第137話 アクション・リアクション
前回までのライブ配信
女神イリスから逃げ切ったアイリスは皇帝の護衛として戻る。そこに女神ミネルウァが現れ、アイリスが対戦相手を知っていたことや切断の魔術を使おうとしていたことを見抜くのだった。
朝を迎えた。
皇帝と挨拶を交わし話をする。
話題は彼の体調についてだ。
そうしている内、ビブルス長官が邸宅の外にやってきていた。
長官は中へは入らずに、食事だけを渡して立ち去る。
その食事はキッチンで何か処理されてから、皇帝の部屋にまで運ばれてきた。
処理をしたのは背の高い痩せ形の男性だ。
手を洗っているときに大量の水を掛けておいた。
「砒素はキッチンで入れられています」
防音の魔術を使ってから、皇帝に話しかける。
「――そうか」
食事を銀のナイフでチェックした。
やはり砒素が含まれている。
食事と一緒に私宛のパピルスを渡されたので、それを読んだ。
そこには詰め所に来るように書いてあった。
皇宮内にある親衛隊の詰め所だろう。
ミネルウァ様がミカエルのところに現れたときの説明をして欲しいってことだろうな。
≫この手紙も読まれているでしょうね≫
≫尾行には気をつけてください≫
尾行か。
内容を見られているのなら確かにあり得る。
可能性に気づけなかった。
我ながら頭が全く回らない。
マリカと皇帝の護衛を交代して、外に出る。
少し歩いていくと、確かに着いてくる人が居た。
「確かに尾行されていますね。ご指摘ありがとうございます。平和ぼけしていたようです。考えを巡らすのは難しいですね」
歩きながら小声で話す。
≫そういうときのために我々が居ますからね≫
≫後ろは任せろ!≫
「はい。心強いです」
≫でも、役に立ってるの丁寧語じゃん≫
≫まあな≫
≫俺も役に立ちたい立ちたい!≫
≫基本となる考え方くらいならお話できますよ≫
≫もちろん、皆さんやアイリスさんが良ければ≫
≫ほう。気になるな≫
「私も知りたいです。是非教えてください」
≫俺も聞きてえわ≫
≫教えて丁寧語先生!≫
≫いいからさっさと教えろ≫
≫し、知りたくなんてないんだからね!≫
コメントが続いた。
≫期待させるほどのものではありませんが……≫
≫アクション・リアクションという考え方です≫
流れが落ち着いてきたときに書き込みがある。
「アクション・リアクションですか?」
丁寧語さんの話によると、こちらが何かアクションをとったときは必ず相手からの対応があるという考え方のようだった。
戦略を考える上で基本でありながら最重要なことらしい。
当たり前のことに思えるが、思考のみで考えると、つい相手の存在を見逃しがちになるという。
今回だと、手紙を私に渡すという行為がアクションにあたり、それが相手の尾行というリアクションに繋がるだろうと予測したとのことだった。
≫まるで将棋だな≫
≫詰め将棋とかリアクション想像するもんなあ≫
≫将棋はこれがルール化されていますからね≫
「ルール化されていない戦いで、相手が居ることを認識するための考え方ってことですか?」
≫その考えで問題ありません≫
≫相手が見えないと都合良く考えがちですから≫
「確かに戦略とか政治での戦いだと相手が見えにくいのがやっかいですね。直接戦うのと違って苦手です」
≫直接戦うのはリアクションが分かるもんなあ≫
≫アイリスはリアクション直前に分かるけどな≫
≫そうか。道理でアイリス強いはずだわ!≫
≫苦手意識は場数の差な気もします≫
「そうかも知れません。まずはちゃんとアクション・リアクションの考え方を癖にしてみます」
考えてみると、ミネルウァ様は私の行動へのリアクションが早い。
彼女にはいろいろと察知されない方が良いのかも知れない。
察知されないのはどうすれば良いんだろう?
あれ?
「もしかして、リアクションを取りにくくさせるのが『いじめ』の時に教えて貰ったプロービングですか?」
≫その通りです。さすがに理解力が高いですね≫
≫プロービングってなんだ?≫
≫敵対とまではいえないあいまいな嫌がらせ≫
≫ジャブで反応をみる的な意味合いもある≫
どちらも応用範囲は広そうかも。
そんなことを考えながらも、私を尾行している誰かのことはずっと監視している。
尾行自体は上手いけど、空間把握が出来る人にはバレバレな気がする。
アクション・リアクションの考え方を応用するなら、間違った情報を尾行者に教えてリアクションを取らせることも出来るのか。
面白いな。
「相談良いですか?」
≫おk≫
≫なんだ?≫
「今、尾行している人に間違った情報を伝えさせようと思っているのですが、いかがでしょう?」
≫いいんじゃないか?≫
≫面白そう≫
≫長官との話し合いでってことだよな?≫
「はい。その通りです」
≫早速、応用してきましたか≫
ばれてる。
「はい。間違った情報でリアクションを取らせてみようかと」
≫えぐいw≫
≫アイリスちゃんが不良になっちまっただ……≫
≫すぐ実践してみるのは良いことかと≫
「はい。やってみたいので不良になってみます!」
≫不良って昭和かw≫
≫ヤンキー漫画のヤンキー的な意味だっけ?≫
≫そうそう≫
不良ってそういう意味だったのか……。
≫で、どういう情報掴ませるんだ?≫
「長官が持ってきた食事をリドニアス皇帝が普通に食べていることです。体調は変わりなしで良いんですよね? 急性の症状は出ないはずですし」
≫たぶんそうなんじゃない?≫
≫慢性→小快復→慢性はさすがに分からんわな≫
「そ、そうですね。体調の変化については、良いときもあれば悪いときもあるくらいにしておきましょうか」
≫尾行が風系の魔術を察知できるか確認した?≫
「あ、してません。ありがとうございます」
防音の魔術を察知されると、間違った情報を伝えようとしていると気づかれる可能性がある。
気が回らない自分はまだまだだなと思った。
これは防音の魔術自体がアクションになる訳か。
すぐに、尾行の上空で風を動かしてみて、反応がないことを確認する。
「おはようございます」
詰め所に着くと、ちょうど長官が歩いてきたところだったので挨拶する。
「ああ、おはよう」
尾行のことを伝えるかどうか迷ったけど、伝えないことにした。
こちらがアクションをとると、余計なリアクションを引き起こすことになりかねない。
「入ろうか」
