第13話 マリカの魔術
朝食の配給先に向かうと行列が出来ていた。
「いつもこんなに並んでるんですか?」
「今日は休みだから少ない方。あ、闘技会の翌日は練習も休みだから。昨日、闘技会あったでしょ」
「あ、だから昨日はキマイラリベリっていう怪物と戦ってたんですね」
ボクもマリカさんと一緒に配給の粥を受け取ろうと並ぶ。
ほのかに香ばしいニンニクの香りがしてくる。
急にお腹が空いてきた。
考えてみたらこっちに来てから何も食べてない。
それにしても。
周りの男たちの視線が——。
とにかく周りから全身を見られているような気がする。
マリカみたいにお尻の形が見えてないかとか、気になってむずむずする。
しかも、さっきまでガヤガヤとうるさいくらいだったのに、変に静かだ。
視線に酔いそうで落ち着かない。
それに気づいたのか、マリカさんがボクを守るように視線の前に立ちふさがってくれた。
背丈も今のボクと同じくらいの、同年代のかわいい女の子に守ってもらうというのは情けない気もする。
しかし、言わせてもらおう。
マリカさん、マジ天使!
並んでいると、静けさはひそひそに変わった。
それもなくなってガヤガヤとチラチラの視線に変化した頃、大麦のお粥をようやく受け取れた。
「ほら、行こ」
ボクたちはマリカさんの部屋に戻ってお粥を食べる。
大麦のお粥はとても美味しかった。
プリプリとした食感に混ざる、雑穀や豆の堅さのアクセント。
ニンニクの香ばしさ。
少しこってりしたなめらかな風味。
塩味は少し強めだけど、運動することを考えてのことだろう。
函館のマルセンのあっさりとしたお粥も好きだけど、ここのお粥もまた良い。
ボクはお粥を一気に食べてしまい物足りないくらいだった。
マリカさんに言わせると最初は美味しいと思ったけど、その内飽きてくるらしい。
その後、マリカさんと一緒に広場に向かった。
すでに数十人の男たちが練習しているが、それでもまばらに見えるほど広い。
今日は休みということなので、普段はもっと多いんだろう。
ここに来ても視線を感じるが、マリカさんが無視しておけばいいと言ってくれた。
「あの訓練士はまだいないみたいだね。ちょっと付き合って」
マリカさんから長方形の楯を手渡される。
胴体が全部隠れるくらいの大きさだ。
「まず、この楯の持ち方教えるから」
マリカさんがボクに近づいてきて、丁寧に教えてくれた。
最初は楯の内側にある紐に、左腕を通す。
そして、楯の上部にある取っ手を握る。
手のひらがこっち向きで逆上がりするときの持ち方だ。
≫マリカちゃん近くて良い≫
≫じー(ガン見)≫
≫かわいい≫
≫匂いまでしてきそう≫
≫ぺろぺろ≫
気持ち悪いコメントは自重して欲しい。
「剣は軽くしか振らないから、アイリスは私の攻撃をその楯で防いで」
「は、はい」
≫なんかドキドキしてくるなw≫
「じゃ、いくよ」
真横から横薙ぎに剣が振られる。
楯を横に向けてそれを防いだ。
剣は楯から離れない。
その状態のまま、素早く剣を引かれたあとに、ゆっくりと突きがくる。
これもなんとか楯を正面に持ってきて受ける。
「うーん、ダメか」
「早速復習か。俺も良い生徒を持ったもんだ」
いつの間にかルキヴィスさんが居た。
「アイリスに楯の使い方に慣れてもらうのも兼ねてるけどね」
「そのまま続けてくれ」
「いいの? 普通、決まった訓練とかがあるんじゃない?」
「俺は自主性を重んじて伸ばすタイプだからな。臨機応変にいくさ。あっちの木陰で休ん——見てるからよろしく」
「今、休んでるって言おうとしなかった?」
「そうだな! あっちの木陰で休んでるからよろしく」
「そっち!?」
≫良い突っ込みw≫
「心配するな。休むといってもお前らを強くする方法を考えたいだけだ。マリカもまだまだ伸びそうだしな」
「そ、そう? それならいいか……」
≫いいんだw≫
≫ちょろいw≫
その後、しばらくマリカさんの剣を楯で防いでいた。
ボクが慣れるに従って、彼女の剣の振りは速くなるが、マリカさんはボクを崩せずにいた。
そんなことを1時間近く続けていたので、ボクも疲れてきていた。
マリカさんは相変わらず疲れを見せない。
あの口元の光が関係するんだろうか?
