第138話 必倒の理
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アイリスは尾行に嘘の情報を流し、メリクリウス・ルキヴィス・セーラに鉄の巨人との戦い方を相談するのだった。
夕方になってしまった。
もうすぐマリカと護衛を交代する時間だ。
結局、メリクリウスさんたちとの話し合いが終わってからも、寝ずにルキヴィス先生と研究してしまった。
研究したのは『二本足で立つ者は必ず倒れる理』――『必倒の理』についてだ。
徹夜明けの独特の集中しきれない感じがある。
ただ、ずっと練習してたお陰で先生相手でもほとんど成功するようになっていた。
いろんな場所を力を込めて固めて貰ったりもしたけど、その場合は力んでない関節が曲がり易いみたいな発見があった。
私はどこに力が入ってるのかが分かるので、かなり良い発見だった。
「結局、歩き回るくらいしか破る手はなかったな」
「そうですね」
歩くような、重心移動を繰り返す行動だと『必倒の理』は使えなかった。
上手くやれば使えるのかも知れないけど、今の私には無理だった。
「まあ、足を止める方法なんていくらでもあるし、なんとでもなるか」
「はい」
「あとは鉄の巨人相手に効くかだな。でかさも重さもまるで違うだろう?」
「私もそのことを考えていました。以前、私と対戦した巨人の方に協力して貰うように働きかけてみようかと思っています」
「ああ、お前が円形闘技場で最初に戦った奴か。ずいぶん昔のことに思えるな」
「そうですね」
「アイリスはその巨人と意志疎通が出来るのか?」
「はい。巨人の内の1人の方なんですが、反乱が起きたときに助けて貰いました。頭も良く、普通に言葉も通じます」
「なら大丈夫か。そういや、巨人が闘技場の地下から別の場所に移されたとか聞いたな」
「それはたぶん私がカトー議員にお願いした話ですね」
「お前、どんだけ暗躍してるんだよ」
「いろいろ我が儘を聞いて貰っていて助かってます」
「まぁ、それだけの働きはしてるか。巨人といえば、フゴの奴はかなり強くなってるぞ?」
「そうなんですか? 今度、闘技会に出場するって話ですが大丈夫なんですか?」
「いつも通りやれれば問題ない。練習だとカエソーにも勝ってるしな」
「カエソーさんに! それはかなり強くなってますね」
「ああ、自分で勝手にカエソーには勝てないって格付けしてたからな」
「マリカの調子はどうですか?」
「あいつも問題ないだろうな。皇宮に来てからは焦りみたいなのもなくなってるし」
他の練習メンバーもフゴさんの成長に影響を受けて、強くなっているようだ。
また、一緒に練習するのが楽しみだな。
先生と別れ、ラデュケに男装をお願いする。
彼女も最近は侍女たちと美容やファッションの話などをして楽しそうだ。
「じゃ、いってくるね」
「いってらっしゃいませ~」
皇帝の邸宅に向かう。
ミカエルの邸宅からすぐなので、教室を移動する感じだ。
――そのはずだったんだけど、今日は違った。
光り輝く翼を持った人が私の前に降りてくる。
虹の女神イリスさんだ。
私を真っ直ぐ見ている。
「先日は失礼いたしました」
声を低くして頭を下げる。
「――昨日はなぜ逃げた?」
ミカエルの邸宅に押し掛けられたとき、私は中庭から飛んで逃げた。
やっぱりそのことで私の前に現れたんだな。
「申し訳ありません。突然、ミネルウァ様がいらっしゃったので焦ってしまいました」
「なぜあの方がミネルウァ様だと?」
「あの方は美しく気品も威厳もあり、強さも兼ね備えているようでした。その上で、あなた方を従えていることで、ミネルウァ様だと確信しました」
「理由としては正しいように思えるな」
探るとうに私を見てくる。
そのとき、フリアエが空から降りてきた。
不気味な瞳が私を見つめている。
彼女は地上に降りると、鞭を右手に持ち半身になった。
思わず反応するように私も半身になり、いつでも剣を抜けるように右手を柄の傍に置いた。
「待ちなさい」
戦いが始まりそうな私たちの動きに反応してか、イリスさんが間に入ってくる。
「ここで血を流すことは許しません」
イリスさんが私とフリアエに話しかける。
フリアエは微動だにしない。
私は暴風の魔術を一瞬使って距離をとった。
フリアエは無言で距離を詰めようとしてくる。
「私はあなた方に剣を向けるつもりはありません。ただ、身は守らせてください」
イリスさんに言うと彼女は困ったようにフリアエを見た。
「メガエラ、止まりなさい」
この黒い女神はメガエラというのか。
≫メガエラはフリアエの三姉妹の1人ですね≫
≫嫉妬や恨みの女神です≫
即座に丁寧語さんの解説が入る。
そういう女神か。
いつもながら助かるな。
「――イリス様。提案があります」
私は近づいてくるメガエラから距離を開けつつ、話した。
「提案? 話してみなさい」