「はい」
長官に促されるように詰め所に入る。
他の親衛隊員はいない。
「しばらく話につき合ってください。誰かに聞かれていること前提で」
「んん。――ああ、分かった」
長官は私の申し出を素直に受けてくれた。
忙しいだろうに助かる。
そうして、長官に親衛隊の様子や忙しさなどを聞きながら、尾行が近づいてくるのを待った。
詰め所とはいえ、親衛隊の拠点に尾行を近づかせるのは警備が甘いとは思う。
お陰で作戦が試せるし良いんだけど。
尾行は回り込んで詰め所の裏に回り込み、壁に耳を付けた。
しばらくは話を続ける。
「――食事ですがいつも助かっています。負担ではないんですか?」
尾行が来て5分くらい経ってから話題を変える。
「手を抜く訳にもいかないからね」
「お手数掛けます。皇帝も毎日楽しみにしてるとおっしゃられていました」
「――それは良かった」
長官も私が何かしていることに確信を持ったようだった。
そのまま、嘘の皇帝の状況を話す。
長官は上手く話に乗ってくれた。
次に全く関係ない親衛隊の訓練の話などをする。
それでも尾行が離れなかったので、声を小さくしてから防音の魔術を使った。
暴風の魔術で真空にしたバージョンだ。
前後左右が精一杯で天井までは手が回らなかったけど、大丈夫だろう。
「防音の魔術を使いました。ただ、完全ではないので小声でお願いします」
私は普段の声に戻した。
「分かった」
「今、そちらの壁の外に皇帝の邸宅から私をつけてきた男性が居ます」
尾行が居る場所に向けて視線を送る。
「何?」
「彼に誤った情報を持って帰って貰うために、ひと芝居打ちました」
「なるほど。それで皇帝が私の食事を食べていると言った訳だな」
「はい」
「さすがというべきか、大胆だな」
「恐らく長官の手紙を盗み見ての行動でしょう。食事の件ですが、砒素を入れている人物の特徴も分かりました。背の高い痩せ形の男性です。キッチンで入れていました」
「そうか。助かる」
「直接、姿は見ていません。ただ、事故を装い水を掛けておきました。水濡れの背の高い男のことを聞けばはっきりするはずです」
「なるほど。信頼できる隊員に聞いてみよう」
「ありがとうございます。お願いします」
あとはミカエルの邸宅で起きた出来事と、ミネルウァ様が皇帝の部屋に来たことを伝える。
「ミネルウァ様だと……。にわかに信じられんな。皇帝もその女性の正体がミネルウァ様だと考えておられるのか?」
「はい」
「それでは信じざるを得ないか」
「長官に1つお願いがあるんですが」
「君のお願いか。怖いな」
「確かに難しいことかも知れませんけど……」
「話してみてくれ」
「セーラに関することです。彼女をミカエル様の邸宅に一時的に連れてくることは出来ますか?」
「――理由を聞かせて貰えるか?」
「私事なんですが、次の闘技会の私の対戦相手はミネルウァ様が用意されるそうです。その相手は鉄の巨人。青銅の巨人を青銅ではなく鉄で作ったもののようですね」
「――青銅の巨人というのは、あの神話のか」
「そのようですね」
私が応えると長官は頭を抱えた。
「だ、大丈夫なのか?」
「かなり厳しいですね。鉄の巨人というだけでも強敵なのに、後ろにミネルウァ様が居て作戦を立てるようなので」
「ううむ……」
長官は言葉を失ったようだった。
「なので、私の方も作戦をセーラも交えて考えてみようかと」
明るく言ってみる。
「なるほど。しかし、君といると、まるで自分が神話の登場人物のように感じてしまうな」
「気苦労ばかりお掛けして申し訳ありません」
「君のせいでないことは分かっている」
「ありがとうございます」
「セーラの件だが、承知した」
「助かります! あと、壊れた剣をいただきたいのですが可能ですか?」
「可能だが壊れた剣など何に使う?」
「少し前に反乱のリーダーだった『切断』のシャザードさんを知っていますか?」
「ああ、もちろんだ」
「彼が使っていた切断の魔術で鉄の巨人に対抗しようと思いまして」
再び長官が固まった。
「……切断の魔術は誰にも使えないという話だったが」
「私にもまだ使えません。でも、セーラにヒントを貰って糸口を掴んだところです。それで練習しようかと」
「そうか。君は相変わらず常識では測れないな。分かった。現状あるだけを皇子の邸宅に運ばせよう」
「本当に助かります」
「皇帝の護衛では君に頼りっぱなしだからな。この程度のこと安いものだ」
「そう言って貰えると気が楽になります」
話を終え、詰め所を後にして、ミカエルの邸宅に戻った。
ミカエルは居ない。
何か用事で出掛けているようだった。
ルキヴィス先生は居たので、メリクリウスさんを探して連れてきてくれるようにお願いしてみる。
「いつもの釣り場に居れば誘ってみるさ。餌はあるか?」
「餌って……。ミネルウァ様と直に会って闘技会のことについて話す機会があったと伝えてください」
「なかなか良い餌だ」
「あとはそうですね、彼女にメリクリウスさんが居ることがバレていることと、彼女はそのことを他の神に話すつもりがないことも伝えてください」
「餌にならないが、そこまで言っていいのか?」
「はい。神を相手にして、もったいぶって交渉しようだなんて思っていません」
「賢明な判断だ」
その後、ラデュケに男装を解いて貰いミーティングに備える。
先生が大事なお客様と伝えたからか、服装の準備は女性の老執事リンダさんが担当してくれた。
私はシルクで白系のトーガを着せられる。
ローマの正装だ。
まずやってきたのは、先生とメリクリウスさんだった。
メリクリウスさんは私にいろいろ聞きたかったみたいだけど、挨拶と私の褒め言葉だけ残して応接室に連れていかれた。
しばらくすると、セーラがビブルス長官と共にやってくる。
「ビブルス長官。忙しいのにわざわざすみません」
「残念ながら話し合いには参加できないがね。しかし、その姿は先ほどと同一人物とは思えないな」
言葉を交わしてから長官と別れ、応接室に向かう。
私を見る邸宅の人たちの目がいつもと違うように感じる。
長官と気軽に接していたからだろうか?
セーラは周りの人が居るからか、黙って笑顔だけを浮かべていた。
「お待たせしました」
そう言ってから前後左右に防音の魔術を使う。
「防音の魔術を使いました。これで声が外に漏れることはありません」
パン!