「ちょっと休憩しようか」
マリカさんがボクを見かねたのかそう提案してくれた。
「はい、ありがとうございます。ところで、マリカさんって酸素を口元に集めてますか?」
「サンソ?」
≫なんでここで酸素?≫
≫どういうこと?≫
≫口元って?≫
酸素はまだ未発見か。
それとも知られていないのか?
「はい。なんていうか人が生きるために必要な物質というか、呼吸する目的というか」
マリカさんはボクの言うことを不思議そうな顔で聞いている。
あと、いきなり酸素について語り始めたことにコメントも困惑してるので解説が必要かも。
「えーと、朝食前に口元に魔術を使ってるって話をしましたよね?」
「うん」
「それって空気の中の特定なものを口元に集めてません? それを集めると疲れにくい効果があるとか」
今度のマリカさんは目を見開いてボクを見た。
心底驚いているといった表情だ。
「どうした?」
木陰で横になっていたルキヴィスさんがやってきた。
「アイリスって本当にすごくない?」
「はい?」
「私の使ってる魔術、何も説明してないのに完璧に見破るってすごすぎるんだけど」
「どういうことだ?」
ボクがマリカさんを見ると、マリカさんは頷いた。
「いいから説明してみて」
マリカさんがボクの説明を促してくる。
ボクは空気中にある酸素というものの存在と、人体がそれを必要としていることを説明した。
それをマリカさんが魔術で口元に集め続けているから体力があるんじゃないかと。
「なかなかの推測力と知識だな。その知識はどこで得たんだ?」
「どこって学校で習いました」
「学校?」
マリカさんがまた驚く。
あれ、ローマって学校なかったんだっけ?
「学校ってことは、アイリスの出身地の市民は全員知ってるのか?」
「市民? よく分かりませんが全員が知ってると思います」
「もしかして出身はシナエ?」
マリカさんが言った。
「こっちに来てから何度か言われていますが、ボクはシナエ出身ではないです。その向こうにある日本という国です」
「ニホン? 聞いたことない」
そもそもこっちに日本はあるんだろうか?
行く手段もないしのでどうしようもないけど。
「そのニホンは恐ろしい国だな。知識力が高い国はローマとシナエくらいかと思っていたが。ともかく、サンソの魔術を使ってるからマリカは体力があるのか」
「そうだと思います」
≫酸素減らすこともできるのか?≫
「マリカさんは酸素の量を減らすこともできますか?」
「できるけど?」
≫低酸素トレーニングできそう≫
≫マラソン選手がやるやつか≫
そういえば、マラソンの選手とかが高山トレーニングするとか聞いたことがある。
「練習のときに酸素を減らして、実戦で今まで通り増やすと更に体力があがるかも知れないです」
「そうなの?」
「ボクの国で体力が必要な人はそういうトレーニングしてます」
「どういう理屈なんだ?」
ルキヴィスさんはこの話に興味を持ったみたいだった。
「確か、普段から酸素が少ないと、血が酸素を運ぶ効率が上がるとか」
「血がサンソを運ぶ? どういうことだ?」
「はい。血には栄養を運ぶとかいろいろな役割がありますが、一番重要なのが細胞に酸素を届けることです」
「おいおい。アイリスは医者とかじゃないんだよな?」
「普通以下の日本人です」
ルキヴィスさんはなんとも言えない困ったような表情を浮かべた。
「まあいい。今はその知識を強くなることに使おう。マリカはしばらく普段の練習でサンソ量を少なくするようにして見ろ」
「あ、あまり少なくしすぎると失神してしまうのでほどほどにお願いします」
「ちょっと待て。今、失神って聞こえたが?」
「言いました」
「マリカ。お前、自分の口元だけじゃなく相手の口元で魔術は使えるのか?」
「それくらいなら」
あの眠そうだったルキヴィスさんが興奮気味に生き生きしている。
「興味があるなら、人が失神する酸素の割合を思い出しましょうか? たぶんすぐに思い出せます」