「はい。メガエラ様は私に対してわだかまりがあるようです。せめてルールを設けてその中で戦うのはいかがでしょうか?」
「ルールを設けるか。そのルールの内容は?」
「はい。地面に手やお尻をついた側が負けというものです。私は神に刃を向けるつもりはないので、剣は抜きません。メガエラ様は好きにしてください。私が血を流したとしても、対外的には転んだことにします」
≫スモウスタイルだなw≫
≫相撲は神事だしちょうど良いのでは?≫
このルールなら『必倒の理』の練習としてはちょうど良い。
暴風の魔術のみでもなんとかなりそうだし。
デメリットはミネルウァ様にも『必倒の理』が伝わることだけど、試せるなら試しておきたい。
「メガエラと戦うことがどういうことか分かっているのか? 人が戦うには圧倒的に不利となる」
「公平な視点からの助言ありがとうございます。しかし、そのくらいでないと納得して貰えそうにないので構いません」
「そうか。では、もう何も言うまい。メガエラも良いな?」
身動きこそしないが、メガエラは動きを止めた。
頷いたようにも見える。
「判定はイリス様にお願いします」
私は肩の力を抜き、胸の重さを感じ、空気の流れに溶ける。
「分かった。では始めなさい」
イリス様が空に舞い上がった。
同時に鞭が飛んでくる。
私が意識しているのは、メガエラの攻撃の準備と、お尻の動きだ。
これらは筋肉の動きと空間把握で分かる。
暴風の魔術で飛び跳ねながら、鞭も風で払う。
彼女の攻撃が当たる気はしない。
あまり長引かせてもマリカとの交代が遅れるか。
私はメガエラに真っ直ぐ突っ込んだ。
彼女が鞭を振りかぶる。
私はその彼女の右腕に暴風の魔術を当てた。
かなり強めだ。
暴風は神々の持つ風の守りを突破し、彼女の腕を動かした。
いけるな。
そのまま暴風に乗り、お尻でバランスを取る瞬間を見越して、彼女の左腕を前に弾き飛ばす。
ちょうどすれ違ったタイミングだ。
彼女のお尻はそのまま地面に落ちた。
音もなく。
表情は分からないけど固まっているようだ。
見上げるとイリスさんも呆然としていた。
「イリス様」
警戒したまま声を掛ける。
「――あ、ああ。メガエラのお尻が地面に着いているな。勝負あったということで良いだろう」
そう言うと、彼女は地に降りたった。
今更だけど、誰かが見てるかも知れないのに翼で飛んで大丈夫かな、と思った。
彼女はそのままメガエラの元まで移動する。
「どうした、メガエラ」
イリスさんが彼女に呼びかけるが反応しない。
私を睨んでる。
これは納得してないな。
しばらく待ってみたけどやっぱりメガエラは動こうとしなかった。
まだやる気のようだ。
イリスさんが困っている。
「思い出しました。この勝負は三本先取のつもりでした。1本目が終わったということでお願いします」
「――さ、三本? そ、そうか。三本先取か」
≫せっかく勝ったのに≫
≫アイリス……。神の心を折るつもりかw≫
≫うわぁ≫
≫しかし、女神イリスちゃん意外にポンコツ?≫
≫突発的な出来事に弱いと見た≫
メガエラはゆっくりと立ち上がり、私を見ている。
やる気はありそうだ。
「はい。お手数ですが、引き続き判定をお願いします」
「分かった。メガエラ良いな? では、始めてくれ」
今度はメガエラもむやみに鞭を振るわず様子を見ている。
――と思ったら彼女は凄まじい光を発した。
光は天まで延び、地は震えているようだ。
彼女は鞭を手元で振るい続けた。
鞭の先は彼女の手元でいったりきたりを繰り返している。
それだけでビュンビュンと痛そうな音と、木々の枝が揺れるそうな風が巻き起こる。
大きく振りかぶったと思うと、その鞭が私に向かってきた。
私は正面に暴風の魔術を使い、音ごと鞭を跳ね返す。
メガエラは私の風にあおられ倒れそうになった。
彼女の脇を駆け抜けながら、彼女がバランスをとろうとした腕を弾く。
しかし、彼女の腕だけを弾けずに身体ごと押してしまった。
更に焦って暴風を使ってしまった。
メガエラは風に飛ばされ勢いよく転がっていく。
失敗した。
ルキヴィス先生なら立ち直っていたな。
ともかく、勝ちは勝ちか。
「2本目も私ということでよろしいでしょうか?」
追撃にだけ注意しながらイリスさんに声を掛けた。
でも、返事がない。
「イリス様?」
「――えっ? あぁ、2本目もアイリスの勝ちとする。続けて3本目だな」
その言葉でメガエラの魔術の光が再び膨れ上がる。
「双方良いな? では始めなさい」
合図と共に、メガエラは宙に浮いた。
黒い翼が大きく広がる。
飛んで倒れない方向できたか。
いくつか案が浮かんだけど、暴風で翼を狙うことにした。
片側の翼そのものや周りの空気を乱しまくる。
メガエラはそれでコントロール不能になった。
一度コントロール不能になると、地面に落とすのは簡単だ。
落ちてきたので、彼女を暴風で受け止める。
お腹側から落ちてきたので、地面スレスレに暴風を送ってお尻を地面につけさせた。