突然、メリクリウスさんが手を鳴らした。
セーラは少し驚いたようだ。
「確かに周りに反応ないね。良くできてる」
「今、防音の魔術の効果を確かめたのが、ラルバトゥスさんです。不思議な靴で空を飛べます。それにトーナメントで私と戦っているときにユーピテル様が降臨されました」
セーラを盗み見ると、彼女は私に目を合わせて頷いて見せた。
メリクリウスさんということに気づいたかな?
「ラルバトゥスって名前、良く覚えてたね。僕でも忘れそうなのに」
「恐縮です。そしてこちらがルキヴィス先生です」
先生とセーラをそれぞれ紹介する。
メルクリウスさんが早速セーラをお茶に誘っていたので彼女が収容中であることを伝えた。
「へぇ、彼女は何をして捕まったの?」
答えて良いか迷ったのでセーラを見る。
彼女は小さく頷いてくれた。
「少し前の奴隷の反乱に加わっていたので収容されています」
簡単に事実だけを話す。
「あ、そういうこと」
メリクリウスさんは特に気にしていないようだった。
「で、この異色のメンバーを集めたのはなんでなんだ?」
先生が話を進めるように促してくれる。
「はい。私の対戦相手である鉄の巨人――フェロムタロスに勝てそうにないので、その相談です。簡単に経緯を説明しますね」
私は昨夜のミネルウァ様とのやりとりを話した。
「僕が居ることはバレてるんだよねえ? 他に何か言ってなかった?」
「特には」
「なら良いか」
何が良いのかと思ったけど、私の相談に乗っても良いということなんだろうな。
「最後に念のため確認です。私に協力するということは、ミネルウァ様に対抗することに繋がります。
もちろん、私から他の人に話すことはしませんが、ミネルウァ様の洞察力から考えて、かなりのところまで把握されていると思います。何か神罰があるかも知れません」
「正に神のみぞ知るってやつだな。考えても無駄だから俺は問題ない」
「私も大丈夫です」
「じゃ、僕はこれで」
メリクリウスさんが良い笑顔で立ち上がった。
「どうして笑顔なんですか?」
「いやあ、君がどんな反応してくれるのが楽しみでつい」
「今は私で遊ばないでください……」
「今じゃなきゃ良いんだ?」
「まだ、お茶代を返してないので闘技会が終わったらまた付き合ってください」
「んじゃ、協力しようかな」
≫面倒くさいぞ、この神!≫
≫基本、女好きの詐欺師だからなw≫
「ありがとうございます。先生もセーラもありがとうございます」
「で、現状アイリスは鉄の巨人にどう対策を立ててるんだ?」
「はい。最初は切断の魔術で鉄を破壊しようと思ってたんですが、それはミネルウァ様に見抜かれていました」
「切断の魔術?」
メリクリウスさんが首を傾げた。
「鉄を切断というか割る魔術ですね」
「面白そうだね。やってみせてよ」
「私はまだ使えないので……」
「よろしければ、私がやってみせまましょうか? 何か鉄のものが必要ですが」
「いいね。これ使って。『切断』して良いから」
彼は短剣を取り出し、柄をこちらに向けた。
捕まってるセーラに対して不用心だなとも思ったけど、このメンバーの中で気にする人は居ないか。
私は彼から短剣を受け取り、セーラに渡す。
「アイリス。あなたのナイフを借りても良い? ナイフの方は『切断』しないから」
「うん」
ナイフと渡すと彼女はすぐに短剣の刃を擦る。
短剣側の刃の温度が下がった。
一方でナイフの刃の温度が上がる。
短剣の刃の金属原子の結びつきが強くなった気がする。
セーラは短剣の刃にナイフの柄をぶつけた。
パキンという音と共に刃が割れる。
「これが切断の魔術です」
「へぇー、面白いね。どうなってるの?」
「教えたいところなんですけど、秘密ということになってますので……」
「えー、残念だな」
「すいぶん簡単に切断できるもんなんだな。鉄以外にも使えるのか?」
ルキヴィス先生にも興味深そうに見ている。
「どうなのでしょう? 試したことがないので……」
セーラが話しながら私に短剣とナイフを返してくれた。
刃は地面に落ちたままだけど、まだ冷たいので触らない方が良さそうだ。
だいたいの感じは掴めたし、今なら出来るかも。
セーラとメリクリウスさんが話している最中に、既に折れた短剣に切断の魔術を使ってみた。
パキン。
セーラのときと同じように残りの刃が割れて刃落ちる。
その瞬間、セーラとメリクリウスさんが動きを止めた。
「え? どういう……こと? え?」
セーラが一番驚いているようだ。
「あれれ? アイリスって切断の魔術を使えなかったんじゃ?」
「はい。使えないと言ってもあとは調整だけでした。セーラのやり方を見て加減が掴めたので出来たみたいです」
「実は想像してたより簡単とか?」
「意見をよろしいでしょうか?」
セーラが身を乗り出した。
「綺麗の子の意見は大歓迎さ」
「このような姿の私にもったいない言葉ですね。嬉しいです」
「うんうん。意見も聞きたいな」
「はい。切断の魔術は決して簡単なものじゃないとお伝えしたくて……。私の故郷で一部の者のみに伝えられる魔術だったんですよ……。才能があるものでも、10人に1人程度しか使えないという」
「故郷の魔術を安くみられたくなかったんだ?」
「……そうですね。おっしゃられる通りです」
「あはは。可愛いね、君」
「恥ずかしい――です」
セーラが俯き、上目遣いになる。
≫さすが姐さんあざとい!≫
≫アイリスも見習ったらどうだ?≫
いえ、不可能です。
「アイリスはさ。調整って言ってたけど、どうやって身につけたの? 教えては貰ってないんだよね?」
「元々、ある程度の予想はついていました。私の故郷の知識にあったので」
「僕も知らない知識なのに?」
メリクリウスさんの瞳が鋭くなる。
軽い感じの彼が珍しく怖い。
≫メリクリウスは科学の神でもあります≫
≫水銀=錬金術の神だからなー≫
「私の故郷はローマとは異なりますので。たまたまだと思います」
「まあいいや」
「で、俺らは何をすれば良いんだ? その切断の魔術では勝てないから相談に来たんだよな」
「はい。ミネルウァ様に『切断』を使うことを見抜かれている以上は確実に対策をしてくると思います」
「だろうね」
少し嫌そうな顔を見せるメリクリウスさん。
「私は暴風の魔術というものも使えるのですが、これもたぶん見抜かれてるので効きません」
「まーた僕の知らない魔術が出てきちゃった」
