の後ろがここで一番安全なところだ。安心してろ』とか視線合わされてときめいちゃいましたもん」
「ぐ……」
「アイリスさんはどうなんですか? 何か素敵な出会いはありました?」
「あー、私はそういうの今いらないかな」
「えー、どうしてですか? もったいない!」
「ラデュケだってそうでしょ」
「私にはアイリスさんの男装姿が!」
「それは違った意味の満たされ方でしょ」
「そうなんですけどね。恋愛より、まずは恩を返さないとダメですし」
カトー議員の話だろう。
議員個人というより、カトー家への恩かも知れないけど。
そんな感じでリラックスして会話を楽しみながら夜を迎えた。
ずっと話していたかったけど、私とマリカは明日の闘技会がある。
なので早々にベッドに入った。
ベッドに入ってかなりの時間が経っていたと思う。
私は完全に眠っていた。
それが一気に覚醒させられる。
意識全てが真っ白に塗りつぶされた。
溶けてしまうような圧倒的な白。
私だけでなく、世界が真っ白になったかと錯覚するほどだった。
私は上下も分からないまま起きた。
心臓が激しく鼓動している。
何が起きてる?
警戒しながら様子を伺う。
白に埋め尽くされた世界は変わらない。
でもその中心が分かってきた。
白の中の白。
距離的には、皇帝の邸宅の2階だと思う。
そこに住んでいるのは神。
となると神の魔術の光か。
魔術の光なら、他の人には見えないはず。
私は意識を切り替えた。
ただ、部屋は暗いからか、周りの様子が掴めない。
空間把握もまともに使えなかった。
私は壁を伝い廊下に出て、中庭へと向かった。
僅かな月明かりを頼りに魔術の光を意識から追い出す。
中庭の風景へと意識を移す。
ようやく圧倒的な白から少し解放された。
これはなんだ?
ケライノさんのような暴走とは違う。
ただただ圧倒される光だ。
視界いっぱいに太陽があるような感じだ。
焼け尽くされるような暴力的な力がある。
ただ、それが何か分からない。
私はふと気づいて、視聴者に相談することにした。
防音の魔術を使う。
「誰かいますか?」
聞いてみるとしばらくしていくつかコメントがあった。
≫いるぞ≫
≫どうした?≫
「少し混乱してます。皇帝の邸宅から強力な魔術の光が急に現れました。それで何が起きてるか相談しようと思って」
≫強烈な魔術の光?≫
≫ただ事じゃなさそうだな≫
≫人呼んでくるわ≫
それから少し経ってコメントが多くなってきた。
助かる。
≫明日の何かの準備とか?≫
≫だとするとミネルウァか≫
≫ローマの神の真の姿は人を焼き尽くす……≫
≫なんか神話であったな≫
≫ユーピテルの話か≫
「確かに焼き尽くすような強烈さがあります」
≫ミネルウァが真の姿になってるってことか≫
≫なら巨大化してるんじゃ?≫
≫アイリス、姿は分からないか?≫
「やってみます」
私は魔術の光を見ることを抑えて、空間把握のみに集中した。
太陽を直に見ているようなものでかなり神経に負荷があるけど姿は確認できた。
「床に寝そべっていますが姿が大きいですね。身長が人間の2倍以上はあるでしょうか? その部屋には他に誰も居ません。いつもミネルウァ様が居た部屋です」
≫ならミネルウァか≫
≫どうして元の姿に?≫
「少し慣れてきたので、様子を確認します。何か腕を大きな容器に入れてるみたいですね。これは血を流しているんでしょうか? 血からもかなりの力を感じます」
≫神の血か≫
≫いや、待て≫
≫青銅の巨人って神の血で動いてなかったか?≫
≫マジかよ……≫
「つまり、ミネルウァ様は自らの血を鉄の巨人に使うつもりということですか?」
≫だろうな≫
≫ここに来てなんという策≫
そのとき、空から何か大きな人型のものが降りてきた。
ゆっくりと降りてくる。
周りには何人かの神が居るようだった。
降りてきのは人型の何かだけでなく、大きな楯のようなものと槍もあった。
これが鉄の巨人とアエギスの楯なんだろう。
「今、空から鉄の巨人とアエギスの楯が降りてきました。あと、槍もあります」
≫槍?≫
≫槍なんてローマ神話の武器にあったか?≫
≫それはおそらくミネルウァの槍ですね≫
≫ミネルウァの槍?≫
≫特に名前は付けられていません≫
≫じゃあ特別な能力がある訳じゃないのか≫
≫いえ、問題はミネルウァの能力です≫
≫彼女は投げた槍を必ず当てる能力を持ちます≫
≫完全なチート能力じゃねえか!≫
≫丁寧語キター!≫
≫こっちもそれが知れるんだからチートだよ≫
「そんな能力……。ここに来ていろんなリアクションをしてきますね」
≫それだけ本気ということでしょう≫
≫メガエラを倒したことで本気にさせたのかも≫
「分かりました。いろいろありがとうございました。皆さん、助かりました」
長く息を吐く。
私と同様に、ミネルウァ様もギリギリまで準備してきたのだろう。
でも、それも明日までだ。
明日、お互いの集大成が決着する。
私はふつふつと沸き上がる何かを解放したくて仕方がなかった。
上唇がむき出しになっているのが分かる。
月明かりに照らされているであろうその表情に、皇帝やエレディアスさんが居たらまた引かれてしまうかな、などと考えるのだった。