彼女はすぐに立ち上がって私に視線を向けてきた。
メガエラの心はまだ折れてなさそうだ。
「――五本先取でお願いします」
「ご、五本……。メガエラ、まだ戦えるか?」
メガエラはただ私を見ていた。
「分かった。では始めてほしい」
それから更に続けて、十本先取まで勝負を延長することになった。
最後はメガエラも何をして良いのか分からなかったらしく、私の放つ風に過剰に反応していただけだった。
彼女が最後に倒れると、立ち上がることはなく、完全決着となった。
≫マジで神の心を折りやがったw≫
≫ここまで来たか≫
≫実は剣も抜いてないから武器なしだしなw≫
≫メガエラは良い練習台となったのだ……≫
コメントを読みながらイリスさんの反応を待つ。
「――お前の勝ちだ。それで私とメガエラに何を求める」
出てきた言葉は、ちゃんと私に向けてのものだった。
こちらの話など無視されてもおかしくないと思っていたのに。
神といってもいろいろなんだな。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
少し考える。
基本的には、私に手を出して欲しくないだけなんだよな。
あ、親衛隊も付け足しておこう。
「ユーノ様やミネルウァ様の命令以外で、一方的な敵対行為をしないで貰えると助かります。対象は、私を含めた親衛隊員に対してです」
「敵対行為というと?」
「攻撃はもちろん、操ったり威圧することです」
「一方的というのは?」
「こちらが先に手を出した場合、イリス様たちが反撃するというのは構わないということです」
「そうか。ユーノ様の命令であれば敵対行為をしても構わぬのだな?」
「はい」
「なかなか分をわきまえているな」
「光栄です」
「分かった。お前の願い聞き入れよう」
「ありがとうございます!」
「メガエラも異論はないか?」
聞かれた彼女は相変わらず身動き1つしない。
でも、これまでと違い、私を見るようなことはなかった。
「ふぅ」
イリスさんから漏れたため息。
彼女も苦労してそうだな。
「イリス様の側から私に何か言っておきたいことや聞きたいことはありませんか? あなた方、神に対して、我ながら身の程知らずだとは思いますが」
「いや、いくつか聞きたいこともあった」
それから、スピンクスのことや、長官が囚われたときに助けに行ったこと、魔術のことなどを聞かれる。
私はそれらの質問を素直に答えていった。
「魔術については興味がなかったが、他にもお前のようなレベルの者は居るものなのか?」
「私も魔術については詳しくありません。そのため、レベルのことは良く分かりません。ただ、私の故郷はローマから遠いので少し変わっているところもあるかと」
「少しどころではないだろう?」
「そうおっしゃられると返す言葉もありませんが……」
≫もしかして飛行の話が聞きたいんじゃ?≫
≫スピードで負けて悔しいんだっけ?≫
≫メリクリウス曰く、な≫
確かに魔術の話になると、イリスさんってチラチラ見てくるんだよな。
「イリス様は私が使っていた魔術で何か気になるものはありますか?」
「――気になるのは風系のものだな」
「風系の魔術というと、昨日の逃走で使ったものや今日使ったものですね」
その2つしか使ってない気もする。
「逃走のときに使ったものはどのようなものだ?」
「簡単に言うと、空気の流れを全て同じ向きにすることで実現している魔術です。身体をその流れの中に置くことで飛んでいます」
「全て同じ向きにするとはどういうことだ?」
「私の故郷では、空気というのは小さな粒が激しくぶつかりあっているという前提です。この激しくぶつかりあってる粒を――」
「全て同じ向きに揃えてしまうということか」
「はい。おっしゃる通りです」
神なのにちゃんと言葉のキャッチボールが出来ることに感動する。
「魔術というのはそのような複雑な事象を理解することが必要なのか」
「はい。質問をよろしいでしょうか?」
「許そう」
「ありがとうございます。神々の間では、魔術に相当するようなものは、どのように呼んでいるのですか? お話していると、魔術は人が使うものという前提のように聞こえます」
「そうだ。魔術はあくまで人が使うものだな。我々の間では特に名称はないが、敢えて言うと『力』と呼んでいる」
「『力』ですか。それだけ自然に使っているものなのでしょうね」
「我々が生まれ持つ特性のようなものだからな」
イリスさんは思っていた以上に気さくに話してくれる。
偉い神様の上司を持っているので苦労しているからかも知れないけど。
「なかなかに興味を惹かれる話だった」
私を見てそう言った後、彼女はメガエラに声を掛けて飛び去っていった。
なんとなく人となりも分かったし、会話できて良かった気がする。
でも、空はずいぶんと暗くなっていた。
私は護衛の交代を急ぐために、慌てて皇帝の部屋へと駆けるのだった。