「あらゆるものを吹き飛ばせる魔術くらいに考えておいてください。今回の対戦用でもありました」
「以前の突風の魔術よりも威力があるんだな?」
先生が腕を組む。
「はい。たぶん倍以上の威力はありますね」
「どこに向かおうとしてるの、君」
「あはは。とにかく対戦に勝ちたい一心です」
「しかし、それも鉄の巨人には効かないと考えてるんだろ」
「そうですね」
「まあ、怪物ならともかく、その巨人がこいつと同じ素材で出来てるなら風が効かないようにも出来るか」
先生が左手の義手をプラプラと振った。
「先生の義手も、あの強い風を微風にしてしまう現象を起こせるんですか?」
「ああ。魔術を通す必要があるがな」
「では、割と簡単に対策はされそうですね」
「意見をよろしいですか?」
セーラが小さく手を挙げる。
「うん、気兼ねなく話して」
「ありがとう。アイリスの突風の魔術ってかなりの威力だよね? その倍以上の威力の魔術が本当に効かないものなのかな?」
「――効かないって思い込みだったけど、確認はしてないよ。考えてみると、暴風の魔術で飛んだときイリス様より速く飛べたから効く可能性もあるかも」
「イリスより速いってすごいね。神の中でもトップクラスに速いよ、彼女」
「そうなんですか」
「そうそう。悔しがってるだろうなあ」
嬉しそうなメリクリウスさん。
「んじゃ、暴風の魔術が効くか試してみるか? 範囲は絞れるんだよな?」
先生が義手の指を開いた。
その左手が強烈な魔術の光を放つ。
「はい。是非」
イリスさんに気づかれる可能性はあるけど、彼女の探知は威力というより範囲だと思う。
暴風の魔術が効けば戦いの幅も広がる。
思ったけど、持ってる技能が的に気づかれるかどうかというのもアクション・リアクションの考え方なんだな。
私が考えている間に、先生は広いところに移動した。
左腕を横に伸ばす。
瞬間、その義手の周りに再び魔術の光がほとばしった。
「手のひらだけに向けて暴風の魔術を放ってみてくれ」
「分かりました。2人は私の後ろに来て耳を塞いで貰えますか? 余波が凄まじいので。先生は左耳だけでも塞いでおいてください。あとコップはどけた方が良いかも知れません」
「おいおい、ずいぶんと楽しくなってきたな」
先生は私の言うとおり右手で左耳を塞いだ。
セーラはコップを集めて抱えるように持った。
その上で、彼女とメリクリウスさんも私の後ろに来る。
2人とも防音の魔術は見えていようで、そこには近づかない。
「では、まずは威力を抑えめにいきます。3、2、1と数えてから使いますね」
威力は距離でコントロールできる。
直径は手のひらくらいで、まずは50cmくらいの距離から。
「3、2、1」
バンッとキーンが混じった大きな音が鳴る。
余波でこちらに風は伝わってきたけど、先生の手のひらは特に影響を受けていない。
もっと強くしてもいいかな。
「問題ないみたいですね。続けて今の4倍の強さでいきます。3、2、1」
距離を2mにする。
バンッとさっきより強い音が響きわたった。
イスは倒れ、テーブルも一瞬浮き上がりガタンと動く。
先生の義手は動かないが、余波の風はかなりのものだ。
「――手首に風が来たぞ。僅かだがな」
「へぇ、突破するんだ。初めて聞いたよ。アイリス。今のは全力かい?」
「威力だけならこの数倍は高くできます」
「数倍? 怖いなあ」
「威力もそうだが、魔術を使う兆しが全く見えなかったぞ。どうやってるんだ?」
「兆しが見えないのは空気をいきなり動かしてるからでしょうね」
「そんなことが出来るのか」
「はい。理屈はかなり難しいんですけど」
「そりゃそうだよ。僕にも全く分からないんだからさ」
「ミネルウァ様はどのくらい対処してくると思います? 私は魔術無効を全面展開してくるんじゃないかと考えていますが」
「魔術無効は人間が考えたものだからね。あのミネルウァ様が使ってるくるとは思えないな」
「そうなんですか?」
「どうかな。僕みたいな悪い男の言うことは、信じちゃダメだよ」
メリクリウスさんがウインクしてくる。
「悪い男かどうかはともかく、両方のケースで考えるようにします」
私はイスや机を戻して、3人に座るよう促した。
「先生はその義手を通して魔術無効を使ったことがあるんですか?」
「いや、ないな。魔術を通せば今みたいなことが出来るってのと、魔術を使う場合に精度が上がるだけの代物だからな。雑念を投影する魔術無効とは真逆の機能だ」
「なるほど。参考になります」
「僕も参考になるよ。ミネルウァ様のプライドの高さから言っても人間が考えた魔術無効を使うとは考えにくいから、いけるかもね。負けそうになったら逃げちゃえば良いんじゃない?」
「逃げるのはともかく、効くかどうかは開始直後に試してみることにします」
「――ラルバトゥス様、1つ確認してもよろしいでしょうか?」
「なんでも聞いてよ」
メリクリウスさんの軽い感じとは対照的に、セーラは緊張していた。
「はい。貴方がアイリスが殺されないように命令をお受けしているかどうかです」
「命令? 誰から受けてると思うんだい?」
「――ユーピテル様です」
セーラの緊張が伝わってくる。
ふとメリクリウスさんをみると、悪魔かと思うような狂気の笑いを見せていた。
「ふーん。なんだが君がアイリスに呼ばれた理由が分かってきたよ」
「図星か。お前もなかなか苦労してるんだな」
先生がメリクリウスさんの肩に手を置いた。
「こういう星の元に生まれたのさ」
≫なんの話だ?≫
≫無茶な命令を受けてるってことだな≫
≫ユーピテルはアイリスを殺させるなと命令≫
≫更にミネルウァの邪魔をする訳にはいかない≫
≫完全な板挟みだな≫
ミネルウァ様の邪魔は出来ないから大っぴらに私への協力は出来ない。
その上で、私の命を守るというユーピテルの命令を訊かないといけない。
メリクリウスさんはアドバイスするくらいしか出来ないのか。
「なんだか大変なんですね……」
「哀れみの目で見るの止めて欲しいな。繊細な僕は傷ついちゃうよ?」
私が視線を向けるとにっこりと微笑まれた。
「メリクリウスが一応味方と分かったところで話を戻すぞ。暴風の魔術は使えそうだが決定打にはならない。となるとやっぱ切断の魔術か?」
「切断の魔術ですが、その義手を実際に触って確認させて貰うことは出来ますか? 壊したり傷つけたりはしませんので」