「おいおい、思い出せちゃうのかよ。便利だな」
「2人ともなんかテンション高くない?」
当事者のマリカさんは戸惑っているみたいだ。
≫ちょっと調べてみる≫
ボクは考えるフリをしてコメントを待った。
≫ウィキペ情報だがあったぞ≫
≫16%で頭痛・吐き気、12%で筋力低下≫
≫10%意識不明や顔面蒼白≫
≫8%昏倒、6%で死ぬらしい≫
≫なにそれ怖い≫
≫普段は何%なん?≫
≫21%らしいぞ≫
≫低酸素トレーニングは18%から20%か≫
ありがたいことに役に立つコメントだらけだ。
あとでお礼を言わないと。
「非常に不味い情報なので近づいてもらっていいですか?」
「ああ」
「さっきからなに?」
文句を言いながらもマリカさんは近づいてくる。
ボクは下手に低酸素の魔術を試されるくらいなら正確な情報を伝えて危険性を分かってもらった方がいいと判断した。
「まず、マリカさんの魔術で人を即死させることができるかもしれません」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、なに?」
「本当か?」
「はい。酸素濃度は今の空気中だと21%らしいのですが、これを6%にすると一瞬で人は死にます」
「一瞬か。まずいな、にやけが止まらない」
「こんな情報でにやけないでください」
マリカさんは黙ってしまった。
「8%にすると、一瞬で意識がなくなります。10%下にしばらくいるとその内意識を失うか吐きます。12%で筋力が低下、16%だとなんとなく気分が悪くなるみたいな感じですね」
「範囲の広さによっては戦争でも使えるな」
「そうかもしれませんね」
話してて怖くなる。
「マリカ。その口元のサンソは普通の何倍くらいなんだ?」
「え? あー、3倍くらいだと思う」
「というと、60%くらいか。減らすのも同じくらいでできるだろうから、7%はいけそうだな。意識は刈り取れる訳だ」
「本気でやれば4倍はいけるけど?」
「それ、4分の1に減らすのもいけるのか?」
「もちろん。やり方はほとんど一緒だから」
「そうか。どうやら殺し屋が誕生しちまったみたいだな。ハッピーバースデー殺し屋マリカ。今までの話は理解してるよな?」
「反応に困る。話の理解はなんとなく。6%というのがいまいち分からないけど」
「サンソを4倍に増やせるんだよな? その逆に4倍サンソを減らせば人を一瞬で殺せるらしいぞ」
それを聞いてマリカさんは固まってしまった。
それはそうか。
いきなり致死性の毒ガスを持ったようなものだ。
「この情報は危険すぎるからこの3人だけの秘密だな。あと、3倍サンソを減らすと一瞬で意識を刈り取ることができるらしい。2倍だと動いている相手が意識を失うらしいから、ここで戦うときに使うならこの辺りだな」
≫酸素欠乏症って副作用なかったか?≫
≫テム・レイw≫
≫4分未満なら大丈夫≫
「思い出したんですが、この酸素が少ない状態が4分以上だと副作用が起きるみたいです」
「副作用?」
「そもそもヨンフンって?」
ルキヴィスさんとマリカさんが同時に声をあげる。
「副作用は、記憶とか精神とかに影響があるんじゃないかと。あと『4分』に関してはどの辺りが分からないんですか?」
「そのヨンフンの言葉の意味自体が分からないんだけど」
「『分』は分かりませんか? 時間の単位で1時間を60分の1に分けた単位です」
「分からない。訓練士は分かる?」
「いや、聞いたことないな。分が単位なら4は数字か。1時間の60分の4がそのヨンフンな訳か」
≫分の単位がないとかw≫
≫ローマなのは知ってるが時代はいつだ?≫
≫キリスト教は?≫
≫そもそもどこまでが本当の話なんだよ≫
「もしかして時間の単位って1時間だけですか? 1日を24等分した」
「そうだけど?」
「いや待て、等分じゃないぞ? 日の出から日没までを12等分、夜を12等分したのが1日だ。昼と夜では時間の長さが違う」
なん、だと?