セーラが先生に身体を向けた。
「実験には積極的に参加する性質だ。存分に調べてくれ」
先生は、セーラの前に義手を伸ばした。
手首から義手は外さないんだ……と思ったけど、実戦での鉄の巨人と同じ条件で調べるならこの方が良いのか。
「ありがとうございます。先ほど切断した短剣を貸していただけますか? あと、私に構わず、お話を続けてください」
セーラは先生の義手を調べ始めた。
「セーラ。切断の魔術の原理を2人にも話して良い? やり方まで話すつもりはないけど」
「――うん。大丈夫。私も聞いてみたいし」
「ありがと」
私は2人に顔を向けた。
「切断の魔術の原理を説明します。これはまず鉄の性質について話す必要があります」
私は、鉄が硬いのは柔軟性によるものだと簡単に説明した。
その上で、鉄の柔軟性は冷たくすることで変わることを話す。
「氷よりも冷たくしていくと鉄の柔軟性がなくなるポイントがあります。この状態にすることで鉄が切断できるようになります。実際は切断というよりもガラスや陶器を割ることに近いと思いますけど」
「興味深いね。それも君の故郷の知識かい?」
「はい。実は私もあまり意味は分かっていないんですけど」
「ふーん。でも、実際にやってみせたんだから充分だよね?」
「そうですね」
「この魔術の種ってミネルウァ様にはバレてそうなの?」
「ある程度は把握されていると思います。切断の魔術を使っていたシャザードさんが物を冷たくする魔術を使えることは知ってると思うので」
「じゃあ対策はしてくるだろうね」
≫タロスには自身を熱くする能力があります≫
≫あくまで神話上の話ですが≫
≫これが使えるなら無効化されるかもですね≫
≫ああ、触れた直後に熱くなれば良いのか≫
≫相性悪いな≫
「鉄の巨人って自身を熱くする能力ってあるんですか?」
「それを使えば対策できるね。たぶんあるよ」
「ありがとうございます。となると、いきなり使うのではなく、熱くなる能力を使えない状況に追い込んでから切断の魔術を使った方が良いですね」
私が言うと、メリクリウスさんがこちらを見ていた。
「どうかしましたか?」
「いやね。君ってなんて言うか前向きだよね」
「褒め言葉として受け取っていいんですか?」
「もちろん」
「光栄です」
そこでセーラが顔を上げた。
「セーラ、何か分かった?」
「うん。切断の魔術は使えると思う。魔術を使って貰っても使えそうだし特に制限はなさそう。ただ、この鉄に直接魔術は使えないみたい」
「直接って?」
「短剣を通して熱を奪うことは出来ても、この義手を直接冷たくすることは出来ないってこと。あと、手のひらで義手を包んでも魔術は使えなかったよ」
「ありがと。じゃ、一応は使えるってことか」
「そうだね。でも、ミネルウァ様が対策してくると思う。私でもそうするから」
「熱くなったままで戦うってこと?」
「そうなるかな」
動力源は……、神関係だし戦ってる時間くらいは維持できるか。
「ラルバトゥスさん。鉄の巨人って熱を持ったまま1時間くらい戦うことって出来るんですか?」
呼んだけど反応がなかった。
「ラルバトゥスさん?」
「――あ、僕か。もうメリクリウスで良いよ。さっきルキヴィスがそう呼んでたし」
うわ、正体を隠すこと放棄したよこの神様。
「分かりました。では、このメンバーしか居ない場合はそうお呼びします。セーラもメリクリウス様とお呼びするってことで良いですよね?」
「それでよろしく」
メリクリウスさんの返事を待ってからセーラを見た。
彼女は軽く頷いてくれる。
「で、さっき僕に聞いてきた話。鉄の巨人が熱くなったまま動けるかどうかって話だけどたぶん問題ないよ。1時間くらいならね」
「そうですか。ありがとうございます。少し違った角度の質問ですけど、鉄の巨人って目で物を見ていますか?」
「僕たちをモデルに作ってるはずだから目で見てるんじゃない?」
「それなら、熱くなっていることが目くらましに使えるかも知れません」
「目くらまし?」
「――水蒸気ですね」
セーラはすぐに気づいたみたいだった。
「私は周りが見えなくても問題なく戦えますし、立て直す間を取るくらいには使えるかも知れません」
「君たちにはほんと賢いね」
「俺らも役に立たないとだな」
「役に立ってないのはルキヴィスだけでしょ」
「俺はわき役に徹するつもりなのさ。こいつが主役だからな」
先生は左義手を軽く掲げた。
「ルキヴィス先生も主役ですよ。神の弟子なんて先生くらいですから。そういえば先生が鉄の巨人を戦うことになったらどうします?」
「まあ、こいつでぶん殴り続けるか、こいつがなければ夜まで逃げるかだな。どちらも難しくない」
「君も大概無茶苦茶だよね」
「不器用なだけさ」
「殴るってどこを殴るんですか?」
「でかいやつを相手にするときは、末端の関節から潰していくのがセオリーだ。殴り掛かってきたら手首を潰す。掴み掛かってきたら指を潰す。蹴ってきたら膝か足首を潰す。とにかく何かしてきたら身近な関節を潰すだけだ。実にシンプルだろ」
「シ、シンプルではありますね。私には出来そうにありませんけど」
「ま、この義手ありきの戦い方だからな」
「それでも関節を使えなくするというのは参考になります」
視聴者からも氷で関節を固めるというアイデアがあった。
一カ所でも使えなくできれば確かに有利にはなる。
あと、この何かしてきたら身近な弱点を潰すというもアクション・リアクションに通じる。
「ルキヴィス様とアイリスはさすが師弟ですね。お2人とも敵に回したくないタイプです」
「どんなところが?」
メリクリウスさんが手を顎に当てながらセーラに視線を向ける。
「単騎で戦術を台無しにしかねないところでしょうか」
「あっはっは。そりゃ言えてる。読み切れないよね」
「はい」
「俺についてはさておき、アイリスは確かに読み切れないな。ミネルウァ様に読み切れるのか?」
先生がセーラに視線を向けた。
「どうでしょう。ただ、ローマのカトー様であったのなら、読み切った上でなんらかの行動をしてくると思います」
「そのカトーとかいうのに相談できないの?」
「カトー議員からはなるべく頼るなと言われてまして」
私が応える。
「それを律儀に守ってるって訳か」
「頼るのも悔しいですしね」
「ねぇ、アイリス。カトー様が『なるべく頼るな』と言ったまま何も連絡してこないなら、大丈夫ってことじゃないかな?」
「え?」
「メリクリウス様、申し訳ありません。これから話すことはローマの神々に対して失礼なことと思います。問題があれば私が罰を受けます」
「面白そうじゃない。好きに話してよ」
「寛大な御心に感謝いたします。本音を言うと私が心底戦いたくないと考えてるのはカトー様です。聞く限りミネルウァ様は私と同じタイプだと思います。アイリスのことを読み切れるかどうかは微妙なところだと思っています」
「私を読み切れるかどうか分からないってこと? 戦略の神であるミネルウァ様が?」
「うん。理由は女神ユーノ様にアイリスのことを秘密にしたところだね。私が彼女の立場でもそうしたと思う。情報を集めて、自分の読み以外の雑音を排除していく」
「――言われると2人ともそんな感じかも」
「でも、それじゃアイリスは崩せない」
「崩せないんだ?」
メリクリウスさんが興味深そうに聞いた。
「はい。アイリスは手が届きそうな相手なら勝ち筋を見つけてしまうと思います」
「そうかもね。カトーならどうするの?」
メリクリウスさんがセーラに笑顔を向ける。
「カトー様なら謝るなりなんなりしてアイリスと敵対するのを止めてしまうと思います。私だと目的に縛られて、そういう選択は出来ないと思いますが」
確かにカトー議員ならそういう行動をとってもおかしくない。
「謝るねえ。確かにミネルウァ様には出来ないな。でも貴族なんでしょ、そのカトーって人間」
「カトー議員は自分が楽しむためなら貴族の立場とかどうでも良いと思っているのではないかと……」
私は思わずつぶやいた。
「なんだ。カトー議員に振り回されてるのか」
先生が反応した。
「はい。振り回されてる最中です……」
「ほう。そんなに面白そうな人物なのか」
面白い人物じゃありません。
凶悪な人物です。
「ミネルウァ様がアイリスを読み切れないかもという話は一応分かったよ。そこまで読んだ上で来るかも知れないけどね」
「それでこそ面白くなるってもんだ。な?」
先生が私を見た。
「はい」
これまでの死闘を制したときの感情を思い出して、返事をしてしまう。
自分への期待。
未知への怖さ。
焦り。
身体の奥が震える。
「いやあ、ミネルウァ様の怖さを分かった上でそんな顔を見せるのは君くらいだろうね」
言われて口角が上がっていたことに気づいた。
「決してミネルウァ様を侮っている訳ではないのですが、なにか抑えきれなくて」
「まるでマルスだね」
≫戦闘狂という意味ですね≫
≫解説せんでよろしいw≫
マルスって戦闘の神だったかな?
「見苦しいところをお見せして申し訳ありません。あ、マルス様を避難するつもりはありませんので」
「いいよ。楽しいし。最初はどうなるかと思っていたけど、戦いの方も楽しめそうだね」
「まだ勝てる見込みは立っていないですけどね」
それからは真面目に鉄の巨人対策の話をした。
コメントでもアイデアが出る。
高温な相手に冷水を何度も掛けて劣化させる方法だとか、足下を氷にして滑らせるだとか。
金属の劣化については鉄の巨人制作者の鍛冶の神ウルカヌス様が知っているから対策してくるだろうという話になる。
あと、水を氷にするのはたぶん範囲が広すぎて私には出来ないとそれとなく応えておいた。
鉄で出来た巨人を滑らせるなんて、どれだけ分厚い氷が居ることか……。
≫いや、転ばせることなら出来るな≫
セーラを中心に話し合いが行われてる最中、そんなコメントが目に入った。
私は意識をコメントに移す。
≫いきなりですまない。武術家だ≫
武術家さんだった。
≫転ばせることが可能? マジかよ≫
≫またまたー≫
≫巨人だぞ? 人間じゃないんだぞ?≫
≫しかも全身鋼鉄のな……≫
≫神話級でもある≫
この驚き要員たち、妙に前フリが上手い……。
≫話をしがたい空気だが、言ってしまおう≫
≫二本足で立つ者は必ず倒れるという理がある≫
≫アイリスさんが戦場でやっていただろう≫
あ、思い出した。
反乱に参加した農奴や鉱山奴隷の人たちの顎に突風の魔術を当てて倒し回っていたことがあった。
あれを鉄の巨人に使うということか。
≫あれには微細な観察眼が必要な術理がある≫
≫今のアイリスさんなら恐らくそれを使える≫
武術家さんによると、二本足だけで立っている人はお尻でバランスを取った瞬間に隙が出来るという。
この瞬間は、人の場合は最初にお尻が動いてから0.3秒から1秒くらいの間にあるという。
その間ならば、相手を『動かさずに変形』させることで倒れるとのことだった。
≫動かさずに変形ってどういうことだ?≫
≫ラジオ体操を思い浮かべてくれ≫
≫身体は移動していないのに形は変わるだろう≫
≫なるほど≫
≫剛体の力学だね≫
≫並進・変形・回転運動は影響し合わない≫
変形ってそういうことか。
例がラジオ体操というのが面白い。
その変形はともかく、お尻でバランスか。
確かに相手が顎を上げると、バランスを取るためかお尻は前に動いていた思う。
以前、人は2本足で立つことを維持するために、『お尻』『足首の力』『足の踏みだし』を駆使していると教えて貰った。
今回のはその中のお尻の話をしているんだろう。
武術家さんは、体術を駆使してこの『必倒の理』を行うそうだけど、私には暴風の魔術がある。
簡単ではないだろうけど、出来る気がした。
「これから奇妙な動きをしますが、お気になさらず話を続けてください」
私は3人に向けて言い、立ち上がった。
顎を上げたり、腰を捻ったり、身体を折ったり、手を挙げたりを繰り返す。
動きを大きくしたり、スピードも変えてみる。
今まで全く気が付かなかったけど、身体を動かすたび、お尻がバランスのとれる場所を探していた。
安定する位置を探してるとかそんな感じだ。
昔の私なら教えられても気づかなかったかも知れない。
そのくらい微細な動きだ。
普通に目で見ても分からないくらい動きが小さい。
ふと、顔を上げる。
誰も話をしていなかった。
全員が私を見ている。
メリクリウスさんなどは笑いを堪えていた。
なんて無駄に感情豊かな神様なんだ……。
「なかなか楽しいことをしているな。巨人に扮しているのか?」
先生が声を掛けてくる。
「はい。鉄の巨人を転がしてしまおうかなと」
「転がす? 可能なの? しかも今の奇行で?」
メリクリウスさんが目を輝かせている。
それにしても奇行……。