ということは考え方としては江戸時代と同じか。
前に丑三つ時を調べたときに、江戸時代は明るくなってからと暗くなってからをそれぞれ6分割していたことを知った。
1日を昼6分割、夜6分割して分割した時間を1刻と呼んでいたらしい。
その1刻を更に4等分していた。
例えば、丑三つ時というのは『丑の刻』の中の4分割の3番目という意味だったらしい。
それにしてもルキヴィスさんは頭が回るな。
知識もあるし、いいところの人なんだろうか?
「それにしてもアイリスの国は恐ろしいな。1時間を60等分とかそれを計測する技術があるということだろう」
「ええと、1分も更に60等分して1秒という単位もあって、更にそれを100分割したマイクロ秒という単位があり、更にそれを1000分割した単位などもあります。時間を極限にまで分割したプランク時間なんてのもあるとか」
「おいおい、なんだそりゃ。得体が知れないにもほどがあるな」
「ええと、私、算数得意な方なのに全く話についていけてないんだけど?」
マリカさんの不満そうなのに寂しそうな表情が可愛い。
「おい」
野太い男の声がしたのでそちらを見る。
「訓練士。遊んでるなら女を寄越せ」
見ると3人の剣闘士らしい人が傍に来ていた。
話しかけてきた男は、筋骨隆々で背も高く、いかにも強そうだ。
「気に障ったか? すまんな。話が長くなったがそろそろ練習始めるか。お前らも今日は休みなのに自主練とはえらいな。もう邪魔しないから構わず練習続けてくれ」
ルキヴィスさんはなるべく関わらないようにするためか、そんな風に言った。
「待て。新人は俺が見てやる」
「すまんな。俺も給料分は働かないと寝る場所に困るんでな。お互い関わらない方向でいかないか?」
ルキヴィスさんはなんとか場を収めたいみたいだけど、険悪な空気が高まっていく。
しかも、新人ってボクだよね?
この品定めするような男の目は慣れそうにない。
「弱そうなのに給料貰ってるとはな」
「ふぅー、仕方ないな」
ルキヴィスさんは肩を落として長く息を吐いた。
「分かればいい。訓練士ごときがこのカエソー様に勝てるはずない」
「そうかい? まあ大口叩いてるのに負けたらカワイソーだよな。カエソーくん?」
ルキヴィスさんが欠伸混じりに言う。
≫カエソーにカワイソーw≫
≫煽っていくタイプw≫
「なに?」
カエソーと名乗った男の頭に血が上ったのが分かった。
「不味いってカエソーの称号はパルスなんだけど!?」
マリカさんが小声で言う。
「なんだそれ? 八席より上なのか?」
「訓練士なのにパルスも知らないの? パルスって千人の中の上位72人なんだけど!」
「へえ、強そうだな」
ルキヴィスさんが悪い笑みを浮かべる。
「後ろの2人もウィテラヌスの上位だったはず」
「マリカ、お前は?」
「う、ウィテラヌスになったばかり」
「そうか。でも大丈夫だからな。ウィテラヌスってパロスの1つ下なんだろ? 十分強い」
「なにその雑なフォロー!?」
「舐めてるのか?」
カエソーさん、激おこみたいです。
「そういや名前はカイソー類だっけ? 舐めたらしょっぱそうだよな」
≫海・藻・類w≫
≫煽るのうめえw≫
≫口喧嘩も強いのか?w≫
「あぁ? やるのか?」
「ああ、いいね。模擬試合にしようぜ。お前ら3人と俺1人の」
「ちょっと!」
「逃げるなよ?」
「逃げないさ。せっかく来てくれたんだから、お前らもてなさなきゃな」
こうして剣闘士でも強いらしいカエソーさん3人と、ルキヴィスさんが戦うことになった。
次話は、明日の午後8時頃に投稿する予定です。