少し考えて、実際にやってみせるのが一番だと思った。
奇行扱いされたままなのも嫌だし。
「先生。試してみたいので、また実験に付き合ってくださいますか?」
「愚問だな」
言って立ち上がる。
先生はすぐに「で、何をすればいいんだ?」と腕を組んだ。
「ありがとうございます。では、倒れても大丈夫な場所――その辺りで立っていていただけますか?」
「ああ」
先生が歩いていく。
「その状態で、義手に魔術は通さずに、風への反応を遅くして貰えますか? それでいて、倒れないようにお願いします」
「要は受け身で待ちつつ、倒れないようにだけ抵抗すればいいんだな?」
「その通りです」
「OK。いつでもいいぞ」
先生は目を閉じた。
かなりリラックスした雰囲気だ。
「では、いきます」
最初は顎か額を狙おうかと思ったけど、首が捻挫でもしたら大変だ。
私は先生の右腕を狙うことにした。
念入りに距離と威力を調整して、右腕だけを暴風の魔術で弾く。
45°くらい腕が後ろに動いた。
すぐに先生のお尻――というか腰が動き、バランスがとれる場所を探そうとしたのが分かる。
左腕もバランスをとるために前に動いた。
全てが一瞬だ。
その一瞬を予測して、ちょうど良いタイミングになるように手前にあった左腕を暴風で弾いた。
「っと」
カクンと膝が落ち、倒れそうになったものの体勢を持ち直す。
≫最初にしてはかなり良い感じだな≫
≫失敗の原因はなんだったのでしょう?≫
≫左腕を動かした際に身体も押したからだ≫
≫恐らく腕全体に風を当てたのが原因だろうな≫
≫コツなどはありますか?≫
私の代わりに丁寧語さんが聞きたいことを聞いてくれている。
助かるな。
私は腕を組んで考える振りをしながらコメントを読んだ。
武術家さんの話によると、コツは関節を蝶番――ドアと壁の間を繋ぐ金属部品――に見立ててドアを開閉するように動かすのが良いとのことだ。
今回の場合なら、肘を蝶番に見立てて、前腕をドアとして動かせば良い。
なるほど、イメージが掴みやすいな。
思えば、顎を上げるのも首が蝶番で顔がドアと考えるとわかりやすい。
「先生、もう一度お願いします」
それから何度か試みてなんとか成功した。
試みたのは8回くらいだろうか。
先生は反応が早すぎて、ほとんど倒れそうな状態からも持ち直すんだよなあ。
思えば、これもアクション・リアクションだ。
リアクションを起こされないように、蝶番のイメージを使うことで成功した。
「驚いたな。誰かに尻餅をつかされるなんてこれまで1度もなかったんだが」
先生がお尻をはらって立ち上がる。
「え、そうだったんですか?」
「しかも何をやられているか検討もつかなかった。面白いな」
≫マジかよ……≫
≫説明されてても何が起きてるか分からないぞ≫
≫見てても手が動いてるだけだからなあ≫
≫なにこれ、合気?≫
≫いや、合気ではない。別の技術だ≫
≫重い巨人にも効くの?≫
≫重い方がお尻の動きが分かりやすいはずだ≫
≫あと、バランスを取る時間も長いはず≫
「これも君の故郷由来?」
メリクリウスさんが笑顔で聞いている。
「そうです」
「君ってまだまだ面白いそうなことたくさん知っていそうだよね」
「あはは。ローマの知恵の深さには到底及びませんけどね」
「しかし、これなら例の巨人も倒せそうだな。神がモデルってことは大体は人間と同じ構造なんだろ?」
先生がメリクリウスさんに聞く。
「たぶんね」
「――アイリスが鉄の巨人を転ばせることが出来るのは理解しました。その後はどうしましょう?」
セーラが静かに言った。
「例の足の弱点は対策されてるんだよな? そもそも神話と実物が同じ弱点を持ってるかどうか知らないが」
先生がメリクリウスさんに顔を向ける。
「弱点はくるぶしの方の神話と同じだったと聞いたことがあるねえ。さすがに鉄の巨人は対策されてるんじゃないかな」
≫青銅の巨人タロスの弱点はくるぶしです≫
≫その釘を抜くと神の血が流れ出します≫
≫血がなくなると動かなくなったんだっけ?≫
≫そうですね≫
いつもながら丁寧語さんのフォローは助かるな。
≫それなら足首は狙った方が良いかもな≫
≫足首は対策されてるんだろ?≫
≫いや、足首を壊せば立つのが難しくなる≫
≫なるほど≫
≫その上、弱点が残ってれば一石二鳥か≫
私は軽く頷いた。
ハンドサインは目ざといメリクリウスさんに気づかれる可能性があるから止めておく。
「対策はされているかも知れませんが、くるぶしを含めた足首の破壊は狙ってみます。足首が壊れれば、立てなくなるのでこちらに有利です。それに足首は熱を出せないかも知れませんし」
「切断の魔術を使うってことだよね?」
「うん。ダメだったら、散弾の魔術というのがあるので、それを使ってみるつもり。鉄に効くがどうかは微妙なところだけど」
「また見当も付かない魔術だ。君の故郷どうなってるのさ?」
「私にもよく分かりません……」
「足首壊しただけじゃ勝てないだろ? 決め手はないのか?」
ルキヴィス先生が聞いてきた。
「今のところは思いつきません。先生ならどうしますか?」
「俺なら身動きがとれなくなるまで、関節を順番に壊していくな。さっきも言ったとおりだ」
≫俺もルキヴィス氏のやり方しか思いつかんな≫
「なるほど……」
「出来ればの話ですが、ルールを変えてしまうのはいかがですか? 一定時間起きあがれないのなら敗北になるというような」
「面白い手だな」
先生はセーラの提案に乗り気のようだ。
ただ、メリクリウスさんは何を考えているか分からない。
笑顔のままだ。
「私としては一番重要なのは、ミネルウァ様を納得させることだと考えています。納得させるには完勝することが必要になってくるのではないかと」
「誰が見ても圧倒的な勝利を納めるってことか」
先生が腕を組む。
「はい」
「何か手はあるのか?」
完勝するための手か。
「少し考えさせてください」
倒れた鉄の巨人に散弾の魔術で、加速した氷の雨を何度も降らすことを考える。
ただ、これだと鋼鉄を貫ける自信がない。
鋼鉄を突き破る何かが必要だ。
≫低温脆性で砕いた相手を散弾に使うのは?≫
≫相手って鉄の巨人か?≫
≫どうやって空中に上げるんだよ?≫
≫旋風の魔術とか使えばなんとかなるだろ?≫
まず低温脆性が効くがどうかが分からない。
現時点で分からないことを決め手とするのは危険だ。
使えるものは何かないだろうか?
私は自分が円形闘技場で戦う姿を想像した。
鋼鉄で出来た巨人が倒れている。
この状態だと、やっぱり上から散弾の魔術を使うのが良いか。
それとも、地下の空気を暴風化して、地面ごと高く舞い上がらせ落下ダメージを狙うのが良いか。
確実じゃないな。
私は想像の中で周りを見渡す。
と言っても壁しかない。
外壁でもはぎ取ってぶつけようか。
ダメだ。
何かはぎ取ってぶつける方向しか考えられない。
今度は空を見上げた。
観客席の部分を天幕が覆っている。
真ん中には穴が空いていて空が見える。
天幕を落として鉄の巨人に巻き付けるとか、穴の部分に氷でレンズを作ってとか非現実的なことばかり思いつく。
鋼鉄で出来ている何かがあれば……。
いや、あるかも。
私は天幕を支えている何百本もありそうな柱のことを思い出した。
材料までは分からないけど金属の可能性がある。
「すみません。円形闘技場の天幕を支える柱がどのような材質で出来ているか分かりますか?」
「いや、気にしたこともないな」
セーラはもちろん、メリクリウスさんも知らないようだった。
≫私はどこかでか木製の説を見た気がします≫
≫ただ、こちらでは現物もなく時代も違います≫
≫確認してみた方が良いかと≫
木製の可能性が高そうなのか。
保留しておこう。
思考を切り替え、更に沈めていく。
どちらにしても、倒れている鉄の巨人に向けて上空から何かを勢いをつけて落とすのがいいと思う。
柱、外壁、天幕そのものを落とす。
どれもしっくり来ない。
やっぱり剣や盾などが良いんだろうな。
暴風の魔術で吹き飛ばした場合、形が歪な剣や盾は真っ直ぐ下に落ちてくれるとは限らない。
盾は乗るのには良いんだけどな……。
ギリギリまで、私自身が剣や盾を持つか。
でも、それはさすがに死の危険がある。
止まれるとも思わない。
自分の剣や盾を低温脆性で砕くことも考えたけど、そんなに細かく出来るとは思えない。
ダメだな。
私は顔を上げた。
「考えるなら、防音の魔術を解いた方が集中できるんじゃないかな? 皆、話してないし」
「あ、うん。ありがとう」
セーラの提案に私は防音の魔術を解く。
緩やかに解いたつもりだったけど、部屋中の空気が真空だった部分に吸い込まれていく。
――吸い込まれる?
私はすぐにもう1度、防音の魔術を使い、その近くに木製のイスを置いた。
そしてイスの近くの空間だけ、真空状態を解く。
解くと同時にイスが平行に動くように風を調整した。
ガシャ!
思った以上の勢いで、イスが平行に吹っ飛び壁にぶつかって壊れた。
出来た。
出来てしまった。
吹き飛ばすのがダメなら、吸い込ませれば良い。
これなら、剣の刃を鉄の巨人に突き刺すことも出来るんじゃないか?
「良い顔になったな」
「はい。これは――」
「アイリス。話す前に防音の魔術を」
セーラの指摘に慌てて防音の魔術を展開する。
そのあと、上空から剣を勢い良く落として突き刺すことが出来るかも知れない、と話した。
コメントによると、実現できれば剣が銃弾以上の速度になるかもとのことだ。
そもそも気圧差の力は凄まじく何トンにもなるらしい。
SF映画とかでの宇宙に空気が吸い出されるシーンすごいもんな。
いずれにしても、これなら鉄の巨人をも貫けるはずだ。
「実現できれば分厚い鉄でも貫けるはずです。ただし、準備に時間は掛かるはずなので、転ばせてからになるでしょうね」
「分厚い鉄でもか。神をも殺せそうだな」
「死なないけどさ。食らうのは勘弁したいところだね」
「――鉄の巨人を采配しているのが私じゃなくてほっとしています」
「味方で良かったな」
「心の底からそう思います」
「それでも手を打つとしたら? 何か考えがあったりするんじゃないの?」
「恐れ多いことを承知で言うと、アエギスの楯を鉄の巨人に持たせます。存在する前提ですが……」
「あぁ、確かにミネルウァ様なら持たせそうだね。ここで話してる内容に気づけばだけど」
≫ギリシア神話でいうアイギスの楯ですね≫
≫あらゆる攻撃を防ぐといわれている楯です≫
≫メドゥーサの石化能力も付いてるんだよな≫
アイギスの楯。
名前くらいは聞いたことがある。
そして、メリクリウスさんのこの反応だと、楯は存在しているということか。
あ、でも。
「楯の大きさは変えられたりするんですか?」
「たぶんね。それにしてもアエギスの楯か。セーラはよく思いつくね」
「メリクリウス様に褒めていただけて嬉しいです」
「どういたしまして。怒られるかも知れないけど、1つヒントを言っちゃおうかな。楯のメドゥーサの首は普段、目を閉じていてその時は効果ないみたいだよ。目を開いて直接覗き込まれたときに初めて硬化するみたいだね。その後、しばらくすると石みたいになるらしいよ」
「リスクがあるのに重要な情報ありがとうございます」
「板挟みの身の辛いところだよね」
その後も話し合いは続けられた。
さっきまで以上の話は出てこなかったけど、和やかに話は進んでいった。
アエギスの楯については、厄介だけど防がれないようにすれば良いと提案した。
最後にセーラの猛獣刑の話になる。
メリクリウスさんは大丈夫なのか気にしていたけど、彼女が床を高温にする魔術を見ると大げさに驚くリアクションをしていたのが印象的だった。




